←(書いてみました。単なる小説。これがまた面白い。)
2005/1/1
新春のお慶びを申し上げます。
昨年同様、本年もどうぞ宜しく御願い致します。
早いものでこのHomepageもな、なんと7年目を迎えようとしているではありませんか。私が一番最初に始めた1998年頃はHomepageの作成ソフトすら無く、Internetの概念すらよく把握されていない頃で(笑)プロバイダーも数える程しか有りませんでした。電話回線で驚いていた頃です。私の最初の端末はCompaqでしたが今は3台めのちゃっちいNotePC、XPを使っています。7年前から較べればどれもこれも改善されて安価で使いやすいものばかりで、本当に技術の進歩というか、日進月歩が凄まじいので全く驚くばかりです。(笑)しかしながら、私は相変わらずJ.Sバッハの頃(1726年)に作られたピアノという楽器を愛し、今年も弾き続けて行く事と思います。この「演奏する」という行為を外的に観察するならば、この部分だけは進化も後退も無い訳ですが、ま、何にせよNet上に存在する私と現実に存在する私と共に、今年もお付き合いの程、宜しく御願い致します。そして皆様にとっても良い年でありますよう心よりお祈り申し上げます。ーーーまずは新春のご挨拶。(*^-^*)
2004/12/24
なんだかあっ、という間に一年が過ぎようとしています。クリスマスが日本に定着してもうかなりになりますが、今年のクリスマスは誰と過ごしましたか?You
& the Night & the Music、、あなたと夜と音楽と。お幸せに。(*^^*)
そして良い年をお迎えください。
2004/11/11
最近日刊物をやっているものだから本チャンSiteが疎かに。。って事でもないけれど「さくら物語」だってまだまだ続行中(近日公開!!って何時だ?)そろそろ街はイルミネーションの季節だね。だけどこう暖かいとなんだかピンと来ない。だけどやっぱりクリスマスってどういう訳だかワクワクする。惑わされてもいいから、眩いばかりの光の渦に身を投じシャンパン飲んで歩いてみたい。街の木々という木々に電球の実が生り、ビルというビルに電飾が施される。街の明るさで上空の闇に気づかぬ頃、トナカイがやって来てプレゼントを鏤めて行くのが見えるかも知れない。
2004/04/29
久しぶりに香林坊を闊歩し飲み歩いた。Liveの打ち上げは金沢の焼肉屋さんで、関わった多くの人達と楽しい食事をした。演奏する方も相当のパワーとエネルギーがいるけれど聴く方だって同じようにかなりのカロリーを消費したとみえてみんな沢山食べたし沢山飲んだ。自分の音楽を妥協の無い形で受け入れて貰えた事への喜びもあったし、理解有る環境で演奏出来た事への感謝もあった。北陸に唯一Jazz研が存在する理由にも繋がっているような気がして本当に嬉しい充実の一夜であった。福井でもクラビノーバ持込の演奏ではあったが地元の人達の温かさに触れ多くの人達の協力を得て無事演奏活動を終了する事が出来た。また一つ「自分の音楽」への理解の場を得た。自分自身の奥底と聴衆との隔たりを埋めて行こうとするストレスから開放される瞬間でもあった。音楽に言葉はいらない。夢の後の虚脱状態から立ち直り、また新たに前を向いて歩いて行こうとする活力が生まれて来る。二箇所ともアンコールを貰った。「精神上の採算は充分に合った」と言っていいのかも知れない。
2004/04/19
金沢での1年は実に楽しく今までの人生で成し得なかった事柄の殆どを埋め尽くす様に時の空間を謳歌し、音楽やJazzへの野望を全く感じる事の無かった時間帯だったかも知れない、と今振り返るのです。文化と伝統と、優しく蔓延る日本を意識しながら実に「旅の人」を地で行く関わりを小立野、石引近辺で過ごして来た。お城を中心にうねうねと迷路のようにめぐり巡るバス路線にも慣れた頃、私は金沢の地を後にした。観光会館でのエルガーの「威風堂々」は今でも心に残る演奏の一つである。感動と共にその少なからず荘厳なオーケストラの滲みにも似た響きに人生の刹那と達成感を照らし合わせていたのかも知れない。ーーーーーー
2004/04/10
「民族」と言えばクルド人も単一民族で単一言語を話すとされています。尤も言語学的、社会的にその裏づけは無いとも言われていますが現在、このクルド人は中東のトルコ、イラン、イラクにまたがる一体の地域に居住するインド・ヨーロッパ系の民族で、人口は推定2000万〜3000万人、アラブ、ペルシャ、トルコに次ぐ中東で4番目に多い人口を持つ大規模な民族。国家を持たない遊牧民だと言われています。その国家を持たないとする遊牧民であるはずのクルド勢力が勢いを増し人的権利と居住国家を主張するにつれ事態は良からぬ方向へと発展しています。
その周辺のトルコ、イラン、イラクが単一の民族のみを認めないとし、民族間の争いはやがて、米国が加わるにつれ目まぐるしい抗争へと展開しています。米国と同盟国を結んでいたトルコはクルド人勢力がイラク北部原油生産地モスルとキルクークを自治区編入として要求すると、この同盟を直ちに拒否。事実、米国からの擁護によりクルド勢力はイラク北部の潤沢な油田群を今やクルド人の支配下にあるとまでに言わせしめています。
