その1「ユダヤ人って?」はここをクリックしてね!

新・新番外編「気になることは調べよう」

その3.「アシュケナジーとスファラディー」

 西暦紀元70年当時、ユダヤ人の約4分の1はパレスチナに住み、残りが離散(ディアスポラ)の生活を送っていた。その頃は、アレキサンドリア在住ユダヤ人のほうがエルサレムのユダヤ人より多かった。これと対照的に1939年には、世界のユダヤ人の3分の2がヨーロッパに住み、その内の4分の3(つまり全ユダヤ人の半数にあたる)は、東ヨーロッパに集中していた。東ヨーロッパのユダヤ人がホロコーストにより、滅亡したことによって、千年の昔ライン川流域に”芽生え”1939年には東ヨーロッパで花を咲かせていたアシュケナジー系ユダヤ人(ヨーロッパ中部から東部を地盤にするユダヤ人。イベリア半島から北アフリカ・中東などを地盤とするユダヤ人をセファラディーと呼ぶ)の文化が終わりを告げた。中略

 東ヨーロッパのユダヤ人は、宗教的な教えを記した律法の書を尊びはするが、そうした自分たちを笑いものにするだけの余裕のある文化を築き上げていた。この文化の中で、貧困と苦難になり親しんだユダヤ人は、神と親しく言葉を交わせる様に育っていった。ユダヤの歴史全体を通してみても、きわめてユニークな文化だったのであり、そして、この文化をつくりあげた東ヨーロッパのアシュケナジー系ユダヤ人は、全世界のユダヤ人社会にとって創造性の源泉だった。

 これまでの文章は「ルーシ・S・ダビドビッチ女史」著「ユダヤ人はなぜ殺されたか」からの抜粋であります。この本で女史は600万人のホロコーストとは、ユダヤ民族に対してヒトラーのナチ帝国が国を挙げて仕掛けた戦争の結果だったということと、戦争と言っても文字通りの、つまり国家が一つの民族に対して仕掛けられた本格的な総力あげての戦争であったことをいわんとしている。その中で女史はユダヤ人の中には二つの異なるユダヤ人が存在することを説明し、そしてホロコーストによって犠牲になったのは東ヨーロッパのユダヤ人であることを、更千年前に”芽生えた”彼らが創造性豊かですぐれた民族であると讃えている。それでは相対する他方のイベリア半島から北アフリカ・中東を地盤と知るユダヤ人セファラディーはどのような人々なのであろうか・・・そしてアシュケナジーのルーツとはどのようなものであるのか??

 まず第一に、我々日本人がイスラエル人あるいはユダヤ人という時、白人系ユダヤ人を思い浮かべる。たとえば、アインシュタイン、アンネ・フランク、キッシンジャーなどであるが、しかし、聖書で言うユダヤ人とは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫であるところのセム族(日本人も同じだと言われているが・・・ちなみにイエスもセム族でしょうね)で、決して白人種ではないはずである。でも、どうして白人のユダヤ人がいるのだろう。

 そこで、前述した「千年の昔ライン川流域」と言うくだりが気になる。いろんな本をあさってみたらあったあった、ついにあった。

 それでは、これから宇野正美著「古代ユダヤは日本に封印された」からの引用になりますがアシュケナジーのルーツに迫りたいと思います(タイトルがなんか胡散臭いけど(^^;)。

 アシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれる白人系ユダヤ人は、もともと中央アジアにいたカザール(ハザールとも言う)民族であった。ではなぜカザール民族がユダヤ人と呼ばれるようになったのだろう。

 12世紀頃、日本にも攻めてきた蒙古の元軍が西へと移動していき、カザール帝国にも姿を現すようになった。それより前の、8世紀、カザールは上は王から下は奴隷に至るまで、国を挙げてユダヤ教という宗教に改宗したのであった。

 当時カザール帝国はイスラムとビザンチン・キリスト教からの圧迫を受けて、どちらかに味方するように迫られていたのである。しかし、カザール帝国の支配者達はどちらにも加担することなく、両者の根源であるユダヤ教に改宗して帝国の保身を図ろうとしたのであった。

