「ロスチャイルドもゲットーから」

 1994年2月下旬、かつて世界に冠たる銀行帝国の基を築いたユダヤ人大富豪ロスチャイルド(メイヤー・アムシェル・ロートシルト1743〜1811)の生誕250年を記念して、ヨーロッパ各地の血縁子孫80余名がフランクフルトで一堂に会した。

 ゲーテと同じ時代人であるM・A・ロスチャイルドが、ゲットー北端に近い東側の家並みの後列に生まれた頃は住民があふれ、密集化し、狭く、汚いゲットーが厳しい状況下に置かれているときであった。

 両替商を父親に持ったロスチャイルドは、ゲットー内の学校でヘブライ語の読み書きと聖書を学ぶようになっていた。そのご苦労を重ねた末、25歳でフランクフルト南東のハーナウ伯の宮廷御用商人となった。王侯貴族の宮廷ユダヤ人となることは、当時のユダヤ人が到達することの出来た最高の栄誉であった。

 宮廷ユダヤ人の諸特権は、まず第一に、そのユダヤ人がどれくらい権力・勢力を有する王侯貴族に仕え、その君主の寵愛をどれほど受けるかに、第二には、その宮廷ユダヤ人が君主・領主のためにどれほどの資金や軍備、物資の調達に貢献できるかに関わっていた。

 ロスチャイルドの取引が急激に上昇したのはハーナウ伯がウイルヘルム9世を名乗ってヘッセン方伯の地位についてからだ。イギリスの王室と縁戚関係にあったヘッセン方伯は、当時アメリカの独立戦争に際し、イギリスに多数の傭兵を貸し付けたり、軍需物資を供給したりして、莫大な代価をイギリス王室から受け取り、ドイツ諸侯の中でも最も裕福な資産家の一人となっていた。方伯ウイルヘルム9世より巨額な資産運営、管理を委ねられたロスチャイルドは、その任務を果たすことになり、多大な利潤を得た。

「宮廷ユダヤ人の不満」

 宮廷ユダヤ人が皇帝や諸侯から種々の特権を得て生活していたことは一般によく知られているが、しかし彼らが本拠地としていたゲットー内では、他のユダヤ人住民と同じに、数々の規制や制限に服して生活しなければならなかったことはあまり知られていない。そもそも宮廷ユダヤ人、皇帝や諸侯の御用商人になると言うことは、それにより即特権が賦与されわけでは全くなく、あくまでも彼らの特権とは皇帝や領主、司教などから個人的に与えられた特権やお墨付きだったのである。従って、それらがすべてゲットー内でも通用するわけではなかった。

 16世紀以来、ヨーロッパに成立する絶対主義体制下では、富国強兵策とその為の財政的裏付けとなる貿易による重商主義が重んじられた。そうした状況の下でユダヤ人は大々的な経済活動のチャンスを握ることになった。特に現金や貴金属等で財産を蓄えていたユダヤ人の資金力や全ヨーロッパに散在していたユダヤ人の国際商取引網は、領封君主の寄せ集めの国であったドイツで特に必要とされていたのである

 ヨーロッパではドイツほど宮廷ユダヤ人の経済力に依存して国はなく、19世紀に至るまで、ドイツ諸侯でユダヤ人を宮廷の側近にしていなかった者はほとんどなかったと言っていい。それは裏返せば、一般市民のユダヤ人に対する嫉妬につながることは言うまでもないのだが、その事がユダヤ人にとって、将来の災厄になるとは、当のユダヤ人でさえ夢想だにしなかったのではないだろうか。

 しかし、皇帝や諸侯に頼りにされたユダヤ人も地元のゲットーに帰ったときは、依然としてそこの住民と同じ規制に服さねばならぬばならなかった。そのようなことが存在しなければ、ユダヤ人に対しての一般市民の嫉妬は、時代を待たずして、歯止めの利かない無秩序な状態になり得たかも知れなかった。

 さて、時代は流れ、19世紀においてもフランクフルトゲットー出身のロスチャイルド家がヨーロッパはおろか、アメリカ、アジアにまでまたがる諸国の政府や王侯貴族を相手とする大金融業により世界に君臨するようになると、ロスチャイルドの生家を一目見ようと多くの人々がゲットーあとを訪れ、ユーデンガッセはフランクフルトの名所となった。

 19世紀中頃からは、ユダヤ人と関係のないフランクフルトのロマン主義画家達により、ゲットー跡のユーデンガッセを主題とするロマンチックな絵画やスケッチが数多く描かれるようになった。18世紀において、ゲットーの証人となったゲーテをはじめ、そこを訪れた多くの旅行者の記述がゲットーを嫌悪し、耐え難い生活の場とみていたのと、きわめて対照的である。

最後に・・・

 ユダヤ人を一つの人種(ラッセ)と見なし、それを否定しようとするナチス・ヒットラーのユダヤ人憎悪は、もともと19世紀後半に成立する新たな反ユダヤ主義に由来するものであるが、言うまでもなくその原点には、古代末期、中世以来のキリスト教社会の思想があった。ユダヤ人ゲットーの歴史は、西洋古代期・中世の反ユダヤ思想と近代・現代の反ユダヤ主義・ナチズムの中間に位置し、直接、間接的に前後の歴史と切り離し難い連続性と関連を持っている。

 ナチズムを概観するに、ユダヤ人のドイツ社会への同化がいかにむつかしいものであったか、いかに彼らが社会から締め出されたまま放置されていたか、また、いかに彼らがドイツ社会の後進性の犠牲者であったかを改めて感じさせられるのである。悲しいかな、絶滅収容所における大量虐殺こそ、ユダヤ人ゲットー化の最終段階だったのである。

 さて、これまでに記述してきたことをもう一度刮目するならば、イスラエルの状況を鑑み、近隣諸国との平和共存を願わずにはいられない。それはすなわち、我々人類のこれまで行ってきた数々の所業・歴史に憂いを持ってのことであることは言うまでもないが、人類の築き上げてきた文明に対して、精神・知恵に於いての拙さを、これまでの過去の歴史が如実に示しているのである。参考文献・大澤武男著「ユダヤ人ゲットー」講談社現代新書より。

次回からはパレスチナ側から俯瞰・渉猟してみましょうか。

       

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