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MUSICA MUNDANA NO.86
Mar.30.2008
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◆ 目次 ◆
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◎ 音楽史
◆トレチェント(14世紀)マドリガーレ◆
◎ 数学史
◆ミカエル・コンスタンティヌス・プセッロス◆
◎ Homepage Updated (Mar.25.2008)
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◎ 随想
◎ あとがき
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━━[音楽史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆トレチェント(14世紀)マドリガーレ◆
イタリアの世俗ポリフォニーを含む最も初期の資料は、ヴァチカン写本
(Vatican codex), Rossi 215,で、恐らく、1330年頃のパドヴァの曲集が収
められているのでしょうが、29の作曲者不詳の曲を含み、その一つがす
でに述べたマギステル・ピエロ (Magister Piero)によるものであることを
私たちはコンコーダンスから知っています。また、彼と同時代に、同じ地域
パドヴァ、ヴェロナ、ミラノで活動していたもう一人の作曲家、フィレンツ
ェのヨハネス(Johannes de Florence)、あるいはジョヴァンニ・ダ・カシア
(フィレンツェに非常に近い所)によるものがあります。三人目の音楽家は、
ヤコポ・ダ・ボローニャ (Jacopo da Bologna)(ヤコブス・デ・ボローニア
(Jacobus de Bolonia))で、ロッシ写本には出てきませんが、同じグループ
に属していたことが知られています。そして、実際のところ、この三人の中
で最も有名でした。
ロッシ(写本)の曲の--そして、これら三人の作曲家たちの全作品の--大
部分は、二声部のマドリガーレです。(ペトラルカとその同時代人のトレチ
ェント・マドリガーレのその名 madriale あるいは madrigaleは、恐らく、
母語での詩を意味する中世ラテン語の matriale に由来するでしょう。それ
は、二つから五つまでの3行のスタンヅァでできており、すべて同じ音楽が
ついていて、その後に2行の異なるリズムのリトルネッロ(ritornello)が続
きました。1313年頃に「新しい」詩形として言及されており、その最も初期
の最もナイーヴな例は、作曲者不詳「Cum altre ucele」です。
ロッシ写本の唯一の三声の曲は、「Or qua compagni」です。これは、正
確には器楽のテノールのあるカノン風のマドリガーレではありません。なぜ
なら、リトルネッロがないからですが、第二声部は、結果的に声部の交差す
る華麗なパッセージに加わり、非常にカノン風のマドリガーレに似ているこ
とから、フランスのシャスより、むしろこれがカッチャの起源だとずっと主
張されています。
初期のマドリガーレの真の巨匠は、「Nel mezzo a sei paon」を作曲した
ジョヴァンニとペトラルカの「Non al suo amante」に作曲した曲と美しい
曲「Fenice fu」を書いたヤコポ(Jacopo)でした。しかし、ジョヴァンニは、
決して、また、ヤコポはごくまれにしか三声部以上のマドリガーレを作曲し
ていません。ヤコポの三声の曲「Uselletto selvaggio」--彼は二声の曲も
作曲していますが--は、単にカッチャの技法を使用しているにすぎません。
この時代は、フランスのモテトゥスの模倣の試みの時代のように思えます。
テノールは、付け加えられたものでなく、最初の基本のパートであることを
理解できなかった作曲家によるホケトゥスや終止のカデンツァさえあります。
事実、これが、その世紀の中頃、イタリアのポリフォニーにフランスの影響
が見られ始める時期にあたります。
━━[数学史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆ミカエル・コンスタンティヌス・プセッロス◆
ゲルベルトの数学の弟子で最も優れた人は、パリのベルネリヌス
(Bernerinus of Paris)でした。彼はゲルベルトの計算法を説明した算術を
書いていますが、彼の生涯についてそれ以上のことは知られていません。
11世紀、ゲルベルトの後継者の中で、最も優れていたのは、シュヴァー
ベン伯ヴォルヴェラト(Wolverad)の息子ヘルマヌス (Hermannus)でした。彼
の四肢は子供の時から痛ましいほど収縮し、歴史上、ヘルマヌス・コントラ
クトゥス(Hermannus Contractus)として知られています。ライヘナウの修道
院の学校で教育を受け、後にベネディクト会修道会に入り、数学の講師とな
り、周囲に多くの生徒を集めました。彼は、アストロラーベ、アバカス(計
算盤)そしてリトモマキア(rithmomachia)という数のゲームについて著述し
ました。
西洋の知的活動の時期、コンスタンチノープルにはそれに対抗できるよう
な人はほとんどいませんでした。そこでの知的生活は、まだ停滞していまし
た。11世紀に東方の首都で数学に何らかの関心を示したとして唯一人の名
が目立っています。--ミカエル・コンスタンティヌス・プセッロス(Michael
Constantine Psellus)(1020 -1110年)です。彼はギリシアの著述家で、アテ
ネに学び、熱烈なプラトン主義者で、哲学を教えるためにコンスタンチノー
プルに戻っています。彼は数人の支配者による統治の時代を生き、皇帝たち
に意見を求められたので、哲学者の王(Prince of Philosophers)という称号
が名誉として与えられました。ニコマコスとユークリッド(エウクレイデス)
の研究の入門(概論)は、彼によるものとされていますが、彼が実際に書い
たかどうかは疑わしいものです。
一つには、彼が数学に関するギリシアの著述家のほぼ最後の人物であったか
ら、一つには、彼の著作が容易に読めることから、また一つには、全般に彼
の学識についての名声から、彼はルネサンス時代に何らかの注目を引いた数
少ない数学の業績のある当時の学者の一人でした。数学に関する彼の主要な
著作は16世紀に少なくとも13回出版されています。彼が、πの値として
√8をとっているという事実は、学者(科学者)としての名声が、どれほど
価値のないものかを示しているでしょう。
━━[随想]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆ミカエル・コンスタンティヌス・プセッロス◆
今回は、数学史でミカエル・コンスタンティヌス・プセッロス(Michael
