「25話・旧約聖書を知っていますか?その3」

「24話・旧約聖書を知っていますか?その2」

パレスチナ問題の構図・23話「旧約聖書を知っていますか?」

 すわっ、第5次中東戦争か・・とそれほどまでに危機感を禁じ得ない中東情勢。

 ヨルダン川西岸マラッカで、12日、リンチの末殺害されたパレスチナ自治政府の警察署の窓から放り出されるイスラエル兵士の姿はあまりにも凄惨な光景だった。あれは、人間という動物が、極限まで追いつめられればどのようなむごたらしいことも成し得るという証拠写真ではないだろうか。

 さて、そのパレスチナ・イスラエルの争いの根本原因であるところの旧約聖書に話を進めることにしよう。

 矛盾と謎だらけに見える「いにしえ」の聖典「神話」。わが国の神話は8世紀大和朝廷が史書として編纂した。神話は伝説であり、文学であり、「歴史」でもあり、我々の祖先のエネルギーあふれる多彩な記録でもあるはずだ。

 さて、眼(まなこ)を海外に転じれば、各国おのおの神話が存在するかと思う。例えばギリシアには前8世紀前後に天才的な詩人ホメロスが出現し、トロイア戦争を扱った「イリアス」とその後日譚(たん)「オディセイア」を歌った。ホメロスと大体同じ頃あるいは少し後にヘシオドスと言う詩人が「神統記」と「仕事と日」という詩を残している。「神統記」には、カオス(巨大な裂け目)が、ついでガリア(大地)タンタロス(奈落の底)、エロス(愛)の全部で4つのものが最初に生じたことになっています。

 前5世紀のギリシアでは、神話の知識は市民の一般教養になっていました。その後、アレクサンダー大王が前323年に亡くなって後の時代をヘレニズム期と呼びますが、このころからギリシア神話そのものの性質も、また神話を伝える文学も次第に変化していきます。

 さて、その前5世紀頃、今回のタイトルである「旧約聖書」が成立し、そしてエルサレム神殿が再開されたと云われています。エルサレム神殿は前955年頃、ソロモン王が完成させたと言われていますが、彼らユダヤ人の歴史は紀元前1800〜1700年頃まで遡れるようです。

 それでは、ユダヤ人の神話「旧約聖書」。現在においてもその神話に則りイスラエルの民は他国、とりわけパレスチナ・アラブ人達と争いを繰り広げているのであります。

 そんな何千年前の話、ましてや神話をまことしやかに論争の俎上で戦わせるなどは、神話も学校で教えてもらえない我々日本人にとっては到底考えられない狂気の沙汰と映るのも致し方ないでしょう。

 しかし、彼らイスラエル・ユダヤにとっては、神話もしっかりと現在につながっていると言って過言ではありません。それでは、そのユダヤ人達の神話「旧約聖書」なるものは、そして西洋においての原点とも云われるその歴史を遡ってみたいと思います。

続く。

[その24でーす] /welcome:

 さて、おなじみのアダムとイブから始まって、エデンの園からの追放、神の怒りの大洪水とノアの方舟(はこぶね)の話(ちなみに、手塚治虫氏の旧約・聖書物語によりますと、天地創造のアダムとイブの次に叙述されるのは弟殺しの「カインとアベル」、その次にくるのがノアの方舟そして言葉を混乱(バラル)させる「バベルの塔」の話が続く)、そして紀元前2000年頃のある日、メソポタミアの都市ウル出身(シュメールの都市国家)の豪族「アブラハム」は、エホバの神のお告げを受け、約束の地カナン(パレスチナ)に向け、一家を挙げて北メソポタミアのハランから旅立った。アブラハム75歳の時である

 ちなみに、カナンは地中海のどん詰まり、海にそってレバノンとイスラエルが細長く伸びている。国境近くヨルダン川が谷を刻み、その川は南に下ってやがて死海へ流れ込む。その西南には、アカバ湾とスエズ湾に挟まれた三角のシナイ半島。そしてエジプトの豊饒な平地が広がっている。カナンとは、現在のレバノンの南からイスラエル辺り一帯を漠然と指す名称である。

 アブラハムの時代、多神教がはびこっていた。アブラハムがお告げを受けた唯一神「エホバ」の信仰こそが、のちにモーセの十戒をもとにしたユダヤ教を生み出し、そこからイエスの説くキリスト教が分かれでて、やがてマホメットが始めたイスラム教をもたらしたすべての教えの源泉と言える。ちなみに、モーセの十戒をもとにしたユダヤの律法、預言などを集大成したのが旧約(ユダヤ)聖書であり、その数百年後イエスの教えを弟子達が集大成したのが新約聖書(キリスト教)であるが、ユダヤ教徒にとっては彼らのユダヤ聖書のみが聖典であり、キリスト教の新約聖書は認められていない。

 ところで、ユダヤ民族を表す言葉にヘブライ、イスラエル、ユダヤと言う三つの言葉があることは皆さんもご存じだとおもいますが。その中で一番古いのが「ヘブライ」で、これは「川向こうからやってきた人々」、つまり、チグリス・ユーフラテス両川を抱くメソポタミア地方からの移住民のことで、アブラハム一家はさしずめその典型であった。

 イスラエルは「エル=神」と争って「イスラ=勝つ」と言う意味で、アブラハムの孫のヤコブが見知らぬ男(天使)と格闘し、ヤコブが勝ったため名付けられた名前だ。それ以来、ヤコブはイスラエルと名乗るようになった。やがてそれは民族の名前になっていく。ヤコブについてはいずれ話すことにしましょう。

