4階の窓の結成の経緯は? 三輪:'97〜98年頃に“バンドやりたいな〜”と思ってた僕があちこちに声かけてまして。それで釣れたのが糸井さんと本間君でした。高校の同級生と中学の同級生だったんです(笑)。当初はそこに友達の同級生の女の子ドラマーを加えてバンドの形になって、曲作りを開始したんですね。 4階の窓って楽曲もバンド・サウンドもみなさんのキャラクターも(笑)、非常にユニークで独創的ですよね。結成当初はどんな感じの音楽を目指していたんですか? 三輪:当時僕に関しては、特にFlaming LipsなどのいわゆるLo-Fiサウンド系や、サニーデイサービスなどのシンガーソングライター系の音楽に触発されていましたね。ただ皆の好みがホントにばらばらだったので、コピーはほぼしてません(笑)。止む無くオリジナル志向へなったというか(笑)。そうこうしてる間にドラマーが寿脱退することになり、メン募に応じて来てくれたのが現在のドラマーの嶋田さんなんです。で、ライヴを始めてからスタッフとしてBoss(4階の窓ファンにはお馴染みの敏腕女性スタッフさん)を入れ、現在に至ります。 それにしても4階の窓ってバンド名はいったい何処から由来しているんですか? 三輪:そろそろバンド名を決めようとしてたときに、糸井邸で映画『パルプフィクション』を観ていたんです。実は映画中のセリフから採っているんですよ。 『パルプフィクション』だったのか! 三輪:(笑)。下っ端ヤクザが4階の窓から投げられて今も言語障害が残ってるっていうセリフだったんですが、“お、いいなあ”と(笑)。“きっと4階の窓から飛び出した時、眺めが良かっただろうな”と。「眺めが良い音楽がやりたい」って当時メンバー間で話してまして。「理想の演奏場所って屋上だよね」とか(笑)。そんな感じに、落ちてく下っ端さんの眺めの良さっていうのがピピッと来まして、「コレだ!」と。あと、思いのたけを伝えられないってフラストレーションがずっとあって、言語障害が残ったっていうのもピピッと来ました(笑)。で、映画を見終わったあとに、「バンド名、4階の窓ってどう?」って(笑)。 |
それにしても4階の窓の音楽って奇蹟的とも思えるような、危ういバランスのようでいて確立しているものがありますよね。それが凄いです! 三輪:メンバーそれぞれの好みとか背景がまったく異なるので、とにかく各人の個性を混ぜて混ぜて行こうと。なのでゴールはありません(笑)。“混ぜて混ぜて、きれいな色が出たらイイね!”っていうところです。 4階の窓っていったい曲作りをどのように行なっているのか、まったく想像つかないんですけど(笑)。 三輪:誰かがネタを持ち込んで、皆で弄り回す感じですね。一応の“完成したね”ってなるまで半年〜一年はかかるのが悩みと言えば悩みですね(笑)。 絶対時間かかりますよね、あの楽曲の数々は(笑)。でも同時にバンドの醍醐味っていうのを味合わせてくれるなぁっていう。 本間:音のスキ間が見えるんですよね。これが見えると最高なんですよ。 嶋田:曲が出来る時の成長する過程っていうか、“育てているよ!”“愛しているよ!”って可愛がっている、自分達の姿に酔っている時は最高ですね。 糸井:しかもそれがライブでお客様に届いた時はなんとも言えない感じなんですよ。 逆にバンドで活動していて煮詰まったりすることも当然ありますよね? 三輪:曲を作っている時で、“イメージが合わない時が難しいな〜”って思いますね。人間性みたいなものが出てきて。正直、怒る人もいるし、まとめる人もいるし。そんな中で人間関係を維持していくのが難しいなと思います。 今、大人のバンド活動がブームになっているんですよ。現在の音楽シーンについて何か思うところはありますか? 三輪:“もっとローカルごとのシーンが出来るといいかな”とは思いますね。大手なんか無視できるくらいのシーンが欲しいですよね。“地域に根付いているバンドってあればいいかな”と。日本ハムみたいに44年ぶりに優勝しちゃうかも知れないし。 4階の窓のセールスポイントはどういうところにあると思いますか? 三輪:音楽をジャンル分けしたとき、ヒネクレ度100%でアピールできるなと思いますね。ゴチャ混ぜ感満載で曲作りしてますんで(笑)。わけのわからないところが魅力です。 最後に今後の抱負などをぜひ。 三輪:4階の窓がもっと4階の窓になれるように頑張りたいと思います(笑)。 |