時計を見たら、8時だった。もちろん朝の8時。
あれから一晩が過ぎて、今は月曜の朝だった。
そう、俺は大学生。正確には、俺は日本で言うところの院生なんだ。教授について、もらった課題を仕上げてりゃいいはずだったんだけど、俺の専攻している学科は、そういう訳にもいかないのさ。今日は、各人の成果発表会なんだ。これをクリアしないと、奨学金が打ち切られちまう。家族から仕送りもらって、いけないバイトして稼いでいるとはいえ、奨学金を打ち切られたら、ファーダたち同様、貧乏の仲間入りをしてしまう。
それだけはごめんだ。
俺は飛び起き、慌てふためいてダイニングに行った。例の居間は、閉め切りさ。ダイニングだって、ヨハンの貴族趣味のおかげで、結構広いんだ。パーティが出来るくらいにね。しかも、ソファやテレビもあるから、居間がなくても、そんなに不自由はしない。みんなテレビを見ながら、新聞読んだりコーヒー飲んだりしている。起きたのは俺が一番最後だったらしい。
「やあコージ、おはよう。コーヒー、いる?」
呑気に声をかけてくれたのは、ヤーブだった。
「いるいる。ミルクと砂糖入れといて」
「今日は、学校か?」
と、ヨハン。俺は、しけったバケットにかぶりついた。
「ああ。今日行けば、取りあえず夏休みさ。3ヶ月半のね」
「お前の場合、12ヶ月のうち、11ヶ月は休みなんじゃないの?」
そう言ったのは、なんとジェシー! 俺は呆気にとられて奴を見つめた。
「なっ、何でお前がここにいるんだ?」
ジェシーはフリーの狙撃者(スナイパー)なんだ。俺達のチームが一番居心地いいからって、仕事はよく引き受けてくれる。仕事の腕は確かだよ。狙撃担当としても、殺し屋としても売れっ子だもの。イギリス人で、妙に紳士なところがある反面、金遣いの荒いギャンブラーでもあるんだ。俺と一つ違いの19才だから、仲良くしてるぜ。いい奴なんだけど、ちょっとひねくれてる。孤独癖もあるしね。
「グッドモーニン♪ マイフレンド」
ジェシーはウインクして、コーヒーを啜った。
「朝の紅茶を頂こうと思ったのさ。あいにく、コーヒーだったが」
「金なら、貸さないぜ」
「コージ… 皆と同じ事言うなよ。俺は純粋に、紅茶飲みに来たんだぜ」
「うそつけ。妙な仕事持ってきやがって」
と、ぼやいたのはファーダ。彼は昨日のような修道服ではなくて、ジーパンにTシャツという格好だった。そうしていると、神父には見えないんだけどね。
「とにかく、コーヒー飲んだら、ゆっくり説明してもらおうじゃないか」
「仕事って、何だよ?」
俺が問い掛けたとたん、ヨハンが渋い顔で俺を睨んだ。
「コージ、学校に遅れるぞ。ヤーブの入れてくれたコーヒーを飲んで、早く支度して出かけたまえ」
こいつは、ファーダと同じくらいうるさいんだ。すっかり保護者のつもりでいるんだよね。だから、通学に関しては協力的だよ。気が向くと、朝飯作ってくれるもん。
俺は素直に返事して、ジェシーに俺が帰るまで居てくれと頼んだ。
「おう、今夜は泊めてもらう予定だから安心しろ」
「誰が許可したんだ」
と、ヨハン。でも、ジェシーは知らん顔さ。
「コージは、何時ごろ帰るんだ?」
「4時ごろになっちゃうな。それじゃあ行ってくる」
俺はコーヒーを一気に飲んでダイニングを飛び出し、手早く支度をすると自転車で大学に向かった。その時8時15分。余裕で間に合いそうだった。しかも、快晴さ。