一方現米国大統領の父親(元大統領)が石油会社を経営していた事でサウジアラビアの王室サウド家との関係が始まり、サウジアラビアが石油収入の一部を欧米の石油会社などを経由してアメリカの政界に流し、ブッシュ家は油田の権利という形でサウジアラビアから間接的な政治献金を受けると政界での影響力を拡大し、二世代に渡り大統領の地位を築き上げるに至ったとも言われています。こうして1979年にソ連軍がアフガニスタンに侵攻したのを機にこの二国間の関係はアフガニスタンのイスラム教徒ゲリラを支援する体制へとかたちを変えさらに強固なものになって行きます。ところが湾岸戦争を過ぎるうちに米国の軍事的影響力が拡大しそれまで親米だったサウジアラビアのイスラム主義者やサウド家の内部からも反親米派が現れるようになり、サウジアラビアで財閥の息子であったウサマ・ビン・ラーディンもその一人であったようです。事実、彼はソ連軍が侵攻して来た時にイスラム教徒を解放する為にと所謂聖戦を繰り広げていたからです。やがて反米軍駐留、聖地を守る闘い、ユダヤ、十字軍連合の仕業とし、イスラエルとりわけ米国を非難するようになります。当初彼は聖地を侵略する者を非難し聖地から米軍を追い出す事を主たる目的としていたようでしたが、それは無差別テロへと決意が変わり「ユダヤ人と十字軍との戦闘のための世界イスラム戦線」が結成され、全ムスリムは、米国人であれば軍人、民間人を問わず殺害すべしとの表明に変わって行くのです。または、1991年に就任したクリントン政権(特に経済グローバリゼーションの世界政策)により中央アジアでも石油開発を促進させようとする動きにサウジアラビアはパキスタンとともにこれに協力し、中央アジアからインド洋へのパイプラインのルートにあたるアフガニスタンの内戦を終わらせる為に1994年アフガン難民の武装組織「タリバン」を結成させています。タリバンがアフガニスタンを平定し、アメリカ側が計画するパイプライン構想が実現すれば、サウジアラビアは再び石油でアメリカに恩を売れるという筋書きを描いていたようでしたが、クリントン政権は1997年後半、タリバンに対する容認を敵視に切り替え、アフガニスタンを巡る情勢の中心は、石油がらみの親米的テーマから、人権侵害や国際テロリストという反米的テーマに塗り替えられて行きます。アメリカの為にソ連と戦ったサウジアラビア人オサマ・ビン・ラーディンは、アメリカと敵対するテロリスト勢力の中心にいると指摘され始め、やがて911事件後はその事が確実なものとなり今やサウジアラビア全体の排斥に流れが変わって行くのです。
こうした米国(現大統領)にとって常に都合の良いシナリオの為に多くの人々が犠牲になって行くと言っても過言では無いようです。先日、記者団からの質問に小泉さんは「僕個人の見解がどうとか、という問題では無く、国家としてどうあるべきかという問題なのだ」と話していたようですが一個人の見解は立場の重さを考えるとやはり慎重になるべきなのではないか、と思う今日この頃です。「復興支援」って一体何なんでしょうか。
一部の新興的宗教集団はハルマゲドンへの序奏だと多くの人に伝え歩き、恐怖心を助長させているようですし、今私たちは日本人として一体何が出来るのでしょうか、問われる日々が続きそうです。。。。。「危険な所へは近づかないようにする」という事だけは本能的に理解しています。。。。。。。。。
2004/04/01
そう。やっと「書き込み」出来るって感じです。桜、満開なんです。なんか嬉しいですね。それに今年は昨年の冷夏の影響で花粉の飛散が10年ぶりに少ないそうですよ。だととてもいいのですけれど。私もこちら福井に来てから、、、。。。。太平洋側に居た時は電車に乗っていた時に強力なメガネとマスクをしている人をじ〜っと見ていた、という記憶が有るのですが、今になってやっと解ります。なんて言ったってこちらは自然が豊かです。杉の木なんか滅法タワワで、山のように繁っているんですもの。去年は初めて花粉症でお医者さんに行きました。(涙)だからね、雪が降って花粉が収まるまでね、何処か避難する所を探さねばと思う今日この頃です。さて、日本人と「桜」は結構相性が良い様に思えるのですけれど、この桜って弥生時代とか縄文時代から有るらしいのですね。当時の人々は桜の咲く頃に稲を植え、桜の散り具合でその年の米の出来具合を占ったといいます。農耕民族の歴史は実に長いのです。そう、我々農耕民族なんです。神が宿るとされていた桜の木は春になるとその年の米の豊作を願ってお酒や捧げ物を奉納し、桜の木の下で人々は集い合っていたといいます。その原始的な民族の習性がまだ残っているという訳なのですね。でも、なんか、いいじゃ有りませんか。単一民族の「集い」って。絶対に外国人には分かりませんって。
だって外国(この言葉もちょっと「外の国」って呼ぶから本当に日本って閉鎖的というか、内と外がはっきりと分かれて認識されている国も珍しいと思ったりもするのだけど)に行くと特に国境が地続きの国なんかは多民族が入り混じっていて目の色も肌の色も違うのが当たり前になっていて、そう言った環境の中ではまず、言葉や文化から入りそしてやっと人間性に至る、って事になるのだけれど、それだから結構大雑把で、時に「この人の考えている事はその国の文化から来るの?」「それともその人個人の考えなの?」なんて事も考えたりします。単一民族たる日本人は「あなた、血液型何型?」なんて事から出発できるのですものね。だから、日本人同士はとても細かな感情移入が出来るって事でも有る訳ですよね。そんな事を考えると民族の「結合」ってとても強いって事ですよね。逆らっちゃあいけません。尊重しなくっちゃ。お互いにね、、、と思う訳です。。