 彼らはユダヤ教徒カザール人となり、のち蒙古の元が来たときに、その難を逃れるために帝国を捨て北へ移動していったのである。そして今日の旧ソ連、ロシア共和国北部に定着するようになった。そして自らを「ユダヤ人」と名乗るようになった。

 年月が流れていく中で、ユダヤ教カザール人達は東ヨーロッパ、更に西ヨーロッパへ移動し、ついにはアメリカに渡っていった。アメリカでユダヤ人としてみるのはすべてが白人系のユダヤ人である。

 さて、ユダヤ教とカザール人達の真相について、最初にそれを明らかにしたのはアーサー・ケストラーであった。彼自身がアシュケナジー・ユダヤ人である。彼はハンガリーで生まれた作家で、有名な著作では「スペインの遺書」がある。1922年、ウイーン大学に入学。その頃からシオニズム政治に関与し、1926年にはもうパレスチナを訪問している。彼自身、その頃は自分が聖書で言うユダヤ人であると思っていたし、まさか自分の先祖がカザール人であるなどとは思ってもいなかった。だから疑うことなくシオニズム運動に邁進し、そしてパレスチナの地に、いつの日か、必ず帰るであろうことを夢見ていたのである。しかし・・・

 月日が流れ、1977年、彼は「第十三部族」邦訳「ユダヤ人とは誰か」(三交社)という本を著した。それには、な、なんと、一般にユダヤ人と思われていたアシュケナジーは、聖書で言うユダヤ人とは全く関係ない人々なのだと言うことを明かしたのである。その事実は、あっと言う間に人口に膾炙してしまったのは言うまでもありません(私は知りませんでしたが)。

 しかし、それから数年後の1983年、彼は妻と共に謎の死を遂げたと言われている(こ、これは宇野正美著・”古代ユダヤは日本に封印された”からの抜粋ですので・・)。

次回は、アラビアのロレンスとシオニズムの予定です。


その2.「シオニズムって?」

 ひょんな事からユダヤについてのお話をすることになったのだが、歴史を遡れば、そこにはキリスト教とユダヤ教との相克、そして兄弟とも言える宗教イスラム教との関わり、生半可な知識ではとても多くを語ることは出来ないのだが、まぁ、とりあえず、ぐるりと概要を俯瞰してみると言うことでーユダヤに関しては先刻ご存じの方もいらっしゃると思いますがーお暇でしたらしばしの間おつき合いをさせていただければ幸いかと思います。

 さて、中東では1000年前の出来事でも、まるで昨日の事件のように明確に記憶されていると言われる。ひとつには8ヶ月以上も雨が一滴も降らない乾期の夏と、わずかな雨に潤される短い冬との気候が二分されていることにもよる。生活に変化がないから、人々の記憶の中にいつまでも過去の出来事が生き続けている。それにくわえて気候が乾燥しているために、建物や器具の保存状態がきわめて良い。

 旧約聖書の国ユダヤは、紀元後も民族独立を守り抜いたのだが前回述べたように紀元70年にエルサレムを破壊され、ローマの直轄領となり、1200年以上の歴史を終える。それでも、135年にユダヤ最後の抵抗運動「バルコクバの乱」を敢行するのだが結局失敗に終わり、その時、ローマはユダヤ全土の名称をユダヤの仇敵ペリシテ人にちなんで「パレスチナ」と土地名変更さえしてしまった。そして大半のユダヤ人が世界中に離散を余儀なくされた。以来、1900年間もユダヤ人が祖国再建を願いつつ世界中に離散してきたことは周知のことである。そこで、シオニズムだが・・・

 本屋さんに行くと「ユダヤコーナー」があるくらいで、ユダヤ人に対しての人々の興味はとどまるところを知らないのだが、そのなかでも頗る気になるのが「ユダヤの陰謀」とか「大和民族はユダヤだった」??、はたまた「古代ユダヤは日本で復活する」などとか、まるでユダヤがいずれ世界を支配する如きタイトルがあると思えば、日本のルーツはユダヤではないだろうかとい言うことを、まことしやかに書かれタイトル本がビッシリ並べられているのには本当に驚かされる。だから、このわしでさえ気になったのだから、皆さんの中にも一度は気になってユダヤ関連本を読みあさったと言う経験の方もきっといらっしゃるのではないだろうか。

