KEITH JARRETT
キースジャレット: 1945/5/8ペンシルバニア州アレンタウンの生まれ。幼い頃から天才的なピアニストとしての活動を始めたキースは60年初めには新感覚派ピアニストとして活躍している。66年チャールスロイドカルテットに参加、やがて自己のトリオを結成。オリジナルな活動を開始する。70年にはマイルスのグループに参加、多くの注目を集める。71年にECMでソロピアノ作品を吹き込む。同時にカルテット、トリオとしての活動を進め、多才なオリジナリティーを披露する。特に 73年に発表した3枚組みの「ソロ、コンサート」は世界の注目を集め、これまでのジャズやクラッシックの概念を打ち破る音楽的に高度な作品として高く評価されている。近年にあってソロを中心にした10組のアルバムを出すなど意欲的な活動を続けている。アメリカンフォークや、バップの旋律をルーツに感じさせながらも、ジャンルに捕らわれない感性の豊かなプレイが特徴である。
*参考アルバム

「Treasure Island」「Blue Moment」「Facing You」「Belonging」「Spirits」「Sunshine Song」「My Song」「Ruta And Daitua」「Invocations/the moth and the flame」「The Koln Concert」「Standards Live/vol,2」「The Eyes Of The Heart」「Keith Jarrett/In The Light」「The Survivors' Suite」「Still Live/Keith Jarrett」「Solo Concert/bremen lausanne」「Somewhere Before」 etc.


CHICK COREA
チックコリア: 1941/6/12マサチューセッツ州チェルシー生まれ。60年代初頭ラテン系のバンドでデビュー。68年スタンゲッツグループに参加、明るく澄み切ったピアノサウンドはゲッツのクールテナーと見事な対話をなし一躍注目の的となる。69年マイルスバンドに参加。アコースティック以外にもエレクトリックサウンドを駆使し活躍する。一時シリアスなグループを結成した時期もあるが 71年ブラジリアン色を感じさせる「リターントゥーフォーエバー」を発表。チックコリアの人気を不動なものとする。その後アバンギャルド、フリーサウンド、アコースチックによるソロ活動など、多彩な活動を繰り広げる。必ず何処かに新しさを感じさせ、現代ジャズに明確な方向を与えてきたアーティストと言える。特にゲーリー・バートンやハービー・ハンコックとのデュオはジャズファンのみならず多方面でキースと並び高く評価されている。最近ではモーツアルトばりのピアノ協奏曲を自ら書き演奏を行うなど、活動は多彩である。
*参考アルバム

「Now He Sings,Now He Sobs」「The Mad Hatter」「The Music」「Alive」「The Song of Singing」「Eye Of The Beholder」「The Music Of Thelonious Monk」「Chick Corea Akoustic Band」「Return To Forever」「Trio Music Live In Europe/Night & Day」「Hancock& Corea」「Flute Duo Hateshinai Tabi」「Waltz For Bill Evance」「Is」「Circulus Vol.1,2」「ECM Special」「Tones For Joan's Bones」「Inner Space」「Piano Improvisation Vol.1,2」「No Mistery」「Light As A Feather」「My Spanish Heart」「The Leprechaun」「Friends」


HERBIE HANCOCK
ハービーハンコック: 1940/4/12 イリノイ州シカゴの生まれ。高度な音楽教育を経てジャズ界に入った。 60年トランペッターのドナルドバードのコンボを最初に幾つかのコンボを経験。62年に自己のグループで「ウォーターメロンマン」を発表。そして大ヒット。63年マイルスデイヴィスのグループに参加、その間多くの影響を受ける。69年には意欲的なサウンドを模索しつつ、シンセサイザー等の電気的サウンドに傾倒するが、早すぎた者の聴衆に理解を得ず、一時演奏を中断、宗教的思想に傾く。73年に LA に移り、「ヘッドハンターズ」を発表。アフリカンビートにあるれるサウンドはロックファンをも巻き込む。76年 VSOPを組織する。翌77年に世界ツアー。78年チックコリアとのピアノデュオで再び世界を巡る。 80年代に入り、「ロックイット」バンドを率いる。常に最前線のジャズシィーンを彩るミュージックリーダーでもある。
*参考アルバム

「The Prisoner」「Herbie Hancock Quartet」「My Point Of View」「Speak Like A Child」「Lite Me Up!」「Jammin/Hancock Quintet」「V.S.O.P Quintet Live In U.S.A」「Man Child」「Takin' Off」「Dedication」「Maiden Voyage」「H.Hancock and C.Corea in Concert」「Empyrean Isles」「Flood」「Mr.Hands」「H.Hancock Trio」etc.


