お約束通り、今回はイスラエルよりで中東問題を述べさせていただきます。とにかく、いろいろな本をあさっていると、アラブファン、イスラエルファンが我が国に存在するのがよくわかる。とにかく、片方に固執しない方がいいのだけど、人間が甘いのか、どうも抑圧されている方に心が傾いてしまう(結局は軍事的に強い方が歴史を改竄できる)。全共闘時代の若者も幾分その様な弱気に味方するという正義感に酔っていたのかも知れないが、若者、特に知識がある者は熱き思いに駆られて反体制に傾きやすいものだ。ちなみに、落合信彦氏はPLOのアラファトはテロ組織を支援するタリバンのオマル師で、ハマスがビンラディンのアルカイダであると分析されています。そうするとアラブ諸国全土がアフガニスタンか?しかし、アラファトはアラブを支配しているわけではないし、ひょっとしてアラブ側に支配されているとも推測されるのだから、その比喩は当てはまらないかも知れない。いずれにしろ、今イスラエルはアフガンの論理でパレスチナを攻撃しているのではないだろうか?(あっ、アラブ寄りだ!いかんいかん)
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イスラエルという国は1948年以来、人口にして24倍、国土にして60倍の敵に囲まれ、4度にわたるアラブ諸国との中東戦争や、湾岸戦争でのイラクによるスカッド・ミサイルの攻撃にさらされながらも、そのたびに脅威を跳ね返して生きてきた。だからこそ、平和に対する願望はどの国よりもまして強いはずである。
さて、キャンプデービットという場所は、中東において大きな意味をもつ。78年、ベギン・イスラエル首相、サダト・エジプト大統領による和平交渉がカーター・米大統領の仲介により、画期的な合意がなされたのは、皆さんも思い出されるのではないでしょうか。
その翌年の79年、イスラエルとエジプトは平和条約を調印(要するに、エジプトがアラブで最初にイスラエルという国を承認したということか)。しかし、その後の81年、サダトの暗殺はアラブのサダトに対する怨念の深さを浮き彫りにした)。しかし交渉はその後も続き、82年には第三次中東戦争(67年)で、イスラエルが奪い取ったシナイ半島をエジプトに返還されることになる。
アラブ諸国のリーダー格だったエジプトのサダト、方やイスラエルの右派のベギン。二人のナショナリストの握手は中東問題においては大きなターニングポイントになったのではなかろうか。
その様なわけで、昨年のクリントン、バラク、アラファト三者によるキャンプデービットも78年同様成功裡に終わりたかったのだが、アラファトはイスラエルのバラクとの握手はまだ温度差もあり時期尚早と考えたようだ。
クリントンにしてみれば、「エルサレム問題」(エルサレムはユダヤ、イスラム、キリスト教の聖地である。特にユダヤでは3004年前?にダビデ王によってユダヤ王国の首都がそれまでのヘブロンからエルされるに移された故、特にユダヤ側がこだわるのだ)だけは継続論議とする「逃げ道」を用意したにも関わらず、アラファトが椅子を蹴ってしまったのだ。
この結果をもたらしたのは(これは落合信彦氏が取材されてでの見解です)、クリントンが沖縄サミット参加のために来日していたとき、アラファトが掛けた一本の電話だった。その相手とは、その時にサウジアラビアのリヤドに滞在していたエジプトのムバラク大統領と、サウジアラビアのファハド国王の二人。この電話で、彼らはアラファトに「エルサレム問題を先延ばしにせず、交渉のテーブルに載せろ」と指示したのである。
パレスチナ自治政府と言う組織は、確固たる収入源を持たない、いわば「おもらい組織」であり、その資金はオイルマネーで潤うサウジなどのアラブ諸国の援助によって成り立っている。逆に言えば、たとえ独立したとしても彼らの言うことに逆らうことができない宿命を負っているのだ。
