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The Concise Oxford History of Music


by Gerald Abraham


目次

序言

第一部 西アジア・東地中海地域の
音楽の起こり

序論
1.メソポタミアとエジプト
2.ギリシアの貢献
3.ヘレニズム・ローマ世界
4.キリスト教世界の音楽

第二部 西ヨーロッパの興隆

序論
5.ポリフォニーの始まり
6.原ルネサンス(十二世紀ルネサンス)の音楽
7.十四世紀の「アルス・ノヴァ」
8.ヨーロッパの統合
9.ルネサンスの衝撃

幕間
10.イスラム世界の音楽

第三部 イタリアの興隆

序論
11.宗教改革の時代の音楽
12.反宗教改革の時代の音楽
13.世俗歌曲と器楽音楽(c.1560-c.1610)
14.世俗歌曲(c.1610-60)
15.オペラの初期の成長(c.1610-60)
16.器楽音楽(c.1610-60)
17.宗教音楽(c.1610-60)
18.オペラの普及(c.1660-c,1725)
19.世俗声楽音楽(c.1660-c,1725)
20.宗教音楽(c.1660-c,1725)
21.器楽音楽(c.1660-c,1725)
22.オペラの変化(c.1725-90)
23.交響楽と室内楽(c.1725-90)
24.鍵盤音楽(c.1725-90)
25.宗教音楽(c.1725-90)

幕間
26.インドの音楽
27.東アジアの音楽

第四部 ドイツの興隆

序論
28.オペラ(1790-1830)
29.交響楽(1790-1830)
30.室内楽(1790-1830)
31.ピアノ音楽(1790-1830)
32.独唱歌曲(1790-1830)
33.合唱音楽(1790-1830)
34.交響楽(1830-93)
35.オペラ(1830-93)
36.合唱音楽(1830-93)
37.ピアノの優位(1830-93)
38.ロマン主義の衰退・没落(1893-1918)

幕間
39.アフリカ及びアメリカの黒人音楽

第五部 伝統の瓦解

序論
40.二つの世界大戦の間の音楽(1919-45)
41.1945年以後の逆流


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序言

[目次]