BILL EVANS
ビルエバンス: 1929/8/16ニュージャージー州プレインフィールドの生まれ。54年除隊後、本格的な音楽活動に入る。初期にバドパウエルを模倣しながらジャズを学び、しだいにレニートリスターノ派のスタイルに傾倒、独自のスタイルを形成していった。特に、マイルスデイヴィスとの関わりは彼を大きく開花させる要因であった。マイルスのバンドに参加したピアニスト、ミュージシャンは全てといって良い程、彼から大きな影響を受け、歴史に残る偉大なアーティストとなっている。彼の才能やセンスはどれもエバンスにとって大きな触発であったに違いない。また、マイルス自身もこのピアニストから多くの事を学んだと述べている。58年春から冬までマイルス、セクステットに参加、キャノンボール、コルトレーンを含むセクステットで新しい感覚を発展させた事は言うまでもない。 59年スコットラファロと知り合いポールモチアンとのトリオを結成。61年夏、ラファロの死まで次々と秀作を残してる。エバンスの残した功績には計り知れないものがあるが、中でもバドパウエルを開祖として発展して来たピアノ奏法に対して、新しいコンセプトを加えそれまでの音楽の流れを変えてしまった事は大きな点である。また、これまでのピアノトリオの概念を新しく、相互のインタープレイを重視する対話的要素を取り入れたのもビルエバンスであった。マイルスによってもたらされたモードの要素をエバンスが引継ぎ、60年代のピアノシーンを大きく変えた人である。また、斬新な和声奏法を取り入れジャズに色彩表現を加えた人でもある。最もピアニスティックなピアノらしいピアニストであり、現代に至るまでの多くのピアニスト達が影響を受けている。ニューヨークのクラブ「ファッツチューズデイ」に出演中、演奏不能となり 1980/9/15死去。死因は肝硬変、気管支肺炎、出血性潰瘍であった。
*参考アルバム

「Waltz For Debby」「Explorations」「At The Montreux Jazz Festival」「What's New」「The Best Of Bill Evance」「Further Conversations With Myself」「Kind Of Blue」「Bill Evance At Town Hall」「recorded at SHELLY'S MANNE HOLE hollywood,california」「I Will Say Goodbye」「Undercurrent bill evance/jim hall」「B.Evance Trio/1963」「Easy to Love」「Alone」etc.


McCOY TYNER
マッコイタイナー: 1938/12/11ペンシルバニア州フィラデルフィアの生まれ。音楽熱心な母の影響で早くからピアノを学ぶ。住まいの近くに住んでいたバドパウエルから多くを学び、58年ニューヨークでジャズテットに参加。 60年にはコルトレーンのカルテットに参加し、広く知られるようになる。 65年の12月までコルトレーンカルテットでの活動意外に自己のトリオでアルバムを発表。独立後中編性のセッションメンバーとして意欲的な活動を行なう。ブラックナショナリズムの伝統をベーッシックにしたパワフルな世界を繰り広げ、モード系ピアニストとして独自のサウンドを展開している。近年ではソロイストとして活動する事が多い。
*参考アルバム

「The Real McCoy」「Inception」「Expansions」「Fly With The Wind」「Lookin Out」「Ole/John Coltrane's」「Playboy Jazz Festival1,2」「My Favorite Things」「Coltrane's Sound」 etc.


DAVE BRUBECK
ディブブルーベック: 1920/12/6カリフォルニア州コンコードの生まれ。幼い頃から専門的な音楽教育を受け、早くから意欲的な演奏活動を行なっていた。51年ポールディスモンドと結成したカルテットを皮切りに、特にCBS移籍後サンフランシスコを拠点に大活躍をした。特に全米のカレッジをツアーする事で若者に絶大な人気を博した。彼の特徴はハードバップとは異なった白人特有のクールで洒落たサウンドそのものである。彼はピアニストであると同時に優れた作曲家としても知られているが、自己のグループを率いるリーダーとしての功績も大きい。実にポールディスモンドとのグループは17年にも及ぶといわれ、ブルーベック個人の個性と一貫した音楽的信条といった強いものを垣間見る事ができる。近年ではオーケストラとの共演など、自己の音楽探求を深めまた、息子達を加えたカルテットで活動している。