メブラス大学ってのは、オルダール唯一の公立大でね。自国の学生からは高い学費をとるんだけど、留学生の学費は安いんだ。それでも、私立と同じくらい厚遇してくれるんだ。そんなんで、この大学はいろんな人種と国籍の奴がいるよ。3分の1は留学生だもの。でも、5人ほどいる日本人は、日本人同士で固まってるんだよな。俺の事も「日本人以外のアジア人」だと思ってたらしいからね。といっても、出身国別に連絡会を作るように大学側から言われてるんで、たまには一緒にメシ食ったりする。
俺の奨学金がかかった研究成果発表会は、けっこう楽しめた。教授のおごりで学食の昼飯を食って、雑談していたときだった。携帯電話が震えたんだ。俺は雑談の輪を離れ、電話に出た。
「ごめんよ、コージ。飯時にかけて。ランディなんだけど」
「ああ、どうしたのさ?」
「 ヤーブが怪我してさ」
言葉の後に、とんとん、と2回軽く受話器を叩く音が聞こえてきた。これは、これから言う言葉は暗号だからという合図だった。しかもヤーブが怪我したっていうのは、軍が動いている、巻き添え食わないように気をつけろという意味なのさ。ランディは、もったいぶってため息を つく。
「たいしたことはないんだけどね。ほら、あいつ今週の飯当番だろ? ジェシーも来ているしさ。夕食に、ピザでも買ってきてよ。酒とかは、俺らが適当に調達するから」
酒を調達するってのは、仕事の準備を始めるということだった。
「ピザ買って帰るのはいいけど、誰が払うんだよ?」
「ヤーブだってさ」
軍関係者から仕事が入ったらしい。俺は、肩を竦めた。
「ああ。じゃあ、ピザのトッピング、何にする?」
「えーと、ファーダ!コージがトッピング何にするかって聞いてるぜ…うん、うん。了解。コージ、サラミとほうれん草がいいってさ。それと、今週のお勧め」
はいはい。ミルマ基地の最新地図と最新情報ですか。分かりましたよ。
「取りあえずコージ、頼むよ。うん? ああ、アーサーが、コージは酒、何がいいかって聞いてるけど?」
「ええと、焼酎が…」
「コージは未成年だから、ダーメ!」
電話に割り込んできたその声は、ファーダだった。この酒の話は暗号じゃなくて、普通の本当の会話だぜ!そんな冷たい事言うなよ!
しかし電話の向こうでは、ヨハンの声も聞こえてきた。
「アーサー、コージは最近、トマトジュースが好きみたいだよ」
お前らなあ、爆笑してる場合か!酒宴の席で、トマトジュースなんか飲めるかよ。それに、人に仕事頼んでおいて、酒も飲ませてくれないなんて、鬼だっ!
***
成果発表会は終わり、俺は教授の特別功労賞をもらった。賞品は、学食10回分のタダ券だった。「功労賞」である理由は、俺が教授の学会発表用の原稿草案を担当したからさ。それが今日の俺の発表内容だったわけ。これに教授が自分の研究結果を付け加えてまとめて、学会で発表してくれりゃいいわけさ。共同研究者として俺の名前も併記されるし、本でも出れば、何か奢ってもらえるだろうしね。これで俺の奨学金も、ばっちり保証されたということだ。
俺は帰りに、ピザ屋に寄った。話した通りに行動しないと、もし盗聴者が居た場合、その盗聴者に暗号だったことがばれてしまうからね。
よく行くピザ屋は、広場を囲む飲食店舗のひとつ。広場の縁を彩るように、パラソルが立てられたテーブルと椅子が、いくつも並んでいる。