かつて47年に、国連がパレスチナをユダヤとアラブに分割するという案を提示したことがあったが、パレスチナはこれを拒否。その結果、翌48年にイスラエルが独立宣言を行い、これに対してアラブ諸国は第一次中東戦争を起こし、半世紀以上も続く血みどろの歴史を生んだ。実は、この時も昨年のキャンプデービット同様、国連案(昨年のはアメリカ案)をパレスチナにけらせたのがアラブ諸国だった。この時に国連案を双方が受け入れていたら、ひょっとして丸く収まっていたかも知れない。少なくとも、現在までの混乱を引き起こすことはなかったのではなかろうか。皮肉にも「2000年キャンプデービット」は、中東に光をもたらした「78年キャンプデービット」の再現でなく、悲劇をもたらした「47年国連案拒否」の再現となってしまった。そして、今2001年の最後を飾り、落合氏が危ぶんだシナリオは今まさに繰り広げられようとしている。この話まだ続きます。参考文献・2000年サピオ9月27日号より。
2001/12/21/4:30/
旧約聖書12月13日から途絶えていたので、以前の資料で取り繕います(冒頭に昨年の中東問題も述べてあります)・その他中東問題関係は各自クリックして下さい。
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2001/12/24/2:15/
12月22日付け読売新聞によれば、ハマス(イスラム原理主義)はアラファト議長との「内戦」を避ける思惑もあり、自爆停止声明を発表したと思われる。背景には、最近反テロ国際世論の中でテロを続行すれば、パレスチナ人の抵抗運動自体が正当性を失いかねないと言う強い懸念による。連続テロでイスラエルから関係断絶を宣言された危機に直面したアラファトが16日、武力攻撃の停止を呼びかけたのに対しハマスは「殉教作戦(自爆テロ)をテロと断じるのはパレスチナ人に邪悪な戦いを挑んでいるシャロン(イスラエル首相)に正当性を与える」と今まで拒否していた。
さて、前回の続き、イスラエル寄りで中東問題を語ってみることに致しましょう。
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今中東において、和平プロセスの場で譲歩することは、大きなリスクをともなう。「国家の裏切り者」として暗殺される危険があるからだ。81年のエジプトのサダト大統領のケース、そして94年のパレスチナ先行自治協定を実現させたイスラエル首相ラビンが翌95年に同じユダヤ人に暗殺されたのは記憶に新しい。
昨年のキャンプデービット決裂後、アラファトは世界各国を回り、独立に理解を求めたが、ロシアやヨーロッパ諸国の答えは「ノー」だった。その理由は、一方的に独立宣言した場合には取り返しの付かない第五次中東戦争と言うこともあるからだ。それに、アラブ諸国の計算としては「独立まで突っ走らせるのはまずい」と考えている。なぜなら、アラブ諸国の思惑は、「現状維持」、すなわち、イスラエルとアラブ諸国が握手もせず、かといって戦争も起こさない状態がベストなのだ。戦争という事になれば、アラブ諸国もパレスチナと共に戦わざるを得ない。アメリカとイスラエルに彼らが勝てるわけがない。
はっきり言えることは、もはやパレスチナ問題を解決するためにはイスラエルとパレスチナの話し合いや合意だけでは意味がないと言うこと。パレスチナの「保護者」であるエジプトやサウジアラビアなどのメンタリティを踏まえた上でないと、解決は不可能なのだ(とはいえ、エジプトもサウジもアメリカに恩義があるのではないか?)。