さて、「サクラ」という名の由来ですが、色々な伝説が有るようです。その一つに「さ神(山の神)が宿る木」「さ座」(座はクラとも読みます)。また富士山の神様「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」から由来しているという説もあるとの事です。木花(このはな)とは、桜を表し「開耶」(さくや)から「サクラ」になったとも言われているそうです。なんか、ロマンティックですね。農耕民族たる日本人のルーツと共に今年の「サクラ」を愛でる時、我々単一民族の歴史を反芻しながら眺めるのも尚一丁の価値有り、というところでしょうか。。。
2004/02/25
こんにちは。やっと長い冬を脱したという感じです。雪が無くなると本当に本当にほっとします。その位春が待ち遠しいのです。この気持ちはこちらに住んでいる人でなければ分かりません。つづく、、、、。もうちょっとまた後から書きます。
2004/ 02/27
こんにちは。ようやく春らしくなって来ました。と思ったらまたもや雪がちらついて一挙に冬に逆戻り。「お〜い、春はまだかい?」と言いたくなる程今年は私にとって本当に厳しく遅々として感じられる冬でありました。春になると心がうきうきして色々と郊外へ行動したくなりますが、皆さんは暖かくなったら何をするのですか?花粉が舞い散るほんの少しの間だけ良い気候になるのではないかしら、、、、。(^○^)こちらの方ではよく山菜などを採りに行きます。桜の咲く頃山へ行くと「たらの芽」の木が枝だけになっているのをよく見かけます。棘々の有る木でちょこんと芽が出ているのを摘んで天ぷらにして食べるとほろ苦くて美味しいのです。美味しい物はみんな知っているのですね。(^○^)大きくなれない「たらの芽」、、、、は、は、は〜くしょん。か、花粉がすでに、、、、。雪の後は花粉ですか、、。(^^;
雑感。その1
世界の常識の中で「72の法則」というのが有るのですが、世界の殆どの子供達はこの法則を知っていると言います。日本人で知っている人は1/3ぐらいなのだそうです。(実は私もFPを学ぶ前は知りませんでした。)投資した元本を2倍にするためには、どれだけの金利と運用年数が必要かを簡単に計算する複利計算ですが、これを知っているととても便利なのですね。世界の子供達は小さい頃から皆この計算が出来るというのです。 特にアメリカなどではこうした経済の教育が徹底していて、生きていく為に必要なあらゆることの基礎的なスキルとして「経済教育」に力を入れているそうです。教員免許の更新の際にも大学での経済の授業の単位を修得しなければならないというシステムが有り、しかもこの単位取得にかかった経費は所得から控除できるというのです。もともと日本の文部科学省が定めた学習指導要領や教科書検定制度というのがアメリカには無いので、その代わりに「幼稚園から高校までの経済学習の内容に関する全米標準」が、民間の非営利団体(NPO)「米国経済教育協議会(NCEE)」によって97年に作られ、教育現場に採用されているそうです。特にジュニア・アチーブメント(JA)と言う(1919年に設立)約4万の民間企業の出資により運営されているNPOはボランティアを通じて「生きた経済教育」「お金の教育」を子供達に教える活動を行っていていると言うのだから日本とは大分違うなと感心させられます。 ロシアなど旧共産圏も含めた120カ国で活動を展開していて、アメリカでは毎年約360万人、全世界では約450万人がJA作成の補助教材やプログラムを使用し、更にこのJA活動に協力している教師は約4万5000人。各種の教材やプログラムは無償で学校に配布される、という徹底ぶりです。そこへいくと日本は「お金の話はタブー」とされるような処があったり、お金の話をすると汚いと見られがちですよね。このままじゃ日本の経済は駄目になるのは当然で日本がお金の教育をしなかった「愚民化政策」の果てに突然「自己責任の時代だから」と言われても一般市民はうろたえるばかりではないでしょうか。因みにこのJAプログラムを学んでいる数が多い国はアメリカに次いでロシアなのだそうですがこの「生きた経済」を学んで「ロシアの若い世代は『自分たちが世界を変えられる』と考えられるようになっている」というのだからすごいですよね。東南アジア諸国ではすでに国を挙げた導入が進んでいて、韓国でも近く導入される予定だとか。(資料:東京都消費者総合センター)日本も頑張らねば。やはり「1万ページの読書より1万円の現金」でしょうね。(笑)でも読書も大切だと思うのですけれど。「杉作!日本の未来は明るいぞ。」(杉作って一体誰や。)
その2
