「29話・旧約聖書を知っていますか?その5」

パレスチナ問題の構図・28話「旧約聖書を知っていますか?その4?」

 ついに矛先はクリントン大統領に・・

 パレスチナ・イスラエル問題、混迷を深めるこの状況に出口が見つからず、ついには生け贄を求めると言うわけでもないだろうが、しきりにクリントン大統領を責める新聞報道が目立つ。それというのも、クリントンが任期ぎれの死に体(レイムダック)であるにもかかわらず、いや、そうだからこそ、最後の花道を飾るため功を焦ったために、アラブの怒りを買ったというのが真相のようだ。

 ちなみに、エジプトやヨルダンがイスラエルと和平条約を結んだ現在、イスラエル・パレスチナ間の衝突が、イスラエル・アラブ間の全面対決に発展する可能性はほとんどないとみられている。ましてや、中東有数の軍事力を誇るイスラエルが、警察力しか持たないパレスチナを相手に、千人、二千人を殺害するような戦争は到底出来ない。丸腰のパレスチナ人に無差別攻撃をしたら、国際社会から猛烈な避難を受けることは明白だからだ(前回の攻撃も通告をした後、爆弾を投下している)。さらに、イスラエルのバックには当然のごとくアメリカがいることを、ゆめゆめ忘れてはいけないのだ。参考文献・読売新聞

 今から、4千年前、古代バビロニアでは偶像崇拝と多神教が流行していた。家の中にも家の外にも様々な神が祭られ、人々は様々な神を信じていた。だが、その時代にたった一人だけ唯一の神を信じる男がいた。その男こそがアブラハムだ(最初はアブラムと呼ばれた)。

 アブラムはある日神の声を聞いたという。神はアブラムにこう言ったと聖書に記されている。「この地をでて私の示すところへ行け」と。その時75歳のアブラムはちゅうちょすることなくパレスチナへ向けて一家で旅立った。その話は、ユダヤ人なら誰でも知っている話だ。

 ちなみに、アブラム達はヘブライ人とも呼ばれた。「向こう側から来て彷徨する人」という意味だ。その言葉通りアブラムとその家族は長い間彷徨し続けた。そして、その彷徨の後、約束の地カナン、今で言うパレスチナに着いた。

 彷徨は終わりだ。ここヘブロンに家を造る!ヘブロンとは、エルサレムの南40キロにあり、ダビデが王となったユダ王国の首都で、後にエルサレムへ遷都。太祖アブラハムの墓所「マクベラの洞窟聖堂」がある。

 このアブラムからユダヤ民族が始まるのだが、アブラムには子供がいなかった。妻のサライとの間には子供がなく、子孫が絶えようとしていた。そこで、女奴隷のハガルとの間に一子をもうけた。イシュマエルである。子供の出来ないサライの悲しみはイシュマエルが成長するにつれ、ますます大きくなっていった。

 時が流れ、アブラムが99歳になったある日。天使達が現れ、崇高なる神を信じるアブラムに対して国民の始祖となるため今より名前を「アブラハム」と名乗るように申しつけるのだった。そして妻サライは「サラ」と変え、彼女を祝福する意味も含めて神は男の子を授けると伝えた。サライは、いやサラはその時かすかに微笑んだ(こんなおばーさんに子供だなんて、ふふふ)。それ故サラから生まれる子供はイサク(彼は笑う)と名付けるようにと天使達は申し伝えたのだ。

 ちなみに、アブラハムの子供イシュマエルは、その後バランの砂漠に行き、妻を娶り、強い部族アラビア人達を誕生させた。言い伝えに寄れば、この部族からアラブの人々が生まれたんである。例の神の生け贄から命を救われたサラの晩年の子イサクは、成長して二人の子供をもうける。二人の子供のうちヤコブと言う男が家を継いだ。このヤコブには不思議な話が残っている。それは次回にお話しすることにしよう。

[その29でーす] /welcome:

