喜劇「知恵の悲しみ(Горе от ума)」(1795-1829)

[喜劇の思想的構想とその構成][喜劇「知恵の悲しみ」 の思想的主題の内容]
[ファム-ソフの社会][ファムーソフ][モルチャーリン][スカロズプ][ザガレツキー]
[レペチロフ][ソフィヤ][チャーツキー][喜劇「知恵の悲しみ」の意義]

[目次]


喜劇の思想的構想とその構成

 喜劇「知恵の悲しみ(Горе от ума)」の構想は、ロシアで政府の反動の強化に答えて、秘密の結社が生まれた時に、グリボエードフに生じた。デカブリストの観点の人と反動的な貴族階級 の一群との衝突は、グリボエードフによって喜劇の基盤に置かれた。これが、その喜劇に社会政治的性格を与えた。
 グリボエードフの喜劇は、ロシア社会に絶えず増大しつつあったデカブリストと農奴制擁護者との闘争を反映した。この闘争は、劇の幕の基本的な動因であ る。しかし、ファムソフの社会に対するチャツキーの登場は、愛のドラマを複雑にする。チャツキーの個人の、また社会のドラマが内面に繋がり、喜劇の終わり まで互いに交代もせず絡み合い、互いに交錯している。
 喜劇の構成に現れたグリボエードフの優れた技量は、特に、劇に登場するすべての形象が、最も些細な点にいたるまで、テーマの進展において重要な役割を果 たしていることに明瞭に現れている。特に、根本的な思想的構想の実現に、--喜劇に当時のロシアの現実の広い絵画を与え、「現在の時代(века нынешнего)」と「過去の時代(веком минувшим):」との衝突を示すことに。

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喜劇「知恵の悲しみ」の思想的主題の内容

 自らの喜劇に、グリボエードフは、当時極めて重要な一連の問題をとても鋭く提出した。農奴制の問題、また貴族地主と農奴農民との相互 関係の問題、封建的農奴制ロシアでの勤務や教育(啓蒙)と文化、知識人と民衆との関係、偽りの愛国主義の問題など。こうした問題点は、その喜劇に先鋭な政 治的性格を与え、それを、まだ出版されていないのに首都だけでなく、地方都市でも何千部もの手書きの写しが広まるという作品にした。

  1. Проблема(проблематика)--解決を必要とする問題
 しかし、悲劇の表題そのものが、著者が「知恵の悲しみ」の内容にもう一つ問題を挿入していることを示している。グリボエードフは、知や愛、創造への人の 志向、全般に人間の気質の最もすぐれたものすべてを破壊する農奴制社会の中で生きることを余儀なくされた知恵ある人間の悲しみを描いている。
 チャツキーの悲劇の原因は、彼の道徳的観点、知、高潔な志向にある。これらすべては、ファムソフの社会では尊重されないばかりかそれ以上に拒否され、迫 害される。この貴族社会では、人は、支配する者に気に入られるように自ら主義を捨て、この社会に従うことによってのみ受け入れられるのかもしれない。例え ば、そうした変化が、ソフィヤやチャーツキーの前の軍務で同僚ゴリチ(Горичем)に起こった。

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ファム-ソフの社会

 喜劇の思想的テーマの内容は、その人物や出来事の発展の中に明らかにされている。モスクワの貴族社会を代表する多くの登場人物が舞台 の外の人物として、すなわち舞台に姿を見せないが、登場する人々の話から私たちが知ることのできる登場人物2として十分に補われて いる。例えば、マクシム・ペトロヴィチ(Макcим Петрович)、クジマ・ペトロヴィチ(Кузьма Петрович)、「高貴な無頼漢、ネクトル(Нектор негодяев знатных)」、地主貴族でバレーの愛好家のタチヤーナ・ユリエヴナ(Татьяна Юрьевна)、公爵夫人マリヤ・アレクセーエヴナ(княгиня Марья Алексеевна)のようなその他多くの舞台外の人物たちは、ファムーソフの社会と関係がある。これらの人々は、グリボエードフに、モスクワの境界を 越えて風刺的な絵画の枠を提供し、戯曲に宮廷社会を挿入することを可能にした。このお陰で、「知恵の悲しみ」は、19世紀10-20年代のロシアすべての 極めて広範な生活図を与える作品に成長する。二つの陣営の間、進歩的でデカブリストの傾向のある人々と旧時の砦、農奴擁護者との間で、当時のモスクワだけ でなく全ロシアで強力に展開していた社会闘争を再生産しながら。
 先ず、旧制度の擁護者、保守的な貴族階層を見てみよう。この貴族たちのグループは、ファムーソフの社会を構成している。グリボエードフは、それをどのよ うに特徴付けているだろうか。
 1.ファムーソフの仲間の人々は、特に最も年を取った世代は、専制農奴制の確信的支持者であり、強烈な反動的農奴制擁護者である。彼らにとっては、貴族 地主の権力が極めて強かった過去、エカテリーナ2世の時代が尊い。ファムーソフは敬虔に女帝の宮廷を思い起こす。貴人、マクシム・ペトロヴィチ (Макcим Петрович)について語りながら、ファムーソフは、エカテリーナの宮廷と新しい宮廷の人々とを対比させる。

