目次
[MUSICA MUNDANA No.62] 2006年03月30日 発行
 
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 「MUSICA MUNDANA No.62」をお届けします。

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           MUSICA MUNDANA NO.62
             Mar.30.2006
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             ◆ 目次 ◆

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 ◎ 音楽史
    ◆世俗の歌と俗語の歌◆
 ◎ 数学史
    ◆7世紀から10世紀◆
 ◎ Homepage Updated (Mar.25.2006)
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 ◎ 随想
 ◎ あとがき
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━━[音楽史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆世俗の歌と俗語の歌◆

 世俗歌

 記譜を可能にする方法が次第に工夫されるようになって、それまでその
真の姿を覆い隠していた世俗の歌が、闇の中から姿を現すようになります。
私たちは、シャルル・マーニュのための哀歌 "A solis ortu usque ad
occidua"や「聖マルティアリス(サンマルシャル)」写本 Bibl.Nat.lat.
1154の中にある9世紀初め頃の歌については、少し懐疑的ではあるのです
が。「A solis ortu」の音域は、テトラコードに限られているように思え
ます。

同じ時期のスペインの写本(Madrid.Bibl.Nac.10029)は、二つの民衆の「ナ
イチンゲール」の歌、「Sum noctis socia, sum dulcis amica(私は夜の
女仲間、私は甘き女友達)」(Berne 36の中にも見いだされる)だけでな
く、西ゴート支配者のための同様の planctus(哀悼の歌)を保存していま
す。別のナイチンゲールの歌「Philomela demus laudes(フィロメーラは
賛美する)」は、15世紀になっても様々な資料の中に現れます。

ホラティウス--5つのオード(Ode)--やユウェナリス(八番目の風刺詩
(Satire)の一部)ウェルギリウス(アエネイスの一節)、そして、ボエテ
ィウスに作曲されたものもあります。恐らく、ゴリアルディの作曲でしょ
う。その音楽は、読みうる限り、教会の音楽の旋律と似ているようでもあ
ります。しかし、一つだけゴリアルディの歌には、性格が決定的に異なっ
ているものがあります。Cambridge,Univ.Lib.Gg.v35の中にある「O
admirable Veneris ydolum(おぉ、すばらしきウェヌス(ヴィーナス)の
幻影よ)」という言葉で始まる、旋律は譜表のないネウマで記されている
ものです。

 俗語の歌

 俗語というのは、ラテン語ではないという意味ですが、知られている最
も初期の俗語の歌は、恐らく、10世紀のプロヴァンスの--あるいは、プ
ロヴァンスの書写生によって手が加えられたフランス語の--受難物語でし
ょう。(Clermont-Ferrand 189)

   Hora uos dic uera raizun
   de jesu xpi passium
   (今から、イエス・キリストの受難の真の物語を(私は)君たちに
    話そう。)

 それは、4行のストロフィが149にも及びます。残念なことに、その
音楽は、一部プンクタ(puncta)で、一部はメッスのタイプの「引っ掻いた
 (hooked)」ネウマで書かれているのですが、判読できません。

しかし、物語「武勲詩(chansons de geste:songs of deeds)」、11世紀
の「ギヨームの歌(Chancun de Guillelme)」、「ゴルモンとイザンバー
ル(Gormont et Isembart)」、偉大な「ロ-ランの歌(Chanson de Roland)」
その他のものは、判読できない音楽の記譜さえない状態で、私たちに伝わ
っているのです。しかし、私たちは、後の資料、パリのヨハネス・デ・ク
ロケオ(Johannes de Grocheo)の「音楽について(De Musica)」(1300年頃)
から、cantus gestualis(武勲詩)は、たいていは同じ韻で終わる多くの
短い詩行でできており、同じカントゥスは、どの詩行でも繰り返さなけれ
ばならないことを学んでいます。

恐らく、年を経た叙事詩の技法でしょうし、確かに、19世紀まで残って
いたロシアの民衆叙事詩ブィリーナの技法でもあります。今日まで残って
いるそうしたカントゥスの一つが、Brit.Lib.Royal 20 A XVIIのバタイユ
・ダネザン(Bataille d'Annezin)のカントゥスです。

 ついでに言うと、ヨハネス・デ・グロケオは、「武勲詩」は、老人や労
働者、一般の市民たちが、労働から休息しているときに歌われるべきであ
り、そうすれば、他の人々の悲惨さや不幸を聞くことで、自らの苦しみに
一層耐え、元気を回復して仕事に戻れると述べています。典礼劇のように
--そして、教会の壁画や教会の正門にある彫像のように、それらは、当然
劇と関連があるのですが--「武勲詩」は、学識のない人々のための芸術、
一般の人々のための芸術ではあるのですが、決してそうした人々の創り出
した芸術ではありません。