休日は混んでるんだけど、今日は時間が半端なせいか、ハイスクールの女の子がぱらぱらといるくらいだった。
注文通りのピザと、自分用にジュースを買い、俺は店を出た。そして、すごいモノを見つけちゃったんだ。
なんとあの、金髪美青年大佐だ! 彼は、ファーストフード店の前の椅子に腰掛けテーブルに肘をついて、組んだ手の上に青白い額を押し当てていた。ストローの突き刺さったLサイズの紙コップを見つめているようにも見える。
俺は一瞬躊躇した。声を掛けるべきか掛けぬべきか。
軍が動いていると忠告されているのを思い出したんだけど、ダメだった。好奇心のが勝っちゃった。俺は大佐に、声を掛けた。
「気分悪そうだけど、大丈夫?」
大佐は、ギョッとしたように俺を見上げた。そして奇麗なきつい顔で、微笑んだのさ。意外と人懐こい感じの顔だったのには俺のが驚いたよ。
「…君、あの教会で会った…よね?」
「ああ。最近は、毎週日曜日にだいたい会うよね」
俺はけっこう、人見知りしないほうなんだ。誰とでも話すよ。だからその調子で彼の前に座った。
「気分悪いなら、送ろうか?ミルマ基地に勤務してる…ってファーダが言ってたと思ったけど…」
「う…ん。あの神父さん、ファーダっていう名前なの?」
彼は汗で額に張り付いた前髪を払い、再び微笑んだ。
「まさか、本名?」
「さあね。奴の本名は、誰も知らないんだ。同居人の俺でもね」
「同居?」
「ああ。野郎ばっかりだけど、何人かでシェアリングしてるんだ。ファーダはその一人。皆がファーダ(神父さま)って呼んでるから、本名みたいなものだと思うよ」
大佐は、声を立てて笑った。そのせいか、頬に少し赤みがさす。
「僕は、レイっていうんだ。レイ・ヴァール。君は?」
「俺はコージ・イツキ。コージでいいぜ。俺も、レイって呼ばせてもらうから。あ、そうそう。俺は18才で日本人」
「へえ、じゃあ僕とあまり変わらないね。来週、僕は20になるんだ。でも君、日本人らしくないね。テレビにでてくる日本人の政治家や外交官とは、随分感じが違う」
よく言われるよ。俺は肩を竦めた。
「メブラス大の、学生なんだ。一応留学生だけど、こっちに住んでもう10年になるから、ケンカも議論も、日本語よりもオル語のほうがやりやすいよ」
レイ大佐は再び笑い、そして
「僕も、日本語は少し出来るよ。勉強したからね。新聞くらいは、読めるよ。時間かかるけど。でも、漢字の書き取りは苦手」
と、流暢な日本語でそう言ったのさ。俺よりも正確な標準語だったぜ。俺の日本語は、京都弁だからな。彼は再び、オル語に戻った。
「大学は、そろそろ夏休み?」
「ああ、明日からさ。レイは?軍の仕事は?」
「…うん。今はちょっと、休暇中」
レイは、少し俯いた。
「シバサスの基地にいたんだけど、こっちに来たとたん、体調崩しちゃってね。シバサスに戻る事になったんだ」
シバサスといえば、軍港だ。軍港だけど、けっこうのどかで、軍の総合病院や、併設の傷病兵療養施設があったはずだ。
「…海軍なの?」
俺は、注意深く探りをいれた。ファーダから聞いているけど、それを言うわけにはいかないもんな。レイ大佐は、気さくだったよ。気さくなのか鈍いのか、気持ちよく答えてくれた。
「僕は、陸軍の研究技官なんだ。軍の施設で生まれて育って、ミテレとシバサスを行ったり来たりだよ」
俺は言葉につまったよ。どこまで本当なのか、疑った。