  2. Персонаж--戯曲作品での登場人物

  当時は、現在とは異なり、
  女帝の時代、エカテリーナに仕えた。
  その時代、すべてが厳粛だった!40プードに・・・
  互いに挨拶を交わしながら、つけ前髪でうなずく
  幸運の貴人は、それだけ一層、
  他の者とは異なる、別な仕方で飲み食いをした。
   (Тогда не то, что ныне:
    При государыне служил Екатерине.
    А в то поры все важны! в сорок пуд ...
    Раскланяйся, тупеем,3 не кивнут.
    Вельможа в случае,4 тем паче,
    Не как другой, и пил и ел иначе.)

  3. Тупей--けばだった髪の束
  4. Вельможа в случае--ツァーリの寵臣

 同じファムーソフは、少し後で、新しい時代の彼には自由主義的に思える若いツァーリの政治について、年長の者たちに不満を込めて語る。5

  我らが老人たちは?--如何に血気(激情)が彼らを捉えているか
  物事を厳罰に処する、言葉は判決(宣告)
  本当に、柱となる人々すべてがどこ吹く風という顔をし
  政府について時に話すことがあっても
  もし、立ち聞きする人がいれば・・・不幸だ!
  新しいことを実施するのでなければ、--決して
  神よ、我らを救い給え!いや・・・
   (А наши старички? - Как их возьмёт задор,
    Засудят об делах, что слово - приговор,
    Ведь столбовые все, в ус никого не дуют,
    И об правительстве иной раз так толкуют,
    Что если б кто подслушал их ... беда!
    Не то, чтоб новизны вводили, - никогда
,     Спаси нас боже! ... Нет ...)

  5. ここでは、幾分自由主義的思想を奨励している

 まさに、新しい事が、これら「思考(知)において退役した真っ直ぐな文官たちを(прямые канцлеры в отставке по уму)」を恐れさせる。彼らは、自らの「判断をオチャコフとクリミアの征服の時代の新聞から引き出す(сужденья черпают из забытых газет времён Очакова и покоренья Крыма)」アレクサンドル1世の治世の前半、その時、彼は自らの周囲に自由主義とこれら老人たちから思われた若い友人たちを集め、彼らは抗議の形で職 務を去った。このように有名な海軍大臣シシュコフ(Шишков)は行動し、政府の政治が激しい反動的傾向を受け入れた時だけ国家の活動に戻った。そうし たシシュコフのような人は、モスクワには特に多くいた。彼らは、ここで人生のトーンを与えている。ファムーソフは信じていた。「彼らなしでは物事は進まな い。(что без них не обойдётся дело)彼らは政治を決定するだろう。
 2.ファムーソフの社会は、強固に自らの貴族の利益を守っている。ここでは、人は、その出身と富とによってだけ評価され、個人の資質によっては評価され ない。

  ほら、例えば、私たちのところでは、すでに行われている。
    父に応じて息子に栄誉が与えられることが。
  無能な者であっても、20000ほどの一族の者を
    周りに、得ることができれば、
    その求婚者は。
  たとえ別の者が利発であっても、傲慢さで満たされた、
    自らに利口であるという評判を持たせておけ。
  が、家庭には入れない。悪く思わないでくれ。
  まさに、ここだけは、まだ貴族たちに大事にされているから。
    (Вот например, у нас уж исстари ведётся,
       Что по отцу и сыну честь;
     Будь плохонький, да если наберётся
       Душ тысячки две родовых,
       Тот и жених,
     Другой хоть прытче будь, надутый всяким чванством,
       Пускай себе разумником слыви,
     А в семью не включат, на нас не подиви.
     Ведь только здесь ещё и дорожат дворянством.)