かつて若かりし、Jazzを習っていた頃(私はその頃からどうしてもJazzPianistになりたい、と思っていたのだけれど)ある時期、先生と自分の心が感応しているという事に気づき驚いた事が有りました。それ以来他所でも何処でも、この感応は当たり前の事の様に自分の中では起こってます。特にJazzをやっている人の中にはこの感受性が非常に強いというか、シックスセンスで事を行っている人達が多く、それを見る度に恐ろしいと感じたものでした。「アケタの店」などに出入りしているようなMusicianとか当時渡辺文雄さん等と一緒に演奏していた若かりし頃の○口○○郎さんなどにもそれを感じた事が有りました。(昨年、白髪の○口さんを間近で拝見した時はそれを感じなかったので、あぁ、普通の人だと安堵したのですけれど。)別に天才じゃ無くても一つの事を究めようとする時、訓練に訓練を重ねて行くプロセスの中で何故か研ぎ澄まされたり浄化されたり、それが頭から来るのか、心から来るのかよく分からないのですけれど、肉体を鍛えている間に何か一つの線を越えるのかも知れません。だって、色々な事を頭で考えていたら(勿論、頭には常に色々な映像が浮かんで来るのだけれど)ずっと、延々と楽器なんて演奏し続けられませんものね。
2004/01/14
時間が経つのは早い。で、何事も無かったように日々の生活がやって来ますね。ちょっと近い未来に期待を馳せ、春になったら桜やピクニックの話題で話が終わり、次は初夏の緑に心が移り、、、。そしてまた新年を迎えますね。こうして綴っている私も飽きて来ない訳ではありませんが(笑)でも一つだけこのデジタルの文章で救われている事が有ります。デジタルの文章って心の抑揚があまり出ないので「楽しい」と綴ればそのまま楽しいのだろうな、というイメージがそのまま見ている相手の心に入って行きます。ちょっとのへこみ具合でも「気分爽快!」と貼り付ければ愉快だという情報が相手に伝わりますものね。逆に言えば「言葉」の威力というのは一時聞いて流れて行く話し言葉よりも強く特に自国の言葉で目に入るものはダイレクトで、とてもきつく感じられるものなのですね。「ペンは剣よりも強し」って事かしら。(笑)
そこへいくってぇと(江戸弁)トラさんや、このぉ例えば英語だとどうなんやろう(関西系弁)
トラさん:「そりゃぁ、おめぇさんよぉ言葉てぇのは環境や周りの状況と結びついて生まれたてぇもんじゃあねぇかい。だからよぉ、このぉそこの土地で長く生活して話したり聞いたりってぇいう状況があればよ?このぉ日本語で聞いている俺達と同じ心理になるんじゃぁねぇかい?熊さんよ」
熊さん:「な〜るほどぉ。トラさんよ、俺はあんまり英語てぇかその、よその国の言語てぇの話せねぇから、経験がねぇってぇのがすぐに判かっちまうけどよぉ、よその国の言葉で書かれたり言われたりされても何言ってんだかさっぱり分からねぇからキツイとか嬉しいとかの判断もできねぇもんなぁ。ははははは」
トラさん:「あたりめぇよぉ。俺なんかさぁアメリカに居た時よぉ、隣りの部屋の奴が五月蝿くってよぉ。」
熊さん:「へぇ〜、トラさん、アメリカに住んでたのかい?そりゃぁ初耳だぁ」
トラさん:「あたりめぇよぉ、3年ぱかし居たんだ。それでな、そのぉ隣りの奴に文句を言う訳なんだ、これがな?向こうの奴はよぉディペートってぇかよぉ口論が好きだからよぉ、よそから見てるてぇと喧嘩みてぇに見えるんだけどよぉ、このぉ、はっきりとしたもの言いが習慣てぇかはっきりとした物の言い方をしねぇとズルイてぇか、そんな風に思われる所が有ってよ熊さん。んでもってお互いの事言い合うと早口になるってぇ訳だ。で、ついには結局自国の言葉で”ばかやろ〜!ふざけるんじゃぁねぇ〜!頭冷やしてからおととい来な!”てぇんで、ははっははは、そんなもんよ。」
熊さん:「なるほどぉ。それでトラさんは同じにっぽん人にはあまりきつい言葉は吐かねぇてぇ訳だね。心優しいてぇか、大人だねぇ」
トラさん:「あたぼ〜よぉ。言葉には使い分けが必要てえ訳だな。やっぱり世間をより多く知っているてぇ事は人よりも大人になれるてぇ訳だ。(笑)だってよぉ、俺達ふぁっくゆ〜とか、あーすホールなんてぇ言われても、何抜かすかぁこのぉ地球の穴がどうしたんだてぇ?てなもんだろ?地域によっちゃあよぉ、お〜まいがっど、なんてぇ言葉子供が吐くだろ?するってぇとぉ、まぁお下品、ってな感じでよ、お〜まいぐっどねす、と言いなさい、ってな?WatchYourMouthされちゃうてぇ訳よ」
熊さん「そういやぁイギリスのロイヤルがお〜まいぐっどねす、ってぇ言ってたなぁ(笑)」
トラさん:「だからさ、熊さん、言葉とか文章てのは何も心の発露ばかりに有る訳じゃねぇってぇ訳よ。伝達媒体として環境に密着して生まれて来たものだからさ、言いたい事を言って自分だけすっきりすりゃいいってぇのは生理的な現象と少しも変わらない、なんだぁそのぉお喋りな近所のおばはんと少しも変わらないてぇ訳よ。」
熊さん:「なるほど、女みたいな奴ってわけやね。俺もねどっかで聞いた話なんやけどぉ・・・」
トラさん:「おい、熊さん、お前さん一体何処の生まれなんだい?」
熊さん:「俺?(^^;お、俺だって東京、神田の生まれよぉ。今は北陸に住んでるんやけど(^^;」
トラさん:「え?世田谷じゃなかったのかい?まぁいいや。で、何を聞いたてぇんだい?」
熊さん:「あ、いやあね、お喋りな女の人の事を喩えて『屋根の雨漏り』だって、、、(^^;何処かの本で」
トラさん:「な〜るほどぉ、どっかの本はいい事言うじゃぁねぇかい。『ぽたぽたぽたぽた、たったったったっ』てかい? 際限なくかい?はっはははははは、うちのかみさんに今度言ってみよ」
熊さん:「そういやぁトラさん、言葉や文章てのはその人の持ってるリズムみたいなもんもあるみたいやね?」