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これまで述べてきたことは昨年のサピオ9/27号の落合信彦氏の見解を引用させてもらいました。あれから21世紀を迎え、イスラエルは労働党のバラクにかわり、落合氏自身が昨年直接インタビューされた(タカ派)リクードのシャロンが首相に選出されました。落合氏は武闘派のシャロンを尊敬してやまないようで、「和平」を叫ぶだけの代表者では本当の解決は得られないと言い切られ(バラクはアメリカを頼りすぎたのでしょうか)、シャロンこそが和平の道を推進するその人であるとされました。実際シャロンは演説で「テロによる戦争が我々に向けられている。そのすべての罪はアラファトにある」と、これまでパレスチナ和平交渉の相手であった、アラファトを名指しで糾弾しました。それもそのはず、調べてみますとシャロンとアラファトは何度も何度も血みどろの戦いをしてきて宿命の間柄、死ぬまで戦わなければいいけない星の下に生まれているのだ。
落合氏の今回のサピオの文面に寄れば、イスラエルの攻撃はもはやテロに対する「報復行為」ではなく、イスラエルの生存を賭けた「戦争」、「第五次中東戦争」と見るべきだと・・・・・。
ちなみにシャロン首相登場により、1993年の暫定自治合意(オスロ合意)は反古にされたのでしょうか。
オスロ合意→オスロ合意の基本理念は、パレスチナ人を民族として認め、その独立国家をヨルダン西岸とガサ地区に樹立する。
結局、イスラエルは西岸・ガサから一歩たりとも撤退することはないのでしょう。では、第五次中東戦争を回避する手だてはあるのでしょうか?それとも落合氏が思われるように、シャロン首相による右傾の恩恵はあるのでしょうか?今後も中東情勢から目が離せない。
2001/12/25/2:00/
ユダヤ国際資本が世界を支配しているとか、世界の紛争の種はいつも彼らの仕業だとか、現在においてもまことしやかにささやかれてはいるのだが、しかし、ヒトラーの「我が闘争」にみられるように、諸悪の根元はユダヤとの危険思想を目の当たりにすると浅薄な情動で見解を吐露するのははばかられるだろう。とは言え、ヒトラー研究者にとっても彼がユダヤをあそこまで憎みきるに至る根本原因は未だに解明されないようだ。それほどユダヤ問題は複雑怪奇な問題なのだ。ヒトラーは2.30年後には自分の考えが証明されるだろうとの遺言を残し命を絶った。しかし、彼が死んでからすでに半世紀以上が過ぎた。ユダヤ問題は21世紀の今も混迷を続けている。それは何故か?とは言え、ヒトラーの常軌を逸した行動が我々にむやみな差別の戒めを与えるのも確かなのだ。
さて、記述したパレスチナ国家絶対反対ユダヤ人の意見によるセキュリティー問題だが、どうも気になるので調べてみました。
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前首相であるイスラエル首相バラクはキャンプデービットで、ヨルダン川西岸(ウエストバンク)地域の90%以上返還と言う妥協案をアラファトに提示したという。ここに完全主権を持つパレスチナ国家樹立となれば、ヨルダン(国名こそヨルダンだが、パレスチナ系アラブ人が人口の7割も占める実質的パレスチナ国家だと落合氏はいう)から続く「大パレスチナ圏」が形成されることになる。となるとヨルダン王国(ハシマイト王国)は存亡の危機に瀕するし、同時にそれがイスラエルに与える影響は甚大だ。今の首相シャロンの言では「ウエストバンクでパレスチナ自治権を与えるのは反対しない。しかし、問題はこのエリアでイスラエルがレーダーを設置し、制空権を支配し、更に軍隊を自由に動かせることができなくてはならない。ウエストバンクでの活動を封じられたら我が国は息の根を止められるに等しい」と。シャロンがウエストバンク(ヨルダン川西岸)にこだわるのは、国の存亡に関わるのだから当然といえる。
イスラエルは南北に細く国土が伸び、中央の丘陵地帯によって東西に分かれている。ウエストバンクは丘陵地帯の東側の部分だ。つまり、そこに軍隊を展開できなければ、テルアビブなどの西側、すなわちイスラエルを支える基盤となるエリアが直接攻撃を受ける危険をまねく。91年の湾岸戦争でテルアビブはイラクのスカッドミサイルによる攻撃を受けたが、被害はごく小さなもので済んだ。もしウエストバンクに軍隊を展開できない状態で、そこにパレスチナ人の手引きにより、イラク軍が入ってきたら、もはやスカッドなど必要でなく、大砲だけでオッケーだろう。