ファムーソフは、こう語る。こうした見解は、ツゴウホフスキー公爵夫人(княгиня Тугоуховская)も持っている。チャーツキーが、侍従補でも富裕でもないことを知って、彼女は彼に関心を持つことをやめる。ファムーソフと チャーツキーのところの農奴の数について議論しながら、フリョストヴァ(Хлёстова)は、侮辱してこう言う。「もう、他人の領地のことなど、私には 関係がない!(Уж чужих имений мне не знать!)」
 3.ファムーソフの仲間の貴族たちは、もう民たちのことを見ず、彼らを厳しく罰した。例えば、チャーツキーは、一人の貴族地主のことを思い起こす。彼 は、一度ならず、彼の名誉と生命を救った自分の召使いを三匹の駿足の犬と交換した。フリョストフは、晩に、「黒人の百姓娘(арапки-девки)」 と子犬を連れてファムーソフのところにやって来て、ソフィヤに頼む。「こいつらに餌を与えるよう命じられた。待ってろ、友よ。夜食から餌を取ってくるか ら。(Вели их накормить, ужо, дружочек мой, от ужина сошли подачку.)」召使いに腹を立て、ファムーソフは玄関番のフィリク(Фильке)に叫ぶ。「仕事をしろ、お前は島流しだ!(В работу вас! на поселенье вас!)」
 4.ファムーソフと彼の客人にとって、人生の目的とは--社会的成功(出世)、高位高官、富である。エカテリーナ時代の貴人であるマクシム・ペトロビッ チ、宮廷の侍従、クジマ・ペトロヴィッチは--その模倣の典型である。ファムーソフは、クラロズプの面倒を見、自分の娘を彼に嫁がせようと夢見ている。た だ、彼が黄金の袋(卵)であり将軍を目指している(и золотой мешок, и метит в генераль)ということだけで、ファムーソフの社会での勤務(奉仕)は、収入の源、官吏や高官になる手段としてだけに理解される。彼らは、本質的に 仕事をするのではなく、ファムーソフは、彼の「実務上の(деловой)」秘書、モルチャーリン(Молчалин)が提出する書類にただ署名するだ け。彼自身、このことを認めている。

  しかし、私のところで、何が仕事で、何が仕事でないのか。
    私の日常は、そんなもの、
  署名がなされると、それで肩の荷がおりる。
    (А у меня, что дело, что не дело.
       Обычай мой такой;
     Подписано, так с плеч долой.)

 「重要な地位を支配して(управляющего в казённом месте)」(恐らく、文書局長)、ファムーソフは、自分のところに身内のものを雇い入れる。

  私のところでは、よそ者の職員は、極めて稀だ。
  絶えず、姉妹たちの、妻の姉妹たちの子供たちが増える・・・。
  小さな十字勲章へ、ちょっとした地位に、いかに君は、推挙を始めるのか。
  さあ、いかに、故郷の人々を助けないのか!
    (При мне служащие чужие очень редки:
     Всё больше сестрины, свояченицы детки ...
     Как станешь представлять к крестишку ли, к местечку,
     Ну как не порадеть родному человечку! ... )

 ひいき、縁者びいきは、ファムーソフの社会では普通のことだ。国家の利益ではなく、個人の利益が、ファムーソフの関心事であった。文 民の勤務に関して、そのような状態にあったが、軍務に関しても、それを見る。陸軍大佐、スカロズプ(Скалозуб)は、あたかもファムーソフを真似て いるかのように、こう述べる。

  そう、官吏になるためには、多くの運河(手段)がある。
  それについて、真の哲学者のように、私は判断する。
  私には、将軍が手に入っただけだ。
    (Да, чтоб чины добыть, есть многие каналы;
     Об них как истинный Философ я сужу;
     Мне только бы досталось в генералы.)

 彼は、十分、自ら出世することに成功する。率直に言えば、これは彼自らの業績によるのではなく、状況が彼に有利になったためだと説明 しながら。

  私は、私の同輩たちの中で十分幸せだ。--
  欠員がちょうどできた。
  他の年長者たちは除外され、
  見よ、他の者たちは殺された。
    (Довольно счастлив я в товарищах моих, --
     Вакансии как раз открыты:
     То старших выключат иных,
     Другие, смотришь, перебиты.)