トラさん:「あたり前田のクラッカー!!熊さんいい処に気がついたねぇ。」
熊さん:「トラさん、一体それ何のギャグなんや、笑っていい処なやろか、今一瞬迷うたわ(笑)」
トラさん:「これかい?これはね、うちのじいさんがな、よく口癖で喋ってたてぇギャグよ。冥土へ行く前の土産にてぇんだけど、いらねぇよ、ってんだ。(笑)ま、なんだぁその機会が有ったら使ってみるかな、ってなもんだ」
トラさん:「おい、熊さん、あんまり長くなり過ぎるからよ、続きはまた今度やろうじゃないかい?」
熊さん:「そりゃぁそうやね。トラさんまた今度待ってるよ。」
某所でのMeetingでよくこんな話をよく聞くのですけれど、「簡単な話を難しく言うのは簡単だけど、難しい話を簡単に話すのは難しい」って。なるほど。でも、時間が経つと某所での話は結局お経のようになってしまうんですけどね(^^;
2004/02/06
皆様、お久しぶりです。ここのところ北陸は雪に見舞われ身動きの取れない日々を送っております。車の中には長靴と雪かき道具一式が常設してあり、朝起きての一番の仕事が道路確保の雪かきです。あまりに長く更新をしなかったので以前に書き込んだ話題は根腐れを起こしてしまい削除致しました。(^^;雪かきで忙しかった為に更新が出来なかったのです。(涙)というのは嘘です。もう一つのPCのハードがお亡くなりになってしまったのです。あれもこれも一杯に詰め込み過ぎたせいなのでしょうか、それとも余りに沢山の窓を開け過ぎた所為なのでしょうか、あの沢山に詰め込んだデーターは一瞬のうちに何処ぞの彼方へと吹っ飛んで行きました。お陰で新しいスペックなる物は非常にスマートで軽いです。(^^;(もうあんまり色んな物入れんとこ。)さて、先日雪がめちゃんこ酷い時に約束事が有り、夜、市内へと出かけたのですが、車が駐車場の雪の中に埋まり込んで使えず、な、なんと電車に乗ったのです。それがまた駅へ行くにも一苦労。電車に乗るのに二苦労。3人しか居ない駅で2時間も待っているのに三苦労。ポツンと建った駅の中にはダルマストーブが一つだけ。ストーブを囲んで座っている隣りの初老の女性は3時間も待っているそうな。私はその日昼食が摂れずに出かけた為に体温が下がり電車が駅に入って来た時は凍死寸前状態だったのです。隣りのおばはんが「目、瞑っちゃ駄目や。眠ったら死ぬぞ!」と、、、、言ったかどうか。後10分電車の来るのが遅かったら私は遭難していました。顔中ツララだらけになって。(笑)
雪が沢山積もると周りの音を吸収し普段でも静かな場所が更にシ〜ンと静まり返って行きます。都会の低周波に苛ついて来た私には一瞬はとても良いと感じるものの、矢張りこれは静か過ぎる。この「ひたひた」と襲い掛かって来るような静寂の中で一体どんな音が頭の中で聴こえているのでしょうか。更に静寂は続きます。まるで防音装置の施された練習室の中のように。静けさの空間の中で時計の針が動く音と暖房機の送風口から流れる空気の音の中で悪戯に奏でるピアノの響きだけが何処までも遠く緒を惹きながら「想い」と共に 飛び交っては散々に消えて行きます。この間長年使っていたグランドピアノを売ってしまったのだけれど、、、、やっぱり持って来れば良かったのかな。って一体何処に置くのよ。______今は花より団子の「さくら」かな。2004/02/15
日夜情報の渦の中に有る都会の出来事を夜空に打ち上げられた花火のように遠くから眺め、まるでスローモーションのフィルムを見るように火の粉は手前でゆっくりと落ちて行きます。しかし自分の足元は暗闇で「自然」という底なし沼の入り口があちらこちらに口を開け、その穴を除けながら恐る々々歩いて行かなければなりません。かなりの肉体的苦痛と共に、このまま歩いて暗闇の森を抜けたら鮮やかな青い空と貫けるような地平線が拓けるのでしょうか。不確かな閃きを頼りに一歩、また一歩足を前に出してみるのです。後ろは河だから振り向いて川を渡ったらきっとあの美しい花火に吸い込まれて楽になるのかも知れないのです。五感ばかりが生きるべく判断の指針となり、言葉を持たない動物のように本能に翻弄され耽美と現実を交錯し「心の誘惑者」は河を渡れ、と耳元で囁くのです。
「ゲルトルート:ヘルマン・ヘッセ」今の季節だから、風が大きく揺らぐから汎神論的自然観の極みだから。という訳ではありませんが「我々人間の中には、親切と理性が存在する」し、「私達はたとえ短い間だけであるにせよ、自然や運命より強くありうるのだ」だから「私たちは必要な時には、互いに近寄り、互いに理解するのを見合い、互いに愛したり、たがいに慰め合って生きることが出来る。」______らしいのです。何て美しいのかしら。今の私には丁度いいのかしら。
1999,1/23 こんにちは。「新年の決意を」と思っていたら、もう1月も終わりですね。ここの処晴天続きでぽかぽか気分だともう春も近いのかな、なんて思ってしまいますよね。早く春にならないかな、、、、。さて、今年も良い音楽と素晴らしい音楽家に巡り会えますように。そして結構沢山の福沢諭吉が入って来てくれれば最高。それに、家族の健康と、、、、なんて色々初詣の時は欲張ってお祈りしちゃったりして、、、、。(こういう時って誰か相方が居てつっこみをやってくれると漫才気分で会話にも花が咲くのですが。書き込みの場合ひとりで書いて自分でつっこみます。^^)皆さんはどのような願い事をされたのですか?やっぱり沢山でしたか?でしょう、でしょう?今年は卯歳ですが兎って女性に若さと幸せを齎すシンボルなんですってね。秋吉敏子さんもJazzの殿堂入りを果たしましたし女性もがんばるんばの時代なんですよね。しかし環境ホルモンなどの影響で最近男性の身体にも何やら異変が起きて居るらしく男性もがんばるまんにならなければの時代ですね。(一通りの書き込み^^;)私がよくお仕事をさせて頂いている新宿のBarの従業員は皆、男性ですが、それがみんなルッ
