これまでほんの少数の人に「落書き帖」なるものを送付してきたのですが、今回、ホームページを作って一般の人にも読んでもらおうと思いました。不特定多数の人に読んでもらうのには、若干の抵抗もあったのですが、中には興味を持っていただける人もいるのではないかと期待しています。私の関心の赴くままに書いていきますので、興味を持たれた方は、是非メールをください。
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エジプトの中王朝の第12王朝に、BC1850年頃、アメネムハト三世が王位につきます。この時代、灌漑工事が広く行われました。これには、水準測量はじめ測量の知識が必要です。メソポタミアを除けば、世界のどこもそんなに発達はしていなかったでしょう。そう考えると、アーメス・パピルス(後ででてきます。)は、おそらくこの時代に書かれたものであろうと推測できます。これが正しければ、この当時、単位分数、簡単な方程式、等差級数、幾何級数、様々な求積法が、エジプト人には知られていたことになるでしょう。また、勘定書や取税リストなども残っています。
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さて、今回から『 The New Cambridge English Course 4』に入ります。「 The sun was in the north 」という話が載っていますので、これを使うことにします。それほど難しくないと思いますが、おもしろい話だと思います。
” The Portuguese discovered the west coast of black Africa 500 years ago. But historians believe that, 2,000 years earlier, the Phoenicians may have travelled right round Africa in small boats from Suez to Gibraltar and back to Egypt."
「エッ、そんな話あるの」というような感じですが、そう言うからには何らかの根拠があるのでしょうね。続き、ご期待ください。
そう難しくないと思いますが、単語いきましょう。"black Africa"ですが、ヨーロッパでは、北アフリカは、当然古代から知られていたわけですが、そこにはセム系(白人)の住民がいました。(黒人のことも時たまでてくるようですが。)その南は、広大なサハラ砂漠に遮られていました。そのサハラ以南の、主に negro系住民の住む地域を black Africa と呼ぶようです。"Phoenician""Suez""Gibraltar"は「フェニキア人」「スエズ」「ジブラルタル」です。訳しておきましょう。
「500年前にポルトガル人が、サハラ以南のアフリカの西海岸を発見しました。しかし、歴史家たちは、それより2000年早く、フェニキア人たちが、小さなボートでスエズからジブラルタル海峡を通ってエジプトまで、ぐるっとアフリカを右回りに航海した可能性があると信じている。」
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さて、前回の回答です。「三論・成実・法相・具舎・律・華厳(サンロン・ジョウジツ・ホッソウ・クシャ・リツ・ケゴン)」「成唯識(ジョウユイシキ)」「中観(チュウガン)」「一切衆生悉有仏性(イッサイシュジョウシツウブッショウ)」です。
最近は漢字がやさしくなったと、またある人から言われましたが、まあ、始めたばかりですので『日本思想論争史』(ぺりかん社)続けます。
「両宗のこの対立は、人間の現実の差別相に立つ「三乗真実一乗方便」の主張と、差別相を仮の相とする「一乗真実三乗方便」の主張との間の三一権実論争ともいわれる。」
「諸事象こそ真如のあらわれであり、凡夫は仏のいのちから出てきたものであり、本来自己は成仏しているのだというのが「性起」である。」
「それは迷と悟、覚と不覚の二辺をこえた不二・空に真の絶対の悟りつまり本覚があることを説く。」
から「三一権実論争」「性起」「不二」を取り上げます。
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