さくら物語

「さくら物語」

2004/06/28
家族の用事で青山の赤坂支所へ行く事になった。かなり歩いた。次の日、ホンダのトップサラリーマンであった○○さんの主催するセミナーにお邪魔した。彼はPrudentialにトレードされ、現在新しいビジネスを行っているらしい。その会場を捜しあぐね、かなり歩いた。その後新宿の紀伊国屋で△△さんと待ち合わせをし、現地へ行くのに走った。かなり走った。結局その日は、駅の階段を上りエスカレーターを降り、曲がって登って道を尋ね、またまた歩き回った。新宿の約束の時間に間に合わずダッシュダッシュの一日。何処を見ても人、人、人で真っ直ぐに歩けない、ぶつからないで走れない。こんなに走ったことは最近にない。福井では人密度が薄いから(私の住んでいる所なんて一日に人が30人くらい通ったら人ごみだ、と思う。でもこちらの人達は私の住んでいる所は町だと言う)何時もせいせいとしていて車での行動だから、こんなに歩いた事は久々であった。ようやく△△さんに再会し、アカシヤという洋食屋さんに案内してくれた。「ここの隣りが『Stick』といってJazz喫茶やっていた所なんだよ」すると60年も続いているというアカシヤの、なかなかモダンな白髪のオーナーが「DIGもあった。DUGもあったねぇ」洋食屋なのにBeerだけを飲んでいる私達に嫌な顔も見せず、柿の種をビールの前に置いた。私は新宿の地下から東口へそして紀伊国屋まで走り続けていたから、汗ダクで、よく冷えたビールが身体に染み渡りすぐに酔いは周り始めていた。「ねぇ、洋食屋さんなんだから何か食事しない?」お昼を食べそびれた私がそう言うと「いいよ、別の所でたべようよ」。オーナーが傍に居るのにと思いながらカウンターの中の彼をちらっと見る。直立不動である。私は△△さんの顔を見る。暫く会話が途切れ一本目のビールはすぐに無くなった。すると、△△さんは「Beer、もう一本ちょうだい」またしても料理じゃない注文。二本目を飲み始める。私はすでに目の前がグルグルと回り、早くここを出て正当な食事が食べたいと思っている。目の前の柿の種に手を伸ばしあたりを眺める。こげ茶色の木の柱やテーブルが置いてあり年代を感じさせる落ち着いた雰囲気の内装だ。私はこの店内を見て、ふと渋谷に有った『響』というクラシック喫茶を思い出した。店に入るとラフマニノフのピアノコンチェルトか何かが大音量でかかっていて、そこで人々はコーヒーを飲んだり、新聞を読んだり、待ち合わせをしたりしていた。店の端っこに階段が有り、そこから二階へと繋がっている。勿論、手すりも階段もこげ茶色の木で出来ていた。店の隅々にまで音は響き渡り気分はすっかりロシアになる。________
このアカシヤという洋食屋にも同じような階段が有る。二階が有るのかと思い階段の続く行き先を仰ぐと閉鎖されている。もう使われなくなってから久しいようだ。細長い店内は食事をするお客様で満席になっている。「洋食ーーーーオムライス、洋食ーーーーカツカレー、洋食ーーーー今日のお薦め、、、揚げソーセージ。??、一体何だろう」そうこうしているうちに二本目のビールが無くなり、△△さんの一方的な話も終わっていた。「出ましょう?何か食べに行こう。」そう言うとバッグを持ち足早に店内を出た。またここでビール飲まされたら堪らない。
外は相変わらずの人込みでビルの合間を縫って靖国通りに出る。「Dance」の看板を横目に仰ぎ歌舞伎町を通リ抜ける。たまに山姥族を見かけ「おぉ、まだ健在か」と△△さんに話し掛ける。ゴルフの打ちっぱなしの近くに来ると「ほら、ここ、JazzWorldの□□さんが演奏していた所」「あぁ、知ってる知ってる。昔のBandmanって********だよなぁ」「そうそう。***の大家」「ねぇねぇ、みんな死んじゃったよね。」「コルゲンでしょ、トコちゃんでしょ、エルビン、、、」「そうそう、この間○○さん来たよ、元気だったよ。ねぇ、ねぇお腹すいたから何か食べない?」酔いと空腹で会話に集中できないのか、私がそう言うと辺りはすでに韓国料理街。「なんか美味しそうだよ。『家庭の味』って書いてあるよ」私が言う。「もうちょっと捜してみようよ、他にもまだ有るよ」____おいおい、一体何時になったらご飯が食べられるんだ。まだ歩くのかい。_____「ね、ここに決めよ?美味しいよ。きっと『家庭の味』って所」「じゃ、その隣り行こう」「うん、もう何でもいいよ。ね。」
横開きの屋台を改造したような、決して綺麗とは言えない扉を開けると韓国語で私達を迎えた。ちょっと斜めになったテーブルに座るとメニューを探し「何にする?」とお互いに聞き合う。「ここってひょっとして焼肉屋じゃないの?」私が聞くと「ひょっとも何も焼肉屋だよ」____(-- ;)
現在私が住む近所には焼肉屋さんがかなり多いのだけれど何処も低価格でとても旨い。兎に角、北陸に住んでいると舌が肥えてしまって都会の不味さが目立って仕方がない。不味い、高い、が東京の定番だから期待の無いまま出て来るメニューを待っていた。美人の韓国姉さんが外から七輪を運んでくると狭いテーブルの上に置き、手際良く店内を一人で切り盛りしていた。七輪の中の炭が赤々と燃え盛りその上に乗せられた網は今や遅しとばかりに焼かれる肉を待っている。「はい。おまちどさま、ロースね。」待ち焦がれた肉がようやくやって来た。しかし次の瞬間そのお皿を見て私は自分の目を疑った。な、なんと肉が4枚。たったの4枚だ。しかも薄い。こ、これで\1,200−?私は目の前に座っている△△さんをマジマジと見た。△△さんは慌ててメニューを取り出し金額を確認しているようであった。そして「こ、これロースだよねえ」「うん、ロースみたいだよ。」そうこう言っているうちに「はい、タン、おまちどさまあ」韓国訛りの綺麗なお姉さんは淡々と運んでくる。今度はその皿を二人で覗き込んでしまった。「タンだよね?」「うん。タン。」「何枚?」「1,2,3,4、、、5。5枚だ1枚多いよ」と私。またしても△△さんはメニューを出して来て金額を確認している。「タン、、、えっと、、\1,500-」「高いんじゃない?」と私。だがそんな事は言っていられない。空腹には勝てずそのわずかな肉を網の上に乗せ始めた。火力が強いせいか、肉が薄いせいかすぐに火は通リ、やがてあっという間に口の中に消え、大きな皿だけが残った。「他に何頼んだ?」と△△さん。「野菜サラダ」と私。「焼酎頼もうか。他にも頼んでいいよ」そう言うと美人の韓国姉さんを呼び寄せた。「すみませ〜ん、あの、焼酎って何が有るの?」と△△さん。「はい、しょちゅうね。かんこくのお、さけ」そう言うとガラス張りになっている小さな冷蔵庫から緑色のビンを取り出した。「それいくらですか?」と△△さん、「えっとお、ごひゃくはちじゅえん」「じゃ、それください。」
酔いはだんだんに回って来てお互いに銘々、違った話をしている。それでも共通のJazzという話で繋がっているのでなかなか心地良いものがある。「さくらちゃんの住んでいる所はどうなの?Jazz盛んなの?」「う〜ん、プロでやっている人は私の知っている限りでは一人しか居ないと思うけど。他はみんな『俺はJazzやってるんだ。他のアマチュアとは違うんだ。』でもそれ以上を要求されると『楽しけりゃいいんだ、俺には他に仕事が有るんだ』って開き直っちゃう人が多いね。だから自分は行動出来ないけど与えられればやってあげますよ、みたいな姿勢、、、。それに人口少ないから案外大事にされちゃって、結構いい思いもさせてもらったり、ギャラなんか貰っちゃたりすると、もうすっかり気分は芸能人。それに言われ慣れてないからちょっと何か言われると逆ギレするみたいな。男尊女卑も強くて信じられないような立場の人までセクハラばんばか(笑)でもこういう人ってセクハラ的判断で物事を言っている時点で、もうすでに、おやじモードなんだから若い感性なんて取り入れられるはずもないよね。永久に。頭が固まっちゃてるんだから。演奏が物語ってる(笑)そもそもチューニングが全然アマいの。でも平気で演奏してんだよね。どういう神経してんのかなって時々頭ひねっちゃうんだけどね。そうじゃない人も居るけどね。本当に音楽を愛していて音楽に熱心な人もいるよ。感謝の心も忘れないしね。」「じゃあリーダー大変だねぇ」「う〜ん、だからすぐに解散したくなっちゃうらしいよ」「昔は結構イビリなんか有ったりしてねえ、先輩後輩の立場もきちんとしてたけどね」と△△さん。「でもその周りのJazzや音楽を盛り立ようとしている人達は熱心でいい人達が多いよ」と私。
そうこうしているうちにお腹も一杯になり美人の韓国お姉さんの居る店を後にした。元来た道を戻り雑踏の中を楽しくうねっていると「ラーメン食べよう」と△△さん。「桂花」という店に入った。メニューは三種類しかなく桂花ラーメンを注文する。出て来ると豚骨仕立てらしくスープが白い。私は豚骨は苦手なので1/3しか食べられなかった。それに酔い過ぎてしまって世間も他人もあったものではない状態。久々の都会の空気や雑踏が気持ち良く、この集いがアルタの前で解散した後も一人東口の広場でトロトロとしていた。終電に向かうべく大量の人々が駅へと雪崩れ込む。それはまるで民族の大移動のようでもある。広場はストリートライブの歌とギターで賑やかな群集を作り上げ、都会の夜は終わらない。______私の今住んでいる所、、、、この間『蛍』を生まれて初めて見た。そのささやかで優しい光を見て感動してしまった。足元の近くに寄って来て光を放ち、少しも逃げようとしないその蛍を見ていて涙が出て来てしまった。____そんな事をふと思い出し都会のネオンと対比させている。私は都会が好きだ。無関心だけれど自由な都会の気質が好きだ。人と人がぶつかる程に近いのに、心同士の距離が適当にある、そんな気質が好きだ。蛍のいる所は人と人が遠いのだけれど、でもいつも隣の人の事が気になって心の中にズカズカと入り込んで来る。蛍の居る所は空気も良いし、水も食べ物も美味しい。東京の魚は生臭い。肉も薄い(笑)。
ストリートライブの渦から遠巻きに、私はドームの周りのコンクートリに座り込む。そんな事が ああでも無い、こうでも無いと脳裏を掠める。左隣りは髭ぼうぼうの浮浪者。右隣りはMailのやり取りに余念の無い人。都会は色々な人が蠢き犇めき合っている。
ビジネスはどうなのだろうか、、、。兎に角仕事をしなければ生きて行けない。国民年金も払えなくなる。ばばあだから企業にも就職出来ない。(笑)数字は苦手だから音楽しか出来ない。「私はマルチモードでなんか決してない」目の前を通リ過ぎて行く人々を眺めながら静かに呟いていた。だがかなり酔っている為しっかりとした言葉になってる訳ではない。もうこうなると始末が悪い。(笑)バックベルトのヒールを脱ぎ捨てるとコンクリートの椅子に座り直しバックから携帯を取り出す。実際にはPHSを持っているのだが「何でPHSなの?」と友達に聞かれると「病院の中でも使えるからよ」と答えている。そのPHSを取り出すと400件からの登録の中からカラミ専門の人にカーソルを充てボタンを押す。都会の騒音とストリートの音楽でコール音があまりよく聞こえない。相手はなかなか出てこない。「ばかやろう、早く出ろ!」と言った途端に「もしもし」。「あのねえ、今電話してんの」酔っている為ちゃんとした言葉にならない。「どっから電話かけてるのかな?」と相手。「新宿だよ。し・ん・じゅ・く。酔っ払っちゃったんだよね」そんな事言われなくても聞けば分る。何しろまともに話が出来ないのだから。更に訳の判らない喋りは続く。さくら自身は現場中継ならぬ現地のリポートを織り交ぜた話を続けているらしいのだが、ライブの音と騒音で実況中継など要る訳がない。暫く聞いていた相手も「早く電車に乗りなさい。俺ね、これから風呂に入るんだ。ね?」そうだよ、この暑さだもの私だってお風呂に入りたい。絡みたいと思って電話したのにすぐに納得してしまったのか、電話を切ると、足元に散らばった靴を突っ掛けるように履いた。目の前の群集の流れに吸い込まれると、そのままJRの駅まで押し込まれるように消えて行った。