クスが良くって身なりはキチンとしていて接客マナーはよく訓練されていて何時も関心しているのですが、要するに楽しみだったり勉強になったりしていますね。(少しも要を得ない話^^;)ところで渋谷の宮益坂にもLivehouseが1件出来たのですがここにもハーフで長身の支配人やジャニーズ系の男性達が毎日熱心にお仕事を頑張っています。店内は広く食事も出来るレストランセクションとカウンターでお酒を飲むバーセクションとに分かれています。PianoはTVジャンクションで使用していたもので現在はホンキートンクの味わい、、、。バーセクションには髪の長いタキシードが良く似合う可愛い女性がお酒を作ってくれます。皆さんもたまにはご夫婦で或いは恋人同士でその他友達同士でお食事にいらして下さいね。
私に関して言えば(AsFarAsI'mConcernってやつです)日頃はトラディショナルなJazzをやっていますが今年からチャンスがあればワクを飛び越えてより「自由」に接近したいなと思っています。(結構抽象的ですね)その第一弾として3月の群馬館林を頑張りたいかなと思っています。(じゃ、他は頑張ってないの?ってつっこみの方)勿論、その他のどんなささやかな空間であっても一生懸命頑張って生きてる事を表現しようと思っています。(←これって決意ばっかりでちょっと恥ずかしくない?)どうも語学で使う頭と音楽で使う脳みそは場所が違うようですので
12/30今年も一年間、色々な事が有りました。確かにあったと思うのですが目まぐるしく過ぎる時間の方が早い(速い)と言うのでしょうか、今思い直してみると何が有ったのか瞬時には想い出せないそんな心境です。しかし、私にとって一番の大きな出来事、また感動は、矢張り音楽だったように思います。人一人の気持ちの次元はさまざまで受け取る側の気持ちとの同調もまたさまざまな為、言葉による伝達や理解には多くの補足的作業が求められると思いますが今回はこの「今年1年、私にとっての感動的な音楽」を説明出来たらと考えています。私自身は音楽から離れる生活も持っている為、Liveに出かける事そのものはある種の義務感を伴うものでも有りますが、しかし、Liveを聴いた後には「来て良かった」と感じ、何か豊かな気持ちになって帰宅する事が多いのも事実です。今年も色々なLiveに出かけました。どれも素晴らしく時にはジェラシーを感じまた時には満たされた気持ちで音の渦の中に身を置き、その瞬間、瞬間のアーティスト達の存在を認める立会人に成れた事を喜ぶのです。しかし、その中でも一番素晴らしいと思うのは自分の人生に大きく影響を与える何かが有るそんなLiveではなかったかと私は思っています。12月の忙しい時期にも4〜5回のLiveを聴きに行きましたが皆それぞれは一生懸命でCreativeなものでした。私が一番感動したのはマルグリューミラーの演奏です。普段から女性はJazzをやるには体力が違いすぎると思っていましたが、もう、これは「いかん、いかん、いけない物を観てしまった。聴いてしまった」という感想一色でした。一体何が「いけない」かと言うと日頃から「女性はJazzを演奏するには体力が違いすぎる」と頭の片隅で鳴っていたものがその日「女はJazzをやってはいけない」と言う大きな鐘の音に変ってしまったからです。私等pianoを弾く時には精一杯なのですが女性の「精一杯」と男性の「普通」で丁度といった具合が通常なのです。しかし、マルグリューミラー達がやっていた演奏は全然違うものでした。聴くにも体力がいる訳ですがもうこれできっと「一杯だ」と思うと更にその上の「精一杯」のフレーズが出てきて、きっともうこれで止めるだろうと思っていたら更にその上の「目一杯のエネルギー」がやって来て、もうこれ以上やったら聴いている人だって身体中の液体が外に流れ出してしまうぞ。そう思っているとその中の1人が悦楽の雄たけびを挙げると回りも皆、自分の持っている物を出し始めるのです。ミラーはそれでも淡々とあの大きな身体でしかも温かい音で到達点を極めます。流麗に過激にしかも優しく。あぁ、もう駄目だ。駄目だ。何もかも駄目だ。男性をも超えているのに私などが一生時間を費やした処で持てる能力ではない。優しくしかも流麗に温かく、まるで森の中を空腹なオオカミがさ迷って居たとしてもお腹を一杯に満たす事の出来る豊かな奥深いものを私は観てしまったのです。私はすっかり満足したのかステージが終わり外に出るとひんやりとした空気が上気した頬を伝い始めている事にも気が付かない程でした。笑みが自然と顔全体に零れ体中の高揚をこの冬の空はまるで知らない寒さを少しも感じさせないそんなLiveでした。