軍の施設で生まれ育った… 研究技官として英才教育を受けた、特殊なアーミーチャイルドや人工生命体がいることは知っている。だがそれは、最高機密のはずだ。その機密を、本人がばらすか? それに、そういった存在はガードの固いミルマ基地に集められているはずだった。
だが彼は、全然気にしていない。
「今はちょっと、早めの夏休みなんだ。これといって予定もないから、毎日この辺りを散歩してるんだよ。コージは、帰国するの?」
と、人懐こい笑みを浮かべる。
「俺は、しない。学業に忙しくて」
忙しいなんて、もちろん大うそ。帰るのはちょっと、かったるいんだよね。
「でも日本の夏は、お盆があるだろう?死者の魂を迎えたり、墓参したりするんじゃなかったっけ?」
「あ、ああ。まあね」
さすが、日本語勉強しただけあるよ。詳しいよな。俺は苦笑いした。
「こっちにいると、そういう行事は忘れちゃうんだよね。帰るの、面倒くさかったりしてさ」
という俺の言葉に、レイは肩を竦める。
「面倒だなんて、悪いなあ」
その時、時計台の鐘が鳴り始めた。俺達は2人して、時計台を振り返ったよ。
4時だった。
「ああ… 帰らなきゃ…」
レイは、眉間にしわを寄せて呟いた。
「コージ、声を掛けてくれてありがとう。喋ってたら、随分楽になったよ」
彼は立ち上がり、手を出した。だから俺も立ち上がり、その手を握る。
「送らなくて、大丈夫か?自転車でよけりゃ、後ろに乗せてあげるよ?」
「んん、大丈夫。基地まで歩いて10分もないし…」
彼は愛想よく微笑むが、顔色はあまりよくなかった。
「あの神父さんによろしく伝えて…」
殺気を感じた瞬間、俺はすでに物陰に引き摺りこまれていた。引っ張ってくれたのは、レイ大佐だった。俺たちの飲んでいた紙コップが、無数の銃弾を浴びて辺りに飛び散る。その場にいた女の子や街行く人々は素早く道路に伏せた。
ま、路上の銃撃戦は珍しいけど、軍事国家だからね。こういう時にどうするか、学校で叩き込まれているのさ。
悲鳴が上がり、乾いた銃声が響く。俺はため息をつき、そして俺の腕を掴んでいるレイ大佐を見上げた。俺の身長は176cm。奴は180cmをゆうに越えていそうだった。背は高いけど、腕も肩も細くて、頼りない。
「レイ。これって、どういうことだよ?」
病弱そうな顔してて、俺より素早いなんて、普通の兵士じゃない。俺はチームでも、鈍いほうだけどね。でもまさか、薬漬けの強化兵士じゃないだろうな?
彼は、真っ青な顔を横に振った。
「僕のほうが知りたいよ・・・」
「取りあえず、騙しっこなしだぜ」
俺は、ジャケットの下の銃をさぐった。
「レイ、俺達が何者か知っているんだろ?」
「僕はただ、上から、あの教会の神父は傭兵だからって聞かされて…」
レイは、泣きそうに喘ぐ。
「まさか、コージもなの?」
「まあね」
騙しっこなしと行った手前、俺は素直に肯いた。
「ファーダは俺らのリーダーなんだ」
銃弾が、俺達のいる看板の足元に当たる。俺はレイを引っ張って、建物の陰のほうに移った。
「奴に囁いた言葉、あれは何なんだ?話なら、硝煙の匂いがする時にってのは」
「あれは、あれは…」
レイは、苦しそうに再び首を振った。
「あれは、僕じゃない。僕だけど…あれは…」
「はあ?」
「とにかく、どうして狙撃されるのか分からないよ。いつも、そうなんだ。セイナネがうるさくて…だから」
セイナネ?