「さくらちゃん、こんにちは。何しとるんや?」
「あ、おばさん、暑いね。もうダレまくってるのよ」
「本とやあ。暑いのお。さくらちゃん、うちで取れたインゲンなんやけどお、食べんか?」
「あら、おばさん、有難う。食べ物は大歓迎よ。取れたてだからきっと美味しいに決まってる。」
「さくらちゃん、最近仕事に行かんみたいやけどどうしたんや?止めたんか?」
「うん。まあ、そんなとこかな。会社都合の退職にして貰おうと思って有休使ってるのよ。」
「会社止めるんか。なんでや。食べて行かれんやろ?」
「うん。でもいいのよ。あたし、、、資格持ってるけど、、、、数字苦手でしょ?それにあたしって不器用だから、色々な事出来ないんじゃないかと思って、、、。それに音楽の方が今忙しいのよ。」
「そやけどお、安定せんやろ?」
隣りに住む洗濯屋のおばさんはフェンス越しに15坪程の畑を持っている。春になると土を耕し、草を毟り、実りの時期の喜びを知っているのか、いつも手入れには熱心であった。今年は空梅雨の為、早めの収穫となったのか出来たてのパリパリとしたインゲンを持って来てくれた。
「会社辞めてえ、この後どうするんや?」フェンスの隣りは駐車場になっていて、最近、毎日さくらの車が止まっているのを知っていた。
「うん。音楽一筋よ。」
「昨日、さくらちゃん、大きく新聞に載っとったねえ。コンサート有るんやってねえ。」
「うん。有難。」
「そうや。うちの連れ合いがのお、采静会に通ってるんや。」
「おじさん、何処か悪いの?」
「そうなんや。3年位前にの、ガンになってえ、手術して、今采静会病院に通ってるんや。さくらちゃん、采静会でもピアノ弾いとるんやってね。この間、うちの連れ合いが言うとったわ。」
「そうなの?少しも知らなかったわ。で、おじさん、今は良いの?」
「うん。今はすっかり元気になって、毎日のんびりと好きな事やっとるわ。」
「そお。良かったわ。おじさんが采静会病院に来てるなんて全然知らなかったわ。たまには声かけてね。」
「そうやねえ。ほんと、ほんんと。でも、好きな事も何でもお、身体が動くうちしか出来んからの?身体あ、動かんようになってからあ、あれもやって置けば良かったとかあ、これもやりたかったんや、とか言うてもの?遅いやろ?せいぜい、さくらちゃんも頑張ったらええんや。」
「はははは。そうだよね。やがては皆、動けなくなるね。はははは。動けなくなるまでピアノ弾くよ。」
「ははははは。私は畑やるでの?しかし、暑いのお。身体気いつけや。じゃ。」
そう言うと隣りのおばさんはまた畑仕事に戻って行った。
実際、数字に追われプレッシャーを感じながら送る日々を考えたら精神衛生上、今の生活の方がどれだけ良いか分らない。今年のように毎日、晴天に恵まれ爽やかな朝を迎えていると楽天もビーンズも後回し、という気分のさくらであった。
__そう、いいのよ。もう会社辞めたんだから、、、。だって見て御覧なさいよ。数字ばかり考えている人達の顔。帳面ズラの数字は上がってるかも知れないけれど、実際の儲けって少ないのよ。じゃ、誰が一番儲かってるのかしら、、、それはやっぱり企業の上層部と中間搾取者よ。私は演奏家だからそんな事まで考える必要も無いのよ。そんな事を余り考えていると感性が摩滅するわ。テクニカルな部分を維持して行くだけだって大変なんだもの。ピアノを弾くってすごく体力が要るしね。それに耳も疲れるし余り長く聴いていると、どんな音でも耳に入って来てイライラしてくるから、静かな所で神経を休ませてるのが丁度いいのよ。頭はマルチでも身体は一つ。_____そんな訳の分らない事を考えながら床中、所狭しとばら撒かれた譜面をチェックしていた。電脳箱には「Finale」という譜面ソフトが昔から入れられてあるのに、さくら自身は「何だか重たくて使いずらくて、それに電磁波も気になるし、、。」とそう言いながら、結局手書きで済ませてしまっている。「私、手書きが好きなのよ。何だか譜面に音楽が乗り移って行くような気がして」  そんな事が有るはずもない。各パート譜を一人づつ書かなければならない作業時間を考えたら馬鹿々々しい事をしているものだ。さくら自身も確かにそれを感じていながら、手書きを止める事が出来ないでいた。
そうこうしているうちに辺りが急に暗くなり稲妻の音が外から響き出した。ゆっくりと青い空を食べるようにやって来た黒い雲はやがて空一面を覆い尽くすと稲妻が一直線に横に走った。「きゃーっ。私雷嫌いなのよ」そう言うと一目散に干していた洗濯物を取り込みに外へ出た。ゴロゴロゴロゴロ、、、、。空がピカっと光った。次の瞬間ドッカーンともの凄い音がした。大自然の脅威を思い知らされる一瞬である。「そう言えば、稲妻が横に走ると地震が有るって何処かで聞いた事があるんだけれど、、、。横に走ってるよ、横に。大丈夫かなあ。何処かで地震が無ければいいのに。」そう言いながらさくらは洗濯物が濡れないように慌てて部屋に戻った。やがて雷の凄まじい音と共に大粒の雨がパラパラと降り出して来た。やっと雨が振り出して来たのだ。何しろ今年は梅雨の時期なのに、毎日のように猛暑に見舞われ人も動物も作物も、皆この雨を待っていたのだ。さくらの友人、香奈枝は空が暗くなるとわざわざ電話をかけて来た。「さくらちゃん、今に雨が降るよ。窓はしっかり閉めて置いた方がいいよ」「え?雨が降るの?良かったねえ。これで少しは涼しくなるね」「いいから、これから始まる稲妻ショーを見ててご覧」そう言うと電話を切った。確かに香奈枝の言う通り、凄まじい閃光と地の底まで沈み行く雷鳴がまもなく始まった。それはまるで神から使わされた龍が奏でる天空の舞の様でもあった。土地の人達は自然と共に共存し、生活している為かまるで猫のように天候には敏感なのだ。___入道雲が出て雷が鳴り夕立が降って来る。___こうした出来事はさくらの子供の頃、夏休みによく見られる光景であった。夏休みの宿題には決まって入道雲と麦藁帽子の絵を書いていたものだ。しかし最近都会では余り見かけない。
雨が止むと多少涼しくなり、遠くから選挙カーのスピーカー音が聞こえて来た。「最後の御願い、、、今度の日曜日は○△※□をどうぞ宜しく御願いいたします。」選挙の御願いは何処も同じようである。「不信感を払拭すべく、、、、どうか皆様ご理解を賜りまして、、、、」____理解をしてもう何年経つと思っとるんや。____以前、同じような選挙演説に対してこんな事を言っていた人が居た。全くだ。何をどお理解せえ、と言うんや。「私はやっぱりK党だ!!」などと一人ブツブツ言いながら、たまに見るTVのコントローラーを捜すさくらであった。そしてまたもやエアーコンディショナーのコントローラーをTVに向けているさくらでもあった。

