私のECM系
ECM RECORDS |
11/13さて、わずかながらに公開されているKeithの病についてであるがその殆どが否定的である。或いは実のところ本当の事はよく分からないとある。なぜなら、我々が直接KeithにAccessする事が出来ないからである。その多くはECMが管理しており、もしファンの一人として手紙を出したいのであればECMのaddressに送って欲しいという事のようである。
KeithJarrettは1945/5/8 Allentown,PA,USA. で生まれた。家族はEuropeanのMixtureである。早くから音楽の才能に気づいた両親は彼に音楽を学ばせるとあるが、小学校入学時のIQはgenius
rangeであり、いきなり2年上のクラスを受講していたという。6歳にして作曲を始め、9歳にはMadisonSquareGardenでConcertを行なっている。完全なClassicの訓練を受けて育ったKeithは当初、Jazzには全く興味を示さなかったというが、やがてJazzも早急にマスターして行ったようである。また、彼はPianoのみならず、Drum,Guiter,Organ,Marimba,Xylophone,Sopranosaxと他の楽器にも興味を示し、幅広い才能を見せている。今年54歳のKeithであるが、その私生活は実に堅実で、話によればお酒も煙草もその他の自己を被害的な立場に陥れるような悪習とも縁が無いとの事である。また宗教的にも特別な偏りがあるという訳ではないので、このままの状態が維持されているのであれば決して、病気に陥るなどという事はないであろうと一部の情報は伝えている。結婚生活においては2人の息子に恵まれ、2度目の妻RoseAnneColavitoと結婚。(現在も続行中かは定かではない)以前、離婚時の原因に一方的なKeithの責任が挙げられていたが、その多くは度重なる海外ツアーで忙しい為であったとある。また、彼の即興による音楽表現は、極度の長い時間の緊張の高まりの
頂点から生まれるものであり、ご存じのように彼の即興の長さは比類のないものであり、多くの集中力を有するものである為、心的疲労はかなりのものでそれは言うならば慢性的兆候であるとも述べている。彼がJazzにおける即興演奏を繰り広げ、展開して行く時、多くの「ねじれ」や「うなり」を非難する一部の人がいたとしても、それはそう言った生み出そうとする一つのエネルギーの放出作用でありLongStretchesによるものであるとも述べている。事実、他のClassicalなConcertに彼の「うなり」は聞かれないとある。総じてKeithを批判する中には、もうKeithは病気で演奏もあまりしないのではないか等、「うわさ」をする人々がいるかも知れないが、そんな事は決してない。これは確かな情報であるがrecordingも済ませており、彼自身意欲的かどうかは別として確実にまた、堅実に結果を出しつつある。最後にKeithのお母さんがKeithが子供だった頃彼に話したことばが載せられている。「Keith、何をためらうの。この才能はあなたを通して創造者から来ているものだって事を私たちは信じているのよ。誰かがあなたを賞賛したなら、あなたもそ
の人達にCreaterを通しての賞賛を送りなさい。」
The ECM address ; ECM 1540 Broadway, 40th
Floor New York, NY 10036 ___________ qouted from Lynn D.Newton "Keith
Jarrett A Sketch of His Life & Work" translated
English into Japanese. 98/11/13
98/11/8さて、久しぶりの更新である。先日、(9月頃)BassistのAvishai Cohenに会った時、こんな事を聞いてしまった。「今後Coreaとも出来る限り一緒にやって行くのですか?」彼はこう言った「勿論、僕を必要としているだろうし、当分はね。」私がAvishaiを知るきっかけとなったのは、よく仕事を一緒にしていた日本のBassistからである。何気なく聴いた一つのTapeは野太く、泥臭いBeatを放ち、またそれは昔聴き慣れたStandard、しかもそれはBUD POWELL等を踏襲すべく勢いで私の心に迫らんとするものであった。Chickも歳をとったのか...。回帰してJazz本来のSoundに自己を委ねたいとしているのか、或いはもうそれしか売るものが無いと思っているのであろうか。Chickの場合は常に商業的水準で自己を表現し、プレルトリコというRootsからの解放を願った時、それはまた一つのJazzへの音楽的側面からの最大のApproachでもあったのかも知れない。 Avishaiはそれを許すべく若手のBlackだと私はその時思ったのだが、しかし、彼を見た時、少し驚いた。彼はなんと、長身の金髪白人青年であった。後に彼はイスラエル人だとわかる。OriginはAvishaiがいて生まれた作品である事は確かな様だが、現在、NYの音楽SeanはJazzに限らず意欲のあるミュージシャンの集まる場所になってはいないとの事で、多くは外国へと拡散し50年代初頭のような熱気とムーブメントは面影もないようだ。CoreaはAvishaiというBeatにこれからのJazzを見出したのであろうか、、、。一方Kiethはどうかと言えば、76年のカルテット(デューイ・レッドマン、ポール・モチアン、チャーリー・ヘイデン)サバイバル・スウィートで頂点を意識し解散。