パレスチナの話をはじめる前に迫害と言うことに関して新たな文献を得たのでさーっと俯瞰してみたいと思います。
さて、この世界で一番に迫害を受けたのはいわずもがな、ではあるが、しかし、彼らユダヤ人のみが唯一の被迫害民族ではないと思う。遠い昔のことはさておき、近々、四分の一世紀だけに限って見ても、インドネシアにおける華僑と、黒いアフリカにおけるアラブ人への迫害がある。
インドネシアにおける華僑迫害は日本の新聞にも報道されたそうであるが、しかし、欧米の新聞ではあまり報道されなかったという。日本の新聞によると殺された者の数は二十万とも五十余万とも言われている。だが、黒いアフリカにおけるアラブ人への迫害となると、この参考文献自体も真相は全く藪の中のようだ。
と言うわけで、迫害されたのは何もユダヤ人だけではないのだが、ある社会的位置に置かれれば、その国民は常に迫害を受ける可能性がある。ユダヤ人については随分話したのでいずれ話すこととして、取り合えずインドネシアの華僑と黒いアフリカのアラブ人のことを少し話そう。
インドネシアでは言うまでもなく、政治・経済の機構を握っていたのはオランダ人であったが、その末端を掌握し、民衆と直接に接していたのは華僑であった。オランダ人の政権が崩壊し、スカルノ大統領(テレビによくでているあのデビさんが彼の何番目かの婦人だったのだ、だからデビ婦人って言うのだよ。最近は彼女、デビル婦人といわれておるが)とその一党が政権を掌握したとき、たとえ彼らのスローガンや外交策や政治的姿勢がどうであれ、結局オランダ人の座っていた権力がこの一党の手に移り、オランダ人の座っていた椅子に彼らが座っただけで、民衆も華僑もそのままだった。だが、その政権が壊滅したときに、決定的な華僑の大迫害が起こったわけである。
黒いアフリカでも事情は同じであった。支配者はイギリス人であったが、その経済機構の末端を掌握して原住民と接していたのはアラブ人であった。植民地時代が終わり、イギリスは去っても、新しい原住民の指導者が同じ椅子に同じ姿勢で座っていられた間はそのままだったが、やがてそれらが崩壊し、それと同時にアラブ人への迫害と虐殺が爆発した。
そして、フランス支配でのカンボジアでのベトナム人はどうであっただろうか?後に、カンボジアでは、ベトナム戦争後成立したポルポト指導の下の民主カンプティアが急速な共産主義化による国民への大迫害を行った事も忘れてはならないだろう。
インドネシアでの華僑、そしてアフリカでのアラブ人のようなパターンは、ユダヤ人にとっては枚挙にいとまがないのだが、最も古い例を挙げれば、エジプトのアレクサンドリアにおけるディプロストーンの破壊と言われる事件である。
アレクサンドロス大王はユダヤ人を重く用い、彼が新設したアレクサンドリアの町では、ユダヤ人にマケドニア・ギリシア人と同じ特権を与えたと言われる。「同じ」と言っても、実際上は政治の特権はギリシア人が持って支配階級となり、その一級下で経済機構を運営するのがユダヤ人の役目となった。
ユダヤ人はいつしか全エジプトの経済を握り、今の言葉で言えば国立銀行総裁や輸出入公団総裁のような地位まで占めるようになった。そしてユダヤ人商工ギルド連合会事務所と言うべきディプロストーンが設けられ、これには付属工場と倉庫群があり、その威容は全東方を圧するほどで、「ディプロストーンを見ずに、壮大なものを見たと言うな」と言う言葉さえあった。
だが、マケドニア植民地帝国とこれを受け継いだプトレマイオス朝の衰退と共に、来るべきものが来た。ディプロストーンは破壊され掠奪され、全市にユダヤ人の血が流れた。これがキリスト教徒の宗教的偏見と考えてはならない。それは富裕に対しての人々の「嫉妬」なのである。
さて、中世にも同じ様なことがあった。サラセン(イスラム)に征服されたスペインでは、スペイン人とサラセン人の間にユダヤ人がいた。やがてユダヤ人は経済を全面的に掌握し、その富をカリフ(サラセンの政治、宗教的指導者)を凌ぐと言われた。だが、やがて来るべきものが来た。
そして、スペインのキリスト教徒による再征服であるところの「レコキンスタ」により、勤勉かつ有能なユダヤ人を排除したこともあって、スペインはオランダやイギリスの新興の重商主義諸国との競争に敗れることになる。ユダヤ人自体はレコキンスタ完了により(1492年)オスマン帝国、オランダに移住した。オスマン帝国の支配の下、イスラエルの土地ではイスラム教、キリスト教、ユダヤ教が共存地域となってその状態が20世紀まで続くことになる。