 さて、ユダヤの陰謀が囁かれるようになったのも、一面には、彼らの「シオニズム」があると言えるかも知れない。一般的にはシオニズムは19世紀末、ヨーロッパで始まったユダヤ国家建設を目指す思想及び運動である。シオンは聖地エルサレム南東にある丘の名。ユダヤ人がその地を追放されて離散の歴史をたどる「旧約聖書」の記述中の<シオンの地>は、宗教的迫害を味わってきたヨーロッパのユダヤ教にとって解放への希求と合わさって象徴的意味を持っていたとされる。

 まだまだシオニズムについては語らなければいけないたくさんのものがあるが(いずれお勉強して詳しく説明したいと思いますm(__)m)、とりあえず簡潔に説明させてもらった。さて、ユダヤ人と言えばアラブ人。彼らは何千年も憎悪しあっているかのように日本では伝えられているが、決してそうではない。

 ユダヤ亡国後、全世界のユダヤ人の精神的支柱となってユダヤの復興に努めたのは、バクダッドを中心とするメソポタミア各地のユダヤ人社会であった。彼らはイスラム教の太守から自治権を付与され、9〜10世紀にはバグダッドだけでも4万人のユダヤ人が暮らし、平和にイスラム教徒と共存していた。とにかく、ユダヤ人とアラブ人は、本質的には全く共存できるのだ。

 さて、現在は基本的にはイスラム教という共通の宗教的価値観を共有し、更にコーランの言葉、・アラビア語を共通語として話すために、我々日本人など外部の世界のものから見ると、つい「アラブは一つ」との印象を抱いてしまう。

 しかしながら、その底流にある民族意識は決して一つではない。エジプト人はピラミッドを築いたファラオの子孫であることを誇り、イラク人は勇猛なアッシリアやバビロニア帝国の栄光に憧れ、イラン人はペルセポリスに宮殿を輝かせたペルシアの光輝を望み、リビア人は勇将ハンニバルに率いられた、カルタゴの戦勝の再現を願っている。

 武力の強大なアラブ諸国間の駆け引きの間にあたって、サウジアラビアは、マホメット以来のメッカの守護者としての威厳を維持しようとする。また弱国とはいえ、レバノンはフェニキア商人の繁栄を再現しようとし、シリア4000年来のダマスカスを根城に東西の戦略に睨みを効かそうと狙い、そして、イスラエルはダビデ王の建国事業を継承しようとする。

 20世紀からは名馬が競馬場のスタート地点に横並び一線にレース開始を待っている光景に似ている。一度はエジプトのナセルがアラブを統一をしようとして失敗、イランのパーレビー国王は功を焦り、シーア派の革命に挫折、そのシーア派のホメイニ師ですらイスラム世界に宗教革命を及ぼそうとしたが夢かなわなかった。その後のイラクのサダムフセインの野心的な領土拡大戦争は未だ記憶に新しいところだ。

 さて、最後にとかく中東の問題児と見なされているイスラエル(ユダヤ)だが、この国は1947年の建国以来、少数政党が乱立し、常に政府は連立内閣によって辛うじて維持されてきた。と言うのも、ひとくちに「ユダヤ人」といっても、ドイツ・ロシア系のアシュケナジー・ユダヤ人もいれば、スペイン・アラブ系のスファラディー・ユダヤ人もいる。その他、インド系ユダヤ人、エチオピア系ユダヤ人など、世界中が集まってきている。その意味では、イスラエルは常に自己瓦解の危険にさらされていると言えるのである。(参考文献・手島佑朗著”イスラエルとアラブ、和平は可能か”KKベストセラーズ)

次回は二つのユダヤ人、アシュケナジーとスファラディーに迫ってみたいと思います。


[その1でーす] /welcome:

その1・「ユダヤの人ってどんな人?」

 前回の「お水30年」で取り上げた、1972年に起きたテルアビブ乱射事件での根底に存在する”シオニズム”という言葉をきっかけに、ユダヤ人について無性に興味が湧いてきたんでー皆さんは先刻ご承知とは思いますがー彼らユダヤ人がイスラエルの地を得るまでに、どのような差別、そして辛酸をなめてきたかという事を参考文献を頼りに調べてみたいと思います。本当は「旧約聖書」のアダムとエバ(イブ)のお話からすればいいのですが、それだと膨大な紙面を必要としますし、それにあのような寓話を語るには、わしの筆致では到底おぼつかないし、それならとりあえず手塚治虫さんの旧約「聖書物語」なんぞを読んで、ユダヤ人のルーツを理解するための知的ウオーミング・アップを開始したわけなんです・・・。