 5.出世主義6、追従、上司へのお世辞、従順は、すべて当時の役人世界特有の特徴である。それは、特に、モル チャーリン(Молчалин)の人物で十分明らかにされている。

  6. Карьеризм--個人の成功や職務上での登用を追究すること。
 トベリ(Твери)で勤務を始め、モルチャーリンは、小貴族とも言えず、雑階級知識人とも言えず、ファムーソフの庇護のお陰で、モスクワに移る。モス クワでは、彼は確実に勤務をこなす。モルチャーリンは、もし出世したいなら、官吏に必要とされていることが何であるのか、すばらしく理解している。ファ ムーソフのところに勤めた3年間を通して、かれは、すでに「3度褒美を受け取り(три награжденья)」、ファムーソフにとって必要な人間となることで、彼の家に入ることができた。その故に、チャーツキーは、そうした官吏の典型を よく知っていたので、モルチャーリンに輝かしい職務上での出世をすることを予言する。

  とはいえ、彼は一定の地位にまで出世する。
  本当に、今の時代、従順な者たちが愛される。
    (А впрочем, он дойдёт до степеней известных,
     Ведь нынче любят бессловесных.)

 その「従順と恐怖の時代(век покорности и страха)」は、そうして抜け目のない秘書官が「仕事ではなく、人に(лицам, а не делу)」仕えれば、貴人の人々の中で目立ち、職務上での高い地位を得た。レネチロフ(Ренетилов)は、自分の妻の父(舅)の秘書についてこう 語る。

  彼の秘書官は、みんな節操がなく、みんな賄賂を取る。
  ろくでもない奴らだ、文字を書くろくでなし。
  みんな、上流社会に入って、今やみな偉くなっている。
    (Секретари его все хамы, все продажны,
     Людишки, пишущая тварь,
     Все вышли в знать, все нынче важны.)

 モルチャーリンのところでは、みな、後に重要な官吏になることが保証されている。権威のある人に取り入る能力、自分の目的を達成する ためには、全く手段を選ばないこと、あらゆる道徳的法則の欠如、それに加えて、次の二つの「才能(таланта)」すべて--「中庸(節制)と几帳面さ (умеренность и аккуратность)」
 6.農奴制擁護者ファムーソフの保守的な社会は、火のように、あらゆる新しい進歩的なもの、彼の支配する状況を脅かす可能性のあるすべてのものを恐れ る。ファムーソフの彼の客人たちは、チャーツキーの思想や観点に対する戦いに、一致して立ち向かうことはまれである。彼らにとって、チャーツキーは、自由 思想家であり、「愚かなこと、考えの(бездумных дел и мнений)」伝道者に思えるのだ。革命思想のこの「自由(вольности)」の源泉を、彼らは皆、啓蒙(教育)の中に見るので、彼らの共通の戦線 として、学問、学習の習慣(施設)、全般に啓蒙教化教育に反対するものとして現れる。ファムーソフは、こう教える。

  学問は--ほら、悪疫だ。博学は--ほら、災害だ。
  今は、愚かな人々や出来事、考えが
  生じた時よりも強くなっている。
    (Учение - вот чума, учёность - вот причина,
     Что нынче пуще, чем когда,
     Безумных развелось людей, и дел, и мнений.)

 彼は、これらの悪と断固たる戦いを挑む手段を提供する。

  もしも、悪を根絶したいなら、
  すべての書物をかき集めて、焼却すべし。
    (Уж коли зло пресечь;
     Забрать все книги бы да сжечь)

 ファムーソフにスコロズプは、相づちを打つ。

  私は、あなたを喜ばせる。一般に広がっている噂
  男子貴族学校、一般学校、中学校についての計画があるという--
  は、そこでは、私たちの流儀で教えられる。1,2。
  そのように、書物は保存される、大きな好機のために。
    (Я вас обрадую: всеобщая молва,
     Что есть проект насчёт лицеев, школ, гимназии --
     Там будут лишь учить по-нашему: раз, два,
     А книги сохранят так: для больших оказий.)