*参考アルバム

「Time Out」「Gone With The Wind」「My Favorite Things」「Time Furter Out」「日本の印象」「USAの印象」「ニューヨークの印象」「Dave Digs Disney」


THELONIOUS MONK
セロニアスモンク: 1920/10/10ノースキャロライナ州ロッキーマウントの生まれ。17歳の時に教会の音楽隊に入ったのを切っ掛けに音楽活動を始める。40年ハーレムのミントンズプレイハウスが開店するとドラムのケニークラークと共に専属ミュージシャンとして雇われる。このクラブはディジーガレスピー、チャーリークリスチャン、チャーリーパーカーマックスローチ といったバップの開祖達の溜まり場となりモンク自身もそこで多くの演奏を行なったに違いない。一時幾つかのグループに参加したりしたが 44年以来一貫して自己のグループで活躍していた。55年にリバーサイドのオリンキープニュースのプロデュースで一躍、世に出る事になる。それまでは決してモンクの理解者が多いとは言えず、コルトレーンとのセッション、ソロピアノ作品などが出来るようになったのは大分後のことであった。CBS時代に入りモンクのリラックスした作品が多く、晩年はオーケストラの作品も残している。当時ビバップスタイルを作り出した人として常にモンクはパウエルと比較されていたが、モンクは唯我独尊といった形で独特のハーモニーとストラクチャーを追求した人であった。ミントスに集まる多くのミュージシャン達はビバップ特有のスピーディーなアドリブ、それに融合するコードチェンジを志向する中で唯一人かけ離れていた。それゆえ、音楽ファンのみならず、ミュージシャンからも理解してもらえず長い不遇時代を送ることとなる。いわば、孤高のピアニストとして、しかし、バドパウエルへの友情を示しながらも、後に独自のハーモニーとメロディーを生み出す偉大なピアニストとなって行った事は言うまでもない。82/2/17 ニューヨークで死去。
*参考アルバム

「Thelonious Himself」「Brilliant Corners」「Alone in San Francisco」「Solo Monk」「Monk」「Monk's Mood」「Nice Work In London」
「Solo On Vogue」「Round Midnight」 etc.


BUD POWELL
バドパウエル: 1924/9/27ニューヨークの生まれ。音楽一家に育ち、恵まれた環境のもとで早くからピアノを始めた。40年セロニアスモンクが演奏するミントンズプレイハウスに出入りするようになり、モンクから多くの示唆を受ける。この頃、モンクとパウエルはバップを生み出すピアニストとしてライバル関係の二人ではあったが、奇妙な友情で結ばれていたという話は有名である。音楽的に恵まれていたパウエルではあったが、精神的に障害を持っており、そんなパウエルをモンクはミントスへ訪れる度に面倒をみていたという。ヘロインでパウエルが逮捕された時なども、モンクは薬には無縁の人間であったが黙秘を続け共に60日間拘留されたのである。奇人ともいえるパウエルをモンクは敬愛に近い友情でささえていたともいえる。モンクとパウエルの奏法はまるで対照的でモンクが唯一人自らのメロディーやストラクチャーを追求する中、パウエル自身はまわりからは少なからず天才と呼ばれ、ジャズピアノがラグタイムからバップというジャズ革命が起こり行く偉大な個性に気が付かずにいたのである。華々しいテクニックによるスピーディーな8分音符のアドリブ。パウエルの 確立したこのホーンライクな奏法は、それまでもアートテータムなどがホリゾンタルな形で行なっていたが、彼は右手によるアドリブとそれに対応する左手のコードチェンジという形をジャズピアノスタイルとして確立させていった。彼は「ピアノのチャーリーパーカー」と呼ばれ、そのスタイルは後世のピアニスト達によって研究、継承されている。50年代の後半には入退院が繰り返され、病の合間をぬっての演奏が続くが、59年パリに移り死の直前まで欧州で活動している。バップピアノを推進し、モダンジャズピアノのパイオニアとしてモンクと並ぶバップピアニストの代名詞である。1966/7/31 生地で死去。
*参考アルバム

「The Scene Changes/The Amazing Bud Powell」「Jazz Giant」「The Bud Powell Trio/バドパウエルの芸術」「Monk & Powell」 etc.


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