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その4・「アラビアのロレンスとシオニズム」

アラビアのロレンスの話を進める前に、19世紀のヨーロッパ・アラブの歴史的背景を述べるのが筋道というものだが、わしにとっては「行き当たりばったり・せっかち」が本来の真面目(しんめんぼく)である故、順序に関しては頓着しないことにする。でも、ほんの少しだけということで前置きをすることにしよう。

 イスラエルが1948年に誕生するまで(と言っても、アラブの地図には未だイスラエルという国はないそうだ)この地域は大シリアの南部、パレスチナ地方と呼ばれていた。と言っても、この地域に現在のような国境線が引かれるのは、第一次世界大戦以降のことである。

 中東やアフリカの国境線は、ほとんどがヨーロッパの大国の支配圏をはっきりするために引いたもので、そこに住んでいる人達が、自分の意志で引いたものではない。パレスチナ問題も、レバノンの混迷も、すべてこうした事情から生まれたと言っていい。パレスチナ問題を理解するには、前世紀末からの現代史を見るだけでも十分わかるのではないだろうか。

 しかし、パレスチナを「神から約束された土地」と考えるなら旧約聖書を一瞥しておく必要もあるだろう。特にユダヤ人は、ダビデのエルサレム支配と王国樹立についてはことのほかこだわると言われている。それならば、歴史がパレスチナを占領者の名で綴るとしたなら、まずエジプト、ヒッタイト、カナン、フェニキア、ペリシテ、ユダヤ、アッシリア、バビロニア、ペルシャ、マケドニア、ローマ、イスラム、十字軍、トルコ(やれやれ)と移り変わったことになる。しかし、そこに住む人々の眼から歴史を見たら、、そこは占領者が次々と入れ替わり、そのもとで改宗と混血を繰り返しながらも、住民が住み続けたということだろう。そして、その人々は、かつてカナン人と呼ばれ、現在パレスチナ人と呼ばれている。

 パレスチナという名は、モーセに率いられたイスラエルの民と同じ頃カナンの地に移住してきたペリシテ人に由来することは前述の通りである。ダビデ以前のこの地の支配者は、ペリシテ人とフェニキア人だった。やがて、その人々は土地の人々と混血し、同化していく。そして「カナン」と呼ばれたその地は、やがてローマによって「パレスチナ」と呼ばれるようになる。


 伝え聞くところでは、ユダヤ人という人々は、非常に頭のいい人人らしい。ノーベル賞受賞者のほとんどがユダヤ人らしい。アインシュタインもその一人だ。芸術家にもユダヤ人が多いらしい。ところが、一方で、ユダヤについては胡散臭いうわさも聞く。アメリカの金融界はユダヤ人に支配されているらしい(クリントンはユダヤなくして不倫疑惑を乗り切ることは出来なかったのではと、まことしやかに言う輩もいる)。シェイクスピアの「ベニスの商人」のシャイロックを見てもわかる。何も根拠がなければ、シェイクスピアもあんなふうには書くはずがない。と言って、イスラエルと言う国について、わしの知っていることは、実は皆無と言って良かろう。そんなわけで、最近は本屋さんに頻繁に顔を出しているのだが、とにかく本屋さんでユダヤの「ゆ、ゆ、ゆ」をさがしていたら偶然にも「ロレンス」と言うタイトルが目に入った。それは「アラビアのロレンスを求めて」副題”アラブ・イスラエル紛争前夜を行く”と言うものであった。映画自体は観てはいないが有名な作品でもあるので、興味はあった。だから最初は映画にしようかとも思ったのだが、ユダヤに関係があるのではと、矢も楯もたまらずその本を買ってしまって、後はただただ喫茶店に入り貪り読んでしまった。

 さて、映画でおなじみの「アラビアのロレンス」、主人公のロレンスにはアラブの独立と言う理想を自国(英国)の現実主義に踏みつぶされたという「ロレンス伝説」があるといわれておる。

 実はロレンスは中東を初めて訪ねた学生の時(1909年7月)、パレスチナがローマ時代の繁栄を取り戻すには「ユダヤ人が耕作すれば、それも早ければ早いほど万事がうまくいく」と、母への手紙で語っているのだ。砂漠の中の数々のユダヤ人入植者は、彼の目には光り輝いて見えたのか。だだし、彼らユダヤ人の財源はロスチャイロド(正統派ユダヤ人?)家その他、欧米に散在するユダヤ人富豪の寄付によるものであった。

 シオニスト運動に対するロレンスの態度は、彼が強固な親アラブだった事実にもかかわらず非常に積極的なものだったが、世間では反シオニスととして誤って受け止められていた。彼の見解では、「ユダヤ人がアラブ人に大きな助けとなり、パレスチナにおけるユダヤ人の郷土はアラブ世界に多くの利益をもたらす」と言う理想的なものであった。

 しかし、ロレンスは1919年初め、イギリス政府の親シオニスと政策に抗議するあるグループに対して「反シオニスとはイギリスの国益に沿わないため、自分は反シオニスと集会には出席しない」との抗議の書簡を送っている。これにより、アラブ独立という理想を自国の現実に踏みつぶされた、という「ロレンス伝説」は簡単に崩れてしまうのだ。