 啓蒙教化教育の温床に反対して、--「寄宿学校、一般学校、貴族男子学校(пансионов, школ, лицеев)」といった教育機関、そこでは、教授の分離派と無信仰の中で学習する。(упражняются в расколах и безверьи профессора)」と、フリョストヴァ(Хлёстова)と公爵夫人トゥゴウホフスカヤ(Тугоуховская)は、何度も語る。
 7.ファムーソフの社会を代表する者たちが受ける教育は、彼らを、自らの国民に無関心な人々にする。チャーツキーは、モスクワの貴族の家庭で支配的であ る教育のシステムに憤慨する。そこでは、最も年少の子供たちの教育は、外国人、普通、ドイツ人やフランス人に委ねられている。結局、貴族たちは、ロシアの ものすべてから遠ざかり、彼らの言語は、「フランス語と下ノヴゴロドの言語の入り交じったもの(смешенье языков французского с нижегородскии)」が支配的になった。子供の時から、「私たちにドイツ人でなければ救われる道はないという(что нам без немцев нет спасенья)」信念が植え付けられ、「この空虚な、奴隷根性の、あらゆる外国のものを盲人的に真似る不純な精神が(нечистый этот дух пустого, рабского, слепого подражанья)」植え付けられていた。「ボルドー出身のフランス人が(Французик из Бордо)」がロシアにやってきても、「ロシア語の音(響き)にも、ロシアの人々にも出会わなかった。(ни звука русского, ни русского лица не встретил.)」
 ファムーソフの社会は、そういうものであり、それが、このような芸術的な技で、グリボエードフによって描かれ、喜劇の中に導き出された。そして、その中 に、当時の貴族農奴制擁護者たちのあらゆる人たちに典型的な特徴が具現されている。この貴族階級は、増大してきた解放運動を前に、恐怖を抱き、進歩的人 々、その代表者の中にチャーツキーがいるが、彼らに対して結束して現れる。
 グリボエードフのすぐれた喜劇では、この社会は、鮮やかに個性化された人物像として描き出され、彼らの一人一人は--まさし く、独特の性格の特徴と言葉の特質とを持った生きた人物として描かれている。

  7. Индивибуализировать--周囲の社会とは異なった固有の特質を示し、まさに特別な人として区別すること。
 ゴーリキーは、自らの論文「戯曲について(О пьесах)」の中でこう書いている。
 「この劇の登場人物は、もっぱら彼らの言葉だけで創造されている。すなわち、純粋に言語の言葉だけで描かれていて、叙述によってではない。これを理解す ることがとても重要だ。なぜなら、劇の人物が、舞台で、その俳優たちの姿に、芸術的な価値や社会的信憑性を獲得するためには、それゆえ必然的に、それぞれ の人物の言葉が厳密に独特のもので、限界まで表現豊かであるためには、・・・私たちは、手本として、私たちのすぐれた喜劇の主人公たち、ファムーソフ、ス カロズプ、モルチャーリン、レペツィロフ、フレスタコフ、ゴロドニチィ、ラスプリュエフなど--を取り上げよう。これらの人物一人一人が、わずかな言葉で 創られ、その一人一人が、自らの階級について、自らの時代について、全く正確な描写がされている。(Действующие лица пьесы создаются исключительно и только их речами, т.е. чисто речевым языком, а не описательным. Это очень важно понять, ибо для того, чтобы фигуры пьесы приобрели на сцене, в изображении её артистов, художественную ценность и социальную убедительность, необходимо, чтоб речь каждой фигуры была строго своеобразна, предельно выразительна ... Возьмём для примера героев наших прекрасных комедий: Фамусова, Скалозуба, Молчалина, Репетилова, Хлестакова, Городничего, Расплюева и т.д., -- каждая из этих фигур создана небольшим количеством слов и каждая из них даёт совершенно точное представление о своём классе, о своей эпохе.)」
 次に、私たちは、グリボエードフによって、彼の喜劇の個々の主人公がいかに描写されているかを見るだろう。

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ファムーソフ

 パヴェル・アファナシエヴィッチ・ファムーソフ(Павел Афанасьевич Фамусов)は、裕福な貴族地主で、政府の高官である。彼は、モスクワの地主貴族階級仲間では、よく知られた人物である。このことが、彼の生まれ(家 柄)を強調させる。1

