喜劇「知恵の悲しみ(Горе от ума)」(1795-1829)
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喜劇の思想的構想とその構成
喜劇「知恵の悲しみ(Горе от
ума)」の構想は、ロシアで政府の反動の強化に答えて、秘密の結社が生まれた時に、グリボエードフに生じた。デカブリストの観点の人と反動的な貴族階級
の一群との衝突は、グリボエードフによって喜劇の基盤に置かれた。これが、その喜劇に社会政治的性格を与えた。 自らの喜劇に、グリボエードフは、当時極めて重要な一連の問題をとても鋭く提出した。農奴制の問題、また貴族地主と農奴農民との相互 関係の問題、封建的農奴制ロシアでの勤務や教育(啓蒙)と文化、知識人と民衆との関係、偽りの愛国主義の問題など。こうした問題点は、その喜劇に先鋭な政 治的性格を与え、それを、まだ出版されていないのに首都だけでなく、地方都市でも何千部もの手書きの写しが広まるという作品にした。
チャツキーの悲劇の原因は、彼の道徳的観点、知、高潔な志向にある。これらすべては、ファムソフの社会では尊重されないばかりかそれ以上に拒否され、迫 害される。この貴族社会では、人は、支配する者に気に入られるように自ら主義を捨て、この社会に従うことによってのみ受け入れられるのかもしれない。例え ば、そうした変化が、ソフィヤやチャーツキーの前の軍務で同僚ゴリチ(Горичем)に起こった。 喜劇の思想的テーマの内容は、その人物や出来事の発展の中に明らかにされている。モスクワの貴族社会を代表する多くの登場人物が舞台
の外の人物として、すなわち舞台に姿を見せないが、登場する人々の話から私たちが知ることのできる登場人物2として十分に補われて
いる。例えば、マクシム・ペトロヴィチ(Макcим Петрович)、クジマ・ペトロヴィチ(Кузьма
Петрович)、「高貴な無頼漢、ネクトル(Нектор негодяев
знатных)」、地主貴族でバレーの愛好家のタチヤーナ・ユリエヴナ(Татьяна
Юрьевна)、公爵夫人マリヤ・アレクセーエヴナ(княгиня Марья
Алексеевна)のようなその他多くの舞台外の人物たちは、ファムーソフの社会と関係がある。これらの人々は、グリボエードフに、モスクワの境界を
越えて風刺的な絵画の枠を提供し、戯曲に宮廷社会を挿入することを可能にした。このお陰で、「知恵の悲しみ」は、19世紀10-20年代のロシアすべての
極めて広範な生活図を与える作品に成長する。二つの陣営の間、進歩的でデカブリストの傾向のある人々と旧時の砦、農奴擁護者との間で、当時のモスクワだけ
でなく全ロシアで強力に展開していた社会闘争を再生産しながら。
当時は、現在とは異なり、
同じファムーソフは、少し後で、新しい時代の彼には自由主義的に思える若いツァーリの政治について、年長の者たちに不満を込めて語る。5 我らが老人たちは?--如何に血気(激情)が彼らを捉えているか
まさに、新しい事が、これら「思考(知)において退役した真っ直ぐな文官たちを(прямые канцлеры в отставке по
уму)」を恐れさせる。彼らは、自らの「判断をオチャコフとクリミアの征服の時代の新聞から引き出す(сужденья черпают из
забытых газет времён Очакова и покоренья
Крыма)」アレクサンドル1世の治世の前半、その時、彼は自らの周囲に自由主義とこれら老人たちから思われた若い友人たちを集め、彼らは抗議の形で職
務を去った。このように有名な海軍大臣シシュコフ(Шишков)は行動し、政府の政治が激しい反動的傾向を受け入れた時だけ国家の活動に戻った。そうし
たシシュコフのような人は、モスクワには特に多くいた。彼らは、ここで人生のトーンを与えている。ファムーソフは信じていた。「彼らなしでは物事は進まな
い。(что без них не обойдётся дело)彼らは政治を決定するだろう。 ほら、例えば、私たちのところでは、すでに行われている。 ファムーソフは、こう語る。こうした見解は、ツゴウホフスキー公爵夫人(княгиня
