目次
[MUSICA MUNDANA No.63] 2006年04月30日 発行

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 「MUSICA MUNDANA No.63」をお届けします。

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           MUSICA MUNDANA NO.63
             Apr.30.2006
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             ◆ 目次 ◆

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 ◎ 音楽史
    ◆最も初期のトルバドール◆
 ◎ 数学史
    ◆インド(500年から1000年)◆
 ◎ Homepage Updated (Apr.25.2006)
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 ◎ 随想
 ◎ あとがき
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━━[音楽史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆最も初期のトルバドール◆

 俗語で書かれた歌は、主に、アキテーヌ公ウィリアム9世の下で形成さ
れ始めたラング・ドク(langue d'oc)のリムザン(Limousin)方言で書かれま
した。ウィリアム自身がトロバドール(trobator)で、1120年に第一回
十字軍から帰還した後、彼の軍事的不幸をユーモラスに描いた物語「武勲
詩(chansons de geste)」で、高貴な聴衆を楽しませていました。

彼の詩のうち2〜3は、かなり猥褻なもので、現存するのですが、音楽は
一つの断片しか残っていません。たまたま、14世紀の Jeu de sainte
Ange`sの中に保存されていたものです。この断片は、別れの詩に付けられ
ていたもので魅惑的なものです。なぜなら、それは、先に述べた「聖マル
ティアリス(サンマルシャル)写本」の「Amus novus in gaudio」の旋律
の初めとほとんど同じだからです。

ギョームの詩全体は、聖マルティアリス(サンマルシャル)の旋律に合わ
せて歌うことができます。教会音楽との類似性は、また、残存する4つの
マルカブル(Marcabru)の旋律の中でも示されています。彼は、1137年
に死ぬまで、ウィリアムの息子ウィリアム10世の庇護を受けていました。

 ウィリアム9世もマルカブルも、後のトルバドールの詩では非常に重要
になる、ちょうど姿を現し始めていた得ることのできない貴婦人への「宮
廷の愛」を認めていません。実際、マルカブルは、彼の「Dirai vos senes
duptansa(私はすぐさまあなたに言おう)」の中では、それを攻撃さえし
ているのです。

宮廷愛(アムール・クルトゥワ(amour courtois))が最初に花開き、「ブ
レアのジョフレ・ルデル(Jaufre Rudel de Blaia)」によって最初に歌われ
たのは、フランスの女王で、続いてイングランドの女王となり、リチャー
ド・ライアンハート(Richard Lionheart)の母となった、ウィリアム10世
の有名な娘、エレアノール(Eleanor)の下ででした。

ジョフレ・ルデルという人物は、エレアノール同様に、第二十字軍に出征
していました。ジョフレの「Languan li jorn son lonc en mai(五月に日
が長くなると)」は、「L'amor de lonh(遠くからの愛)」の古典的表現
です。それは、また旋律的に凝ったものでもありました。それぞれのスト
ロフィの一行目と二行目の音楽は、三行目でも四行目でも繰り返され、五
行目は5度高くに移調され、六行目はそのままで、七行目で元のピッチに
戻ります。

技法の巧妙さと精妙さは、最初からトルバドールの詩と音楽に特徴的なも
のでした。その詩と音楽は、12世紀後半に、一層十分に咲き誇ることに
なります。それは、閉ざされた貴族社会の芸術でありました。

 トルバドールは、しばしば、彼ら自らの歌を歌いましたが、彼らが歌の
伴奏をしたり、楽器の伴奏をしたりしたという証拠は、奇妙なことに欠け
ています。しかし、教会に認められなかった下層階級の流浪の職業芸人た
ち、ジョクラトーレ(joculatores)あるいはジョングルール(jongleurs)、
彼らのことを私たちは9世紀頃に初めて耳にするのですが、ヨーロッパ中
で知られていて、宮廷や城内から村の旅籠に至るまで、至る所で演奏をし
ていました。

ドイツではガウクラー(Gaukler)、ロシアではスコモロキ(skomorokhi)(ネ
ストルの年代記によれば、1068年にすでに存在していた)として知ら
れますが、彼らは、歌の歌い手でもあれば、あらゆる種類の楽器、奇術師
や家庭教師(bear-leader)と同様、しばしば弓形のヴィエィユ(vielle)の演
奏家でもありました。彼らの中には、貴族たちに仕えて定住し、主人の歌
を伴奏したような人もいました。どうしてそのようになったのかは、全く
別の開かれた問題ですが、13世紀より古い証拠は何もありません。
 