  8. 彼の姓は、噂(молва)の意味のラテン語「Фама(fama)」から来ている。このことは、グリボエードフが、これで、ファムーソフは、世間の噂、 風評を恐れていることを強調したかったことを示している。「ファムーソフ(Фамусов)」という姓は、また、ラテン語の「Фамосус (famosus)」--著名な、有名な--にも由来している。
 ファムーソフは、名門の貴族である。彼は、侍従クジマ・ペトローヴィッチと、彼の屋敷を訪ねる貴族の称号のある人々と親しい知り合いである貴人マクシ ム・ペトローヴィッチと姻戚関係にある。
 ファムーソフは、現実から創造された人物である。彼は、あらゆる面で--貴族地主、主に、官吏として、父親として、その姿を現す。
 自らの観点によれば、彼は「旧教徒(非改革派)(старовер)」で、貴族階級の断固たる奴隷制擁護者であり、あらゆる政治的社会的生活の分野での 新しいことに反対する人である。ファムーソフは、モスクワの貴族の、その習慣の、モスクワ貴族階級の生活様式の崇拝者である。自らの家庭では、彼は、客好 きの懇切な主人であり、機知・頓知に富む話上手であり、愛情深い父親であり、権力ある主人である。勤務においては、厳しい上司であり、自らの身内の擁護者 である。彼は、実務的な俗世間の知恵と善良さを失わず、同時に、興味を抱いたり少し不安を抱いたことに対しては、へつらったり不平を言ったり短気になる人 であった。
 彼の性格の独自性は、著しく豊かに彼の言葉の中に表現されている。彼の言葉は、モスクワの貴族地主たちに典型的なものである。
 その構成からみれば、ファムーソフの語彙は極めて多様である。彼の言葉の中で、民衆の言葉や表現と出会う。зелье(浸酒)、невзначай(偶 然に)、подит-ка(やってみろ)、откудова(=откудаどこから)、противу(=против) будущей недели(来週ごろに)、давно полковники(元陸軍大佐)、бьют баклуши(ぶらぶらする)、в ус никого не дуют(無関心でいる)など。また、他国語の言葉、симфония(シンフォニー(交響曲))、квартал(街区)、куртаг(帝王謁見 日)、карбонарий(カルボナリ党の)などともで出会う。しかし、ファムーソフの言葉には、すばらしく自由に言葉を操るわりには、複雑な魂の体 験、学問の考えを表現する言葉がないのが特徴である。--これは、彼の文化的水準が高くないことを示している。ファムーソフは、俗世間の言葉を話す。それ 故、彼の文章の中には、多くの口語表現と民衆の言い回しがある。「なぬ、貴様、ペテンにかけたな。(Ну, выкинул ты штуку!)」「ベッドから辛くも跳ね起きた。(Чуть из постели прыг!)」自分の言葉、その語彙と文章法で、ファムーソフは、民衆の言葉を避けないで、あたかも自分がロシアの地主貴族であることを強調しようとして いるかのようである。このことは、彼を、彼の社会の他の代表者たちと幾分区別される。
 しかし、ファムーソフの性格は、彼は話す相手によって、話す言葉のイントネーションと言葉のニュアンスによって、一層鮮明になる。
 下級役人のモルチャーリンとは、長官のように尊大に、常に「おまえ(ты)」で呼びかけるが、チャーツキーとは、自分の仲間の社会の人間に対するような 態度を保っている。権力のあるスカロズプには、ファムーソフはお世辞を言い媚びるように話す。「親愛なるセルゲイ・セルゲイッチ様。(Сергей Сергеич, дорогой)」「謹んで許します。(Прошу покорно)」「お許しください。(позвольте)」「とんでもございません。(помилуйте)」など。彼との会話では、小詞 -сを付け加える。「私たちのおそばに是非(к нам сюда-с)」「ほらそこにです、私の友人のチャーツキーの、故アンドレイ・イリッチのご子息が。(вот-с Чацкого, мне груга, Андрея Ильича покойного сынок)」など。
 召使いたちには、彼は乱暴に叫ぶ。「阿呆!何度言ったら分かるんだ。(Ослы!сто раз вам повтрять)」
 父親としてのファムーソフの人物像は、ソフィヤの彼の扱いを鮮明に映し出している。彼は、彼女を叱り、楽しませ、非難し、心配をする。彼は彼女に様々に 対応する。「ソフィヤ、ソフィコーシュカ、ソフィヤ・パヴロブナ、我が友、可愛い娘、女主人(Софья, Софьюшка, Софья Павловна, мой друг, дочка, сударыня)」
 そうした話し方で、グリボエードフは、19世紀初めのモスクワ貴族階級の典型的代表者のファムーソフの真実を帯びた人物像をさらに一層鮮明にする。