Тугоуховская)も持っている。チャーツキーが、侍従補でも富裕でもないことを知って、彼女は彼に関心を持つことをやめる。ファムーソフと
チャーツキーのところの農奴の数について議論しながら、フリョストヴァ(Хлёстова)は、侮辱してこう言う。「もう、他人の領地のことなど、私には
関係がない!(Уж чужих имений мне не знать!)」 しかし、私のところで、何が仕事で、何が仕事でないのか。 「重要な地位を支配して(управляющего в казённом месте)」(恐らく、文書局長)、ファムーソフは、自分のところに身内のものを雇い入れる。 私のところでは、よそ者の職員は、極めて稀だ。 ひいき、縁者びいきは、ファムーソフの社会では普通のことだ。国家の利益ではなく、個人の利益が、ファムーソフの関心事であった。文 民の勤務に関して、そのような状態にあったが、軍務に関しても、それを見る。陸軍大佐、スカロズプ(Скалозуб)は、あたかもファムーソフを真似て いるかのように、こう述べる。 そう、官吏になるためには、多くの運河(手段)がある。 彼は、十分、自ら出世することに成功する。率直に言えば、これは彼自らの業績によるのではなく、状況が彼に有利になったためだと説明 しながら。 私は、私の同輩たちの中で十分幸せだ。-- 5.出世主義6、追従、上司へのお世辞、従順は、すべて当時の役人世界特有の特徴である。それは、特に、モル チャーリン(Молчалин)の人物で十分明らかにされている。
とはいえ、彼は一定の地位にまで出世する。 その「従順と恐怖の時代(век покорности и страха)」は、そうして抜け目のない秘書官が「仕事ではなく、人に(лицам, а не делу)」仕えれば、貴人の人々の中で目立ち、職務上での高い地位を得た。レネチロフ(Ренетилов)は、自分の妻の父(舅)の秘書についてこう 語る。 彼の秘書官は、みんな節操がなく、みんな賄賂を取る。 モルチャーリンのところでは、みな、後に重要な官吏になることが保証されている。権威のある人に取り入る能力、自分の目的を達成する
ためには、全く手段を選ばないこと、あらゆる道徳的法則の欠如、それに加えて、次の二つの「才能(таланта)」すべて--「中庸(節制)と几帳面さ
(умеренность и аккуратность)」 学問は--ほら、悪疫だ。博学は--ほら、災害だ。 彼は、これらの悪と断固たる戦いを挑む手段を提供する。 もしも、悪を根絶したいなら、 ファムーソフにスコロズプは、相づちを打つ。 私は、あなたを喜ばせる。一般に広がっている噂 啓蒙教化教育の温床に反対して、--「寄宿学校、一般学校、貴族男子学校(пансионов, школ,
лицеев)」といった教育機関、そこでは、教授の分離派と無信仰の中で学習する。(упражняются в расколах и
безверьи
профессора)」と、フリョストヴァ(Хлёстова)と公爵夫人トゥゴウホフスカヤ(Тугоуховская)は、何度も語る。
「この劇の登場人物は、もっぱら彼らの言葉だけで創造されている。すなわち、純粋に言語の言葉だけで描かれていて、叙述によってではない。これを理解す ることがとても重要だ。なぜなら、劇の人物が、舞台で、その俳優たちの姿に、芸術的な価値や社会的信憑性を獲得するためには、それゆえ必然的に、それぞれ の人物の言葉が厳密に独特のもので、限界まで表現豊かであるためには、・・・私たちは、手本として、私たちのすぐれた喜劇の主人公たち、ファムーソフ、ス カロズプ、モルチャーリン、レペツィロフ、フレスタコフ、ゴロドニチィ、ラスプリュエフなど--を取り上げよう。これらの人物一人一人が、わずかな言葉で 創られ、その一人一人が、自らの階級について、自らの時代について、全く正確な描写がされている。(Действующие лица пьесы создаются исключительно и только их речами, т.