キムパパ
いわきスキーフレンズメンバー
ミュウジシャンスキィヤア≠ヘ、準指導員になった(2003.2)
いわきスキーフレンズのメンバーに入った由来には、種々の事情に基づいてあるが、その人の生誕地、成長地、住居地の状態は、
影響が大なるものである。
故にキムパパ≠ヘ,いわき市唯一の市街地、平に育ち、中央台に現住しているので、ハイセンスの風がある。
社会の形勢、知人環境、職歴等の感化により、直接間接に、その影響を受けることがまた大なるものなり、
しかして、メンバーがスキーとの関わりが、どのようにしてなったかは知らない。
キムパパ≠ェ、いわきスキーフレンズに入る前から、住居を同じくするきむたく=iキムパパ≠フ息子)が、
いわきスキーフレンズのメンバーの一員であって、その保護者の存在であった。
息子が先で父親が後でメンバーになったのである。
キム一家は、皆、各々固有の気風があっても、ミュウジシャンというで、バンドを組めるということである。
故に、からおけをbP、専用のステージをもっている。
息子きむたく≠フスキー技術の成長が著しく、キムパパ≠焉A自らも自由スキーに滑るよりも、仲間とすべりたい、
という思いに流れるは、自然の勢いにして、その後、スキー技能検定で、一級を取得するや、スキー滑走毎に、スキー滑走概念を替え、
アルツ磐梯スキー場という適する所の情態し、猫魔スキー場、栗子国際スキー場、天元台スキー場、月山スキー場等の技術を磨き、
自分より若き指導者に謙虚に学び、技術、指導方法を習得し、ついに、全日本スキー連盟基礎スキー準指導員の資格を得た。
いつのまにやら、ゴルフの腕前を上げて、桃太郎と森五蘭丸に一打差をつけて,スキーもゴルフも年齢も発展途上である。
今や、いわきスキーフレンズの核の感があって、スキー指導者として固有のやり方を発揮し、価値あるスキーヤーになられるよう期待
している。
いわきの地は、気候温暖にして、スキー場まで遠く、自然の刺激少なき感あるが、滑り出すまでの条件の整備、忍耐努力、奮闘邁進で
元気にスキーやってほしい。
今や、スキーは過去という感ありの時代にて、スキーヤーの士気を蘇らせる時代であり、いわきスキーフレンズメンバーの結合を要す
ることは、益々切なるものがあります。
「継続は力なり」、キムパパ≠フ全日本スキー連盟基礎スキー準指導員の資格を得た機会に、これまでのこと、今のこと、
これからの事を思って・・・・・
いわきスキーフレンズのメンバー紹介 キムパパ
2003年11月11日 記 桃太郎
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