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モルチャーリン

 モルチャーリンの性格の特徴--社会的成功(出世)への志向、取り入る能力、偽善--は、彼の話の独自性を決定づける。彼は、口数が 少なく、「語彙は豊富ではない(не богат словами)」。これが、彼が自分の意見を述べることへの不安を説明している。彼は、主に、短い語句で語り、言葉は、話す相手に合わせて厳密に選ばれ る。彼の言葉には、外国の語彙や表現はない。モルチャーリンは、丁寧な民衆のものでない言葉を選ぼうとし、恭しくсを付け加える。「文書で、ですか。あり ません、です。(с бумагами-с, нет-с)」彼の話すイントネーションは、相手によって様々である。上司であるファムーソフに対しては、丁寧さを強調して話し、フリョーフスフには、- -へつらい猫なで声で、ソフィヤとは、特別に控えめに、リーザとは、遠慮のない表現で話す。特に面白いのは、彼とチャーツキーとの会話である。外見上は、 モルチャーリンは、チャーツキーにとても丁寧に話すが、その丁寧さの裏には、出世しつつある官吏のうぬぼれが隠されている。彼の話の中には、「官吏として 成功しなかった(не далиcь чины)」チャーツキーに対する嘲笑が鳴り響いている。そして、教えをたれようとする。「タチヤーナ・ユーリエヴナのところへ、あなたが一度でも訪れて いたら。(К Татьяне Юрьевне хоть раз бы съездить вам)」
 モルチャーリンの特に明瞭に分かる話し方は、彼の性格の下劣さを強調する。

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スカロズプ

 陸軍大佐スカロズプは、アラクチェフの時代の士官(将校)出世主義者の典型であり、知的な面では、彼は利口でない人物である。「彼 は、かつて一度も知的な言葉を言ったことがない。(Он слова умного не выговорил сроду.)」--とソフィヤは言う。このスカロズプの性格にリーザも同意する。「そうでございますね。そんな風な話し方で、おしゃべりで、でも残念で すけれど、難しいことはないですね。(Да-с, так сказать, речист, а больно не хитёр.)」当時の将校たちは、高い教育を受けた教養ある人々であった。彼らの何人かは、デカブリストの運動に関わっていた。スカロズプは、彼らとの 関係はなかった。逆に、忠実な専制農奴制の擁護者、啓蒙の敵であった。
 兵営で教育を受けた真面目な役人、スカロズプは、熱心に自ら知っていることを語り、その際、彼の話は、縁飾り(выпушки)、小さな肩章 (погончики)、小さなボタン穴(петлички)、軍団(陸海軍中等学校)(корпус)、師団(дивизия)、距離 (дистанция)、隊列で(в шеренгу)、曹長(фельдфебель)のような言葉で溢れていた。彼の語るトーンは、断定的で絶対的である。「下手くそな騎手! (жалкий же ездок!)、とんでもない大きさの距離(Дистанция огромного размера)」時折、彼の言葉は命令のように響いた。「そこでは、私たちのやり方で学ぶだけだ。1,2.(Там будут лишь учить по-нашему: раз, два.)」彼はファムーソフ家の人々には慇懃である。「恥ずかしながら・・・(Мне совестно ... )、どこへと仰せで・・・(Куда прикажете ... )、存じませんです、申し訳ございませんが。(Не знаю-с, виноват.)」しかし、チャーツキーやレペチロフのような人に対しては、彼は遠慮せずに不作法に遠慮なく言う。「もう、私たち老人は用済みなのでは ないか。(уж не старик ли наш дал маху.)」「注意すること。彼がどのようにぶつかったのか。胸にか脇腹にか。(Взглянуть как преснулся он, грудью или в бок?)」「ほっといてくれ。(Избавь.)」「博識で私をペテンにかけるな。(Учёностью меня не обморочишь.)」
 スカロズプの言葉は、見事にこの「演習とマズルカの星座(созвездие манёвров и мазурки)」を特徴付けている。

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