それゆえ、バラクに対するシャロンの見方は手厳しいわけで、アラファトに甘いバラクは結局支持を失いシャロンにバトンタッチということになったのだ。
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ちなみに、ここでシャロンの経歴をのぞいてみることにしよう。
シャロンは1928年生まれの現在73才。48年の第一次中東戦争(イスラエル独立戦争。アラブの呼称では、ナクバ、破局だ)に参加して以来、主要な戦争だけでも56年の第二次中東戦争、67年の第三次中東戦争(六日戦争)では装甲師団長としてシナイ半島侵攻作戦で名を馳せた。さらに、69年〜73年にかけてのいわゆる千日戦争(持久戦)を指揮し、73年の第四次中東戦争では(日本はアラブよりというより油寄りと揶揄された)では、戦車師団を率いてスエズ渡河作戦を指揮。73年に退役した後、ベギン首相率いるリクード党の結成に参画。翌年国会議員に。77年、ベギン内閣で農水相として入閣した後、外相、商工相など6つの大臣を経験している。国防相在任中(81〜83)には、レバノン侵攻作戦を指揮した。このように、シャロンはばりばりのナショナリストだ。イスラエル建国以来、常に戦いの場に身を置き、華々しく活躍してきた。イスラエル国民にとって彼は「英雄」なのだ。
前回も言ったと思うが、アラファトとシャロンはずっと昔から戦い続けているのだ。おそらく、二人は死ぬまで戦い続けるのだろう。しかし、中東問題が解決するかとといえば、おそらく二人の戦いのごとく終わりは見えないのかも知れない。参考文献・サピオ2000/10/11号より。
2001/12/26/5:30/
『戦争の世紀』と呼ばれた20世紀が終わり、明るい希望に溢れた21世紀が到来したと誰もがある種の期待感をもっていた約1年前、誰が米国への大規模テロと報復戦争で新世紀がスタートすることを想像したでしょうか。
皮肉にもその一方で、米露が対テロ戦争で協調姿勢をとる中で両国の溝を一気に埋めるなど、かつての敵対国家が手を取り合う現実も生まれている。
今世紀、世界は果たしてどこに向かっていくのか』
「サピオ新年号」が、こう綴るように、世界そして我が日本国はどこへ行こうとしているのか・・・。
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昨年から50の手習いとしてはじめた「ヒストリアイ」、参考文献の重要と思われる部分、引用に引用を重ねているうちに「ユダヤ」に突き当たってしまった。今回のテロもユダヤが関係あるらしい。ビンラディンも言ってはばからないではないか「アメリカとユダヤ」に対するテロ、いや聖戦(ジハード)なのだ、と。
歴史においてユダヤで記憶に新しいのは、何と言ってもヒトラーの「ホロコースト」だろう。その前が、ロシアの「ポグロム」。ことほど左様に、ユダヤ人は近代においても迫害を受けてきた。それは何故か?さらに疑問なのは、一体全体、ユダヤ人とは誰なのか、それともユダヤ教が迫害の原因なのか?どうもわからない。
というわけで、今年最初の「ヒストリアイ」は、ユダヤ人とは誰か(民族か宗教か)?を追求したいと思います。2002/1/8/3:30/
ユダヤ人とは誰か・・・・・想像力をはたらかせてみよう。ユダヤ人という民族がいるのか?それとも人種なのか?一つの宗教を信じるユダヤ教とと呼ぶべき存在なのか?それらを合わせたものなのか?
英和辞典で"Jew”を引くと、ユダヤ人、ユダヤ教徒、守銭奴(ほんとうなんだね)などと書かれている。これらは欧米の辞書に倣ったからこうなったのだろう。この辞書のなかの"Jew”と言う言葉自体、すでに問題をはらんだ言葉だと言ってよい。
それでは一般に信じられている「ユダヤ人」の定義や特質は?
まず身体的なもので「ワシ鼻(鉤鼻)」が特徴であり、聖書時代から続く血を持つというもの。これは本当だろうか?