これ以上このグループで望めるものは何もない、つまり最高の状態を維持する為に芸術家としての想像を絶する闘いの方を選び消滅して行ったわけである。即興をこよなく愛するが故にCoreaとは全く異なったJazzの道標を刻み付けヨーロピアンカルテットに新たなる発展の可能性を託した。自己にもグループにも、、、。さて、現在のKeithはどうかと言えば、全くPianoを弾く気を起こさず活動も何 もしたがらないと風のうわさに聞く。Keithが願う音楽の最良の姿とは「音楽そのものよりも、より深いレベルに人を導き、実際に現れた音が行間をも、目に見えない力で人に体験させる時」とある。また、即興演奏の最良の姿とは「音楽に熱中している全ての人が、即興演奏を通して自分自身の意志よりさらに偉大な意志の存在を知り、従って自分自身についてさらに多くを知覚するとき」だとも述べている。その最良の音楽の姿や最良の即興演奏を維持し、求めるが故に芸術家本来の苦しみの中に現在居るのであろうか。それとも今後全くPianoを弾かなくなってしまうのだろうか。今の売りはこれだとJazz回帰して行くCoreaとは実に対照的なKiethではある。いずれにしても、その卓抜した即興性と比類のない個性的な音楽性はKeith自身の、Keithだけのものだから。ファンとは何時の時代にも酷な様で、まだまだKeithに多くを期待しているようである。さて、久しぶりにGreenのAlbum「KEITHJARRETT/Solo-Concerts」聴いてみる事にしよう。Keith Jarrett Solo-Concert/Bremen Mausanne ECMPA-3031〜3 LP
「私のECM」と言うと何か改めてECMが特殊なジャンルとして自分の中で関わりを持って来たように感じられるのだが、決してそんな事はなく自分自身の中では自然な流れの中で発展して来た。ECMの歴史も余り詳しい方ではなく、また特別なコレクターであるという訳でもないのだが音楽人生を通して幾つかのショックを味わうその音楽がECM系であったと言うだけである。勿論、ここではPianoだけに絞ってお伝えしたい。それは、Bill
Evansであり、KeithJarrettであり、小曽根
真であった。初めて耳にするEvansに頭の中が横に流れて行くのを覚え、Classicとも違うPopsとも違うこんなに斬新で知的な感覚の音楽があったのかと身体が釘付けになった事を覚えている。Keithを聴いた時、Classicをやって来た人なら誰でも心の中で少なからず感じていたかも知れない、「即興をもっと自由にやりたい」「Classicがもっと自由で発展的であってもいい」そういうモヤモヤを解消してくれたのがKeithの音楽であった。Classicを演奏する時には譜面に忠実で如何に作曲者の意図する処の解釈を再現するかにかかっているのに比べ、Keithは作曲家であると同時に演奏家であり楽器が表現の全てであり、媒体其の物である事に感動を覚えた。音楽は時間の芸術だから自分の「今」を「その瞬間」を「すぐに」表現出来るという事は素晴らしい才能だし、芸術の中でも優れていると、そう感じたのである。新しい表現方法と言うより寧ろ実に古典的で自然の姿、人間本来のありのままの状態だとさえ感じたのである。その昔モーツアルトは5歳で作曲を始めるが、おりあるごとに即興で演奏を楽しんでいる。「アンダンテ・ハ長調」などのピアノ小曲はモーツアルトがピア
ノを習っている最中に即興に弾いたものを父がレッスン用の楽譜帳に書き留めたといわれている。何故、バッハがモーツアルトがその他のClassicがこれだけの時を経ても尚残っているのか、それは音楽的完成度の高さにあると言わざるを得ない。KeithのSolo
Concertにもそれを感じたのである。初めて耳にしたEvansにこんな風にPianoが弾きたいと思い、Keithで励まされ日本にもこんなに素晴らしいPianistがいるのかと感じたのが小曽根真であった。最初のアルバムが出てからもう13年も経つが日本を代表するJazzPianistであるという気持ちは変わらない。少なからず過去の遺産をどれだけ受け継いで来ているかによりその人の天性の能力が解るものであるが小曽根真はJazzの歴史と音楽という二面的な部分で申し分なく、リズム感、ドライブ感も逸品である。また、日本人としての音楽家と自分の音楽としてのJazzが見事に融合した完成度の高い演奏家である。彼の前にはメインストリームだのECMだのといった概念は通用しないかも知れない。初めて彼の演奏を耳にした時「こんなに大器でよいのか」「これからのJazzPianoに新しい方向性を示してくれる人」だとそう思ったものである。近年の演奏はChick
CoreaのConcertに出演した時以来聴く機会がないが「小曽根 真/OZONE」「SpringIs
Here」は愛聴盤である。(98/1現在)何れにせよECMも奏するに似つかわしさが必要といえる。その人個人の志向と鍛練とProcessと、他からの評価は皆一様ではないが、上記に挙げたArtist達は皆何かに向って傾倒し、指向して行ったであろう。また現在も指向し続けていると思う。そして、そ自己の表出の結果がECMであろうがESPやGRPであろうが、左程関係なかったかも知れない。
「OZONE/小曽根 真」 Vib. Gary Burton. B. Eddie Gomez.
「SPRING IS HERE」 B.George Mraz. Drs.Roy Haynes.
「Gary Burton & Makoto Ozone」
「Now You Know」