4.再会

 

			「あなたはどこからおいでです」

			「私は、遠い過去の国からやって参りました
			懐かしい乙女子を胸に秘めて
			あの天上に輝ける乙女子の魂を求めて
			さすらって参ったのでございます」

			「まあ、何と殊勝なお方
			で、その乙女子は如何なる乙女子にて」

			「ああ、それは語るも涙の物語
			私が愛したこの世でただ一人の乙女子
			その時は、二人ともまだ恋をも愛をも知らず
			笑いと戯れの中におりました
			けれど、ある時、キューピッドの放った矢が
			私の心を射たのでございます
			その乙女子、私の目には何者にも変えられぬ
			いとしの乙女子となってしまったのでございます」

			「それからどうおなりです
			よろしければ、お話願えませんでしょうか」

			「愛の炎の燃えた日より
			乙女子は私を避けるようになりました
			私の書きおく文にも
			一言の返答すら、返してくれなかったのです」
 			「まあ、それはお可哀想に
			で、それからあなたは旅に?」

			「いえいえ、話はまだまだございますが
			私は、旅の途中のもの故
			ここでおいとまさせていただきとうございます」

 このゲーテを思わせる詩も、彼が書いてよこした詩である。妻と娘がひどく気に入って「すてきな詩ね。」などと言っていたが、私は黙って聞いていた。勿論、私もゲーテの " Nur wer die sehnsucht kennt, weiss, was ich leide." などという言葉を知ってはいたが、彼が、一体、大阪でどんな生活をしているのかも分からないこともあって、何も言わなかった。ただ、それまでの詩とは、確かに少し変わってきていた。
 その彼が、再び私の前に姿を見せた。卒業してから二年が過ぎていた。
 「大学に学士入学したいのです。」
 と言うのである。
 「哲学ではなく文学がやりたい。」といって。彼については、いろいろ気にかかることも多かったので、一応走り回って、学士入学にこぎつけた。彼は新しい語学と取り組んでいた。これも後で知ったことだが、私の学生であったとき、私の授業には出て来なかったが、語学の授業には随分出ていたようだ。特に古典語に興味があったと言っている。サンスクリット、ヘブライ、ギリシア、ラテン。彼の言葉によれば「どれ一つマスターできなかったが、今思えば楽しかった。」
 しばらくは真面目な生徒であったようだ。担当教官に聞いても、それは感じられた。私の学生であったときとは大違い。私としては、ホッとした気持ちであった。どうにも気になる学生であったからだ。時々、大学周辺で出会うことがあった。彼は、必ず「先生。」と声をかけてくれた。
 「元気にしてますか。」
 「はい、とても元気です。」
 昔の陰気さとは違って、明るさが戻っていた。大学を出て、世間にもまれたことが、彼にはよい結果をもたらしたのではないかと、私は考えていた。
 相変わらず、詩は書いてよこしてきた。

			永遠の旅人は
			言葉もなく一日を過ごしていく
			ただ望みを託したその眼差しだけは
			いつも天を仰いでいる
			「ああ、今日も一人だった。」
			旅人は、一日を終えた今、そうつぶやく
			明日もまたこのように過ぎるだろう
			永遠はいつまでも遠い
			歩くのに疲れて
			今日は静かに憩おう
			だが、その一時の休息が
			旅人にもたらすものは
			これまでの歩いた道を思い起こす
			深いため息でしかないのだ
			「ああ、明日もまた一人だろう。」
			遠い過去に浸りながら
			今はすべてを無にした自己の運命を
			呪うつもりはないが
			それは悲しみとして
			旅人の重い心に沈んでいく


			人に愛が芽生えてよりこの方
			人の心に安らぎの地はなく
			遠くに葬り去られた愛の
			かすかな追憶にいきる姿が
			冷たい雨の静けさのなかに
			じっと立っている

			おお、偉大なる日々よ
			愛の永遠を信じ
			尽きることのない情熱を
			己が身に燃え立たしめた日々よ

			秋の雨は冷たく
			その静けさは沈みゆき
			やがて、胸は張り裂けんばかりに揺れ
			遠き流れとなって消えていく

 こうした詩は、彼の心のなかに、神と乙女への憧れの余韻が残り、時折、詩となって溢れ出ているように思われた。
 一方、彼は文学科を無事卒業して大学院へ進んだ。担当の教官もえらく力を入れているようであった。卒論も読ませてもらったが、聖フランシスの「被造物の賛歌」についてだったように思う。確かな記憶はないが、それほど面白いものには思えなかった。ただ、学問の基礎的訓練は積んでいたのであろう。これまでの彼を知っている私などは、聖フランシスのすべての被造物に対する愛を、もう少し哲学的に踏み込んで書いて欲しいと思った。彼の「愛すること」の神との出会いを体験的基盤として。
 この時初めて、私は彼の思想性に興味を覚えていることに気づいた。哲学的思弁にではなく、感性に。しかし、大学院に入ってからは、もう詩は書いてよこさなくなっていた。

 目次