再び銃弾が壁をかすめていく。
「とにかく、教会まで無事に帰って。僕は彼らを、一度殺すから…」
言い終わらないうちに、彼は広場に飛び出していってしまう。
「おいっ! 一度殺すって・・・」
思わず顔を出したら、またしても弾が顔をかすめていった。俺は慌てて物陰に引っ込み、ピザを抱え直したよ。怪我はなかったけど、心臓に悪いぜ。でもまあ、敵のスナイパーの腕が悪くてよかったよ。ヨハンとジェシーなら、一発でカタつけてただろうからな。
俺は、ピザを抱えた格好で壁に背中をつけたままかがんだ。表じゃ、相変わらずドンパチやっているようだった。参加してもいいんだけど、これもかったるいもんな。ところが俺は、ふと路上に落ちていた小さな銀色のモノを見つけてしまった。四角くて小さなコンパクトケースのようだったが、薄かった。もちろん開けたよ。
「レイ、体の調子はどう? 無理していないでしょうね? 私は元気よ。早くこっちに戻ってきてね。あなたがいないと、寂しくてしょうがないわ」
いきなり語りだしたのは、5cmほどのホログラフィの女の子だった。茶色い短い髪に、そばかすがちょっと乗っかった可愛い鼻。色白で、そばかすの割に大人びた感じがする。俺の目は点と化した。
「レイ、薬はちゃんと飲んでね。それから、本当に無理しないで。戻ってくる日を教えてね。それじゃあレイ。お休みなさい…」
<4>
広場の向こうに大通りがあって、バス停や地下鉄駅があるんだ。その通りの向こうが、ダウンタウンさ。ミルマ基地は、大通りを南に行った突き当たり。大通りは、非常時には滑走路に変わるからね。もちろん、そんな緊急事態に遭遇した事ないけど。
俺は、その下町の路地に自転車で入っていった。案の定、人通りのない路地には、血痕が点々と続いてた。終点には死体。俺たちが広場で狙撃され、レイが飛び出してから10分が経っていたけど、ここは静かだった。死体はレイではなかったけど、俺は素早く懐をあさったよ。あんまり気持ちよくはないけどね。
死体の階級は軍曹、所属は研究施設警備部。レイ大佐たちのような研究技官を護衛するのが任務のはずだ。
「どうなってるんだ?」
みごとに腹と眉間に風穴開けて、死んでいた。俺は手袋を外してポケットに突っ込むと、その場から早々に去る事にした。軍車両の、けたたましいサイレンが聞こえてきたからね。俺は自転車をゆっくり走らせながら、屋敷に電話を入れておいた。出たのはヨハンだったけど、あいつ、怒ってたよ。
「今銃撃戦があったって聞いたぞ!銃撃戦のあったピザ屋にいたのか?」
「ああ、いたよ。10分後、帰ったらゆっくり話すぜ」
俺はそう言って電話を切った。
帰ったら、皆に囲まれたよ。
「一体、何なんだよ?自分だけスリル味わってさあ」
と、羨ましがるのはランディとアーサー。
「呼んでくれりゃ、助けてやったのに。一人一発でしとめてやったのになあ」
と、頼もしい事言うのはジェシー。
「怪我したんなら、診てやるぜ」
これはもちろん、ヤーブ。そしてサムは無言。ヨハンは人の襟首掴んで、
「学校いって、何やってるんだ!」
ときたもんだ。ファーダにいたっては、
「危ない事ばっかりして!懺悔しなさいっ」
だもの。まいっちゃうよ。心配されているのは、承知してるけどね。でも、学校も危ない事もなにも、俺は無実だぜ。俺は順序立ててピザ屋での出来事を話した。皆でピザとつまみと酒とジュースで乾杯してね。
「なんていうのかなあ。あの彼、ちょっと情緒不安定なんじゃないか?」
俺は、トマトジュースを飲んでため息をついた。結局ジュースさ。酒を飲むには、ファーダが酔うまで待つしかない。
「ええと、なんだっけ。確か、セイナネがうるさいとか言ってたな。その銃撃のわけをさ」
「誰だ、セイナネって」
と、皆首をかしげる。
「悩んだって仕方ない。調べよう。やっぱりあの大佐と、そのセイナネって人間と、今日の銃撃と昨日の砲弾ぶち込みの関係をね」
ファーダがそう言った時だった。ヤーブが渋々と手を挙げたんだ。
「どうした?」
「…セイナネって名前に、心当たりがあるんだが」
彼は、眼鏡をいじり、口を尖らせる。
「何だよ?」
「その、なんだ。俺の知っているセイナネと、レイ大佐の言うセイナネと同一人物かどうかは知らんけどね」
と、ヤーブは皆をぐるりと見回した。
「取りあえず、言ってみろよ」
ランディにうながされ、彼はため息をつく。
「俺が知っているのは、セイナネ・ワラン教授。女。軍階級は軍医中将。遺伝子工学の専門家で、俺ら軍医大生に生物学と臨床遺伝学、なあんていうのを教えてた。独身で、43才。研究施設では、アーミーチルドレンや戦闘用人工生命体の研究をしているはずだよ。付け足すなら、俺が唯一、追試を受けさせられた学科の担当さ。俺が卒業した3年前は現役だった」
「43才ねえ。じゃあ、レイ大佐の母親でも可笑しくないよな」
妙な事を言い出したのは、ジェシーだった。みんな、静まり返ったぜ。
「だって、レイ大佐が20才なんだろう?20才で研究技官で大佐っていったら、かなり優秀なわけだ。と、すると、セイナネ女史と血の繋がりがあるかどうかは置いといて、彼女が作り出したアーミーチャイルドである可能性も高いわけじゃん?」
「それで、外部の奴と接触すると、嫉妬して銃撃するってか?」
と、アーサー。
「その母親に反抗して、レイ大佐は味方の警備部の兵士を殺したわけか?