 一人の著者による大規模な音楽史は過去のものであると一般には長く考えられてきた。しかし、私には、読むに耐えうる物語風のあらゆる領域に通じた年代順の概説書、何年にもわたって専門家の著作を詳しく研究するのに専念してきた一人の人物による概説書は、教養ある一般人、専門家でない人たちにとっては、それでも有益であるように思われる。おそらく、「次第に狭い領域の細かなことばかり多く知るようになっている」自らを発見し、一歩下がって、音楽史の全体を考えてみたいと願っている専門家の人にとっても有益であろう。
 私に関心があるのは、この全体像、私たちが理解できる限りの音楽そのもの、その実体である。音楽を産み出すとき以外の作曲家、音楽を作るのに役立つとき以外の楽器にではない。そうした種類の情報を与えてくれる書物は他にいくらでもある。誰か]という作曲家の一般的な評価を試みようとするのではなく、教会音楽、交響曲あるいはオペラの進展、おそらくそれは進化だと思うが、それに]という人物がどんな貢献をしたかということを示そうとしてきた。彼の経歴の創造的な時期の一部はある時期に、また一部は別の時期に当たるとするなら、私は、彼自身がすでに達成した、あるいは後に成し遂げることになることとの関連からよりはむしろ彼の同時代人との関連の中で、彼の作品のそれぞれを示そうと努めるであろう。
 この書は、それは不可能なことだろうが、New Oxford History of Musicの要約などでは全くなく、それに基づいてさえいない。New Oxford Historyは顕微鏡を用いているが、Conciseは望遠鏡を用いている。望遠鏡を通して、人は広い範囲をみ、人生と現実とを明らかにする細部を拾い上げることができる。―不幸なことに複雑な事柄を簡単な説明で満たしたり、簡単な説明に適するような細部ではないのだけれど。はるか遠い過去のことについては、望遠鏡は役に立たない。ほとんど霞に覆われ蜃気楼が見えるだけである。ごく最近の過去についても同様に役に立たない。手近なところにあまりに多くの人たちがいるので―その何人かは個人的な友人であったり知人であったりして―その中で本当に意義のあることを拾い上げるのは、容易なことではない。しかし、意味のない名前の羅列に堕さないようにしようとすれば、それは試みなければならない。望遠鏡を用いながら、何も見ていなかった有名な前例がある。
 選択は―音楽の例(私はなじみ深いものは避けようとしてきた。)参考文献などの選択において―必然的に恣意的にならざるを得ない。他の多くの決定が恣意的であるに違いないように。しかし、私は常に私の決定に関しては根拠がある。おそらく偶然省かれたものもあるだろう。しかし、18世紀以降の文献と完全版への参照が少ないのは、慎重に考えてのことである。単に参考文献が途方もなく莫大であり、予想される読者―教養ある一般人あるいは学生であって、円熟した音楽学者ではない。―にとっては、完全版はそれほど必要がないというだけではなく、普通の音楽関係の書物の方がはるかによい情報が得られるだろうと思われるからである。同じ理由から、私の一般的なアプローチの仕方を修正し19世紀のあまりによく知られた音楽についておそらくあまりに多くのスペースをさいたが、それは、偉大な作曲家の名前と作品に注釈をつけただけの単なる羅列に終始することを避けるためである。しかし、同時に二流三流の作曲家たちの音楽にも注意を向け、偉大な作曲家だけが全体を作り上げているかのような印象をただそうと努めた。
 私が望遠鏡で見てきた範囲は、実際のところ際限がないので、私は私が西洋音楽の主流であると考えてきたものに主として目を向けてきた。それは、初め西アジアと東地中海地域から流れ出してきたものである。それは、不適当なものではない。なぜなら、結局は、それが世界の大部分の地域に広がりあふれ出したものだから。なるほどまじめな音楽学者たちは、「音楽」をもはやヨーロッパ中心のものとは考えていない。世界の民族の大多数は、自らの音楽を持っている。―そのいくつかは、非常に古い歴史を持ち知的に洗練された「高い」文化である。広範な欧米の音楽の聴衆たちでさえその存在に気づき、時折表面的にではあるが、インド、イスラム世界また東アジアの音楽を楽しんでいる。そのぞれ地域の民族が感じ取っているものは、ほとんど西洋の聞き手には伝えることはできないのだけれど。そうはいっても、西洋音楽は他のどんな音楽よりも豊かに発達を遂げてきた。そして、これら他の音楽と接触するようになると、残念なことだが、しばしばそれらの音楽を消滅させたり汚染したりする傾向にあった。逆に、西洋音楽が影響を受けることは、まれであり、それも表面的なものにすぎなかった。西洋の読者を対象に書くに当たって、私は、著しく重要ないくつかの西洋とは異なった音楽大系については、西洋が知的にそれらを意識するようになった歴史的地点で、主流の説明を中断し、少なくとも簡単な一瞥を与えておこうと努めた。
 「高い芸術」としての西洋音楽と無名の民衆音楽との関係は、別の難しさを見せている。この関係は、お互いに恩恵を与えるものであったが、19世紀の間に開き始めたギャップは双方にとって有害なものになってしまった。しかし、ここでも、私は、いくつかの周辺の西洋諸国の「高い芸術」を取り入れたため、全般に「民衆」の音楽は無視しなければならなかった。
 たとえそうであっても、私が扱おうとした範囲は、非常に広いので、専門家と比較すると、次第に多くのことについて次第にわずかのことしか知らないと思うようになり重大な間違いを避けるために親切な専門家を訪ねた。特に、Denis Arnold教授とArnold夫人、E.J.Borthwick博士、John Caldwell博士、W.V.Davies氏、T.C.Mitchell氏、Jeremy Noble氏、Laurence Picken博士、Richard Widdess博士、Owen Wright氏を。これらの人たちには、限りない感謝をしている。最後になったが、絶えず励まし有益な助言を与えてくれた Oxford University Press のAnthony Mulgan氏には、これらの人たちにもまして感謝している。

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