寒いと言えば先日25日もとても寒く、いつもなら仕事が終わるとそそくさと帰ってしまうのですがその日は丁度お客さんが持っていたチケットを頂いて4〜5人でLiveに出かけたのでした。「こんな夜中からLiveが有るなんて一体誰が出るの?」とパンフレットを見るとな、なんとY、T、M、、、、。一同はタクシーに乗り込み新宿へと向かったのです。しかしこの賑わいは一体何でしょう。誰一人家に帰る様子もなく以前カーニバルがあったビルの4F(5F)に人が流れ込んでいるでは有りませんか。エレベーターのドアが開くとそこのフロアー全体が広いホールになっていて前方遠くにステージが見えるのです。高校生から中年まであらゆる階層の人たちが集まりガヤガヤと話をしたりバイキング形式のお皿から食べ物を運んだり1000人位の人が賑わっているのでした。私も呑み放題のBeerを飲んで同行の知り合いの方達と会談をしていました。ステージが始まる前の時間に私は楽屋を捜し入り口を覗いて見ると一人長椅子にトランペットを持った青年、いやインテリっぽい眼鏡を掛けた男性が座っていました。顔を覗き込むとにっこり笑って私を認識してくれたのか「おぉぉお」と言って握手を交わしてくれました。日本でなければ抱き合って親交を深めたいといったそんな心境でした。「Tさんは?」と尋ねると「まだ来てないんじゃない」そんな話をしていると人の出入りが多くなり私は楽屋を失礼しました。席に戻るとチケットをくれたお客さんは睡魔に勝てないらしくその場で気持ち良さそうに眠っているではありませんか。そうこうしている内に最初のステージが始まり1ステージめはJazz。Mさん、ジミーさんその他で恙無い演奏。2ステージ目にYさん、Tさん。私はジャンルも違うという事もあってLatinになると純粋に楽しめるのですが、しかし、周りのお客さんもLatinが始まるとステージに集中していました。理屈抜きに楽しいしLatin派手で明るくて情熱的です。私自身も「あ−、Yさんだぁ。Tさんだぁ」とすっかり「聴く人、ファンの一人」に成りそのうちに踊り出してしまったのです。といっても踊っていたのは私一人ではなく、ステージから離れた遠巻きの人達も今や遅しとばかりに踊り出しているでは有りませんか。私は仕事が終わったという開放感も手伝って「なきな〜さ〜ぁい〜、笑いなさ〜ぁああい」と他のお客さんと共に歌まで唄ってしまいました。この曲がこんなにイイ曲だとは知らなかった、と言う訳ではありませんが日頃から心に残る歌だと想いながら矢張りLatinで耳にした処に新鮮さと聴き手の共感を呼んだと言えばいいのでしょうか、その他盛り沢山のアレンジにも関心していました。矢張りいつも思うのですがJazzもLatinも現場ではじけてなんぼですね。
以前私は音楽が好きだという事と自分が音楽をやるという事が同一でそればかりを追い求めていた時期も有りましたが最近はちょっと違います。人間には色々な音楽の関わり方が有りますし音楽の比重もそれぞれ違います。ある人にとっては慌ただしく過ぎる生活の中の一部分、潤滑剤に過ぎないものであるかも知れません。またその一部分の中にも係わりたいという気持ちを持ちつつ物理的に不可能である為、環境に甘んじて「これだけ」と時を区切って音楽に係わる時間を捻出している方もおられるかも知れません。しかしそれ等多くの雑多な環境の中でそれぞれが根底に共通して持っている物それは「音楽が好きだ」と言う事です。そしてその気持ちは皆がそれぞれ共有しうるもので、それぞれに感情移入が可能な物でもあります。その根底に有るものに対してそれぞれが互いに関わりを持つ事で個人個人の内面の発露を共有しているという代物でも有るのです。私達は音楽、Classic,Jazz,Latinといった共通項の元に集った仲間である訳でそれが音楽を提供する側の人間であろうと聴く側の人間であろうと共に音楽を作り上げて行く時点においては同次元の存在なのかも知れません。私はこの1年間音楽を少なからず提供する側として音楽に関わり多くの時を過ごして来ましたが、それは本当に幸福な事ではなかったかと考えています。実際、こうした音楽に日々明け暮れる生活に憧れてまた長い時間を掛けて具現化して行く過程には多くの葛藤や失望落胆を繰り返し、星の数程の涙を流して来た時もあった訳ですが、しかし、今考えるとそれは単に自分を認めて貰いたい自己顕示欲の行動に過ぎ無かったのかも知れません。人は矢張り他に自分を認めて貰いたいという願いの初期の段階では純粋に「好き」であった事柄がやがて自己顕示に変わりそれが仕事に替わると他を排斥し多くの欲望を得ようと考えるのかも知れませんが、しかしどうあれ、プロとしての音楽家も音楽に関わりたいとする人々も出発は皆同じで、音楽が好きだという事です。やがて私は体力的な限界を感じPianoが弾けなくなるかも知れませんがしかし、それでも別の形でJazzやLatin,Classic,Tangoその他の音楽にも係わりを持ちそしてそれが或時には楽しみであったり、涙であったりし、互いに関わって来た人々との共通の話題を持ち人生の彩りを共有出来るものであれば幸いだと思っています。もっともこの歳になれば名声よりも福沢諭吉や新渡戸稲造の方がいいと思う方が妥当ですけれど。(笑)しかし福沢、新渡戸、夏目で得られない物も沢山有る様ですね。