 
━━[数学史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆インド(500年から1000年)◆

 500年から1000年までの時代、インドには4人から5人の優れた数学者が
いました。これは、二人のアーリヤバタ(Aryabhata)、天文学者のヴァラー
ハミヒラ(Varahamihira)、ブラフマグプタ(Brahmagupta)とマハーヴィーラ
ーカーリヤ (Mahaviracarya)です。これらの著作家の著作は、余りにも優
れたものと陳腐なものとが混合しているので、彼らの資質についての判断
は、研究者の個人的な同情・共感に大きく依存することになります。アラ
ビアの歴史家、アルベルニ(Alberuni)(1000年頃)は、彼らの著作のこうし
た特異性について、次のように語っています。

 「私は、彼らの数学的及び天文学的文献を、真珠貝と酸っぱいナツメヤ
シ、あるいは真珠と動物の糞、あるいは高価な水晶とどこにでもある普通
の小石にたとえることができるだけだ。どちらも、彼らの目には同じよう
に見えていた。なぜなら、彼らは厳密な科学的演繹法に高めることができ
なかったから。」

 私たちに伝えられている偉大な著述家のうち、第一に挙げられるのは、
年上のアーリヤバタです。彼は、花の都(the City of Flowers)、ちょうど
ガンジス川との合流点にあるジュンマ(Jumma)の小さな町、クスマプラ

(Kusumapura(Kousambhipura))に生まれました。その場所は、現在のパトナ
(パトナー)(Patna)から遠くなく、回教徒たちからはアジマバード
(Azimabad)と、古代の仏教徒からはパータリプトラ (Pataliputra)
(Patoliputra)と、そしてシリアの使節、メガステネス(Megasthenes)から
はパリバトラ (Palibathra)と呼ばれています。

地理的な近さから、アーリヤバタは、しばしばパータリプトラで生まれた
と言われます。伝承によれば、その都市は、元来、パータリプトラカ
(Pataliputraka)と呼ばれ、魔法の杯と杖、上靴の騎士で、王女パータリ
(Patali)と結婚したプトラカ(Putraka)によって創建された都市です。更
に、伝承によれば、ブッダは、その生涯も終わり頃、この地点でガンジス
川を横断し、その都市の偉大な未来を予言したことになっています。

5世紀の初め、そしてアーリヤバタが生まれる1世紀ほど前までには、そ
の都市は古代の威光をいくらか失っていました。というのは、すでに述べ
た中国の旅行家、法顕(Fa-hien)が、アショカ王が天才たちに建造するよう
命じた王宮の廃墟について記述しているからですが、また、彼は、著しい
歓待を受けたこととその他の建物はまだそこにあるとも語っています。

アーリャバタは、明らかに、そこで、あるいはクスマプラで著述をしまし
た。彼が、著作の一つで、次のように語っています。「ブラーフマ、大地
(地球)、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星、そして星座に敬意
を表しながら、アーリヤバタは、花の都で尊き学問を明らかに説き明かす。」

 彼の著作が、すぐ後の数世紀、ヒンディーの学者たちに知られていない
のは、恐らく、アーリヤバタが、数学と天文学との古代の中心ウジジャイ
ン(Ujjain)から遠く離れたところに住んでいたからでしょう。


━━[随想] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆ verse(韻文)とprose(散文)◆

 この間の英文法の問題集を読んでいると、verse(韻文)と prose(散文)は
対義語だというのが出てきたのだが、子供たちに聞いてみると、韻文と散
文の違いについてどうもよく分かっていない風であった。

