目次
[MUSICA MUNDANA No.64] 2006年05月30日 発行

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 「MUSICA MUNDANA No.64」をお届けします。

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           MUSICA MUNDANA NO.64
             May.30.2006
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             ◆ 目次 ◆

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 ◎ 音楽史
    ◆宮廷歌の広まり--フランスとドイツ◆
 ◎ 数学史
    ◆アーリヤバタの著作◆
 ◎ Homepage Updated (May.25.2006)
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 ◎ 随想
 ◎ あとがき
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━━[音楽史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆宮廷歌の広まり--フランスとドイツ◆

 文化史家たちは、永く「十二世紀ルネサンス」の概念を私たちに広めて
きました。彼らは、音楽を考える際には、すぐに、トルバドールの歌の偉
大な開花を思い浮かべます。それは、同時代のアーサー王物語が果たした
のと同じ仕方で、「騎士道」の概念を反映し、恐らく刺激したことでしょ
う。

一方、音楽家たちは、フランスの新しい大聖堂によって育まれた音楽の方
を強調します。しかし、私たちは、フランスの大聖堂ではわずか二人の巨
匠の名前以外には、ほとんど何も知らない一方で、非常に多くの詩人であ
り作曲家である人々の名前を、しばしばその正確な年代や伝記の詳細に至
るまで知っており、さらに、ほとんど圧倒されるほどの量の作品を、私た
ちは持っています。

 トルバドールたち--ベルナール・ドゥ・ヴァンタドルン(Bernart de
Ventadorn(1125-95))、ベィール・ヴィダル(Peire Vidal)、レンボ・ドゥ
・ヴァケイラ(Raimbaut de Vaqueiras)など(有名な名を若干挙げただけ
ですが)--は、1209年ー29年のアルビジョワ十字軍の恐怖が、無惨にもプ
ロヴァンスやラング・ドクの高い文化を絶滅に至らしめるまで、隆盛を極
めます。

しかし、彼らの芸術は、すでに一部、アキテーヌのアリエノール(エレア
ノール)(Eleanor)のおかげで、北方に広まっていました。彼女は、結婚
の新婚(冒険)旅行(アヴァンチュール)に、ベルナール・ドゥ・ヴァンタ
ドルを、最初は、フランスの宮廷へ、続いてイギリスの宮廷に(1154-5年)
同行します。

彼女自身の息子、リチャード・ライアンハート(Richard Lionheart)は、
トルヴェール、プロヴァンスの宮廷ではなく、フランスの宮廷に雇われた
トルバドールでした。--ドュレンシュタイン(Duerrenstein)に捕らわれて
いた時に作った歌は、シャンソニエ・カンジェ(Chansonnier Cange')
(Bibl.Nat.fr.846)の中に保存されています。

同じ世代に、コノン・ドゥ・ベトュン(Conon de Be'thune)、シャストラ
ン・ドゥ・クチ(Chastelain de Couci)、そして非常に多作なガゼ・ブリ
ュレ(Gace Brule')が属しています。コラン・ミュゼ(Colin Muset)とモニ
オ・ダラ(Monio de'Arras)は、更にいっそう人気を博していました。一方、
社会階級のもう一方の端では、次の世紀前半に、後のナヴァルの王、チボ
ー・ドゥ・シャンパーニュ((Thibaut de Champagne)とブラバン(Brabant)
のアンリ三世の活動がありました。

 こうした詩や音楽の影響は、フランスに限られたものではありませんで
した。王家の婚姻だけで、ヨーロッパ文化の統一を促すには十分だったで
しょう。そして、宮廷愛(l'amour courtois)の理念と詩と音楽は、急速に
ミンネ(Minne)のようなドイツ語を話す地に移植されるようになります。

フレデリック・。バルバロッサ(Frederick Barbarossa)の息子たちが、
1184年に、マインツで騎士団に入ることが認められた時、フランスとドイ
ツの騎士たちは、祝典で競い合って祝い、出席した人々の中に「ミンネ」
の偉大なジンガーたちの最も初期の人々の一人、フリードリッヒ・フォン
・フセン(Friedrich von Husen)が含まれていました。フリードリッヒの
歌、「(Iche denke under Wi^len)」は、ギオの「(Ma joie premeraine)」
の旋律をもとにしています。ミンネリート(Minnnelieder)のかなり多くが、
同様に、フランスやプロヴァンス起源の旋律に基づいていて、時には、ま
た、言葉の意味を自由に取り入れたりしています。