 またまた中東問題だが、イスラエル政府は、表向きは「アラファト議長がその気になれば暴力行為をやめさせることが出来る」としているが、「騒乱が長引く中で、自治区内の過激派を抑えられなくなっているのではないか」との見方もでている。弱り目にたたり目のアラファトでなく、パレスチナ民兵組織の指導者と交渉を始めた方がいいのではと、バラク首相が揶揄したとの情報もある。アラファト議長の支持母体であるパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハの内部でさえ、議長の選択すべてには賛成できないと、統率力に疑問の声もあがっている。

 方や、アメリカ大統領選挙も、TV討論も終了したようだが、緊迫する「中東問題」が今後の展開の波乱要因になるのでは、とアメリカの各放送メディアも注目の度を深めている次第である。

 さて、前回の続きを始めよう。そう、アブラハムの孫、イサクの子ヤコブについてのことだった。このヤコブ、彼には不思議な話が残っている。

 ある夜のこと、ヤボク川(死海の北45キロ地点でヨルダン川に東から合流する支流の一つ)の川岸で、ヤコブは見知らぬ男と格闘になった。ヤコブも喧嘩には自信があったがその男もものすごく強く、戦いは長く続いた。だが、わずかにヤコブのほうが男を上回った。ついにはヤコブは男を打ち負かした。すると男はヤコブにこう言った。ヤコブよ、私に勝ったしるしに「イスラエル」という名前をお前にやろう・・なーんて。神と争って勝つ(イスラ)という意味の言葉だ。神より強いと言うことだ。

 ヤコブは、お前は誰だ!と男にたずねた。男は天使だった。それ以来、ヤコブはイスラエルと名乗るようになった。やがてそれは民族の名前になっていく。ヤコブは12人の子供をもうけたが、その12人の子供がそれぞれユダヤの12部族になった。

 その後、パレスチナを飢饉がおそった。ユダヤ人達はパレスチナで暮らしていけなくなった。それでユダヤ人達はエジプトに逃げ込んだ。だが、やがて、待っていたのは奴隷としての生活だった。毎日毎日れんがづくり、このれんがが当時のエジプトの都市を造った。ユダヤ人がいなければエジプトの都市建設は成り立たなかった。エジプト人はユダヤ人にれんがづくりを過酷なまでに強制し続けた。

 聖書によれば、その時一人の男が神の声を聞いた。男の名はモーセ。当時モーセはエジプトでなくミディアン(紅海にあるアカバ湾の東側、現在のヨルダンからサウジアラビアにかけての地域。ユダヤ人迫害に反発してエジプト人を殺害したモーセは一時、ミディアンの砂漠で暮らす遊牧民の祭司の娘と結婚し、羊飼いとして暮らしていた)とう土地で羊飼いとして静かに暮らしていたんだが、ある日羊を追っているときに神の声を聞いた。神は言った、「私はあなたを遣わしてイスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」、モーセは神に従った。

 エジプト王ファラオは、様々な妨害をしてユダヤ人を奴隷のままに留め置こうとしたが、神の示した数々の奇跡の前に、ついに屈した。紀元前1250年、ユダヤ人達はエジプトを脱出した。エジプトからでて三ヶ月後、ユダヤ人達はシナイ山に着いた。

 聖書によると、シナイ山の山頂に神が現れ、モーセに「十戒」(モーセがシナイ山で神から示された基本戒律で、”我以外を神と呼んではならない、偶像を造って拝むな、神の名をみだりに唱えるな、安息日を守れ、父母を敬え、殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、人の物を欲するなの十箇条)を授けた。

 しかし、ユダヤ人達はその後も砂漠を放浪し続けた。パレスチナの地へはいることが出来たのはエジプトをでてから、なんと、40年後のことだ。どうして40年もかかったのだろう?それは次回のお楽しみに。

 

ここもアメリカのユダヤ人解説

まずはユダヤ人について

中東関係その3 中東関係その2 中東関係その1

アラビアのロレンス 英国の三枚舌外交 ユダヤ・ゲットー

富裕なユダヤ人 フランス革命

ロスチャイルド 差別・迫害