е. чисто речевым языком, а не описательным. Это очень важно понять, ибо для того, чтобы фигуры пьесы приобрели на сцене, в изображении её артистов, художественную ценность и социальную убедительность, необходимо, чтоб речь каждой фигуры была строго своеобразна, предельно выразительна ... Возьмём для примера героев наших прекрасных комедий: Фамусова, Скалозуба, Молчалина, Репетилова, Хлестакова, Городничего, Расплюева и т.д., -- каждая из этих фигур создана небольшим количеством слов и каждая из них даёт совершенно точное представление о своём классе, о своей эпохе.)」 次に、私たちは、グリボエードフによって、彼の喜劇の個々の主人公がいかに描写されているかを見るだろう。 パヴェル・アファナシエヴィッチ・ファムーソフ(Павел Афанасьевич Фамусов)は、裕福な貴族地主で、政府の高官である。彼は、モスクワの地主貴族階級仲間では、よく知られた人物である。このことが、彼の生まれ(家 柄)を強調させる。1
ファムーソフは、現実から創造された人物である。彼は、あらゆる面で--貴族地主、主に、官吏として、父親として、その姿を現す。 自らの観点によれば、彼は「旧教徒(非改革派)(старовер)」で、貴族階級の断固たる奴隷制擁護者であり、あらゆる政治的社会的生活の分野での 新しいことに反対する人である。ファムーソフは、モスクワの貴族の、その習慣の、モスクワ貴族階級の生活様式の崇拝者である。自らの家庭では、彼は、客好 きの懇切な主人であり、機知・頓知に富む話上手であり、愛情深い父親であり、権力ある主人である。勤務においては、厳しい上司であり、自らの身内の擁護者 である。彼は、実務的な俗世間の知恵と善良さを失わず、同時に、興味を抱いたり少し不安を抱いたことに対しては、へつらったり不平を言ったり短気になる人 であった。 彼の性格の独自性は、著しく豊かに彼の言葉の中に表現されている。彼の言葉は、モスクワの貴族地主たちに典型的なものである。 その構成からみれば、ファムーソフの語彙は極めて多様である。彼の言葉の中で、民衆の言葉や表現と出会う。зелье(浸酒)、невзначай(偶 然に)、подит-ка(やってみろ)、откудова(=откудаどこから)、противу(=против) будущей недели(来週ごろに)、давно полковники(元陸軍大佐)、бьют баклуши(ぶらぶらする)、в ус никого не дуют(無関心でいる)など。また、他国語の言葉、симфония(シンフォニー(交響曲))、квартал(街区)、куртаг(帝王謁見 日)、карбонарий(カルボナリ党の)などともで出会う。しかし、ファムーソフの言葉には、すばらしく自由に言葉を操るわりには、複雑な魂の体 験、学問の考えを表現する言葉がないのが特徴である。--これは、彼の文化的水準が高くないことを示している。ファムーソフは、俗世間の言葉を話す。それ 故、彼の文章の中には、多くの口語表現と民衆の言い回しがある。「なぬ、貴様、ペテンにかけたな。(Ну, выкинул ты штуку!)」「ベッドから辛くも跳ね起きた。(Чуть из постели прыг!)」自分の言葉、その語彙と文章法で、ファムーソフは、民衆の言葉を避けないで、あたかも自分がロシアの地主貴族であることを強調しようとして いるかのようである。