ミンネジンガー(Minnesaenger)すべての中で、最も有名な流浪の歌手
(wandering singer)、ヴァルター・フォン・デァ・フォーゲルヴァイデ
(Walther von der Vogelweide)(1170-1230年頃)でさえ、前の章で言及し
た、ジョフレ・ルデル(Joufre' Rudel)の「(Lanquan li jorn)」やベル
ナール・ドゥ・ヴァンダドル(Bernart de Ventadorn)やブロンデル
(Blondel)による歌のそうしたコントラファクタ(contrafacta)を作って
います。

しかし、これらのドイツ人によるコントラファクタ(contrafacta)には、
驚くべきことは何もありません。なぜなら、フランス人自身がプロヴァン
ス語とフランス語のテキストを入れ替えたり、お気に入りの旋律にラテン
語のテキストを加えたりしているからです。ベルナール・ドゥ・ヴァンタ
ドールの「(Quan vei l'adoete)」、これは、中世すべての歌の中で最も
人気のあるものの一つですが、旋律の異本だけでなく、一つのプロヴァン
ス語のテキストと二つの異なるフランス語のテキストがあり、その一つは、
よく知られた「心と眼の競演(contest between heart and eyes)
(Quisquis cordis et oculi)」の翻訳です。

 
━━[数学史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆アーリヤバタの著作◆

 アーリヤバタの著作は、しばしば、アーリヤバティーヤ(Aryabhatiya)
とかアーリヤバティーヤム(Aryabhatiyam)と呼ばれていますが、ギーティ
カー(Gitika)あるいはダサギーティカー(Dasagitika)という天文表の集成
とガニタ(Ganita)という算術の論文とを含むアーリヤースタサタ
(Aryastasata)、時間とその測定に関するカーラクリヤー(Kalakriya)、そ
して、天球に関するゴラ(Gola)から成り立っています。

 その算術には、10の8乗までの十進数の記数法があり、平面数(plane
numbers) と立体数(solid numbers) を扱い、平方根の規則が書かれてい
ます。また、著作の残りは、二次方程式と不定一次方程式との知識があっ
たことを示しています。

 面積に関する公式の多くは不正確なものであり、球の体積の公式は、
πrr√πrrであり、それはπを16/9と等しいとしているようで、恐らく、
16/9の二乗の間違いでしょう。

 πの値を求める方法は、次のようにされています。「100に4を加え
よ。8をかけよ。そして再び62000を加えよ。その結果が、直径がお
およそ20000の円周の値である。」これは、πを 62832/20000、すな
わち、3.1416としています。

アーリヤバタは、また、サイン(正弦)を求める方法も示しています。ギ
ーティカーには、これらの関数の簡単な表も載せています。

 彼の著作は、また、連分数によって不定一次方程式の一般解を求めよう
とする最も初期の試みの一つを含んでいるものとして注目すべきものでも
あります。

 先に述べたように、ここで言及しているアーリヤバタは、同名の二人の
数学者のうち年上の人として知られている人です。この事実は、アルベル
ニ(Alberni)の著作の中に現れるもので、最近の著述家たちには、ずっと
注釈のテーマとなってきました。若い方のアーリヤバタの年代は知られて
いませんし、その二人の著作を明確に区別することも、まだできていませ
ん。


━━[随想] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆モラエス通り散策地図◆

 誰かさんが、GoogleMapsEditorを使って地図コンテンツを作成していた
ので、私も試しに「モラエス通り散策地図」などというものを作ってみま
した。
 http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/mysouda/map/moraesumap.html