 とは言え、あんまり時間もないので並行的にあちらこちらの書物をあさりながら文章を組み立てる方法、そう、偉い先生の文章を抜粋引用しながらいつもの如く、さも自分の文章のように何気ない振りをして、ユダヤ人(びと)のお話をすすめていくことが手っ取り早いのだ・・・それでは、新々番外編「気になることは調べよう」の、はじまりはじまりいー。

 えーさてさて、ユダヤほど毀誉褒貶(きよほうへん)様々に語られる民族はないと言って過言ではないだろう。イメージで言えば「流浪・迫害、虐殺に遭った悲劇の民族」であったり、シェークスピアが描いた「ベニスの商人」の「強欲、金権万能主義」というところが一般的に定着しているユダヤ人像ではないだろうか。

 しかし、いかなる民族と言えども一つのイメージで括れる物ではないと思う。ユダヤ人は2000年近くの流浪と迫害の中に、科学や医学、音楽、文学等多くの分野で天才を輩出してきた事で知られ(いぜんお話ししたフロイトもユダヤ人だ)、欧米実業界での活躍も目立つ。この希有な民族に興味が湧くのはある意味では当然かも知れない。

 さて、このコーナーの構想を練っていると偶然にも新聞で「週間ポスト誌側が全面謝罪」と言う記事が目に飛び込んできた。わしは毎週ポストを購入しているのだが、問題になった10月15日のリポート記事は読んでなくて、改めて15日付のポストを読み直してみた。内容自体は、経済に疎いわしには難しいものだったが、とにかくユダヤ資本が弱肉強食を加速すると言う件の常套的なユダヤ非難の内容だった(とは言え、金融関係はユダヤ人の得意とする分野であることは歴史的事実なのだが)。その内容に対して反ユダヤ活動の国際監視団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が抗議したと言うことだ。そう言えば以前「ユダヤの大量虐殺のガス室はなかった」とするリポートを掲載した雑誌「マルコポーロ」の廃刊騒ぎはまだ記憶に新しいと思うのだが、ひょっとしてユダヤを語るのは一種のタブー化されていることなのかも知れないな。ただ、一市民が知的好奇心で彼らユダヤ人を知りたくて学ぶと言うことなら何ら弊害はないだろう。ただ、そのタブーはもっぱらヨーロッパ、アメリカが自らの手でユダヤ迫害を行ってきたのだが・・・。それならば、ある意味において日本人こそ、そのタブーを取り払って史実を見直そうとする姿こそが本来の歴史に対する捉え方ではないだろうか(ポストそして特にマルコポーロの記事内容にはユダヤ人に対して多少なりとも偏見的な部分があったのかも知れませんね)。

 いわゆる「ユダヤ人の受難の歴史」は、古くはモーセに率いられた「出エジプト」、ユダヤ国滅亡による「バビロン補囚」、それに次ぐ紀元70年は小国ながら1200年以上の伝統を持つ彼らの国は、ローマによるエルサレム破壊により遂に抹消される。そればかりか、135年にユダヤ最後の抵抗運動「バルコクバの乱」が失敗に終わると、ローマはユダヤ全土の名称をユダヤの仇敵ペリシテ人にちなんで「パレスチナ」と地名変更してしまい、そして大半のユダヤ人が世界中に離散(ディアスポラ)、近くはロシア・東欧での「ポグロム」(当時でのユダヤ人迫害、中傷・虐殺の総称)、そしてナチスドイツによる「ホロコースト」大虐殺と続いた。

 ホロコーストは現在でも、ユダヤ系アメリカ人にとって論理を越えた悲劇として脳裏に焼き付いている。彼らは、精神的中核となる国家を造らねばならないとして「シオニズム運動」が高まり、1948年には、戦勝国に支援されてイスラエルを建国する。(参考文献・日本文芸社ユダヤのすべて)

次回はシオニズムについてお勉強したいと思います。

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