その推理、ちょっと都合よすぎないか?」
「ジェシ―の推理は、確かに飛躍してるとは思うけど・・・ セイナネ教授は、堅物だよ。なんでも若かりし頃、同僚で優秀な青年研究者との恋に敗れて以来、男が嫌いになったって評判だったから。実の子ってのは、いないと思うな」
と、ヤーブは、心から苦々しい顔をしながらそう言う。
「性格は悪い、化粧は厚い、言葉はきつくて態度は高飛車。全部その男にふられたせいだってさ。俺達学生は、試験のたびにその男を恨んだよ」
「それで、その男はどうしてるんだ?」
俺の問いに、ヤーブは大袈裟に肩を竦めた。
「その男は、戦闘用人工生命体「ヴァイシャ」の開発の責任者だったんだけど、心臓が悪くてね。その心臓手術のあと急死したんだよ。志半ばで力尽きる事を彼はたいそう悔しがって、「20年たったら生き返って、手術した奴等に仕返しする」って言い残したんだ」
とたんにみんな、呆気に取られてしまったよ。それを感じてか、ヤーブはまたしても大袈裟に肩を竦めた。
「軍ていうのは、意外と迷信深いんだぜ。それが実話である証拠に、俺達医学生が、毎年命日に慰霊祭をしてたんだもん。たしか、来週の水曜…8日のはずだ。慰霊祭が終わると夏休みになるわけさ」
「単なるお祭り騒ぎじゃないのか?」
と、ヨハン。ヤーブは、首を横に振った。
「それは、自信を持って違うと言えるよ。他の行事は学生自治会の担当だったけど、その慰霊祭だけは、研究施設事務局が主催してたんだもん。司令官も出席する、盛大なものだよ。
毎年毎年、『君たちも、ヴァイシャル少将のような立派で優秀な研究官、もしくは立派な医者になってほしい』という演説を聞かされるんだ。
ま、どっちにしろ彼の手術を担当した奴は、全員処分を受けている。慰霊祭の時に、その処分一覧を、慰霊碑の前で読み上げるんだ。彼の魂を慰めるためにね」
俺達は、顔を見合わせた。処分一覧を読み上げるなら、実話であるのは間違いないのだろう。しかし、そこまでやる必要があるのか?
「どっちにしろ、俺達はケンカ売られたらしい。ジェシーの持ってきた仕事とも合致するからな」
と、ファーダはスルメを噛んだ。
「あ、そうだ。これこれ、見てくれよ」
俺はポケットから、拾ったあの銀色のコンパクトケースを取り出した。
「レイ大佐の、落とし物だと思うぜ」
それを受け取ったファーダがケースを開けたとたん、周りのみんなは黙り込んだ。俺と同じ反応だ。ホログラフィの美女が喋りおわると、ファーダは俺を見上げた。
「これ、何だよ?」
「なんだよって、見ての通りさ。大佐の落とし物」
ホログラフィは消え、やさしい音色の音楽が流れる。「メモリー」だった。
「ちがうよ!コージ、気付かなかったのか?」
ファーダは、俺の前にコンパクトを突きつけた。
「何?」
「ここ、見なかったのか?」
ホログラフィのあった所は鏡になっていて、俺の顔が映った。
「良く見ろ。鏡の中だ」
「?」
俺は、コンパクトを受け取って改めて覗き込んだ。その瞬間、俺はほんとに驚いた。鏡の中には、レイ大佐とホログラフィの彼女が二人とも軍服姿で、映っていたんだ。しかもその端には、
“レイ・ヴァイシャル&タシェリ・スファン 6,17,2404” という書き込み。
「2404年6月17日ったら、20年前の先月じゃ…」
言いながら、俺はぞっとしたね。20年前だぜ!そうすると、レイ大佐と見間違えるほどよく似ているこの男は…?
