6.修士論文

 

 それから三年後のことである。彼は修士論文をもって私の家を訪ねてきた。珍しく私の忠告が守られていた。しかし、これが最初で最後だった。
 二年間大学を休学にしていたという。田舎では林業をしている父親の手伝いをしたり、塾でアルバイトをしていたという。千メートル級の山々を歩き回ったり、塾では東大進学で有名な灘高に一人入学させることができたなどと、楽しそうに話していた。
 論文は、半年京都に下宿して書き上げたそうだ。大学にはほとんど行かなかったという。単位は休学前にすべて取得してあったといって。よく晴れた日には、比叡山初め、京都の山々を歩きながら考え、それ以外の日には、下宿に籠もって書き上げたという。
 「先生にはどうしても読んで欲しいと思っていました。」
 彼はそう言った。
 聖フランシスの伝記に関するものであった。論文としては、未熟な点が確かに多いのであるが、これまでよりはまとまっている。私に何を読んで欲しかったのか、私にはよく分かるような気がした。前半の文献学に関する点については、私の関与するところではない。しかし、回心についての一考察は、極めて興味のあるところである。その最後で、彼は自らの体験を客観化しようという意図が読み取れたからだ。しかし、まだ、普遍性を獲得するところまでいっていない。体験がまだまだ生々しい。
 彼は、波多野精一の宗教哲学に学んだと言っている。
 波多野精一は、「宗教哲学」の序で「宗教哲学は、あくまでも宗教的体験の理論的回顧、それの反省的自己理解でなければならない。」といっている。彼が惹かれたのはここだろう。しかし、それは、彼があまり出席しなかった、私の講義の中でも言っていたことではあるが、宗教哲学が哲学である限り、単なる事実の認識だけにとどまってはならない。普遍性を得なければならない。宗教体験一般が対象である。
 彼は、聖フランシスの回心を中心に、パウロやアウグスティヌスを援用しながら、自らの体験を普遍化しようとしているようである。しかし、彼の場合、フランシスにしろ、パウロにしろ、アウグスティヌスにしろ、まだ十分な理解に達していない。あるのは、彼自らの体験だけである。それが、私の率直な感想だ。
 波多野精一は、生を三段階に分け、自然的生、文化的生から宗教的生に至る必然性を厳密に論証しているのであるが、彼の論では、宗教体験があるかないかがすべてである。この意味では、実存哲学的であり、波多野哲学とは異質である。
 彼は、宗教体験のない段階、宗教体験、宗教体験を得た後の段階と、三つの段階に分けて生を考えている。そのそれぞれについて、少し考えてみよう。
 先ずは、宗教体験を得ていない段階である。ここでは、波多野精一が試みたように、 自然的生、文化的生といった区分が理解のためには必要であろう。しかし、彼はそれを説こうとはしていない。光りを見たものからすれば、賢者も愚者も、富者も貧者も、同じに見えるのかもしれない。宗教者なら、それでよいであろう。しかし、現実の社会はそうではない。ここをどう考えているのか。彼自身それには気づいていたようで、「現実の社会では重要な意味を持つが。」との但し書きがついている。現実の社会というのがどういう意味なのか定かではないが、法的、経済的な現実に活動している社会と考えて差し支えあるまい。
 次に宗教体験そのものが来る。それは、それまでの 生とその後の生を断ち切ってしまうほどの深い意味を持っている。彼は、この宗教体験を、偶発的な神の啓示のごとくに扱っている。これでは、波多野精一が論証しようとした宗教的生に至る必然性が生まれてこない。それは、選ばれたものだけの特権なのであろうか。そうでないことを主張しようとするためであろう。彼は、宗教体験は一般の人たちにも体験されうる出来事だとしている。ただ、余りに安易に考えすぎると、宗教体験が安っぽいものになってしまう危険性が生じるであろう。宗教体験の持つ、特殊性、特異性を十分保持しながらも、宗教的生に至る必然性が導き出せないだろうかというのが、私の感想である。
 宗教的体験を得た後の段階では、精神性の発展があることを主張している。つまり、宗教体験後も、更に段階があることを示している。これは重要なことだろう。というのは、かつて一部の仏僧にみられたような、悟りがすべてで、悟りさえ得られればすべてが許されるといった誤解の生ずる危険性を回避しているからだ。
 しかし、彼の論文の中での絶品は、この宗教体験を通して示される究極の生の在り方であろう。彼は世俗への回帰を主張した上でこう述べている。
 「しかし、もとの世界へ逆戻りするのではない。以前の平凡な日常が、そのまま宗教的真実の世界に変貌する。以前と何一つ変わらぬ世界が、そのまま神の輝きを有する。そして、その究極は、この世をそのまま宗教的真実、神のよしとされた被造世界として受け入れ、賛美することである。宗教的体験を通しての自己滅却と、その帰結としての現実肯定。聖フランシスは、世俗を捨て、福音書を実践することでそこに到達した。彼の『被造物の賛歌』は、その頂点を指すものだといえよう。」
 これは、彼の体験そのものに基づいているではないか。そして、その生の在り方を人格的生と名付けてはいるが、彼の宗教体験後は、どう考えても宗教的生の在り方だ。波多野宗教哲学において、宗教の類型として三つの宗教を考え、人格主義の宗教を最高位に置いたことと、彼が宗教体験後も精神的発展があるといい、世俗に回帰し人格的生の在り方を確立しようとしていることとは、同じようなことを考えていたのではないか。波多野精一は、人格的宗教の基本的理念として、愛(アガペー)を考えていたが、彼は、それについてどう考えていたのだろう。まだ、そこまで考えていなかったのかもしれない。しかし、彼の人格的生の根本には「愛することの神」がいたことは疑いえない。波多野精一同様、愛の理念があったはずだ。それなら、「神の死」と題する彼の詩には、どんな意味があったのだろう。世俗への回帰という彼の主張は、それと深く結びついているのかいないのか。
 論文としては、確かに未熟である。しかし、宗教の本質に迫ろうとする意欲、とりわけ、体験に裏打ちされたその主張は、十分読むに値すると思われた。
 読み終えて、彼の顔を見た。その目は、「どうです。まずまずの出来でしょう。」と言っているようであった。一瞬引き留めようと思ったがやめた。何を言っても始まらないような気がしたからだ。彼は京都を去っていった。

 目次