7.回帰

 

 彼が去ってから、担当の教官と話すことがあった。「なかなかユニークな論だった。」「ちょっと惜しい感じのする学生であった。」同意見であった。その時、彼についていろいろ話を聞くことがあった。その中で、彼が一人の女性とスキャンダラスな事件を起こしていたというのがあった。詳しくは分からないが、その女性を追いかけ回していたとか、大声で諍いをしていたというのである。どんな関係であったのか真実は分からないが、意外な気がした。彼の詩の中には、一人の乙女への憧れが確かにあった。それは、理想化された女性の姿であっただろう。彼が詩を書かなくなった、いや、彼の言葉によれば「書けなくなった。」本当の理由はこんなところにあったのかも知れない。憧れが消えたときに、言い換えれば、詩が書けなくなって現れた女性なのかも知れない。いずれにしろ驚いた。
 彼からは、相変わらず手紙が届いていた。四国で家業を手伝ったり、自ら子供たちを教えていると言うものであった。四国の山々を歩き回ってもいたようだ。四国については、愛媛、松山には知人も多く、訪ねたこともあり、比較的よく知っていた。しかし、他のところはほとんど知らない。彼のお陰で、四国の山について、幾らか知ることができた。徳島には剣山と言う山があり、その西に聳えるジローギュウと言う山が一番気に入っている山だとか、勝浦川と言う川を遡ると、高丸山という山があり、そこに登ると晴れた日には眺望が素晴らしいとか、その近くに聳える雲早山と高城山とを合わせて勝浦三山と言うのだとか、この三山には、まだブナ林が残っていて、山歩きには最適だとか。
 正直言って、私には余り興味はなかった。彼はもう過去の学生に過ぎなくなっていたのかも知れない。大学退官後、私は、比較的自由な時間を自分の研究に打ち込むようになっていた。年を取るとどうしても先のことが気懸かりになるものだ。生きている間にしておかなければならないと思うことが多くなっていた。
 彼からの手紙も次第に途絶えがちになっていった。一度だけ、近くまで来ましたからと言って訪ねてきたことがある。彼の話は、山のことと教えている子供たちのことであった。神や乙女への憧れや永遠への思いは、もう語ろうとしない。
 「結婚はしないのかい。以前ある女性と何かあったような気もするが。」
 余計なお節介は昔からのことでもあるので尋ねてみた。
 「ああ、その話ですか。以後気を付けます。先生、結婚するには相手がいるんです。一人で結婚する結婚すると騒いでも仕方ありませんから。」
 彼は、軽く笑って答えた。彼は、もう以前の私の知っていた彼ではないようだ。一人孤独に沈み、神と乙女への憧れを抱き、永遠を求めて彷徨う詩人。それは、人生の一時の夢であったのだろうか。私も彼に束の間の夢を見たのであろうか。
 彼から来た最後の手紙は次のようなものであった。それ以後彼からの手紙はなかった。

 拝啓
  秋も深まって、山も奥の方ではすでに紅葉の始まっている今日この頃です。如何お過ごしでしょう。先日、久しぶりに先生の著書を読ませていただきました。宗教哲学と神学について、何か大変懐かしい気がしました。あの頃と比べると、私はすっかり変わってしまいました。あの頃は、私には神への憧れがありました。不思議なくらい真剣な。けれど、今、お前はなんの宗教を信じるかと問われれば、ためらわず、葬式仏教ですが真言宗と答えます。
 最近山を歩くことが多くなりました。山の中を歩いていると、自然の中に溶け込んでいくような、自然と一体になるような、そんな気持ちになります。ある時こんなことがあったのです。
 高知県東部に、馬路村と言う村があり、そこの魚梁瀬と言えば、全国でも有数の多雨地帯で、杉の原生林で有名なところです。そこの魚梁瀬国有林の中で、千本山一帯は、杉の保護林として、現在でも杉の原生林が残っているところですが、そこに登ったときのことです。台風の通過した翌日か翌々日で、谷には水が激しく流れ落ちていました。昼なお暗い杉の原生林の中を歩いて、千本山山頂まで辿り着きました。まだ、引き返すには早いような気がしましたし、また、甚吉森という山まで一本道のように思えましたので、ついでにそこまで行ってやろうと思い立ったのです。どんどん歩いていきますと、やがて、山の斜面に細い道がついているような所に出ます。もうすぐ尾根に出られるだろうと思ったのですが、その辺りから笹が結構茂っておりました。突然バサバサという音がし、なにやら黒っぽいものが逃げていくのが見えました。猪でした。人前にはめったに姿を見せないのですが、台風の雨で、油断していたのかも知れません。一瞬ひるんだものの、立ち止まって考えました。道は笹に覆われているし、時間もそう早くはない。それで、引き返すことにしたのですが、その帰り道のことです。道を間違えて、道を見失ってしまったのです。どうやら谷を間違えて下りてしまったらしい。これは困ったと思いながら、これまで来た道のことを考えますと、道は上の方にあるに違いない。そう思えましたので、山の斜面を這い上がって行きました。その辺りは、かつての魚梁瀬杉が立ち並んでいたのでしょう。ふた抱えもあるような杉の切り株が随所に見られました。どれぐらい迷い込んでいたでしょう。道は上にあると確信を抱きながらも、もしかしたら道に出られないのではないか。そんな不安が頭をよぎりました。その時でした。私の口から「南無大師遍照金剛」という言葉が洩れたのは。イエスでもマリア様でもお釈迦様でもありませんでした。私にとっては意外なことでした。
 もとの道には、その後すぐに出られ、日暮れ前には山から出られました。余り実存的とは言えませんが、その時以来、私は真言宗を信じています、と言うことにしているのです。
 最近、一人の女性と出会いました。彼女と出会ったときに、私はこの女性は将来私にとって重要な人だと直感しました。それが、どういう意味であったのか分かりません。けれど、久しく私の探し求めていた、永遠の女性ではないかと思えたのです。これは、何時しか、私の生涯の伴侶となる人だという確信になってしまいました。永遠の乙女は地上に降り来たり、大地なる母となる。
 私は彼女のために、一つの物語を書くことにしました。「旅立ち」からこれまでの人生を振り返って。すべてが真実というわけではありませんが、私の心のすべてです。読んでください。
                    敬具
 平成元年十一月十一日

 

 彼の書いてきた物語は次のような書き出しである。

 「彼と出会ったのは十数年も昔のことである。当時、私は京都大学文学部で哲学の教師をしていた。教養部から文学部へ進学するときの学科を決めるオリエンテーションの時である。私は少し遅れて第一講義室に着いた。紹介の順から言えば最後の方であったので、急ぎもせずに出かけたわけだが、教室では、もうすでに他の教官が学科の紹介をしていた。まだしばらく時間があったので一番前の席に腰を下ろし、タバコを吸おうとタバコを取り出し、火をつけようとした。ところが、もうガスが切れていたのであろう、どうしても火がつかない。何度かためしてみたがどうしても駄目であった。吸うのをよそうとも思ったが、説明が終わるのを待って、後ろにいた学生に火を借りたのだった。その火を借りた学生が彼であった。その時の印象は、ほとんど記憶に残っていないが、彼によればこうである。
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