そうか、最近の子供たちは、韻文と散文の区別も分からないのか、と思っ
たのだが、正直なところ、私たちの世代から、実は怪しかった気がしない
でもない。

で、今日は韻文と散文のお話。

「韻文とは、韻を踏んでいる文章。散文とは、韻を踏まない文章。」とい
う風に説明はするのだが、じゃあ「韻って何?」と聞くと、これもまた、
なかなか答えられない。

韻と言うと、頭韻とか脚韻とかで、押韻ということになるのだが、日本の
韻文はというと、どうも西洋の韻文とは少々違う感じがしないでもない。

そこで、辞書で確かめてみると、確かにそうだ。韻文には二つの意味があ
った。

(1)(漢詩・賦など)韻を踏んだ文。
(2)(詩や和歌・俳句など)韻律を整えた文。

漢詩などは韻を踏む韻文であるのだが、日本の詩歌、つまり日本の韻文は、
基本的に韻律を整えた文、つまり定型詩文のことなのだ。

そこが紛らわしい。日本の詩歌は、七五調であったり五七調であったりと
いうことで、それが韻文と言えばことは簡単なのだが、最近の詩歌は、特
に詩を作るというときの詩は、ほとんど口語自由詩ではないのか。それは、
果たして韻文なのかと言われると、私は非常に困ってしまう。

韻を踏んでいるわけではない。(まれに韻を踏んでいるものもあるかも知れ
ないが) 韻律を整えた定型詩文でもない。一体、それは何なのか。散文詩
との違いは、わかち書きだけではないか。実に困った話である。

で、一応、ここでは、日本の韻文は定型詩文に限ることにしておこう。別
の意見の人もいるかも知れないが。韻文=詩文ではないということである。

ついでに言うと、西洋の韻文は、明らかに韻を踏んだ韻文である。韻を踏
んでいないものは散文である。英語でも、ロシア語でもイタリア語でもそ
うだ。詩を朗読するときには、最低限必要な知識でもある。いつかそんな
話もしてみたいなと思っている。


━━[催し物情報]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆日本画の魅力−美しき人と心 人間表現、明治から現代まで◆
  期間     2006年4月29日(土)〜2006年6月11日(日)
  会場     徳島県立近代美術館
  概要     明治から現代まで、日本画家たちは、どのように人を表
 してきたのでしょうか? 美しい女性や歴史的な人物、自然のなかで暮
 らす人、母と子、家族たち。この一世紀あまりの間に、伝統的なものの
 よさと新しさとが織りなされ、多彩な表現が生み出されてきました。本
 展では、人間表現の流れを大きく見わたすとともに、「女性による表現」
 「心の奥に分け入って」、「婚礼のよろこび」などの視点や解説をもう
 けて、日本画の魅力を多方面から楽しめる展示にしたいと考えています。

 徳島県立博物館の催し物情報は、以下のサイトをご覧ください。
      http://www.museum.comet.go.jp/

━━[メルマガ紹介]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 知人が発行しているメルマガです。興味関心のある方はどうぞ。
  「知」とIT/ビジネスへのTIPS
  金融と経済/「人生」のボスに、 自分がなる為のAtoZ
 URL http://kinyuu-literacy.hp.infoseek.co.jp/

━━[Homepage Updated]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ホームページ update情報

 落書き帖第179号
 Plato "The Republic" を読もう
   http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/cgi-bin/plato/wforum.cgi
 各国語で聖書を読む
       http://hpcgi1.nifty.com/m-souda/bbs6/wforum.cgi
 ロシア語初級コースのテキストを読む
       http://hpcgi1.nifty.com/m-souda/bbs4/wforum.cgi

 MySouda--惣田正明のホームページ
        http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/mysouda/
 TeleScope WebPage--MySouda Information Page
   http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/index.html (English)
   http://homepage1.nifty.com/m-souda/ (Japanese)
   http://www004.upp.so-net.ne.jp/mysouda/ (Japanese)
 AIHARA Hiroaki's Page (English)
  http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/mysouda/aihara/index.html

 [MUSICA MUNDANA]Doblog版 
        http://www.doblog.com/weblog/myblog/3403

 JavaScriptや DHTMLに対応していないブラウザをご使用の方、あるいは
 重くて仕方のない方は、[SIMPLE版]をご覧ください。

━━[あとがき]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 4月もはや終わり。周囲の田圃では、はやくも田植えの終わっていると
ころも目に付くようになってきました。

 今日からのゴールデン・ウィーク、いろいろと予定のある人も多いでし
ょうね。私は、特に予定はありませんが、例年よりはまめに動き回りそう
な感じではあります。

 楽しいゴールデン・ウィークでありますように。


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