ここの処、コンサートが近い為か毎日のようにピアノに向かうさくらではあるが「やっぱり田舎ってつまんないな。」とボヤキ始める。練習に疲れると身体を休めるか、或いは他の刺激を求めて家中をウロウロする事がある。刺激といったらたまに覗く近所のローカルネットのローカル毒舌くらいの物なのだ。しかもこれが酷い。お互いに知り合いとみえて言いたい事を言い合う仲のようなのだが濃き折しに輪を掛けて誹謗や中傷は茶飯時(日常茶飯事)なのだ。更にエスカレートし殆ど会った事も無いような人達の事まで書きまくり、平然としている。これじゃまるで町内会の回覧版のようだ。どうやら福×は知名度の薄さNo1だけでは無く、マナーの悪さもNo1のようなのだ。(笑)そして更にここの管理人がまたすごいらしい。見ていると本人はかなりの金持ちの御曹司で、著名人を山ほど知っていて、多くの人に施しをする程に善良で、動物や自然をこよなく愛し、人の倍は働いて、尚且つ趣味も高尚で、何より目立ちたがり、というイメージらしいのだ。もしそのイメージから少しでも外れるような書き込みが他からあったりすると、大変なのだそうだ。相変わらずの毒舌と誤字脱字による書き込みでそれはもう、大騒ぎになるらしい。さくら自身、そんな事しか刺激にならない環境に苛立つ事も有るのだが、ここの蛍と食材の旨さについ長居をしてしまっている。そして何より、さくら自身も最近はこの田舎気質に漬かり始めているようだ。そうしないと生きて行けないからなのだろうか。(ヤバイ)何故こんな気質なのだろうか、、、。さくらは練習の合間にこんな事を考える。__雨が降ればドカーっと降り、夏になれば容赦無く太陽が照りてけ、冬になれば水分の多く含んだボテっとした雪が何時までもいつまでも降り続き、大そうな雷が鳴り、更には震災に見舞われ、コツコツコツコツと働く事しかやって来なかったからなのだろうか。繊細でデリケート、ナイーブで神経質なんていう部分は人々の身体の中には必要無いのかも知れない。自然が厳しいから生きて行くのに精一杯だから、文化だ芸術だ、などと言っていられないのかも知れない。「清貧」なんて言葉はこちらには無いのかも知れない。___どうやら、ここの気質がそんな風にさくらの心には映るらしく、都会とは大分違う刺激のあり方に大きな戸惑いを見せているようだ。都会は色々な考え方の出来る場所で、こちらのように、実際の「家」に執着したり「お金」に執着するという事が余り無い。勿論、都会は物価も高く北陸でのアパート代が都心の駐車場代と同じ位なので家や車に執着していたら人生を何回やっても幸福な人生にはならない。そういう事を都会の人達は知っているのだろう。人それぞれの人生において皆、それぞれ、執着する部分が違う。違って当然で町内会全部が一緒、という事はまず有り得ない。勿論、都会特有の「お受験」や一億総芸能人のような所はあるが、ミーハーばかりで出来上がっている集団でもない。本当の知識人が居るし、本当のエリートが居る。本当のお金持ちが居て、本当に才能のある人達が沢山いる。よく都会は表面ばかり着飾って実が無い、表面のかっこ良さがステータスになっている、と思われがちだが、巨大な都市が洗練されて行く事に抵抗を感じる人々は誰もいない。さくらは以前こちらでエイト○レブンの筆頭株主だという人に会った事があるのだが、確かに10億円の家を自慢していた。だがお茶を入れる急須はP2で買った¥290ーの急須であった、といつも友人に話している。どうやらさくらはこちらの人々の心や価値観や生き方が、まだまだ多様化されていない処に、苛立ちを覚えているのかも知れない。さくらの会った筆頭株主(個人)は最後にさくらにこう言ったそうだ。「こうやって、何でも周りに有ると人間、何にもせんもんじゃのお。いつでも出来ると思うんやろね。ザイゴ(田舎)やでの。」
_____(これはフィクションであり、登場する、人物、名称、団体等、実在のものとは一切関係有りません)____

