「17話・インティファーダーのうねり・その1」

「16話・独立は無意味?」

パレスチナ問題の構図・15話「アラブ首長の私利私欲?」

 ユダヤ人についての特長・特徴を、あーだこうだと一人「けんけんがくがく」していたが?例の9月13日が近づいてきたので、イスラエルVSパレスチナについて、ほんの少し時間を割いてみることにした。

 さて、彼の落合信彦氏は、「パレスチナ問題が迷走するのは、ユダヤ対イスラムの宗教対立より、平和を望まぬアラブ首長たちの私利私欲のせいだ」とおっしゃる。それは本当なのだろうか??

 キャンプデービットが不調に終わったことで、時代は風雲急を告げた。アラファトは和平交渉期限切れを迎える9月13日に、パレスチナの独立宣言を一方的に行うことを発表した。

 まもなく任期切れを迎えるクリントンとしては歴史に名を残すためにも「78年キャンプデービット」を何とか再現させたかった。しかし、今回キャントデービットでは、最初から会談が成功しないことは決定的と言われる。

 イスラエル首相バラクは和平実現にきわめて前向きだったが、一方のアラファトは「今回の会談で握手までするのは時期尚早だ」という考えらしく、両者の間にはかなりの温度差があった。

 とくに「エルサレム帰属問題」については、東エルサレムの完全主権を主張するパレスチナと、エルサレムの分離を認めないイスラエルの合意は至らなかった。エルサレム問題だけでは継続論議とするという「逃げ道」をクリントンが用意したにもかかわらずアラファトは席を蹴ったという。

 この結果をもたらしたのは、クリントンが沖縄サミット参加のため来日していたとき(彼の心、日本にあらず)、アラファトが掛けた一本の電話だそうだ?その電話の相手とは、その時サウジアラビアのリアドに滞在していたエジプトのムバラクとサウジアラビアのファハド国王の二人。

 この電話で、彼らはアラファトに「エルサレム問題を先延ばしにせず、交渉のテーブルに載せろ」と指示したらしい。

 周知の通り、パレスチナ自治政府という組織は、確固たる収入源を持たない組織である。ゆえに、その資金はオイルマネーで潤うサウジなどのアラブ諸国の援助で成り立っている。だから、独立できたとしても彼らアラブ諸国の言うことに逆らうことができないと言う宿命を背負っている。

 落合氏曰く、このキャンプデービットの決裂の教訓として、はっきりいえることは、もはやパレスチナ問題を解決するためには、イスラエルとパレスチナの話し合いや合意だけでは意味がないと言うこと。パレスチナの「保護者」であるエジプトやサウジアラビアなどのメンタリティを踏まえない限り、本当の合意などは不可能だろう、と言うことだ。とにかく、アラファトが独立宣言まで走ってしまうと、もう「第5次中東戦争」は避けられないし、アラブ諸国もパレスチナとともに戦わざるを得ないだろう。それに、キャンプデービッドでメンツを潰されたアメリカがイスラエルの後ろ盾として戦争に介入してくるのは火を見るより明らかである。そうなればアラブに勝ち目はないばかりか、パレスチナを助けたばっかしに、自らの政権さえ失うことになるだろう。とにかく、アラブの思惑は、「現状維持」なのである。

 参考文献「SAPIO9月27日号・102ページから105ページまで」

[16話でーす] /welcome:

 ユダヤ系として初の米副大統領候補(民主党)に指名されたジョゼフ・リーバーマン上院議員が、「選挙に宗教に持ち込みすぎる」と有力ユダヤ団体から厳しい批判を受けている。今回の大統領選では、米社会の保守化も反映してか、共和党大統領候補、ジョージ・ブッシュ・テキサス州知事が「尊敬する哲学者はキリスト」と語るなど、宗教色が強いのだけれど、反ユダヤ主義の闘争で知られる「反中傷連盟」が同じユダヤ人としてリーバーマン議員に自制を求める理由は、同議員の言動がかえって反ユダヤ主義の感情を呼び覚ましかねないとの懸念があるのだ。

 さて、パレスチナ問題の包括的解決を目指す「パレスチナ最終地位交渉」の合意期限が13日が迫る中、イスラエルと現行の和平プロセスに反対するパレスチナのイスラム原理主義組織「ハマス」の精神的指導者アハマド・ヤシン師は七日夜、ガサの自宅で読売新聞と会見し、アラファト・パレスチナ自治政府議長が13日を期して独立宣言する姿勢を見せていることについて、「国家の内実が伴わない状態で独立議論しても意味がない」と批判した。また、「我々の権利と土地の回復のための唯一の手段は、敵(イスラエル)と戦うことだ」と語り、あくまで武装闘争を続ける考えを示した。

