大学院に入ってからの彼についてはよく知らない。詩はもう書いてよこさなくなっていたし、私も自分の仕事に追われていたせいでもある。
ただ、ある時「酒を飲むことが多くなった。」とか「京都は嫌だ。」とか書いた手紙を寄こしたことがある。どうしたのかなと思って、人を通してたずねてみた。その頃、友人には「京都には怨念が漂っている。」と、冗談とも本気ともつかず話していたそうだ。「大阪にアルバイトに行っているみたいですよ。」下宿のおばさんは言っていた。
どういう事情であったのかは定かではない。古い歴史のある町だけに、過去の歴史の中で、権力を巡り様々な陰謀が繰り返され、恨み辛みが渦巻き、その怨霊が市中を漂っていると感じるものがいても不思議はない。あるいは、現実に何かあったのだろうか。例えば、お金に困っていたとか。
そうこうしているうちに、彼が訪ねてきた。
「いろいろお世話になりましたが、大学院やめようと思っています。」
というのである。
いきなりで驚いたが、彼のいきなりには、もう慣れていたので、
「そうか、やめるのか。」
と返事しただけであった。人には、それぞれの生き方があるだろうと思われたからだ。それに、私も、もう大学退官の時になっていた。
話を聞いてみると、田舎に帰って働くという。どんな田舎で、両親がどんな仕事をしているのか詳しくは尋ねなかったが、以前、家に対して強い不満を漏らしていたことを思い出すと、何らかの決心をしたのだろう。
「詩は書いていますか。」
気になる質問をぶつけてみた。
「もう書けなくなってしまいました。」
彼は答えた。
神と乙女への憧れはどうなってしまったのだろうと、私は気になったが、修士だけは終了するように忠告した。
数日後、彼から便りが届いた。四国に帰っているという。そして、「これが最後の詩です。」と言って、一編の詩が書かれてあった。
神の死 我は神の遺体を担ぎ 遠き海の見えるところまで歩いていった そして神を横たえ 一人静かに土を掘った 波の音だけが 我が胸の悲しみを知るかのよう 寂しげに挽歌を歌っていた 我は神を地中に葬った 神はこの世ならぬ黄金の光りを放ち その眼は永遠の中に沈んでいた 神は不滅であり永遠である 我が心我が魂に すべてを投げかけて 死へと静かに旅立って行った おお人類よ 汝らは自らの手で神を葬った 歓びの声をあげ汝らは・・・ 我はその遺体を掘り返し 今人知れぬところへ導き 一人神の死を悼んだ 太陽は水平線の彼方に 燃えるような光りを放ち 海を空を炎で満たし 神を天上へと見送った ああ神よ我らを許したまえ 生けるものの罪深きを 墓標の前にうずくまり 我はあらん限りの涙を流した