たまにお付き合いで近県のパーティーなどにも参加するさくらでは有るが、基本的に人見知りをする性格からか何時も何処か浮いた存在になっている。見知らぬ人達との会話が始まると福×県の人達とばかり話しをし、他の人達のように積極的に関わりを持とうとしない。何処かマイペースで、自分のサイクルを崩されるのをとても嫌がっている様でもある。「自分の世界」の枠が有り、その殻をいつも大切に守っている。例えどんなに煌びやかな周りであろうと、とても壊れそうも無い権力であろうと、さくらの中に有る心の世界の基準は変わりようが無いのである。その殻の中には沢山の玩具箱が有り、それはいつも大切に仕舞われている。言わばさくらの宝物なのである。だから誰にも見せたくないし触らせたくもないのである。何かに疲れるとさくらはその枠の中へ行き、玩具箱の蓋をそっと開けるのである。中からは数え切れない程、種々雑多のおもちゃが飛び出し、さくらの心を慰める。
同県から来た人達は「やっぱり○○は都会よね。××は駄目よ。」などと口々に言う。日頃さくら自身の持つ鬱憤を他の県で、他の人から耳にするのである。しかし、さくらは決して同調しない。「そんな事ないわよ」と反発する。それは××の良い処もさくら自身沢山知っているからだ。アメリカへ行くと、まず日本の悪い処が気になり、日本人同士が会うと日本の悪口を言うようになる。しかし、そのうちに遠くから見る日本の良さに気づき、やがて日本人で有る事に誇りを持つようになる。それと同じ現象だ。文化も無い、芸術も無い、とボロクソに言っているさくらでは有るが「食べ物は何処よりも美味しい」「素晴らしい芸術家だって沢山育っている」「斬新な文化も持っているし、何より自然が美しい」「人の心も温かいし、和の精神を大切にしている」「変な人も見て来たが、素敵な人達も沢山居る。」と反発心が顔を擡げ、俄かに知り合いになった、その同県人と、すぐに同調出来ないでいる。そして、そんな感情に気づく。___自分は僅かの期間ではあるが耐えがたい北陸の冬を忍んで来た。時に畏怖の念を抱きながら、この全く違う環境の中で生き抜いて来た。そんな自分が存在していたからなのか、この土地に愛着を持ち始め、肯定的な意見を持ち始めている。そんな自分に最近気づく。よく見てご覧よ。大自然の懐が深いように、人々は大らかで、良い意味での我がままを持ち、実際、ここに居ると、さくら自身のいつも大切にしている玩具箱に鍵を掛けなくても大丈夫のような気がして来る。多分、自然との対話が人間社会の虚構や飾を剥ぎ取り、生きる事への素晴らしさを伝えてくれるからなのだろうか。「さくらあ、あの足羽川の両側に何キロにも渡って咲く桜の幹を見た事があるかい?」さくらはいつも自分自身との対話に自分で答える。「ううん、今までにあんな巨木を見た事が無いよ。あんなにウネウネと大きな筋を描きながら、しかも、どの木も頑丈そうで力強くて、あんな、桜の幹を今までに一度も見た事はないよ。初めて見た時、感激したよ。」「そうだろ?都会は沢山の刺激が有っていいけれど、人も擦れているから傷ついたりする事が多いんじゃない?」「うん、でも切磋琢磨ってのも好きなんだよね。練れて個性が生まれて来るじゃない。」「じゃ、さくらは一体どっちが好きなんだい?」「どっちも好きだよ。大自然の対話はここにしか無いもの。ここには素敵なものが沢山有るし。私は唯、自分の故郷を慕っているだけで都会、都会なんて言わないよ。なんか妙に都会とか、シティーとか付けるとカッコいいなんて思ったりするのって嫌だな。なんか嘘くさいよ。私は何処に居ても私だもの。心の中に大切な玩具箱が有るかぎりね。」
2004/08/26、09/01、09/11
さくらは久しぶりに東京へ赴いた。暫くぶりの東京はお盆のせいか、街も道路も人も少なく静かではあったが、道路から沸いて来るような熱気には閉口していた。「東京も大変だな、こんなに暑いんだもんね」と駅を降りるなり,ため息をついていた。翌日、さくらは昔から親しくしている女流ピアニストの伊藤 茜を訪れた。最近具合が悪いという連絡を貰っていたので尋ねてみる事にしたのだ。「茜さん、お久しぶり。な〜んだ、元気そうじゃない」茜とはボストンで知り合い、その後ニューヨークへ行き、最近帰国しているらしかった。「あら、さくらさん、今日これからライブあるのよ。支度してるけど、、、。」「そう、私も聴きに行こうかな。茜さんと誰?」「今日はトリオなの。彼とWilson。」茜は親指で窓の方を指した。見るとドレッドヘアーにした肌の浅黒い男性が譜面を見ながら手を叩き何やらカウントしていた。茜と一緒に暮らしているらしい。「へえ。何処であるの?」「△※○よ」「じゃ私も行っていい?で、身体の方は大丈夫なの?」「いやあね、今まで好きな事やって来たから」そう言いながら茜はニコニコと笑い始めた。「お酒飲んで、煙草吸って、、、(笑)母がね、私が具合悪い。具合悪くって酒も煙草も呑めないんだよ、って言ったらサ、『当たり前よ。そんなに好きな事やって、どれか一つでも出来なくなって当然よ』って言うのよ。」と再び屈託の無い笑みを浮かべてさくらに話し掛けた。「そうだね。一つづつ人間として生きる楽しみが消えて行くね。」とさくら。「そう、だんだん何も出来ない身体になって行くね。確実に死に近づいてる。はははは」と茜。そんな話をしているうちに出かける支度も出来たのか、「さくらちゃん、悪いけどそこの洗面所のライト消えてる?」とベランダの窓に鍵を掛けながら、茜は戸締りを確認していた。
この時期だから都心とは思えないほどスムーズに車が走る。「△※○までは何時もだと50分くらいかかるけど、お盆だから今日は速く着くね。」茜の彼氏が話すと「東京もいつもこの位だといいよね」と助手席の茜が話す。後ろに座っているさくらは窓に顔を近づけ、R246の景色を一つ、一つ確認するように眺めていた。一体何を確認しているのだろうか。都会?「今の時期、みんなは地方へ帰っているんだね」とさくら。「そうだよ、如何に地方出身者が多いか、って事だよ」「あまり、都心に集中するのもよくないよね。」と言いかけて茜は「でも、アメリカに居ると『絶対にNY以外に住みたくない』って人居るわよ。エネルギッシュだし、文化の先端って感じがあるしね。ストリートパフォーマンスも多様だし、、、。」何やら日本の都会を走りながら、NYとの比較を語っているようでもあった。
まもなく目的地に着き、演奏が始まると茜さんは静かに曲に没頭し始めた。さすがに色々なScholarShipを獲得しているだけあって独特のフレージングやAmericanTast溢れる感覚は素晴らしい。こういった人達が最近多く、日本は本当に層の厚いJazz文化を築き上げて来ているものだ、とレベルの向上や色々な面に感心するさくらであった。以前、ラジオでさくらは「日本は例えば、クラシックのコンクールなどを見ても、世界の中では何時でも上位にランキングされているし、消化する能力は素晴らしいのだ。だから今は最早、基礎をやっている時代ではなくて、次世代のこれからの音楽を大いに求めていいのだ。」などとパーソナリティーの人と話していた事を思い出し、努力というものが蓄積という形ではるかに凌駕する時空を再認識していた。そう言えば今年はオリンピックがアテネで行われていて、連日、日本人の活躍が伝えられているようだ。
さくらは次の日、秋葉原へ行きiPodを探したのだが、何処の店を当たっても見当たらなかった。昨年ボストンでiPodを一つ買ったのだが、それはすぐに近しい肉親へのプレゼントになってしまった。その時はとても安く、もう一つ買って日本へ持ち帰りたいと思っていたが、ついに買わずに帰国してしまった。こんな事ならどうしても買って帰るんだった、と後悔するさくらであった。無いとなると余計に欲しくなってしまうものだが、しかしウーロン茶を買って応募するのもなんだか嫌だ。(笑)