 
━━[数学史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆7世紀から10世紀◆

 7世紀で最も優れた中国の数学者は、王孝通(Wang Hs'iao-T'ung)でした。
623年と 626年に生きていたことが知られています。彼は、暦学の専門家で、
三次方程式について書いた最初の中国人の一人でした。彼の著作、緝古算
経(Chi-ku Suan-king)は、そのほとんどが現存しており、測量術について
20の問題が含まれ、これらの問題のいくつかに三次方程式が入っていま
す。しかし、そうした方程式を解く方法は与えられていません。

 8世紀には、数学の重要な著作は何もありません。727年、一行(I-hsing)
は、新しい暦、大衍暦(Tai-yen li)を考案し、2世紀後(925年頃)、いくつ
か価値のある占星術の論文が現れますが、そのいずれにも暦に必要なもの
以上の数学は全く含まれていません。西洋の暗黒時代は、東洋にも広がっ
ていたのです。

 日本では、AD500年以前から、日本が知的に発達していく中で、中国の影
響が姿を現し始めていたのですが、何らかの明白な[影響の]結果に気づく
のは、522年仏教が伝えられ始めるようになってからのことです。実際
552年には正式に仏教が伝えられ、二年も経たないうちに、暦法に関連
する事柄に造詣の深い二人の学者が、朝鮮を通って日本に中国の暦学の体
系をもたらしました。

600年頃には朝鮮の僧侶、勧勒が占星術と暦法に関する一連の書物を女
帝[推古天皇]に献上しています。皇子の聖徳太子は、(計)算学に非常な
興味を示したので、それ以後、日本算術の父という伝承が生まれました。

 それ以来何世代にもわたって、日本はあらゆる知的生活において、完全
に中国の影響の下におかれることになります。中国の度量衡の体系が採用
され、算術の学校が創設され(670年頃)、同じ頃、天文観測所が設立
されました。701年、大学の制度が始められ、九つの中国の書物、周髀
算経(Chou-pei Suan-king)、孫子算経(Sun-tsi Suan-king)、六章(liu-
chang)、三開重差(san-k'ai Chung-ch'a)、五曹算術[経](wu-ts'ao Suan-
shu)、海島算術[経](Hai-Tau Suan-shu)、九司(kiu-szu)、九章(kiu-
ch'ang)、綴術(kiu-shu)ですが、数学の学生のために指定され、それは古
典のように扱われて数世紀にわたって日本の数学研究に影響を及ぼしまし
た。

 この時期、聖徳太子と並んで、日本数学史に、その名が著しく目立って
いる人物は、朝廷の相談役であり教師であり(890年頃)、学問と文学
との偉大な奨励者でもあった、天神、菅原道真です。

 しかし全体的には、準備の時代であって、中国がすでに発達させてきた
ものに新しく寄与するものは、ほとんど何もありませんでした。実際、数
学の分野で、日本がその可能性に本当に目覚めるのは、17世紀になって
からのことでした。


━━[随想] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆ルルドの聖母マリア(Our Lady of Lourdes)◆

 これほどの群衆を集めた聖所はこれまでなかった。1908年の終わりに、
マリア出現の50周年の記念日が祝われたとき、本当は1867年から始まった
に過ぎないのだが、5297人の巡礼団が登録され、4,919,000人の巡礼者が
やってきた。個人の巡礼者は、グループで来た人たちより遙かに多い。そ
の数に、巡礼ではなく宗教的感情によって、あるいは単にあまりにも有名
な場所だから訪れてみたいという気持ちだけで来た人も加えられなければ
ならないだろう。

ミディ鉄道会社は、ルルド駅には年に100万人以上の旅行客が訪れたと
見積もっている。世界のあらゆる国からも訪れている。上述の巡礼団の他
に、464の巡礼団がフランス以外の国からやってきている。アメリカ合
衆国やドイツ、ベルギー、オーストリア、ハンガリー、スペイン、ポルト
ガル、イタリア、イギリス、アイルランド、カナダ、ブラジル、ボリヴィ
アなど。司教たちが道を示した。50周年記念の終わりには、2013人の高
位聖職者、546人の大司教、10人の主座大司教、19人の総大司教、69人の
枢機卿を含む人たちがルルドに巡礼を行っている。