このことは、彼を、彼の社会の他の代表者たちと幾分区別される。 しかし、ファムーソフの性格は、彼は話す相手によって、話す言葉のイントネーションと言葉のニュアンスによって、一層鮮明になる。 下級役人のモルチャーリンとは、長官のように尊大に、常に「おまえ(ты)」で呼びかけるが、チャーツキーとは、自分の仲間の社会の人間に対するような 態度を保っている。権力のあるスカロズプには、ファムーソフはお世辞を言い媚びるように話す。「親愛なるセルゲイ・セルゲイッチ様。(Сергей Сергеич, дорогой)」「謹んで許します。(Прошу покорно)」「お許しください。(позвольте)」「とんでもございません。(помилуйте)」など。彼との会話では、小詞 -сを付け加える。「私たちのおそばに是非(к нам сюда-с)」「ほらそこにです、私の友人のチャーツキーの、故アンドレイ・イリッチのご子息が。(вот-с Чацкого, мне груга, Андрея Ильича покойного сынок)」など。 召使いたちには、彼は乱暴に叫ぶ。「阿呆!何度言ったら分かるんだ。(Ослы!сто раз вам повтрять)」 父親としてのファムーソフの人物像は、ソフィヤの彼の扱いを鮮明に映し出している。彼は、彼女を叱り、楽しませ、非難し、心配をする。彼は彼女に様々に 対応する。「ソフィヤ、ソフィコーシュカ、ソフィヤ・パヴロブナ、我が友、可愛い娘、女主人(Софья, Софьюшка, Софья Павловна, мой друг, дочка, сударыня)」 そうした話し方で、グリボエードフは、19世紀初めのモスクワ貴族階級の典型的代表者のファムーソフの真実を帯びた人物像をさらに一層鮮明にする。 モルチャーリンの性格の特徴--社会的成功(出世)への志向、取り入る能力、偽善--は、彼の話の独自性を決定づける。彼は、口数が
少なく、「語彙は豊富ではない(не богат
словами)」。これが、彼が自分の意見を述べることへの不安を説明している。彼は、主に、短い語句で語り、言葉は、話す相手に合わせて厳密に選ばれ
る。彼の言葉には、外国の語彙や表現はない。モルチャーリンは、丁寧な民衆のものでない言葉を選ぼうとし、恭しくсを付け加える。「文書で、ですか。あり
ません、です。(с бумагами-с,
нет-с)」彼の話すイントネーションは、相手によって様々である。上司であるファムーソフに対しては、丁寧さを強調して話し、フリョーフスフには、-
-へつらい猫なで声で、ソフィヤとは、特別に控えめに、リーザとは、遠慮のない表現で話す。特に面白いのは、彼とチャーツキーとの会話である。外見上は、
モルチャーリンは、チャーツキーにとても丁寧に話すが、その丁寧さの裏には、出世しつつある官吏のうぬぼれが隠されている。彼の話の中には、「官吏として
成功しなかった(не далиcь
чины)」チャーツキーに対する嘲笑が鳴り響いている。そして、教えをたれようとする。「タチヤーナ・ユーリエヴナのところへ、あなたが一度でも訪れて
いたら。(К Татьяне Юрьевне хоть раз бы съездить вам)」 陸軍大佐スカロズプは、アラクチェフの時代の士官(将校)出世主義者の典型であり、知的な面では、彼は利口でない人物である。「彼
は、かつて一度も知的な言葉を言ったことがない。(Он слова умного не выговорил
сроду.)」--とソフィヤは言う。このスカロズプの性格にリーザも同意する。「そうでございますね。そんな風な話し方で、おしゃべりで、でも残念で
すけれど、難しいことはないですね。(Да-с, так сказать, речист, а больно не
хитёр.)」当時の将校たちは、高い教育を受けた教養ある人々であった。彼らの何人かは、デカブリストの運動に関わっていた。スカロズプは、彼らとの
関係はなかった。逆に、忠実な専制農奴制の擁護者、啓蒙の敵であった。 メールは にお願いします。 |