ルネサンスへの過渡期

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[初期ルネサンスの革新]


 音楽は、前期ルネサンスの間に確かに「再生」した。リチャード・ロケヴィル(Richard Loqueville)(d.1418)、彼は若きデュファイを教えたが、1世紀後に土に帰ることがあったとしても、ジョスカン・デ・プレ(d.1521)の後期の作品にあるよく知られた一つの特徴をほとんど認めなかっただろう。逆に、ジョスカンは、恐らく、ロケヴィルの音楽をあまりにも理解しがたい無駄話だと放逐しただろう。この2人の巨匠を分かつ調性の革命を記述しようとすると、私たちは、中世の長引く死と同様にゆったりとしたルネサンス思想の発芽発生だけでなく、近代音楽そのものの誕生をも扱わなければならない。これは大変な主張で、恐らく多くの読者を驚かせるだろう。近代音楽の起源は、様々な時代の様々な巨匠に跡づけることができる。モンテヴェルディ、ベートーヴェン、ワーグナー、そしてシェーンベルクは、最もよく挙げられる名である。初期ルネサンスの作曲家は、これらの誰かと革新者として比較されうるだろうか。

 答えは一つではない。音楽の発展には、突然のブレイクは決してない。大胆な革命者は、決して受け入れられた伝統をあざけったりはしなかった。音楽は、社会的礼拝的機能と緊密に結びついた応用芸術であったし、あり続けた。作曲家は、普通、職務を果たしながら新しい作品をたまたま書くこともあるオールラウンドな実践的音楽家であった。音楽家は、社会階層では、まったく低い層を占めており、(聖職者で高い地位を享受できたのでなければ、)アレティノのような作家やミケランジェロのような芸術家が要求できた尊敬を得ることはなかった。後者(ミケランジェロ)は、「フランス王自身でさえ敢えて扱わないように教皇を扱うことが」できた。しかし、私たちは、同じように因襲の絆を断ち切り、ウィーンの通りで主なパトロンの悪口を言う音楽家--ベートーヴェン--を見いだすまでには、あと300年(3世紀)待たなければならない。そのようなロマンティックな反乱は、初期ルネサンスの作曲家にとっては問題外であり、その作品にその反映はまったく見いだすことができない。15世紀の音楽の革命は、このようにゆっくりとしたものであり、自ら確立するまでにまるまる3世代かかった。それは、国が異なると異なる速さで動いた。そのコースを跡づけるのは、川が海に注ぐところで、淡水が海水になる変化を記そうとするようなものだ。--川は、セヴァーン川でなくナイル川だと言うぐらい複雑である。主流はないし、単純な河口もない。海峡や戻り水などありとあらゆるもののある複雑なデルタである。にもかかわらず、一方の端では水は真水であり、他方の端では海水である。その中間は変化し、動物相と植物相も変化する。中世はルネサンスとなり、新しい世界が出現する。私たちの世界が。

 「私たちの世界」とは、どんな仕方でか? この時点では、私たちは幾分困難に遭遇する。知的な視聴者が初期ルネサンスの文学を読むのと同じくらい容易に、初期ルネサンスの音楽を聴くことができるなら、その建物の周りを歩いて、その彫像や絵画を検証してみなさい。何ら問題はないだろう。しかし、そうする機会は極めて少ない。過去十年以上の学者たちや熱狂的ファンたちの努力にも拘わらず、膨大な量の古楽は、まだ出版されないままであり、それ故に演奏できない。初期ルネサンス、ジョスカンの時代まで、またジョスカンの時代を超えても、特にこの行き詰まりの中で苦しんでいる。例えば、ジョン・ダンスタブルの作品は、彼の死後 500年後の 1953年まで実践的な現代の形式では出版されなかった。ギョーム・デュファイやヨハネス・オケゲムのような重要な巨匠の全集版でさえ、まだ完全ではない。ルネサンス文化が、ミシュレ(Michelet)とブルクハルト(Burckhardt)が1世紀以上前に偉大な研究を出版して以来、詳しい研究の主題であったのだが、音楽の歴史家は、まだ、その時期の理解できる歴史を書くことができない。しかし、前途は、まったく慰めにもならないものでもない。私たちの領域で、主要なランドマーク(作品)を概観するために非常に多くのことがなされ、典型的な作品の選択は、出版においても演奏においても公の前でなされた。その機会に、この書の読者は、十分真正な仕方で演奏された古楽の放送やレコードを聴いて、それを買うように刺激を受けただろうということである。彼は、同じ番組で、続いて演奏された14世紀後期と15世紀後期の2つの作品を幸運にも聴いたかも知れない。

 もしそうなら、彼には後者が前者よりはるかに直接的に彼に語りかけたことを指摘する歴史家は必要ないだろう。これは、中世の音の世界が魅惑的なチャレンジであることを否定することではない。それは、知的な視聴者にそれ自身の報いを提供している。しかし、オブレヒトもジョスカンもイザークも、このように私たちに挑戦しない。特にジョスカンの音楽は、奇妙にも縁遠く思われない。本質的にバードやバッハ、さらに言うなれば、ワーグナーとさえ同じような訴えかけをしている。彼は、私たちが理解できる用意のある言語を話す。なぜなら、それは続く世代の作曲家たちが受け継ぎ、豊かにし、私たち自身の時代まで伝えてきた言語だから。現代の視聴者が、時折なじみのない言葉や普通でない構成に躓くこともあるだろう。しかし、根本基本の文法は、十分なじみのあるものである。しかし、もし、私たちが時間をさかのぼって、行く先々で音楽のサンプルを収集しながら15世紀を旅し始めるなら、音楽言語との接触するこの感覚は、ゆっくりと薄められるだろう。オケゲムはすでにはっきりしない人物である。後期のデュファイは、まだ多く私たちに語るものを持っている。私たちは、バンショワとダンスタブルが言っていることを認めることができる。そして、それから私たちは、奇妙な土地、中世後期へと戻っていく。そこでは、私たち現代の先入観は、理解を妨げるだけのところである。  これまで、私たちは、興味はあるがまだ教えられていない初期ルネサンス音楽に視聴者がどう反応するかその反応の仕方を想像しようとしてきた。今や、さらに詳細にまで入っていくべき時である。どのように、また、なぜ、その新しい音楽は存在するようになったのか。私たちは、起こったように、作曲技法の変化を分離する(切り離す)ことができるのか。全体として、ルネサンスの発展に音楽はどんな関わりがあったのか。これやあれやの質問に答えるのに一番よいのは、その時代で最も意義深い音楽の発展の短いレジュメ(概観)から始めることだろう。それから、その時代のより広い文脈の中で、音楽と音楽家の場所を議論し、その次に、技法の生の素材 - 声、楽器、音楽の写本やその解釈 - の説明をして、世代が受け継がれるにつれて、新しい音楽の形式と様式の発展成長を検証することであろう。

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