しかし、多くの巡礼者よりさらに注目すべきことは、その世に知られた聖
所の保護の下で起こった一連の驚くべき出来事だろう。しばしば人間の観
察から逃れる精神的な治癒はさておいて、肉体的病に限定することにする。
この記事の著者は、あらゆる治癒、部分的であれ完治であれ、を記録して
いる。その廟ができて50年でその数 3962を数えている。

治癒した患者の名前、洗礼名、治癒の日時、病の名、そして、全般的にそ
の患者を診察した医師の名のあるきわめて慎重な統計であるにもかかわら
ず、また、疑いある間違いのケースも避けられないことであるにもかかわ
らず、全体として、苦しめる者の興奮に起因し、時とともにやがて消え失
せるものではあったが。しかし、記しておく権利だけはある。先ず、これ
らの避けられない間違いは、他のもののように、特別な研究の対象ではな
かった二次的なものとみなされること。その数は、記録されなかった現実
の数に等しいかそれ以上であったことに気づかなければならない。

治癒した人々は、自らを明らかにするよう義務づけられていなかったし、
彼らの半数は、ルルドのthe Bureau des Constatations Medicalesに姿を
見せなかっただろうから。治癒のリストが作成されたのは、この事務当局
の報告によるものだから。

巡礼が始まって50年の間に、4000人が治癒したと見られていることは、
疑いなく、かなり現実の数よりは少ないだろう。Bureau des
Constatationsは、廟の近くにあり、病人の証明書を、また治癒の証明書を
記録したりチェックしたりしている。国籍や宗教的信仰が何であれ、すべ
ての医師に解放されている。それ故、標準的に、年間2・3百人の医師が
この驚くべきクリニックを訪問している。治癒した病気の性質に関して言
うと、神経系の異常が非常に多く言及されているが、全体の14分の1も
満たしていない。全体で 3962のうち、278数えるに過ぎない。

現代の著述家は、それぞれの病気の数を出版しており、その中には、肺結
核、腫瘍、腫れ物、癌、難聴、盲目などが含まれている。


━━[催し物情報]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ●トピック展示「朱の精製の広がり」
   日時:開催中〜5/14(日)場所:県立博物館 常設展示室 
   料金:一般200円、高校・大学生100円、小・中学生50円 
   ※国民の祝日・休日は観覧無料。
   小・中・高校生は土曜・日曜および春休み期間中も無料。
  県立博物館では、1984〜1987年度に阿南市若杉山遺跡の発掘調査を行っ
 た後、若杉山遺跡周辺での採掘・精製遺跡の分布調査に重点を置いて、
 朱の精製と流通に関する調査研究を続けています。
  今回の展示では、由岐水銀鉱山丹波坑口付近から採集した石杵を中心と
 して、採掘・精製遺跡の分布調査の成果の一部を紹介します。

 徳島県立博物館の催し物情報は、以下のサイトをご覧ください。
      http://www.museum.comet.go.jp/

━━[メルマガ紹介]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 知人が発行しているメルマガです。興味関心のある方はどうぞ。
  「知」とIT/ビジネスへのTIPS
  金融と経済/「人生」のボスに、 自分がなる為のAtoZ
 URL http://kinyuu-literacy.hp.infoseek.co.jp/

━━[Homepage Updated]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ホームページ update情報

 落書き帖第178号
 Plato "The Republic" を読もう
   http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/cgi-bin/plato/wforum.cgi
 各国語で聖書を読む
       http://hpcgi1.nifty.com/m-souda/bbs6/wforum.cgi
 ロシア語初級コースのテキストを読む
       http://hpcgi1.nifty.com/m-souda/bbs4/wforum.cgi

 MySouda--惣田正明のホームページ
        http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/mysouda/
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   http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/index.html (English)
   http://homepage1.nifty.com/m-souda/ (Japanese)
   http://www004.upp.so-net.ne.jp/mysouda/ (Japanese)
 AIHARA Hiroaki's Page (English)
  http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/mysouda/aihara/index.html

 [MUSICA MUNDANA]Doblog版 
        http://www.doblog.com/weblog/myblog/3403

 JavaScriptや DHTMLに対応していないブラウザをご使用の方、あるいは
 重くて仕方のない方は、[SIMPLE版]をご覧ください。

━━[あとがき]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ふと思ったのですが、昨年は、人生でも最悪の年であったかも知れない
ななんて思っています。

 今年になって、少し調子がよくなってきたようなそんな予感を感じてい
るのですが、さてさてどうなることやらです。話は変わりますが、少なく
とも、今年は念願の禁煙ができそうです。


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