ニューヨークは、世界で一番ユダヤ系の住民の多く住む都市だ(今回のテロもそこで起こった)。そこの人々の間でワシ鼻の占める率は、アメリカの他の白人一般の中のワシ鼻の占める率より少ないという。
「ユダヤ人」が同じ血をもち、同じ身体的特徴を持つ民族だと考える人は、一度イスラエルに行って見ればわかるという。そこではインドから来た人々は、まったくインド人の体型をしてターバンを巻いており、アフリカの真っ黒な人々、中国人とぜんぜん変わらない人々、東欧の人々、アラブの人の特徴をすべてもつモロッコやイエメンの人々がいて、まるで民族のルツボであるらしい。これは笑い話だが・・・ヨーロッパからきたユダヤ人が、イスラエルは白人の国だと思っていたら、そこには肌の色が黒色も褐色も黄色もいて、みんながみんな自分はユダヤ人だと言っていたので、ガッカリして国をでていく、というものだ。
もし聖書の時代のユダヤ人と言う存在と、もっとも近い姿形をもち、同じ血を受け継いでいる人々を探すとすると、そうした人は現在のパレスチナ人に見いだせる(イエスだってセム系だと思うよ)。聖書を忠実に読むとすると、モーセもダビデもソロモンを雑婚をし、混血をくりかえしている。ソロモンは700人の妻と300人の側女をもち、それぞれの出身の宗教を自由に拝ませ、子供もユダヤ人という枠組みから排除したわけではなかった(しかし、そのために主の怒りをかったかも知れない)。そのソロモンも、ダビデとヒッタイト人との妻との間に生まれている。続く・・・2002/1/10/3:10/
11日の読売新聞のイスラエル・パレスチナ関連の記事を見ると、落合信彦氏が言うように第五次中東戦争というのもまんざら脅かしでもないように思える。さらに、ロシアのプーチンもチェチェン制圧を強化しているという。かの学者が言うように、「文明の衝突」と言うものが起こりうるのか。冷戦が崩壊し向き合う相手がいなくなったと思ったら今度は西欧とアラブ(イスラム)という構図になるのだろうか。
さて、前回の話の続きを致しましょう。
ナチスは「ユダヤ」はアーリア人の純血を汚すから、同化を認めないと決め、その人の祖父母のうち3人までが「ユダヤ人」なら、その人は「ユダヤ人」であると規定した(ニュールンベルク法=ナチの定義は単純明快。ユダヤ人でありそしてまたユダヤ人であるものがユダヤ人である。つまり、三代先まで遡れるのがユダヤ人だ)。
この法の制定によってユダヤ人は隔離され、追放され、そしてやがて虐殺(ジェノサイト)されていったのである。
さて、ユダヤ系の人は頭がいい、と言うのは当たっているだろうか。たしかに、ノーベル賞の半数以上がユダヤ系と言われている。芸術家にもユダヤ人が多いのは確かだ。
しかし、イスラエルにおいては、欧米のユダヤ人(アシュケナジー)が、東洋系ユダヤ人(セファラディ)を、頭が悪くてのろまで何もできない、と言って軽蔑の言葉を吐くというのだ。本当なんだろうか?イスラエルにとって、頭がいいのは白い「ユダヤ人」の特性だと考えられているのだろうか。これは両者の出自を調べてみたくなりますよね。
ユダヤ系の人は金銭に卑しい、と言うのはどうだろうか?シェークスピアの「ベニスの商人」のシャイロックがユダヤ系の人の典型なんだろうか?シェークスピアのような人だから何も根拠がないものを書かないだろう。
キリスト教世界ではない日本では、実際にその人がユダヤ系の人かどうかは問題でなく、欧米人として対応してきたのではないだろうか。アメリカ人とかフランス人とか言う区分をしてきたと思う。しかし、日本人がユダヤ系の人の特質として理解していることは、すべて欧米のキリスト教世界の言うことをそのまま翻訳したものだった。この問題は、何故ユダヤ系の人が迫害されたのか、と言う問題と強く結びついている。続く。2002/1/11/2:35/