 さて、「ユダヤ」というのは「神をたたえる」という意味があり、エルサレム南部の一地方の呼び名でもあった。面白いことに現在ユダヤ民族は1948年に建国した彼らの国をイスラエルと呼び、そこで彼らの父祖の言葉であるヘブライ語を2000年ぶりに復活させて公用語としている。

続く。

[その25でーす] /welcome:

 新たな不服従運動、新インティファーダ(パレスチナ住民蜂起)の炎が燃え上がっている。状況は以前より流動的で、その広がりははるかに大きい。この衝撃波はどこまで広がるのか。それが、今日復活したインティファーダの、おそらく最も深刻な側面である。その兆候は、カイロ、ダマスカス、バグダッド、アンマンなど、アラブの諸国の首都を洗う抗議デモの大波となって、すでに現れている。そして、今回とりわけ不吉なのは、これらのデモが、全アラブに影響を及ぼす状況を改変するために、パレスチナ人達と肩を並べて直接参加している、と言う意識を見せていることである。

 この事態の責任の最大の部分は、米国政府とクリントン大統領その人に帰せられる。クリントン氏は、第二次世界大戦以来、最も入り組んだ国際問題にたいする最終決着を、数週間や数ヶ月で即席に料理すること出来るはずがない、と言うことを忘れていた。そして、来年の任期切れと言う、自分のスケジュールにあわせようとした。

さらに、クリントン氏の策謀はすべての重荷をパレスチナ人に背負わせた。だが、パレスチナ側の交渉者は、とくにパレスチナ人の苦難を恒久的に解決する上で死活的に重要な問題点や、エルサレムの地位などのように、イスラム教徒とキリスト教徒の宗教的信念の核心に触れる問題で、全面的な譲歩など決して出来なかった。クリントン大統領は、歴史的な紛争の解決にかんするあらゆるタブーを冒した。

 最近のキャンプデービット会談でも、パレスチナ代表団はクリントン氏の言葉に驚いた。「私は世界で最も強力な大統領だが、諸君の問題のためにすべての時間を費やしており、諸君と一緒にキャンプデービットにもう十日間以上も閉じこもっている、そのことを肝に銘じて欲しい」といったことを、彼らに語ったのである。

 クリントン氏の野心に油を注いでいるのが、イスラエルのバラク首相だ。彼は、アラブ・イスラエル紛争の爆発的な争点を解決できないと分かっていた。だが、自分の連立政権につきまとう危機を克服する好機を、クリントン氏の介入が提供してくれると信じた。

 クリントン氏とバラク氏のやり方では、決して結果は生まれない。中東危機はまだ、解決の用意がまだ調っていない。圧力は、大儀を守るため喜んで死ぬ人々の、感受性と原則と理想を傷つけるのに役立っているだけである。パレスチナ自治政府は窮地に陥り、危険なまでに弱体化した。その時火山は噴火した。火山を噴火させたのは激怒の感情だ。この噴火にマッチをつけたのはクリントン大統領の訪問だといわれている。

上述したものは、読売新聞「地球を読む」からの抜粋ですが、もちろん筆者はアラブの代表的言論人です。

 さて、アブラハムの子孫は飢饉を避けてエジプトに移住するが(前1600年頃)、奴隷の境遇に落ちやがて、モーセの指導のもと、エジプトから集団脱出に成功、途中エホバの神から十戒を授けられ、やっとの思いで「乳と蜜の地」パレスチナに帰ってくる。このユダヤの歴史は、ハリウッド映画や小説などでもお馴染みのはずだ(モーセの十戒は前1250年頃)。

 概観を続けるなら、その後、ユダヤ統一王国を建てたダビデ、その子ソロモン(前955年頃)の栄華空しく、王国は南北に分裂して(前926年)、北王国は近隣のアッシリア帝国に(前722年)、南王国は新バビロニア帝国に(前586年)それぞれ征服されてしまう。

 次いで、ペルシャの属国の地となった。その後、ユダヤ教徒はエルサレムへ帰還を許され、前515年にエルサレム神殿が再建され、旧約聖書が成立した。

 やがて、ユダヤの地はギリシア系の若きアレクサンドロス大王によって蹂躙され、まもなく大王の急死により、その部下であった将軍のものとなり(プトレマイオス朝)、以後ギリシア系の王朝はユダヤの民をギリシア化すべく狂奔する。ところが、ギリシア文明は多神教に基づいており、一神教のユダヤとは全くなじまない。このギリシア化とユダヤ教禁止と言う上からの圧力に対して、ついにユダヤ人は王に反旗を翻して独立戦争を始め、程なく勝利を得て、ハスモン王朝を建てた。前198年、ユダヤ教徒は、シリアのセレウコス朝(ギリシャ系)の支配下になる。ユダヤ教上層部にギリシアへの傾倒者が増える。

 前167年、ハスモン家のユダ・マカベア、エルサレムを奪還する。しかし、百年も経たぬ内に彼らは新興ローマに敗北、エルサレムは陥落し独立を失ったユダヤ王国はローマの属州にされる(序章終わり)。

 

ここもアメリカのユダヤ人解説

まずはユダヤ人について

中東関係その3 中東関係その2 中東関係その1

アラビアのロレンス 英国の三枚舌外交 ユダヤ・ゲットー

富裕なユダヤ人 フランス革命

ロスチャイルド 差別・迫害