「さくらさん、最近大人しいですね。」 久しぶりに出向くカウンターバーのオーナーから話し掛けられると少し躊躇っているのか、言葉を選んでいるのか、暫く間を置きながら、さくらはようやく会話を始めた。
「うん、最近、人と話をしていないから話し方を忘れちゃって、、、、。」そう言うとジンジャーエールを飲みながらオーナーに笑って見せた。ここのオーナーは年も若いのによく出来た青年で客あしらいも上手い。昼から夜への切り替えの時間とみえて、お客はさくら一人らしく、ポツポツと話し始めるさくらに意識を傾けていた。ようやく店内にジャズが流れ始めると「ねえねえ、最近のドラムって、リズムって複雑よね。4つだと思ったらマーチみたいで、そのうちサンバみたいな叩き方になって、そう思ったらアフロで、この間聴いたClarencePennっていう人なんか、なんて饒舌な人なの?なんて。」さくらは勢い良く話し始めた。「都会的で乾いたリズムを刻むってか、でもスインギーなのよね」さくらの話を聞いていたオーナーは少しの間、店内中に響く音に耳を傾けると「そうっすか。よく分んないっすけどなんか複雑っすよね。イメージで叩いてるんっすかねえ?」「うん、やっぱり色々な音楽の要素を知っているし、持っているんでしょうね。」「すごいっすよね。」「こうなるともうドラムは自由だからBassBeat命って感じでしょうかねえ。」「そっすよね。いやあ、すんげえ。」そう言うとカウンター内に有るグラスを丹念に拭き始めた。そんな時間が暫く流れ、他のお客さん達が入って来ると、ようやく店内は活気づき「いらっしゃいませ。お飲み物は何にいたしましょう。」___オーナーの声がOneTone上がり、店内は昼用から夜用のライトアップに変わっていた。落ち着いた雰囲気を醸し出し、カウンターの中に居るもう一人のウエターの、よく整髪されたグリスが光ってる。他の接客に忙しくしていたオーナーが再びさくらの元にやって来て「さくらさん、待ち合わせですか?」「うん、昔のお友達と会うのよ。」「そうっすか、ゆっくりしてって下さい。」ニッコリと笑うとカウンターの奥に消えて行った。そのうちに、さくらの後ろで張りのある、少し高音の声がすると、さくらの友人達がやって来た。「久しぶりい。元気い?」一人はバリバリのCFPで如何にもキャリアウーマンと言った感じの佐々木裕子である。もう一人は翻訳家の山下修三。「いやあ、どもども。如何ですか?地方住まいは?」大きなお世話だ、と思いながらにこやかに交わす会話に安堵感を覚えるさくらであった。「トータル的に元気だけれど、最近病気ぎみ。」「どうしたのお。ジンジャーエールなんか飲んじゃって」そこへ笑顔の絶えないオーナーがやって来て「お連れのお客様、お飲み物は?」「あ、私、、カンパリソーダ貰おうかな。」「じゃ、僕は水割り」____「今年の夏暑いね。どう、さくらさんの所少し涼しいんじゃない?」と山下修三。「同じよ。天候、気候、大荒れ(笑)」「本当ね。で、仕事どうなの?」と佐々木裕子。「うん。なんとか頑張ってるよ。ピアノ弾き疲れって感じ。(笑)」「そお。あのね、身体の中で神経が一番集中している処って何処だか知ってる?」と裕子。「指?」「そうよ。だから神経沢山刺激するから特に疲れるらしいわよ。」「そうなの。学生の頃なんて『よーし、8時間練習するぞ!』なんて言って平気で1日中ピアノ弾いていた事あったけど、今1時間弾くとグッタリだもんね。それに耳が超疲れて、、、。(笑)」とさくら。「で、FPは最近やってないの?」「うん、やってないよ。でも色々と沢山参考になってる。最近、数字扱ってないから、何時も感覚優先でふわーっとしてるね。(笑)」「そう、たまには数字を見て現実を直視しないといけないわね。」佐々木裕子はいつも現実派のしっかり者である。裕子の話にさくらが感心していると、傍らから修三が以外な感じを受けたのか「あれ?さくらさんって以前、PTAの会長とかやったりして活動派じゃなかったの?」「あれはねえ、持ち回りで役が回って来ただけなのね。」と慌てて恥ずかしかった事を指摘されたように訂正するさくらであった。「あら、またやれば?InternetのBBSか何かで。」「何をやるの?」とさくら。「PTA、Netみたいなやつよ。」裕子が話すと「嫌よ。そんなの。私、政治的な動きが出来る人じゃ無いもの。それに今はね、人ひとりの趣味、趣向がね、細分化されててね、ナローな時代なのよ。」とさくら。「そうなの?」「らしいね。多様化って事だろうね。」と空かさず修三も会話に参加し、話を盛り上げる。「そうそう。その多様化よ。でも多様化といってもジャンルの細分化で質の多様化じゃないのよ。細分化の追及が、ナローになって行っているだけで質の多様化じゃないのよ。質が多様化しちゃうと何でもアリになっちゃうものね。」とさくらが話すと「なんだか良く解らないけど、兎に角Internetには何でも、どんな情報でも存在するって事なのね?」と裕子は無理矢理に話をまとめようとしていた。「でも、ほら、さっきの話。PTANeTね、宝町会とか鶴間会とか、、、」「何それ、、、。」「ほら、在学している大学の親が作ってる会有るでしょ?」「うん、有る有る。角間会とか?そんなのあったっけ?工学部は何会っていうの?錦町会?、、、分んない。」「しかし、そういうものはね更にナローでパスワードでも作らないと、誰も発言しなかったり、国立だとね、例えば一人の人が沢山発言したりしていると私物化してるなんて言われちゃたりして大変よ。」と経験が有るのか修三は実感が込もっているような話ぶりであった。「あら、私達何を話しちゃっているのかしら」酔いが回って来たのか裕子が話すと三人共、顔を見合わせて笑ってしまった。心が裸になる楽しい一時である。「で、何時帰るの?」と裕子。「うんもうソロソロ帰ろうかな。小松でコンサートが有るのね。準備したり色々と時間かかるからね。でも地元の人達って有り難いのよ。温かいしね。少しづつNetWorkが出来つつあって、私のような未熟者にも愛の手を差し伸べてくれるの。」「そう。それは良かったわね。身体は疲れ気味みたいだけど、精神的にはとても健康ってとこかしら?」さすがに仕事ワーカーの裕子である。人の事は良く見ている。「うん、だからね、私に出きる事は一生懸命、音楽で血と汗を流さないといけないなって。」「あら、そ。なんだか神妙ね。(笑)」「ねえ、君達、もう一軒何処かへ行かない?」と修三が誘うとすぐに三人の意見は纏まった。

2005/01/11
「いや〜ん、今年も、もう11日過ぎちゃいました」。さくらは一体どんなお正月を迎えていたのだろうか。雪が嫌いでたった一人で過ごす孤独感から耐え切れなかったのか、とうとう北陸を脱出してしまった。都会へ戻り年末を色々な所で過ごそうと考えていたのだが日頃の疲れが溜まり、それも出来ず、唯簸たすらに御節料理の準備を手伝うさくらであった。しかしこれも大切な事である。煮物の匂いが立ち込める中、綺麗なお正月を迎える為にあちこちをお掃除したり、この何でもない習慣の中に日本の風情を感じるさくらであった。今時はどこのコンビ二もスーパーも元日から営業をしているので買い溜めや保存食としての御節など実際は必要無いのだが人は視覚や臭覚、五感から時節を悟り後世に何かを伝えているのだと思うと、またそれも楽しかった。
暫くの後にさくらは最寄にあるライブハウスを訪れた。まだ行った事も無い初めての所ではあったが、近所という事もあって行ってみる事にした。近づいてみると「それ」とは分らない佇まいで自動ドアの中にもう一つ扉が有り、二重ドアになっている。その扉を開けると中は鬱蒼と薄暗く、入った途端に大きなグランドピアノが目に入って来た。扉の近くが演奏場所なので、もし演奏時間にぶつかっていればその奏者の中を突っ切って行かなければテーブルや椅子に至らない。電球も壁も応急処置のようだし窓も一つも無い。中に入れば洞くつのようにヒンヤリとして出口と反対側にカウンターが有る。さくらは大きなピアノを横切り正面のカウンターに辿り着いた。少し俯き加減の小太りの男性がここのご主人らしい。さくらは近づいて話をしよと思ったのだが薄暗くてはっきりと顔が見えない。更に近づき「あのぉ、、、」と声を掛けた。その瞬間さくらは思った。__何処かで見た顔___。俯き加減の主人は耳だけをこちらに向け顔は以前としてそのままである。「えっとぉ、、、、」と、さくらが二言めを発すると沈黙が続き、何から話して良いのか話し出せない雰囲気が辺り一面に漂う。しかし何処かで見た顔はやがて微かな確信に変わり、さくらがオーダーしようと近づいたその内容は一変した。
「あのぉ、、、何処かで会った事有りませんか?」、、、今まで俯き加減のその主人はようやく顔をさくらの方へ向けるとさくらの顔を見つめ、「ね。そう。誰だっけ?」そう主人が言っている間にも、さくらの頭の中で色々なリンクが総動員して一つの名前を探し出した。「□△さん。」とさくらが言う。もう一度「□△さん?」とさくら。「えっとぉ、、、誰だっけ」とそこの主人。「さくらです。」と言うと「そうそう。さくらさん。え、何で此処に居るの?」。それはさくらの方こそ聞きたい事であった。「何してんの?」とさくらが聞くと「店やってんの」と主人。彼は以前横浜界隈や新宿でBassを弾いていて時々、一緒に演奏活動をしていた人でもあった。あまりの偶然で吃驚してしまったさくらはオーダーをするのも忘れ、ああでも無い、こうでも無いと色々な事を聞き始めてしまった。仕事で演奏している時はその人の出身やジャズ雑感など話した事も無かったのだが、こうして何年ぶりかで再会してみると、本当によく、ジャズに係わってここまでやって来たものだな、と感心しながら、つい長居をしてしまうさくらであった。そして__こんなにお喋りする人だったかしら。__そんな事を思いながら楽しいひと時を過ごすさくらであった。