 ヤシン師は、「独立に重要なのは中身だ。だが、自治区に腐敗がはびこり、言論の自由がない。我々が求めるのは、聖地エルサレムを含むパレスチナ全土を領土とする自由な国家だ」と述べ、「我々はこれまで、その実現のため、平和敵手段と武力の双方を用いてきたが、今や、唯一の手段は武装闘争になった」と言い切った。さらに、対イスラエル武装闘争の成功例として、イスラム教シーア派民兵組織「ヒズボラ」がイスラエル軍をレバノン南部から撤退させたことを挙げた。

 落合氏が語ったアラブの首長の思惑、さらにイスラム原理主義の精神的指導者の今回のインタビューによるイスラエルに対する頑とした姿勢。パレスチナ問題は今後も混迷を深めるのは必至と思われる。

参考文献「読売新聞」。

[17話でーす] /welcome:

 前回の読売新聞での「ハマース」「ヒズボラ」で思い出したんだけど、強大であるイスラム軍に向かってつぶてで立ち向かうパレスチナ住民の生々しい姿を臨場感ある映像をもって茶の間に映じられていたのだが、あの時のイスラエル軍は彼らパレスチナ人を鎮圧できたのだろうか。

 さて、戦後の世界を規定してきた米ソ冷戦構造が十年ほど前に終焉した。1990年末までには東欧から共産党独裁政権が姿を消した。それにより、ロシア民族主義の高まりが現れ、必然反ユダヤ主義感情も上昇した。

数字から見るとゴルバチョフが書記長に就任した年わずか1140人であったソ連からのユダヤ人の出国は、1990年には20万人近くに達した。

 しかし、彼らユダヤ人が移住した先は、イスラエルでなくアメリカの割合がすこぶる高い。アラブという敵に囲まれ、戦争に明け暮れ、インフレに苦しみ、テロに脅えるイスラエルより、一攫千金のアメリカに強く惹かれた。その時シオニズムは「アメリカンドリーム」に完敗した。

 したがって、これまでのメカニズムが動けば、ソ連からのユダヤ人の大半がアメリカに移住することになるはずであった。しかし、ソ連からのユダヤ人の移住によってイスラエルのユダヤ人口を増大させる千載一遇のチャンスと見たイスラエルは、このメカニズムを変更することを試みた。

 どうゆうことかというと、アメリカのユダヤ・ロビーを通じてユダヤ人の出国の自由化をソ連に働きかけるとともに、アメリカの法律修正も狙った。これまではソ連から出国したユダヤ人は政治難民として認定を受け、自動的にアメリカへの移住の権利を与えられていた。それゆえ、ソ連のユダヤ人は、イスラエルでなくアメリカを選ぶことが出来たわけだ。しかし、1980年代末にはユダヤ・ロビーの力も与(あず)って、アメリカの移民法が改正され、ソ連からユダヤ人に自動的に認定される制度が廃止された。ソ連からのユダヤ人のアメリカへの移住がそれにより困難になった。

 これによって、ペレストロイカによって押し出されたユダヤ人の流れが、アメリカからイスラエルへと方向を変えた。結果は、イスラエルに到着するソ連からのユダヤ人の劇的な増加である。

 ゴルバチョフが登場して以来の総数は30万人をゆうに越えている。イスラエルの人口がその頃、370万人程度であることを考えると大変な数である。しかも、これはほんの始まりにすぎない。ソ連の200万から300万と推定されるユダヤ人のうち、100万が結局やってくるものと期待した。

 イスラエルへの移住は、ヘブライ語で「アリヤー」と呼ばれる。アリヤーとは「上がる」ことを意味している。アリアーの増加は、アラブの目から見れば、イスラエルの強化するための米ソの共謀と映る事態であった。ソ連からのユダヤ人が占領地に入植し、パレスチナの土地と水がさらに略奪サレルノではないかとの懸念が、イスラム世界全体で、そしていらだちと閉塞感が占領地で高まった。

 1987年末以来の「インテファーダー」(民衆蜂起)の背景に、このソ連からのユダヤ人の流入があった。ゴルバチョフの国内改革がパレスチナに直接影響を与えたわけだ。

 インテファーダ2へ続く。

まずはユダヤ人について

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富裕なユダヤ人 フランス革命

ロスチャイルド 差別・迫害