この歳、といえば私は音楽以外にも他の生活を持っていてちゃんと責任を果たすべく役目が有るにも拘わらず、音楽に埋没していると精神面が幼児化し、いい大人なのに子供みたいな事を考えてばかりいる自分に気が付く事が良く有ります。そんな私が今年最後に触れたい話題は「床屋の親父」についてです。この床屋さんは年期の入った理髪のプロです。何処がプロたらしめているのかと言えば髪の有る無し、多い少ないに関係なく理髪にはそれなりの流儀を持ち「フリ」も含めて時間を掛けるというものです。少し話は飛びますが或野球選手を評して人がこう言っているのを耳にしました。「彼は『球団が俺を欲しいと言っている間はセ・パ関係無くバットを振る。』Oさんは自分の野球を全うしたんですよ」。ところが彼が引退会見の時に見せた表情はこうでした。ある記者からの質問に「Oさん、Oさんにとって野球とは何でしたか?」彼はこう答えていました。「そうですねぇ、仕事そのものでした。」渥美寅さんが聞いたら「おいちゃ〜ん、それをいっちゃぁお仕舞だよ」そう言ったかも知れません。ある芸能人はこう言います。「プロがプロたらんとする処はネタをばらしちゃぁいけない。最後まで『フリ』をして終わるのがプロだと、そう言う人もいる」そう言えば渥美の寅さんが死んだ事を皆が知ったのは墓に入って1月位経ってからでしたね、、、。渥美さんはずっと寅さんとして演じきり、死ぬまで私達は渥美さんの素顔を知りませんでした。癌で苦しみ、辛い闘病生活を私達は少しも知りませんでした。しかしそれで良かったのかも知れません。その事によって永遠に私達の心には寅さんが生き続けているのです。そう考えると「床屋の親父」は実に偉い。素晴らしい。プロの何たるかを知っているのではないでしょうか。真実とはフッとつまらない、何でもない処に垣間見え、覗き隠れするものなのかも知れません、、、、。
さぁ、いよいよ1999年。ノストラグランドクロスの年。人は矢張り未来に期待を馳せ、人類の多くの面での発展を願っているものです。『フリ』で全うするも人生!『素顔』でどろどろするも人生!1998年の1年間、本当にどうも有り難う御座いました。1999年も共に頑張りましょう。平安と皆様のご多幸を願って、、、。 (文責 瀬木 恭子)
K.Kirkland、、、について。-----最近、誰が駄目になったとか、何が終わりだとかそんな事ばかり耳に入るのでやるせない気持ちになっていたのですが、、、、。の事もNYに行った友人から「もう、駄目だよ。薬でボロボロだよ」という話をだいぶ前から聞いていたので死んだと聞かされた時はやはりという気持ちでした。暫く落ち込んでいましたが。色々と友人に電話をしてしまい、、、。
「生きていたく無かったんじゃないの?」と私が言うと「そんな事は無いよ」、、、、、、、。でも、やっぱり生きていたく無かったんだよ。生きるって辛いものね。色んな事感じて、色な事受け止めて、、、、。だ、だからさぁ、そんな事言ってられないのよね。色んな事あるんだもの。生きて行く事の方が大変なのよゴッホだって、青木(画家)だって死んじゃったのよ。太宰だって芥川だって死んじゃったのよ。樺
美智子や、青木ケ原の樹海に身を投じた人だって居るのよ。宗教に人生を賭けて死ぬ事しか選択出来なくて死んだ人だっているのよ。でも、人間生きて行く事の方が大変よ。死を美化しちゃいけないよ。今、中学生だって高校生だって安易に自殺したりナイフ持ったりして殺戮し合うけど、でも、私たちそんな事しなくたって、もっと、切実な問題で常に(外的作用で)毎日が死に直面しているじゃないの?何時死んでもおかしくない状況に日々直面して生活しているじゃない。何時死んだっておかしくない、そんな毎日を送っているじゃないの?実際、生きて行く事自体、今の世の中過酷な事だって思える。私たちは「生きて行く事」を目的として行かなければ、、、、自然界の生物だって今や何らかの危機感を持って精一杯生きている。だから「生きて行く事」を目標にしていかなければならない時代に直面しているんだって事を認識しなければならないんだよ。そう、思わない?皆それぞれ問題はかかえてる。つらいよ。でも、私たちはそんな中でも夢を売っている。みんな、ほこりは持っている。精一杯の努力とほこりでもって生きる事への実感とその問いかけを日々行なっている。「私たちはたまたま、この瞬間に、この時代に生息し息を吸っているのだ」とね。与えられたものなのだから命の炎が燃え尽きるまで精一杯生きようよってね。そんな事をダラダラと話たのですが気持ちを立て直す方向づけにはならず、ひたすら「逃げ」ていました。時には「逃げて」いたいものです。最近、Homepageをやっている事の意義があいまいで解らなくなる時が有ります。企業や海外のサイトなどは仕事熱心で宣伝と自社紹介をその主な目的としています。24時間常に新しい情報を送り続けているインターネットも有ります。しかし私たちのような個人のサイトでは「自分を知ってもらおう」というContentsを主としておりそれ以上の情報を送り続ける事は不可能です。そんな事をしたら24時間ずっとComputerの前に座っていなければならなくなりますし、専用の回線を持たなければならなくなります。そこまでやらなくてはならない使命も必要性も私に有るようには思いません。泡のように現れ浮かんでは消えて行く情報を追い求めるより少しでも残って行く何かをこのHomepageで提供出来たらと考えたりするのですが実際は矛盾だらけで書き連ねる事は捨て去って行く事と同等で、言葉によってその瞬間の気持を表現する事の難しさを痛感しています。