Constantine Psellus)(1018-c.1078) が出てきましたので、今日は、その
プセッロスを取り上げてみましょう。生没年が、本文と少しずれています
が、1018-c.1078の方が信頼できる数字です。
ミカエル・コンスタンティヌス・プセッロス(Michael Constantine
Psellus) は、ビザンチンの政治における役割と広範囲に及ぶ学識から有
名で、後にイタリア・ルネサンスに影響を及ぼした。彼は年代記、976年-
1078年の歴史を書いただけでなく、当時知られたほとんどすべての学問・
数学の領域で注釈をし、最後の偉大なギリシア天文学者とみなされた。
プセッロスは、1041年にミカエル5世の宮廷大臣になったのを始めとして、
コンスタンチノープル宮廷の多くの重要な地位に就いた。1042年のコンス
タンティヌス9世の即位の際して国務大臣となり、1054年にコンスタンテ
ィヌス帝の統治が終わるまでその地位に就いた。また、彼は、1045年から
9年間コンスタンチノープルの哲学の教授を務めている。
1054年は、ビザンチンの歴史においてもプセッロスの人生においても重要
な年だった。その年に、ギリシア正教会とローマ・カトリック教会との断
絶が決定的になり、プセッロスは、ローマとの分裂を望んでいたが、この
大混乱で深く影響を受けた。彼は大学を去り、コンスタンティヌス・プセ
ッロスというこれまでの名に加えてミカエルという名を採用した。
恐らく、彼は、精神的な瞑想の人生を始めたかったのだろうが、1055年に
女帝テオドーラに呼び戻され、ビザンチンの政治的大混乱の中に帰った。
彼は首相となり、また後にミカエル7世ドゥカス(Michael VII Ducas)
(1071-1078)の治世にもその職に就いた。ミカエル7世は、彼が大学にいた
ときの彼の学生でした。首相として、彼はミカエルにローマ教会との和解
のいかなる試みも避けるよう主張した。
政治家になる前もなってからも、プセッロスは広く著作した。彼は、古典
古代、特にホメロス神話やプラトン哲学(427-347 B.C.)をより一層強調す
るカリキュラムを組んで大学を再組織した。彼は、また哲学や神学、文法
や法律について著作している。
プセッロスは、また自然科学や医学、数学の注釈も書いた。彼の後者の著
作は、学者たちに古代の同国人ピュタゴラス(c. 580-c. 500 B.C.)やアレ
クサンドリアのディオファントゥス(c. 200-c. 284)に関する貴重な情報を
提供している。また、天文学の著作でも記憶されている。彼の役割は、第
一に、理論家というよりむしろ記録者・歴史家としての役割であったが。
恐らく、プセッロスの思想への最大の貢献は、アリストテレス(384-322
B.C.)の確固たる科学的世界観に反対するものとしてプラトンのイデアリズ
ムを強調したことであっただろう。長い目で見れば、この強調は、科学的
思索にネガティブなインパクトを与えたかも知れないが、少なくとも短期
的には、彼は、探求の蓄積を新たにするのに役立ち、続いてルネサンスの
イタリアの思想家たちに影響を与えた。これらの思想家たちは、長い眠り
からプラトンの思想を蘇らせた。
1078年に、マケドニア王朝の勃興による王家の政治は終わり、ビザンチン
宮廷でのプセッロスの時代は終わった。その後すぐに彼は没した。
参照 - Michael Constantine Psellus
http://www.bookrags.com/research/michael-constantine-psellus-scit-021234/
━━[催し物情報]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
大正ロマン昭和モダン展−竹久夢二・高畠華宵とその時代−
大正から昭和初期は、挿絵画家たちが活躍した時代です。少年少女雑誌
の挿絵を始め、絵葉書、装丁本などさまざまな大衆アートが、子どもから
大人まで、幅広く人々の心をとらえました。大正と昭和という時代の色調
を色濃く帯びたこれらの作品は、現在の私たちの心もとらえて離しません。
展覧会では、一世を風靡した竹久夢二と高畠華宵のふたりを中心に、こ
の時代に活躍した作家たちの作品をご紹介します。
【開催期間】2008年4月26日[土] - 2008年6月22日[日]
【開催場所】徳島県立近代美術館 展示室3
【主催】徳島県立近代美術館、徳島新聞社、四国放送
【観覧料】一般600円 高・大生450円 小・中生300円
【休館日】月曜日(ただし5月5日を除く)、5月7日[火]
徳島県立博物館の催し物情報は、以下のサイトをご覧ください。
http://www.museum.comet.go.jp/
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知人が発行しているメルマガです。興味関心のある方はどうぞ。
「知」とIT/ビジネスへのTIPS
URL http://kinyuu-literacy.hp.infoseek.co.jp/
━━[Homepage Updated]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ホームページ update情報
落書き帖第202号
Plato "The Republic" を読もう
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各国語で聖書を読む
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ロシア語初級コースのテキストを読む
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MySouda--惣田正明のホームページ
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TeleScope WebPage--MySouda Information Page
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http://www.doblog.com/weblog/myblog/3403
JavaScriptや DHTMLに対応していないブラウザをご使用の方、あるいは
重くて仕方のない方は、[SIMPLE版]をご覧ください。
━━[あとがき]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京では、桜が満開に近いというニュースがあったりしますが、こちら
では、まだ3分から5分というところでしょうか。今日は、珍しく冷たい
雨が降っていたりします。
と言っても「花七日」という言葉があるように、一週間もすれば散って
しまうかも知れません。今週末が見頃でしょうか。
ではまた。
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