MILES DAVIS(Tp)
マイルス・デイヴィス:1926/5/26イリノイ州オールトンの生まれ。歯科医の息子として早くから音楽教育を受ける。40年代半ばにミュージシャンを志しNYに出る。46年チャーリーパーカーのグループで華々しくデビュー。生来の天分を次第に開花する如く頭角を現して行く。49年史上に輝く9重奏団を率いバップから一歩抜きん出たニューサウンドを繰り広げる。そのサウンドはソフィスティケイティドされたクールサウンドで、白人ジャズメンにも多大な影響を与えている。54年、自己のクインテットで名作「ウォーキン」を発表。後に次々と時代を担う意欲的な作品を発表する。中でもガーランド、ポール・チェンバー
ス、フィリー・ジョー・ジョーンズからなる名リズムセクションを生み、モダンコンボのフォームを推進した。また、ジョン・コルトレーン、ビルエバンス、キャノンボールアダレイらのスターを生み出して行く。その中でも「カインド・オブ・ブルー」は今の耳で聴いても、感動ものの作品と言える。(リアルタイムで聴いている訳ではないが音やサウンドには当時の色々なもの、技術や時代背景などがエッセンスとなって感じ取れる。音を仕事にしているたいていの人達は音を3つ聴いたら反応するだろうし、音を聴けばその人の性格や環境まで判かってしまうものだと思う)特にLP盤ではそれぞれのミュージシャンが「次の時代を確実に掌握し」或いはJazzがこう有るべき方向性の元で見出された感情の発露を、制御された
クールと内面の繰り広げる熱い息遣い、空気と言う形で我々の心に伝えてくれる。それはとうてい44・1khzでは味わえない倍音となって身体の近辺を振動させる。63年、ハービーハンコック、ロン・カーター、トニーウィリアムスの面々を交えサウンドを一新したマイルスはライブ演奏を中心に更に意欲的な活動を続けて行く。
また、こうしたマイルスに作曲の面でも大きく寄与するのがウェインショーターである。64年、8月にショーターが参加する事によってマイルスの第2期黄金時代ともいうべき当時最高のメンバーを擁し、次々と時代を切り開いて行く。「マイルス・イン・ザ・スカイ」「イン・ア・サイレント・ウェイ」はその中から生まれた作品であり、69年の「ビッチェズ・ブリュー」へと突き進んで行く。このアルバムを機にウェザーリポート、リターン・トゥ・フォーエバー、アハビシュヌ・オーケストラなど、70年代のミュージック・シーンをリードするサウンドを生み出して行く。マイスルは70年代に入ると更にスケールの大きな
サウンドを目指し、バンド編成も、サウンド・エッセンスも多岐を極め、76年以後リハーサル活動以外、公けのステージには姿を見せなくなる。80年代に入り再び活動を再開、81年、6年ぶりに新作を発表し世界ツアーを始める。マイルスは時代のイノベーター、モダンジャズシーンをリードするジャイアントと呼ばれ今更ながらの巨人である。あだなは「帝王」であった。1991/
死去
*参考アルバム
「Kind Of Blue」「Miles Davis/E.S.P」「COOKIN'」「Sketch Of Spain」「We Want Miles」「Miles Ahead」「MILES DAVIS」「My Funny Valentine」「Siesta」「Miles Davis Filles de Kilimanjaro」「1969 MILES」「Miles Davis/Live1970/1973」「Double Image」 etc.