そして、近世でもフランス資本が進出した帝政ロシアで、またカイゼルの遺産を受け継いだヒンデンブルクとベルサイユ体制に支配されたドイツでも・・・。
しかし、考えようによっては、そう言う状態は日本にもあったといえる。中世の日本で、一揆や打ち壊しの対象となったのは、米屋、酒屋、質屋、大庄屋等であった。ただ、日本の場合は、壊す方も壊される方も同じ日本人であり、同時に「同じ日本人ではないか」という哲学があり、また政府は、一方に於いて「暴徒」を鎮圧すると同時に他方では何らかの救済を講じ、同じに多くの場合、為政者も何らかの形で責任を取った。とにかく日本の為政者は天才的方法で事態を収拾した。だが、これらの階層が皆ユダヤ人で華僑である国では、この収拾方法が全く違っていた。民衆を扇動しないまでも、少なくても見て見ぬ振りをして暴動が自然に鎮静化していくのを待つという態度に出た
2000年の経験でユダヤ人はその事には重々承知している。故に、「安全」には高いコストがかかることはいつも覚悟しているのだ。だから、つい最近までは「水と安全」は”ただ当然”と思っていた日本人に、彼らユダヤ人の気持ちを理解しろと言ってもどだい無理な話なのである。
さて、今まで述べてきたことが、イザヤペンダサン氏の見解である、迫害の類型的なパターンと共通的原因であるが、もちろん原因はこれだけではないだろう。もう一つの原因があるとするなら、我々人間の脳味噌、脳細胞に最初から組み込まれている「差別する心」がそうではないだろうか。
我々日本人も過去からのなにがしかの影響を受けてアジアに対して偏見を持っている。白人に対してはなぜか懸命に英語をしゃべろうとするくせにアジア人だと傲慢になる。これは親、祖父母の時代からの負の遺産だろうか。それともアメリカに叩きのめされたから必然的に白人には媚びを売る習性が出来てしまったのだろうか。もうすこしアジア人としての誇りを持ち近隣諸国とおつき合いして行きたいものです。白人達も、日本に来たならなるべく日本語をしゃべるようにしてもらいたいものです。ちなみに、「そこが変だよ日本人」に出演する外人達は、たぶん各国の選りすぐりが来ていると思うので、さすが日本語は流暢で、とってもよろしいです。
さて、最後に朝鮮半島に関して少し述べたいと思います。昔、我々の祖父母達の時代、日本はロシアに勝ち中国に勝ち、少し有頂天になったと思います。幕末より日本の進歩は目を見張るものがありましたが、昭和になり軍自体も官僚的になり出世も年功序列になり、明治の元勲が存在した頃のような賢明さはなくしていました。その上地図の色も大陸まで赤く染まり、アジアの覇者として傲慢になり近隣諸国を見下していました。そのしっぺ返しが全て敗戦の憂き目とは思いたくはありませんが、少なからずアジアを蔑んだ罰が当たったと思います(日本自体がアジアでありながら)。
その様なことを鑑み、今後はせめてお隣の「韓国」と仲良くなれたなら好いのではないかと思っています。もちろん「台湾」ともそうなればいいのですが、とにかく両国には「北朝鮮」「中華人民共和国」という存在もありますので、なかなか一筋縄では行かないと思います。しかし、未来永劫「アメリカの傘」の下で、生きられるはずもなく、いつか自立し近隣諸国とやって行かなくてはならない日が必ずやってきます。その日のために目先にとらわれず未来の人々のために万全の備えをしておかなくては、未来の人々に済まないのではないかと思うのは、決して思い過ごしではなく、当然のこととして考えるのが「日本人」としての良心ではないでしょうか。たかだか50年ぐらい平和が続いたからと言って、来世紀も安穏と暮らせるとは決して思えないのが世界の歴史の常であって、現在のボーダレスの時代なら尚更で、ましてや、決して「鎖国」などはあり得ないのだから、政治を預かる人々もしがらみにとらわれず(目先の利害に振り回されず)創造性のある考え方で国の舵取りを行ってもらいたいものです。そう言えば、最近、村山元総理が北朝鮮に行ったそうですが、なにか実のある話し合いが行われたのでしょうか、ただやみくもに食料を援助するだけではなんの解決ににもならないと思いますが、韓国との話し合いも14年間の長きわたる年月がかかったそうですし、そう簡単にうまく行くとは思えないので、北朝鮮に関しては焦らず辛抱強く安易な妥協はしないで欲しいですね。
次回はいったいぜんたい、なにを話す気なのでしょうか??
