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回帰

惣田正明作

[1.出会い] [2.旅立ち] [3.その後] [4.再会] [5.神の死] [6.修士論文] [7.回帰]
last updated Jul.07.1999

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1.出会い

 彼と出会ったのは十数年も昔のことである。当時、私は京都大学文学部で哲学の教師をしていた。教養部から文学部へ進学するときの学科を決めるオリエンテーションの時である。私は少し遅れて第一講義室に着いた。紹介の順から言えば最後の方であったので、急ぎもせずに出かけたわけだが、教室では、もうすでに他の教官が学科の紹介をしていた。まだしばらく時間があったので一番前の席に腰を下ろし、タバコを吸おうとタバコを取り出し、火をつけようとした。ところが、もうガスが切れていたのであろう、どうしても火がつかない。何度かためしてみたがどうしても駄目であった。吸うのをよそうとも思ったが、説明が終わるのを待って、後ろにいた学生に火を借りたのだった。その火を借りた学生が彼であった。その時の印象は、ほとんど記憶に残っていないが、彼によればこうである。
 「何か不器用な、年の割に老けた感じの先生が、何度も火をつけようとしている姿は、何とも滑稽であった。突然振り返って火を貸してくれないかと尋ねられたときは驚いたが、その後、先生のお世話になるとは思ってもみなかった。」
 私は決してスマートな学者ではない。どちらかというと、当時まだ文学部に多くいた奇人変人の類だっただろう。勿論、私がそう思っていたわけではないが、哲学など教える教師などというものは、たいがい難しい顔をしている時代でもあった。
 こうして、彼は私の学科の学生となったが、彼は私以上に変わっていた。まじめに授業に出るかと思えば、さっぱり来なくなる。忘れた頃にふらりとやって来ては、真剣に思い詰めたように神様の話などするのである。
 「先生は神様を信じますか。」
 「いきなり言われても困るが、一つだけ言っておくと私はクリスチャンだよ。」
 「私はクリスチャンではありませんが、神は存在する、いえ、存在してほしいと思っています。実は、難しい哲学のことは分かりませんが、神の存在に私の全存在を賭けてみたいと思っています。」
 その語り口からは、彼が、如何に純粋に神を求めているかということだけは分かった。聖書だけはよく読んでいるようだった。
「イエスの言葉を生きることが神の存在証明になるのでしたら、私は、イエスの言葉を生きてみたいと思います。」
 私は、その純粋さ故に、彼の中に非常に深い孤独の影を感じ取っていた。彼ほど孤独を感じさせる学生に出会ったことはなかった。
 ある日、こんなことがあった。彼は私の自宅にやって来た。招き入れて話をしようとするが、何も話そうとしない。私は困って話を持ちかけてみるが、一向に返事がない。しばらくそうしていたのだが、突然、目から涙をボロボロ流し出すのである。内心うろたえたが、どうしていいか思いつかなかったのでそのままにしておくと、やがて「先生」という。何だろうと思って顔を上げると、「ちり紙ありませんか。」鼻をぐすぐすさせながらひとしきり泣くと、結局何も言わず、そのまま帰っていった。
 不可解な学生だと思った。しかし、全身孤独であるという強い印象を受けたこともまた、否めない。私自身哲学を専攻するぐらいだし、若いときは、中でも実存哲学に傾倒していたぐらいだから、孤独の意味は十分承知しているつもりだ。それだけに一層よく感じられた。神への憧憬はそこから生まれたのではないかと思う。
 一方で、彼は一人の女性のことをよく口にした。名は知らない。しかし、彼は、理想の女性に仕立て上げ、神のように崇拝している風であった。現実にその女性のことを知っていたなら、何か助言を与えることもできたろう。しかし、彼は何一つ具体的には語りはしなかった。
 「その女性、好きなんだね。話してあげようか。」
 要らぬお節介とは思いながら、そんなことを言ったことがあった。
 「そのことはもういいんです。」
 彼はそう言うだけだった。
 私はキルケゴールを思い出していたが、一度彼が、「今、シュトルムの『みずうみ』に感激して、シュトルムの短編集を読んでいます。」と言ったことがあった。その時、その女性は、彼の幼なじみか何かで、もう死んでしまったのか、他の誰かと結婚してしまっているのではないかと想像したが、真実は分からない。神への憧れと、その女性への憧れとが強く結びついていたのかも知れない。若いときは、得てしてそういうものだ。私の過去を振り返ってもそうだ。しかし、私たちの時代はまだよかったのかも知れない。今の世の中、そういう若者がいるのは、考えようによっては不幸なことかも知れないからだ。今の若者は、もっと明るく活発な人が多い。それだけに、そうした思いは深く自分の中に沈むばかりで、決して外に出ないからだ。一つ間違えば大変なことになる。私が心配していたのは、そのことだ。
 結局、彼はそんな話ばかりしに私のところに来たが、肝心の勉強の方は、特に私の講義への出席はひどかった。彼が卒業する年の最後の講義のとき、文学部旧館の前で、ばったり彼と出会った。
 「最後の講義だから出ませんか。」
 この私のお節介というか、人の良さには呆れるばかりだが、彼の返事はこうだった。
 「いえ、やめておきます。」
 気持ちのよい返事ではない。不快な気持ちでその年最後の講義に向かったことを覚えている。単位だけは与えた。一つには、まだ学生紛争の影響が残っていて、レポートさえ提出していれば、単位を与えるのが普通であったこともある。
 何やかや言っても、卒業に必要な単位だけはそろえていたようだ。単位が足りなくて走り回らなくてもよかったという意味では、それほど面倒な学生ではなかった。卒論も提出していた。出来のよい学生とはとても言えないが、それでも興味あることを書いてあった。『ルカ伝―愛と信仰について』愛の福音書と言われるルカ伝。中でも放蕩息子の話は有名だ。イエスの行跡をたどりながら、信仰の根底に「無」や「空」の領域を見ようとするものであった。「般若心経」や「無の思想」が援用されるのは一見唐突のようであるが、それなりに本質をついている。
 私は、大学院でもう一度勉強するように勧めてみた。学問の基礎をしっかりと固めれば、それはそれで学者として成り立つだろうと考えたからだ。しかし、彼は大学院の試験を受けなかった。
 翌日、家に帰ると、妻が「彼が来て、こんなものを置いて帰った。」と言って、大きな封筒を見せた。開けてみると、中に一冊の手書きの詩集が入っていた。

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