東京は連日、良い天気である。新年の決意などは何も無い。。。あるのは唯弾こうとする存在だけ。
2005/02/01
な、なんと如月じゃあ、あぁりませんか。この冬も北陸で過ごすべく心構えを新たにさくらは長靴を出した。雪かきのシャベルも準備した。「よし、これで万全だ。来るならこ〜い!」さくらにとって雪が珍しかったのは金沢に居た時の最初の一年だけである。お城の上に舞い散る雪にもロマンを感じ、積もった雪の上をサク、サクッと踏み込むその音にも爽やかな新鮮さを感じ、まるで子供のようにはしゃぎ捲くるさくらであった。一面に降り積もった雪の上にバタリと仰向けになり、天から舞い降りる白い綿雪を眺めながら「私の存在は誰も知らない。このまま死んでもいいのかも知れない。」そう思う反面「ピアノが無くても生きていけるよ。生きてるじゃない。」  このささやかな命が、誰にも知られなくたって「私は精一杯、生きてきた。いつも真剣に、目一杯生きてきた。」そう言える自分がそこに有るのなら、幸せな事かも知れないと、思えるさくらであった。本能のみが残る程に底辺に落ちてしまったと感じているさくらは「どうせ人間はささやかなちっぽけなモノだ。世界の人口約61億人の中の私はその中の一人なのだ。」と。 僅かながらの抵抗と自然への迎合とが入り混じる中、ゆったりとした時の流れに身を預け、さまよい歩く放浪の民を意識し続けていた。しかし、精一杯生きた事を誰も知らなくとも、さくらは命の有る限り生きて行かなくてはならない。現実と自然はさくらにとって恐ろしく過酷なものだ。 死ねないのなら食べる物を探さなくてはならない。これは人間の本能だ。この世にわずかながらでも執着が残るのなら生きて行かなければならない。食べる物を求めて働らかねばならない。  食欲という欲求が満たされると、住む所や着る物を欲っする。これもまた本能だ。そしてやがて衣食住が整えられ余裕が出来ると、創作や文化が始まる。  さくらは自分が底辺で生きているという惨めさに苛まれている。自分には何も無いと感じている。有るのはこの身体とわずかばかりの誇りだけだ、とも考えている。 さくらは自らに問う。「今、自分はどの辺に居るのだろう」 我が身を振り返り「音楽をやるには充分では無い環境かも知れないけれど、でも今こうして、やっと自分を表現出来る場を得ている。少しは人間らしくなったのだろうか。」 と。

最初の人間アダムとイブ(エバ)が神から創造された時、その二人に羞恥という概念は無かったという。蛇に促され禁断の実を口にしたイブはその瞬間から自らが裸である事に気づき、恥ずかしさを知った。その後アダムにもその実を食べさせ共に側にあった木の葉で自らを隠した。イブに近づいた蛇は最初の嘘つきとして、また、女は欲望の始まりとして神の目から位置付けられて来た。神に背いた愚かな男女ではあったが、しかし唯一、人間が(男女が)神の創造物である証として身体の中に残したモノ。それは善悪の判断であった。神はそれを人間の心の中の良心という処に残した、という。

男女の身体の構造はアダムとイブの時代から少しの変化も無い。女はアダムのあばら骨の一本から造られ、対となって生きる者として創造された。男はあばら骨である女を自分の身体の一部のように愛し、アダムの一部である女は付属物として大切に守られる事に幸せを覚える。

聖書では雌雄それぞれの機能や特性について語られてはいるが、個々の能力や人間としての生き方、相性については言及されていない。残念だ(泣笑)く、く、く(くっそ〜っ!と言いたい。突っ込まれそうなので95%押さえている)今日は妙に重たい。雪の精(せい)かもしれない。

2005/04/20
連載「さくら物語」
今年は寒かったせいか桜の開花も少し遅かったようですが、それでも例年になく素晴らしい桜の満開を迎え、ぎっしりと咲き乱れる花々を愛でる事が出来ました。それにしても近頃、自然災害が各地で続発し、私達は互いに、どうかご自愛を、と言えない日々を過ごす毎日ではないでしょうか。尤も私達が息をしているのと同じように地球も呼吸をしているのですから、私達が心配する以上に地球はもっと不安に思っているのでしょうね。栄えた文明はやがて滅びの道を歩んで行く、そんな道しか残されていないのでしょうか。

「ねぇ、本当に素敵ね。こんなに長い桜のトンネルが有るなんて、、、。」他県から訪れた洋子は咲き乱れる花の木々を仰ぎながら嬉しそうにはしゃいでいた。足羽川の土手沿いに植樹された桜は「桜の名所100選」にも選ばれる程の見事さで、凡そ2・2kmに及ぶ桜のトンネルは圧巻そのものである。「ねぇ、さくらさんって音楽長いんでしょ?」顎を突き出して上ばかりを眺めていた洋子は首が疲れたのか下を向くと俄かにさくらに話し掛けた。「うん?音楽?まぁ、長いって言えば長いけど、、、」一言では説明のつかない含みが言葉を濁らせたのか、暫くの間の後に「じゃ、JazzPianoも長いの?」と質問を絞り込む洋子であった。「そうだねぇ、、、長いだけが取り得で、、」と、さくらが含羞んでいると「何時頃から?」と再び突っ込みを入れる洋子であった。「高校に軽音楽ばかりをやるクラブがあってね、そこでJazzのグループを作って活動してたのよ。その頃学生紛争が流行っていてさ、闘争とJazzってな〜んかマッチングしてたんだね。(笑)『どんぐりは内から朽ちるという』とか『ヘーゲル哲学の崩壊と共に、、、、』とか『キェルケゴールやニーチェの中に自己の内的飽食たる枯渇感と外部への葛藤と共に体制に対する真実への叫びとは、、、、とか。。。。」さくらが話し続けていると「なんじゃ、そりゃ!」と洋子が辺りを見回した。「意味なんか解んないないんだけど、言葉だけ知ってて酔ってたんだね。」とさくらが言うと「あ〜ん、そっか。成る程、、、。で、その頃さくらさんは何やっていたの?」「うん?だからクラブ活動の一環としてJazzグループでピアノ弾いてたのよ。風が吹いても涙する多感真っ只中だもの。すぐに感化されてバリゲードの中に立て篭もっちゃったわよ。(笑)『話の特集』とか『横尾忠則』とか『フーテン』とか『サイケデリック』が流行っていた頃で、アイドルは『栗田ひろみ』だった。」「へぇー。今と全然違うね。なんか面白そうな時代だね。」と洋子。「で、もともと音楽が好きだったからピアノ弾きたいって熱望しちゃったのよね。でも、今みたいに女性がジャズのピアノ弾く人って余り居なかったのよ。その頃、秋吉敏子さんくらいしか居なくて、その後が渡辺貞夫という人がいてね。でも皆アメリカへ行っちゃてたから自分もどうやったらジャズを学べるのか全然分らなかったのよ。」「そうなの。で、どうしたの?」「うん、私もアメリカへ行きたいかなって思ったんけど英語話せなかったし、、、全然自信無かったしね。だからクラシックの学校行ったら?っていう薦めがあって、じゃ、何処でもいいやって感じで殆ど学校へ行ってなかったんだけど、ほら、学校封鎖でね、授業やってなかったから。。。卒業出来るかどうかも分らな状態だったし、兎に角三ヶ月勉強して入れる所に入りなさいって言われてたんで入った訳よ。でも、やっぱりジャズがやりたいって事で、横浜辺りで、その頃ブルースバンドが多くてね、そんなバンドに入って仕事していたの。ジャズもブルースも良く分んなかったんだけど、兎に角こんな感じかな、ってんで。」「へえー、そうなの。」と洋子は益々さくらの話を面白がり「で、どうなったの?」と興味深く聞くようになっていた。「それでね、当時、恵比寿にシャープ&フラットのピアニストがジャズを教えている、という話を小耳にはさんだので、そこの門を叩く事にしたのよ。これが私のジャズへの本当の始まりだったね。(笑)」「じゃ、今までとは違ったの?」「うん、教え方はその頃はジャズ理論って日本に殆ど無くて体系化されている物が無かったのね。だからその先生も教えながら一枚一枚理論書を作成していたみたいな処が有って。とても優秀な先生でね。後になって分っただけれど『JazzStudy』(渡辺貞夫著)が出版されてから、その先生も理論書を出版していたものね。」「ふーん。どんな事を教えて貰ったの?」「うん、その先生は渡辺貞夫のお弟子さんだったから大部分は『JazzStudy』に沿った内容だったけど、その先生はピアニストだったのでPianoのSoundも詳しかったし、ビッグバンドのピアニストでもあったからホーンライクな教え方だったよね。」「そうですか。」洋子は急に敬語になり、薄桃色にぎっしりと隙間無く広がる花に目を向けていた。洋子は自分自身でも地元のレストランで週に何回かピアノを弾く為かジャズに興味を持っているようであった。「でね?」今度はさくらの方から一方的に話を始めていた。「高校の頃はAllOfMeとかハービーマンとかの曲をやっていたんだけど、コード進行とか押さえ方もあんまり良く解って無い訳よ。で、そこでね、まず先生がこう言ったのよ。『スタンダードを50曲コピーすれば結構ジャズが解って来るかな、、』って。そして、そう言うと『じゃ、コピーの仕方を教えてあげるからね。』とレコード(当時はLP盤だったので)をプレヤーに置いて、黒板の前に立つと書き始めたのよ。多分、その先生は冗談で言ったのかも知れないんだけれど、何にも解ってない私はその先生の言葉をそのまま信じて、次の日からコピーしまくったって訳よ。」「さくらさん、コピー譜だったら楽器店に沢山売ってるじゃないですか。自分で譜面にしなくったって。」洋子の言う通り確かに沢山のコピー譜が出回っている。「でも、その頃はそんなの無かったの。だから、ピアノの曲ばかりずっとそれをやってたのよ。アホだね。頭おかしいね。(笑)多分2年間それをやっていたと思うの。そして、その先生がもう教える事が何も無いよ、という時期に来た時、私にこう言ったの。『コピーやって来た?』って。覚えてたんだね。こんな所が彼の優秀さだと今となってはつくづく思うのだけど。で、私がそれまでに書き溜めたノートの一部を見せたら『わーぁ!』って静かに静かに呟いたんだよ。それは私がコピーしたほんの一部だったけれど、恐らく、この子はちゃんと50曲、いやそれ以上やってるな、って先生はそのノートを見て思ったんじゃないのかしら。納得した顔をして、そして『じゃ、これ一つずつやって行こう!』ってね。尤もその頃、私はすごくナーバスになっていて自殺でもしかねないような暗くて多感な人格だったので、先生は励ますつもりでそう言ったんだろうね。だってさ、その頃のジャズっていったらみんな酒と煙草と薬づけの音楽だから、そればっかり聞いてりゃ滅入っちゃうのも確かだよね。(笑)文字通リ”TwoFive−死”みたいな感覚でさ。Tonic(解決)は死しかなかったのよ。(笑)それから、その先生は最後に私にこう聞いたんだよね。『守・破・離って知ってる?』って。私は知らないから『解らない』って答えたんだけれど。するとその先生は黒板に向かってその漢字を書き始めたんだ。『守って破ったら離れるんだよ?』、、、、、まんまじゃん、、と思ったけど私は先生の言う通りにそこを離れた。そしてバンドの仕事をするようになったのね。先生の所に通っていた頃もよくBassとDrum(当時痩せた大隈さんだった)を呼んでSessionをさせてくれていたけれど、仕事はピアノしか考えられなかったのでバンドの仕事に就く事にしたの。その頃バンドっていうとキャバレーやダンスホールでビッグバンドとチェンジでコンボバンドが入るというヤツで、そういう所でジャズを目指していたのね。その頃、髪がフサフサの元岡さんもたまに参加されたりしてね。」「へぇー、すごいね。」洋子は今の彼女自身の環境と全く異なるさくらに感心したのか深々々と頷いていた。