参考文献・イザヤペンダサン著「日本人とユダヤ人」、「週間ポスト」を少し。
お水30年の軌跡を続けていくうちに、完全に忘却していたことを不意に思い出すことがある。今回、懸命に追求しているユダヤ関係のことも、実はわしが21歳の時に起こった岡本公三らによるテルアビブ乱射事件を思い出したのがことの発端だった。その岡本公三だが、新聞に寄れば、レバノンにて52歳の誕生日を迎えたそうだ。中東では岡本公三は英雄扱いで、レバノンの若者達は彼が日本に送還されることには反発を持っている。とにかく、新聞においての彼の表情は頗る元気そうだ。そんなわけで、岡本公三という男に関してはいずれ追求したい気持ち吝かではないね。
さて、ユダヤ関係をやっていると必然聖書のことが気にかかる。パレスチナをやるにはアラーの神も知りたくなるし、好奇心という熱き思いは「どうにも止まらない」って感じ。
それで今回は、大胆にもキリスト教について参考文献を頼りにお話を進めていきたいと思います。
わしの知っている範囲でのキリスト教と言えば、日本にやってきた「ザビエル」(鹿児島に到着1549年)と1637年の島原の乱の天草四郎を思い出す。あ、それと、ジョンレノンがビートルズは今ではキリストより有名だあ、発言も懐かしい(ホントは、違う意味で言ったらしいけどね)。ちなみに、アルバム「ジョンの魂」のゴッドの歌詞には「神なんて、僕たちが苦悩の度合いをはかる観念なのだ、繰り返して言おう、神なんて僕たちが苦悩の度合いをはかる観念なのだ、僕は魔術を信じない、僕は聖書を信じない・・・」と、過激な文言が。
さて、ザビエルらが日本にやってきた頃、ヨーロッパ、とりわけスペイン、ポルトガルの宣教師達の冒険心、布教に対する強い思いにただただ驚かされる。とにかく、ヨーロッパ人が海を渡って冒険するようになった一つの原因に鉄砲の発明があるとなにかの本で読んだ記憶があるのだが、何と言っても彼らヨーロッパ人の好奇心の旺盛なのには驚かされる。ちなみに、現代の価値観ではどうかわからんが、少なくとも第二次世界大戦以前は、喧嘩が強いと言うことは「正義」と同義語だったと言ったら大げさだろうか?子供用の冒険文学を読んでみたまえ!喧嘩に強い男が全て英雄であって、故に戦争が強くなければ国を治められない。その様なことを鑑みれば、現在のアメリカは、世界の英雄なのである。たぶん21世紀もアメリカの時代は続くと思う、現在のロシアは混迷しており、とてもアメリカには太刀打ちできない、中国はどうか?たぶん経済が発展して、12億の民のうち中流と呼ばれる人々が増えるなら、現在でさえ食糧自給がマイナスなっているので、食料においての懸念が大きい。とてもじゃないが、自給率100%のアメリカには太刀打ちできない。故に、当分はアメリカの一人勝ちなのだ。前回と矛盾することを言っているが、未来というものはある程度予想できるのだが、しかし、絶対と言うことはない、地球の未来は神のみぞ知るなのである。
そこで、キリスト教なのだが、キリスト教によって発達してきたヨーロッパの国際法が現在のグローバルスタンダードになっているのだが、かの有名な小室直樹先生は、日本人の国際法、国際政治音痴と無知、戦争アレルギー、これ「むべなるかな」とお嘆きなのだが、とは言っても、徳川の鎖国時代でもあるまいし、現代の国際社会において、これは困りものである。
ではなぜ、近代ヨーロッパで発達してきた国際法が全世界の国際法になり得たか?なんのことはない、歴史的に欧米文明(戦争が強い)が圧倒的に強く、それが全世界を覆い尽くすかのようになっているからで、今現在、アメリカに刃向かえるものはこの世には存在しない。それにもう一つ、ヨーロッパ世界が世界でも希に、国際法が発達しやすい根本的土壌があったそうだ。
近代国際法は、中世の終わりぐらいから発達してきたそうで、ヨーロッパはそれ以前から国際社会であったと言われている。とにかく、初めにヨーロッパがあって、後に国ができた。近代国家(ネーション・ステイト)ができる前にヨーロッパがすでにあったということだ。そこで、登場するのがカトリック教会。
カトリック教会が全ヨーロッパ的であり、近代国家に一番近い存在である。それに神聖ローマ帝国と言うのも存在した。
「10世紀中葉、オットー一世はイタリアを支配した。当時イタリアではローマ教皇権は衰退して、教皇はその他の豪族に意のままにされる有様だった。オットー一世はイタリアに進出して、苦境にあった教皇ヨハネス二世を助けて、教皇の立場を強化するのに力を尽くした。教皇はこの恩義に報いるために、オットーに加冠して神聖ローマ皇帝とした。こののちドイツ王は神聖ローマ皇帝を兼ねるようになった。これにより、ドイツ王は列国の国王より一段上位にいるという精神的優越感を与えられることになった」洛陽社世界史の新研究より。
さて、ヨーロッパに対して、アジア。アジアは国際社会であったのであろうか・・・?