 これを機会に、久々に W.deモラエスの「徳島の盆踊り」を読んでみま
した。ちょうど、この地図の辺りの描写がありましたので、紹介しておき
ます。

 --引用初め--

 さて、毎日、夜明けに、私の二階の二枚の「まど」をさわやかな朝に向
かっていっぱいに開け放つと、目に入る風景はいつでも印象的で、それは
純粋な田園風景である。
  …
 蜜柑畑に続いて、視界を遮るのは、寺院が散在し、松におおわれた常緑
の、南北に走る険しい山である。右手、やや離れたところに、戦争の神で
ある八幡神社がある。私の家からは、周囲をめぐる深い森が見えるにすぎ
ない。左手、目に入る寺院のうちいくつかを挙げると、毘沙門天とその付
属墓地、観音寺とその付属墓地、山頂に忌部神社、その下方に、おそらく
町でいちばん美しい金比羅神社がある。

(講談社学術文庫「徳島の盆踊り」岡村多希子訳より)

 --引用終わり--

 ということで、当時、その辺りは「純粋な田園風景」であったようです。
毘沙門天というのは、光仙寺のことかなと思ったりしますが、確認したわ
けではありません。この書の別の部分から判断すると、モラエスが住んで
いた四軒長屋は、新築の長屋であったようで、現在で言うと、郊外の田園
地帯にできたアパートあるいはマンションに住んでいたと言う感じでしょ
うか。

 眉山が険しい山というのも奇妙な感じがしますが、恐らくポルトガルで
は、なだらかな丘陵地(hill)が広がっていて、それに比べると日本の山は、
それほど高くなくても険しい山なのでしょう。

 モラエス旧居跡の碑は、現在は駐車上が広がっている隅に建っています
ね。徳島にお越しの折は、機会があれば歩いてみてはいかがでしょう。


━━[催し物情報]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ● 「みどりの音楽会」開催のお知らせ
  県内外で活躍する演奏家のほか、阿波の民話やバレエも織り交ぜた音
 楽会を行います。
  日時:6月4日(日) 14時〜(開場30分前)
  場所: 県立二十一世紀館 野外劇場(入場無料:定員2,000名)
  ※ 荒天時はイベントホール(定員250名)
  県立二十一世紀館ホームページはこちら
     http://www.comet.tokushima-ec.ed.jp/21/

 徳島県立博物館の催し物情報は、以下のサイトをご覧ください。
      http://www.museum.comet.go.jp/

━━[メルマガ紹介]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 知人が発行しているメルマガです。興味関心のある方はどうぞ。
  「知」とIT/ビジネスへのTIPS
  金融と経済/「人生」のボスに、 自分がなる為のAtoZ
 URL http://kinyuu-literacy.hp.infoseek.co.jp/

━━[Homepage Updated]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ホームページ update情報

 落書き帖第180号
 Plato "The Republic" を読もう
   http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/cgi-bin/plato/wforum.cgi
 各国語で聖書を読む
       http://hpcgi1.nifty.com/m-souda/bbs6/wforum.cgi
 ロシア語初級コースのテキストを読む
       http://hpcgi1.nifty.com/m-souda/bbs4/wforum.cgi

 MySouda--惣田正明のホームページ
        http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/mysouda/
 TeleScope WebPage--MySouda Information Page
   http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/index.html (English)
   http://homepage1.nifty.com/m-souda/ (Japanese)
   http://www004.upp.so-net.ne.jp/mysouda/ (Japanese)
 AIHARA Hiroaki's Page (English)
  http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/mysouda/aihara/index.html

 [MUSICA MUNDANA]Doblog版 
        http://www.doblog.com/weblog/myblog/3403

 JavaScriptや DHTMLに対応していないブラウザをご使用の方、あるいは
 重くて仕方のない方は、[SIMPLE版]をご覧ください。

━━[あとがき]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 5月ももう終わりです。地域によっては、梅雨のはしりのように雨の多
かったところもあったようですが、こちらはそれほどでもありませんでし
た。

 6月に入るといよいよ梅雨が本格的にやって来ますが、さあ、今年はど
うでしょう。雨の多い梅雨でしょうか、それとも空梅雨に近い梅雨でしょ
うか。雨は適度に降ってもらいたい気もしますが、雨ばかりよりは空梅雨
の方がいいなあと思っていたりする私であります。


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     ■発行人:文責:TeleScope   ■発行:MySouda
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