「あの大佐の、親父ってことか? じゃあ、この女が、セイナネ教授に勝った女…?」
「ヴァイシャル少将のことも、調べるしかないよ」
と、ファーダはジェシーに視線を送る。
「お前が持ってきた仕事、コージに説明してやれよ」
「ああ、だからさ」
ジェシーは、(俺と同じ未成年のくせに)ウイスキーをあおった。
「そのヴァイシャル少将が作った戦闘用人工生命体が売り出されたんだよ。その筋のネットワークに」
あーあ、俺の前で、随分旨そうに飲むなあ…
「それで軍の情報筋が俺に、「その生命体を、取り引き現場で殺してくれ」と依頼してきたんだ。
そうしたらその後、ここに…「ハンティング」に、生命体を奪取するように依頼することにしたから、一緒に行動してくれって、依頼を修正してきたのさ。支払いを渋ってんのかと思ったら、どうもそうではないらしい」
「なんで?」
「売りに出しているのが、例のミルマ基地研究施設の職員なんだってさ」
そう言ったのは、ファーダだった。
「つまり、スパイ…?」
「そういうこと。だから、俺達に現場押さえて欲しいんだってさ。内務査察部からの依頼だよ。現場には俺達みたいなプロが絡む可能性が高いから、査察部員が変装して出かけていくわけにもいかないってさ」
「そうかなあ?言い訳くさくないか?」
と、俺はため息をついた。
「だけど、そんな依頼で、何で最新地図がいるんだよ?」
「取り引き場所が、基地の近くなんだ。念のためにと思ってね。どちらにしろ、奴等がスパイ事件なんていう恥さらしの後始末を、俺達外部の人間に頼むのはおかしいよ。用心したほうがいいけど、でもまあ、金はいいから引き受けることにする」
おいおい、ファーダ。目がマジだぞ。こういう時の彼は、やる気十分なんだ。皆も、同じさ。
「ヨハンとランディは、ヴァイシャを誰が買い取るつもりなのか詳しく調べてくれ。アーサーとジェシーは、武器の手配。コージはヤーブと一緒に、ヴァイシャル少将の事を調べてくれ。俺とサムは、昨日と今日の襲撃について調べる」
そうだった。襲撃の件もあったんだよな。俺は、トマトジュースをあおったよ。夏休み早々、面倒くさい仕事だぜ。取り引きは、例の慰霊祭の時らしい。俺は、隣のヤーブをつついた。
「聞き忘れたけど、ヴァイシャル少将が開発した戦闘用人工生命体っての、今も製造されてるのか?」
「さあね。でも、20人くらいいるって話を、学生時代に聞いたことがあるよ。かなり優秀な兵士らしい。彼らは生み親の名前を冠して、「ヴァイシャ」って呼ばれてるよ」
ヤーブは、焼酎のお湯割を楽しんでいた。俺の分も残しておいてくれよ!俺はかなり物欲しそうな顔をしていたらしい。向かいのサムが俺と視線を合わせて、ニヤリと笑った。
「一人当たりの分け前は、70万シバルだってさ」
「ほっ、本当か!?」
俺は顔を突き出した。サムはニヤニヤしながら肯く。俺も、顔がニヤけちゃったよ。日本円にしたら、70万円ちょっとだぜ!来週水曜日まで働いて、70万。しかも、めちゃくちゃラクそうなお仕事っ♪ こんな割のいい仕事、滅多にないぜ。
だ、け、ど、うまい話は罠がある。これも結局、とんでもない仕事だったのさ。70万円じゃ足りないくらいのね。