そうではなかったようだ。だいいち、鎖国した時期がとても長かった。鎖国と言っても日本の徳川時代だけでなく、平安時代から日本はずっと鎖国をしていた。菅原道真が遣唐使をやめてから(道真が白紙”894”に戻す)ずっと鎖国だった。高麗(こうらい)、朝鮮以外の外国とは正式な国交はなかったのだ。
中国だって、鎖国をしているのだ。明も清もそうだ。中国とは全世界の中心にあって、貢ぎ物を持ってこないと他の国は中国とおつき合いできない。それ故、中国からへりくだって他の国に出掛けることはない。他の国が三拝九拝して、敬意を表さなければ相手にもしてもらえないのだ。それほど中国は矜持を持っていた。ちなみに、「中華」とは、中国人が自国を誇って呼ぶ称だ。それについでだが、Chinaとは欧米人が中国のことを呼ぶ名称で、日本人がChina(シナ)と呼ぶと怒られる。日本人は中国人のことは「中華人」と呼ばねばならぬ。中国とは、日本にある「中国地方」のことであるらしい。わしは自身は、中国は「中華人民共和国」であると思っているが・・・。
話をヨーロッパに戻そう。
ヨーロッパでは「国際社会」がむしろ「国」より前に存在していたという。それにしてもなぜ、キリスト教が他の宗教をさしおいて、国際法、国際政治、国際経済の基礎となり得たか?他の宗教は、どうだったか。イスラム教、ユダヤ教、仏教、儒教などは・・・。
ここで一つ、キリスト教の理解を徹底しておこう。
それではキリスト教の本質とはいったいなんであろうか?
それは「カルケドン信条」と言われる「イエス・キリストは神である」という信条である。すなわち、「イエスは完全な人間でありながら、なおかつ完全な神である??」と言う信条である。これはキリスト教では当たり前のことである。人間の肉体を持った神(現人神あらひとがみ)と言う考えは昔日本にも存在したのだから、日本人のセンスには受け入れやすいと思うのだが??でも、後で人間宣言されたので、今の日本には存在しないのだが。まあ、とにかく、日本に入ってきたキリスト教は皆、そのカルケドン信条を信奉する宗派らしい。
ローマ・カトリック、ギリシア正教、ロシア正教、プロテスタント各派、みんなカルケドン信条と三位一体とを信じている。三位一体とは、神とイエス・キリストと聖霊は、三つの位各(ペルソナ)でありながら、一つの実体であるとする説である。
唐の時代、中国に渡ってきた景教は、ネストリオス(382〜451?)派であって、カルケドン信条を否定する。景教は日本には上陸しなかったようだ。
カルケドン信条(イエスは神であり人間である)は、今でこそキリスト教の常識であるが、カルケドンを否定する者が宗教戦争の時に現れた。が、この場合に限り、カトリックとプロテスタントとは一致して、片っ端からやっつけたそうである。
ローマ帝国において、キリスト教は瞬く間に人々の間に広がっていった。殺されても、殺されても、殉教者は後を絶たない。このカルケドン信仰こそが、キリスト教の原動力であったが、神学的に洗練されたヘレニズムの神学者にとって「人間が神である」と言う信仰は、何とも奇妙なものに見えてきたようだ。そこで「イエス・キリストは、神であるか、人間に過ぎないか」を巡って大論争が起きた。つづく
参考文献・世紀末・戦争の構造(国際法知らずの日本人へ)小室直樹著より。