辺りは夕暮れになり空の明るさとは逆に地上の桜が黒く目に映り始め、少し草臥れた二人は土手沿いの草むらに腰をかけ川を眺めていた。川面には、木々の影が風にそよぐ川浪と共に薄っすらとゆらぎ、より一層の景観を演出していた。「で、どうなったの?」「うん、それからね、ホテルのラウンジの仕事もしたの。ジャズというとホテルでもやっていたのね。これはもう、お客さんに聴かせるジャズだから、えっとホテルニューオータニとか赤坂東急ホテル、新橋第一ホテルとか、地方のホテルのラウンジの仕事もよくやるようになったのよ。ピアノの周りがカウンターになっていてお客さんはお酒を飲みながら聴くジャズよ。こういったお仕事は良いお仕事とみえてレギュラーになるのは大変だったのよ。オータニはホテルの中にBarが有って、コンボとソロがチェンジで入っていたの。今も有るのかしら。で、ソロで入るとチェンジのコンボの人達はレベルがずっと上、というか『私もいつかコンボでお仕事したい。。。』と思うトリオの演奏だったのよ。だから、自分の演奏が終わった後もそこに残って聴いていたのね。その頃トリオのピアノで入っていた方はレギュラーの、、、名前は忘れてしまったけれど。北条さんというピアニストがトラで来ると皆聴きに来てたみたいね。」「みんな、ってお客さん?」「そう、お客さんもそうだけれど、その場所はジャズが出来る場所として良く知られていたので、ジャズをやる人達がよく集まる場所でもあったからね。」「そう。で、さくらさんはコンボで演奏出来なかったの?」「うん、他にも遊びに来ているピアニストの人達がレギュラーの人に代わって演奏させて貰っていたり。それを見ていて私も憧れながら、側で聴いていたって訳よ。でも、遂に或る日、そこのトリオの仕事がトラで来た時はとても嬉しかったわ。もう、その時は心臓がドキわく、汗ダクの長い時間だった事を覚えているもの。(笑)それから歌伴もやったし、そうそう、六本木のバードランドという所もカルテット+ボーカルとソロピアノが入っていて、何時も休みの時間にはプロのミュージシャンの演奏を羨ましそうに聴いていたわね。その頃の名ピアニストは本田富士夫さんテナーは松本英彦さんだった。レストランもクラブのお仕事も沢山やったけれど、でも、ライブハウスっていうのは中々自分の中では遠い存在だったし、敷居が高かったのね。だからライブハウスでピアノが弾けるようになったのはずっとずっと後になってからよ。それを目指して居たとも言えるけど。」でも、そうやって沢山ジャズをやって来た長い間には、仲間が自殺したり、音楽を全く止めてしまった人達も居たのよ。また、その反対に今でも元気に活躍していらっしゃる方々もいて、ジャズって聞くとなんだか身体中が、、、一瞬、吐き気を催すっていうか、、、逃げられない場所っていうのか、好きなんだけれど泥沼で、やりたいんだけど、のめり込み過ぎちゃってパンピーになちゃってるって言うか、、、覗くのが恥ずかしい、、、みたいな、、、う〜ん、、、兎に角、くわ〜っと身体中が、、、、なんだか良く説明出来ない。。。。」やや嵌まりぎみの、そんな、さくらの想いを払いのけるように「ねぇねえ、その頃は女性のピアニストさんって沢山居たの?」と洋子がタイミング良く合いの手を入れて来た。「うん、今程ではないけれど、でも居たわよ。例えば、横山静子さんとか根本慶子さんとか船曳敬子さんとか、霧生トシ子さんとか山本真由さんとか、関根みどりさんとか、、、、今でもガンガンにやっているのは山見慶子さんとか遠藤律子さんとか河野三紀さんとかね。守屋さんとか。みんなすごいよね。みんな強い。弱いのは私だけさ。。。。な〜んて。(笑)いやいや、みんな涙も汗も流しているわよ。。。。」そう言うと少し興奮したとみえて、さくらは草むらに横たわった。そして西の彼方から赤く色づいて来る夕暮れの空を仰ぎながら「私の同志って、、、、生きるって面倒臭いよね、、、。」       言葉にならない音の塊を吐き捨てていた。
 