 ロレンスは国益に奉仕する愛国者、言い換えれば、英帝国主義の忠実な先兵であった。第一次世界大戦末期、イギリスの”三枚舌外交”が明るみにでてアラブ軍は動揺した。このとき、アラブ側が対英不信から、トルコへの兵を収めてしまっては一大事だから「勝までは彼らをだまし戦わせ、勝った後で裏切るしか道はなかった」と語ったのは他ならぬロレンス自身であった。すなわち彼はアラブのためでなく、終始祖国イギリスのために戦ったのである。

 さらに、彼はアラブが中世においての大帝国建設には全くの無知であり(十字軍の時代、アラブのすぐれた文化が伝わりそれによりヨーロッパ文明は発展する)、アラブは軽薄で、政治的未熟であり、自治能力にかけると言う、一見差別的な眼で見ていたようだ。

 だから、ロレンスは「アラブ諸国は最初の褐色の自治領を築くべきだ」と考えていた。自治領は独立国ではない。アラブによるアラブのためのアラブ連邦ではなく、英連邦を考えていた。彼は大英帝国内に「白色」の自治領(カナダやオーストラリアなど)と同数の「褐色」の自治領をみたいと熱望していた点では、あのチャーチル(ウインストン)以上ではなかっただろうか(イギリスはアラブ世界が物情騒然となった1921年初め、植民地省を新設し、チャーチルをその長に据えた)。

[ロレンスのプロフィール] /welcome:

 アラビアのロレンスは、ウェールズ生まれのイギリス人、トマス・エドワード・ロレンス(1888〜1935)のことで、第一次世界大戦中「アラブ対トルコ独立運動を指導した英雄」として名を残す。

 大学時代、中東における十字軍の城塞建築を卒論のテーマに選んで現地調査し(1909)卒業後は1914年まで、大英博物館による古代トルコ遺跡発掘隊に参加すると同時に、エジプトを含む中東各地を視察した(考古学探検家としてのロレンス)。

 第一次大戦が起こると、その中東経験をかわれ、カイロの英軍司令部に情報将校として勤務する。1916年6月、イスラムの聖地メッカの太守フセイン(フサイン)がイギリスとの約束を信じてトルコへの反乱を起こすと、両者間の連絡将校を努める一方、17年3月以降、アラブ不正規軍を指揮、フセインの息子ファイサルの北部軍に加わって、18年10月、トルコ軍の中東司令部のあったダマスカスに入城した(軍人、ゲリラ指導者としてのロレンス)。

 1921年3月、チャーチル植民地相が中東専門家を召集してカイロ会議を開いたとき、彼の特別顧問として参加し、第一次大戦後の中東政治地図の作成に重要な役割を果たした(官僚、政治家としてのロレンス)。ちなみにロレンスは、終戦後間もない頃からアラブの反乱の記録「知恵の七柱」の執筆を始め26年の12月、限定版として出版した(作家としてのロレンス)。

 その様なロレンスを「英雄」に仕立てたのは、1918年4月、パレスチナ戦線を取材した従軍記者ローウェル・トマスだ。彼は帰国後、ロレンスを主人公とした映画と後援会「アラビアのロレンスと共に」を催して大当たりをする。彼はこれを見たイギリスの興行師に招かれ渡英するが、1ヶ月の予定が4年にも及びロンドンだけで100万人もの観客を動員した。

 遊牧民(ベドウイン)主体のアラブ独立軍を指導する金髪の碧眼(へきがん・青い眼)の青年考古学者はなんと格好よかったろう。こうしてロレンスはトマスによりイギリスの国民的英雄になる(つくられた英雄としてのロレンス)。

 要するに「アラビアのロレンス」とは、西洋人が西洋でつくった西洋向けのお話の主人公で、そこでは反乱の主体であるアラブの存在が当然のことながら無視されている。アラブの視座から見れば、ロレンスとは「祖国とアラブとの間で悩む悲劇の人」ではなく、チャーチルの指令に忠実に従ってパレスチナをユダヤ人に与え、アラブ世界を分割する政策に協力した、英帝国主義の先兵に外ならなかった(帝国主義者としてのロレンス)。

 この政策が、今世紀における最大・最長の地域紛争の記録を持つアラブ・イスラエル紛争の原因になったのだから、その「種まき」の一人になったロレンスの責任は重い。しかし、中東を離れてからオートバイにより事故死するまでの13年間における彼の奇怪な行動は何を物語るか。彼は仮名を使って一兵卒となり、最後には戸籍を抹消し、トマス・エドワード・ショーとして死んだ。ロレンスという虚名を恥じての行動としか思われない。しかし、現在でも彼は西洋人を引きつけてやまぬそうだ。

弁田口義郎著「アラビアのロレンスを求めて」中央新書、立山良司著「イスラエルとパレスチナ」を参考文献とさせて頂きました。

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