ウェイン、ショーター(Wayne
Shorter)
1933/8/25ニュージャージー州ニューアークの生まれ。アート、ブレイキーのジャズメッセンジャーズでデビュー。65年9月マイルスバンドに参加。ハービー、ロン、トニーとの面々で第2期黄金クインッテットを形成する。ショーターは不思議なパーソナリティの持ち主だったようでその音楽はミステリアスで取り留めがなく、また何処へ発展して行くか解らないスリリングなもの。その反面、当時のフリージャズとはまったく違う伝統的なサウンドにのっとたものであったと言える。メッセンジャーズ在籍の頃のショーターは、モード手法の新しいジャズを推進するという重要な役割を担っていた。日頃の関心事はもっぱら宇宙やロケットであり、星を見てはメロディーが浮かび、また電波を受けて作曲を行なった等と話はどんどんと音楽と関係のない方向へと発展して行く。その話を聞いているとそれがまるでショーターのソロを思わせる展開で、
聴けば聴く程、また彼の演奏が聴きたくなるのだというから不思議である。この言うにいわれぬ感覚の持ち主でもあるショーターに目をつけたのがマイルスであった。コルトレーンがグループを退団して以来、自分にしっくりくるテナー奏者を見つけていなかったマイルスはショーターの演奏にすっかり魅了され、彼をグループに誘う。その勧誘の仕方は昼でも夜でも電話の攻勢、勿論、クラブにも顔を出す。そしてその執拗なラブコールが実り64年夏、マイルスクインテットに参加する。ここでの活躍は多くの人達の知る処であるが、すでに帝王と呼ばれていたマイルスを大いに刺激しマイルスのサウンドに大きく寄与する。特に「ESP」や「ネフェルティティ」で彼はクールなマイルスに激烈なまでのソロで応酬。グループのサウンドに絶妙なコントラストを加える。「プラグド、ニケルのマイルスディヴィス」はもう何も言わなくとも神がかったものを誰も止める人はいない。70年マイルスグループを離れジ
ョーザビヌルとウェザーリポートを結成。これまた時代の先取りサウンドで70年代のミュージックシーンをリードする。ソロイストとしてはVSOPを始め、多くのアルバムに参加。当代を代表するサックス奏者である。
*参考アルバム
「Speak No Evil」「Tribute To John Coltrane」「Super Nova」「Native Dancer」「Adam's
Apple」「Wayne Shorter」「Moto Grosso Peio」「Night Dreamer」「Miles Davis/complete
live at PLUGGED NICKEL」