2005/4/29
雲の流れは急激に北陸の闇へと誘い、足羽の土手に横たわっていた洋子とさくらの肌にもひんやりとした空気を運んでいた。さくらは薄暗くなった空を尚も見上げ闘争の頃の思い出を回想していた。「あの頃、学校封鎖の頃、あちらこちらに立て掛けてあった盾看は実に見事だった。そう言えば現国の先生が妙に感心していた。『君は文才が有るねぇ、特にさくらさんの詩には訴えがあるよ。全共闘の盾カンもいい文章書いてるよ』」って。しかし当時、先生達に誉められても少しも嬉しがらない生徒達であった。(笑)それもそうだろう、彼らは実に沢山の本を読んでいた。さくら自身も中学の頃の赤毛のアン全巻から始まり、やがて、太宰治に染まり、高校で学生活動の余波を受けると芥川龍之介や自滅系読書に耽った。やがて安部公房や、倉橋由美子にはまり、瀬戸内寂聴や谷崎潤一郎で色気づき、志賀直哉や川端康成で正当派の美意識に目覚め、三島由紀夫の完璧さに驚き、それはやがて、立命館の高野悦子『二十歳の原点』で終止符となる。私の青春時代はこの読書と共に終止符を打ったと言ってもいい。そう言えば私のJazzの先生も同志社だったし、どうしてこうも関西系は過激なのだ、とさくらは尚も回想を続ける。その後、山本周五郎にホッとし、海音寺潮五郎で涙を流すまで読書を再開出来ないでいたと言ってもいいくらいだった。最近読んだ本と言えば、、、19歳で芥川賞を受賞した綿矢りさの「蹴りたい背中」だ。昔の芥川賞とは随分とかけ離れているが、清涼感漂う感性のすごさを覗える。だけどさ、これはもうNet系で育った世代の成せる技なんだからどんなに足掻いても志賀直哉には書けない文章だわ。勿論、志賀直哉も足掻いてなんかいないけれど。(笑)「そう言えばアジ演もうまかったよな、あれだけ皆の前で話す事ができれば、会社に入ったってプレゼンも上手いだろうし、MCだってバッチリだよな、、、。あのアジ演の上手かった全共闘ばりの生徒会長は今どうしてるんだろう、、、。」
6/01
今までに読んだ本、、、、ねぇ、、、。ため息を付くように想いに耽る。ツルゲーネフ、トルストイ、ドストエフスキー、松本清張、夏目漱石、後は安部譲二、家田荘子、壇一雄、、森鴎外、尾崎紅葉、、これは一作づつだけだし、北陸に住んでいながら泉鏡花を読んでいない。太宰のあおりで津島祐子、、、。現代作家をあまり知らないし、、、。読んだ事のあるのは室井祐月、、、。「賢人は歴史に学び、愚人は経験(人)に学ぶ」と言うから、どちらかといえば歴史物が好きだし、司馬良太郎とか、柴田錬三郎、、、、そんなところかな。そうそう、石川達三、山崎豊子、庄司薫、村上龍、池田満寿夫、柴田翔、芥川賞作家も取り敢えず読んでみたし、、田中康夫って芥川賞とったっけ?ま、いっか。最近は、向田邦子を読みたいな。「あの人は才能あるよねぇ」などと頷きながら帰宅の道々に作家の名前を思い浮かべるさくらであった。

東京でのライブが終わると、さくらは以前からの難聴が悪化し耳鼻咽喉科の治療を受けていた。演奏家は活動してこそ意義が有るのに耳が聞こえないのでは活動もままならない。それに惰性で音を奏でていると感じたら、出来る事なら暫く休もう。そう考えていたさくらは暫くの治療の後田舎へ戻った。時節は緑豊かな爽やかな季節に移り、さまざまな心労や気苦労から開放される場所がそこには在るに違いない。そういう場所を確保して置いて良かった、とさくらは思った。人は自らの心地よい場所を求めて一生努力するのだろうが、時には闘い、時には摩擦し、自己顕示していかなければ自らの居場所が無くなってしまうものである。特に「女三界に家無し」と言われるような差別用語が日本語の中には多く見られ、こうした言葉は社会習慣や因習から知らず知らずのうちに固定観念を植え付けられ、女が真の居場所を見出す事への難しさを助長している。動物だって自分の縄張りを求めて闘う。男はそうやって社会と摩擦しながら自らの居場所を確保してきた。では女はどうなのだろう。女三界に、、、という言葉の意味は、女は娘時代には親に従い、結婚すれば夫に従い、老いては子に従い、女性には一生安住の地が無いという意味なのだ。そんな人生は嫌だ、とさくらは思っていた。勿論、夫が作った縄張りの中で守られ自分の居場所を確保するのも良いだろう。しかしそれは自分が本当に好きな相手と共に暮らしたいと願う時に成立するスペースで、好きでもない相手に従いながら一生を欺瞞の中で暮らす居場所は確保したとしても、それはとても居心地の良いスペースとは言いがたい。根深い因習からの第一歩を踏み出した時からさくらはそうしたスペースを求めていたに違いない。何れの地域でも良いのである。自分にとって居心地の良いスペースが有りさえすれば人は幸せになれるのだろう。
6/02
自らの平安を得る為のスペース作りを行う時に”好み”を優先させる事は当然だと多くの人は感じると思うのだが、それは、お金を得る為に会社勤めをしているのとは訳が違うからでもある。しかしそれでもさくら自身はこの会社勤めのような結婚生活を25年も続けてきた。鼻持ちならない上司(例えば夫)の顔色を伺い、唯一対等になれるものと言ったら”妻”という法的な立場だけである。世の中お金が全てだと信じている上司(例えば夫)とお金では得られない物を提供していると思い続けている使用人(と思われている 例えば妻)とは何処まで行っても噛み合う事は無いようだ。さくらはどうかというと、お金も社会的立場もそして妻の座も彼女はあっさりと捨ててしまった。そりゃあそうだろう。男は自分の働いたお金で自分の居場所を築き、好きな女や所謂一般的な老後の面倒を見てくれそうな妻が居れば幸せだろう。しかし女は堪らない。使用人という意識を植え付けられ___家の中では洗濯ババアで飯炊きババアで掃除婦で子育て上手で自分よりも出来れば若い女で。。。自分の好みばかりを優先しているのは男の方が遥かに上だろう。___これ等全てを自分のお金で得たと信じている男が居るとするなら、その人はお金で掃除婦や家政婦を雇えばよいのではないだろうか。(この家政婦とか掃除婦とか最後に婦が付く言葉も差別用語ですね。)

  「さくら物語」
6/27
一流企業人として利潤追求の鬼であったさくらの元夫が、死にそうな位の病に倒れた、と知らされたのはかなり以前の事である。妻なき後、頼る人間は子供だけ、とはいえ子供達自身にもそれぞれの生活や仕事が有り、具体的な期待に答えられる程の余裕など無いというのが現実である。治験研究員の長男も米国に住む次男にも、それは不可能な事であった。利潤追求は子供達を立派に成長させたが、男側にとっての心地よいスペースも崩壊した。元夫は、言うならば、企業の犠牲者でもある。何の権利も発生しない現在のさくらにとっても、その事は、法律的に言うならば、全く関係の無い事柄ではあるが、しかし子供達への影響を心配すると、さくら自身は知らん顔を主張する程、きつい女でもない。だが、総じて、社会のしわ寄せは女性の所にやって来る。これはもう、社会貢献の一環だと思わなければ世話や介護など出来る事ではあるまい。「きつい女かぁ・・・・それもいいかなぁ・・・・・」さくらはダンボールに荷物を詰め込みながら、そんな事を考えていた。
さて、送別会は楽器の弾ける人達が集まり、楽しい内輪だけのプライベートセッションとなった。ベーシストのM岡さん宅の2Fにはグランドピアノが、その存在を主張し、打って付けのセッション・スペースを有している。そんな環境は、ジャズピアノを勉強しているという彼のお子さんにも育まれていて、ギターの人が3人、ピアニストが由紀子やMさんのお子さんを含め、4人、ドラムの人が約1名と、和やかで、時を忘れる程の送別セッション大会となった。
さくらは、どんな思惑があるにせよ、皆、良い人達ばかりだ、と信じきっている。親しい人々に「本当に良い人達ばかりだよね。良い人達に恵まれて幸せだもの。」と話している。すると、或る人は「ええ?そお?中には悪い人も居るんじゃない?」「そんなイイ人達ばかりじゃないよ。」と口々に話すが、さくら自身、心底信じきっている。他人は「それは、さくらさん自身がそうだからなんじゃない?」と言うが、さくら自身、肉親に恵まれない反動かも知れない、とも考えたりする。しかし、他人(ひと)を信じている事に変わりは無い、と思うさくらであった。    つづく。

2008/05/01
あれからどの位経ったのかしら。時が経つほどに色々なことが思い出されて、生きている時にはこんなに自己中な人は居ないって腹立たしいことばかりだったけれど、不思議なのね、良いことばかりが思い出されて。 もう沢山泣いたから、それに憎んでいた人のために泣く涙は無いって思うのに、想い出しては涙を流し、泣きたいから忘れてはいけない、思い続けることで贖罪しているよな、、、、。さくらが覚えていなければ誰が死んだ人の人生を証明することができるのかしらって。先に死なれると何故こんなに心が痛むのだろうって。今年も命日がやって来て、さくらはお参りに行くのです。長男のバイクの後ろに乗って、花とお線香とお酒を持って、、、。遺族の心がいつまでも癒えないという場面をよく巷で聞いたり見たりするけれど、そんな気持ちが初めて分ったような気になっていたのです。
---人生後悔をしないように生きなければ、そう考えながら精一杯頑張るのですが、自分らしく生きようとすればするほど、気づかぬうちに後悔が生まれている。----死んだ人には勝てないのです。生きている者は現実の中で生きて行かなければなりません。色々なことを感じないように生きて行かなければなりません。しかし、色々なことを感じられるからこそ、生きていることが素晴らしいとも思えるのです。

さくらは何かを忘れるために、何も感じず、考えず、生きることの時を消化すべく、目の前の沢山の仕事をこなし続けていた。いつの日にか違う空気が流れていることを望みながら。つづく
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