※長文覚悟。それに重たい。※写真、、5年前のデジカメ使用。画素数が少ないので今壱クリアでない。
RedLineの終点近くにある駅からちょっと歩いた所。ここから殆ど毎日市内へ通っていたのだが丁度YankeesとRedsoxの試合で盛り上がり | |||
寿屋JapanMarket 流石書店 BoylstonSt.のPoliceman。週末人通りが多くなると街のパトロール。 ここの通りは観光St.色々なお店が建ち並ぶ有名な所。Starbucksも勿論3件くらいあってOpenTerraceでLunchやCoffeeを楽しんでいる。 学校が好きな私。いそいそとBerkleeに通う途中、チャールス河の橋の上。近くにはMITが有る。 地下鉄のあちらこちらの駅で日替わりの演奏が聴ける。ジャンルは何でもあり。この日はインディアの音楽(?) ★こちら近辺で有名なLiveHouse紹介 Regattabar(老舗) BerkleePerformaceCenter ScullersJazzClub RylesJazzClub AAL Gallery * Mim series ModernImprvisedMusic ZeitgeistGallery Sanders Theatre HarvardMemorialHall TheSomervilletheatre 2004/10 さて、風邪をひきやすい土地柄なのかどうか再度、Bostonを訪れる事にした。時の経つのは早いもので前回訪れてからもう1年になる。Chicago経由からBostonに入らんとする私は殆ど丸一日を乗り物関係に時を費やし、空港で待つ次男の顔を思い浮かべながら、この長時間の移動に耐えていた。相変わらずツパったまま猪突猛進しているのだろうか。--これから空港で出会う彼の最初の表情が見ものだ---そんな事をぼんやりと考えながら最後の乗り物の中から真っ暗な外を眺めていた。 空港に着くと公衆電話を捜し、次男との連絡を取り迎えに来て貰う事にした。「着いた?今から行く。」と彼はのんびりとしている。それから30分、周りの人たちが殆どいなくなった頃、空港に迎えに来た。一年ぶりに会う次男は目の下にクマをつくり、如何にも疲れた風である。昨年は一人で空港の片隅に立ち、黒々とした髪を肩まで靡かせ、背中にGuitarを抱え、まるで浪人のような格好であった。くたびれ切っている風体は去年と変わりが無かったが、今年は友人と二人で迎えに来た。目と目が合うとさっぱりとしたものである。親子の熱い抱擁も無いまま(笑)すぐにTaxiで次男の住むSymphonyへ車を走らせた。Taxiの中はラテン系の陽気なドライバーの話で盛り上がり、いつの間にか彼のアパートに着いていた。夜の11:00を過ぎている。 さて、アパートに着くと彼はざっくりとそこのアパートのルールを紹介しウイスキーとビールを差し出した。「これ、お酒飲む時あるでしょ?買って置いたから」 彼は優しいのだ。昨年住んでいたアパートからは酒屋さんもお店も随分と遠い所にあったので買い物には苦労した。彼はそれを覚えていてくれたのであろう。今回のアパートは学校からも近く、ルームメートが同じバークリーの学生達なので音も出せるし、人的環境はなかなか良いではないか。さっそく、ルームメイト達への紹介が終わるとキッチンやバスルームを案内してくれた。「へぇえ。なかなかいい所じゃない」と私。「そぉ?でもね、トイレがね」と言いかけて少し口篭もった。「何?何?どうしたの?ねずみでも出るの?」と私が訊ねると「ううん、あのね、紙が流せないんだよね」と彼。トイレの壁を見ると何やらベタベタと沢山張り紙がしてあるではないか。どうも、水周りがヨロシク無いようで以前詰まった事があるらしく、それ以来紙は流せなくなったらしい。もっとも、こちらではトイレには紙だろうが何だろうが黙っていると何でも流す癖の有る人が居るので、こういった予防策は大事かも知れない。ま、ウォシュレットだから我慢する事にして、、、しかし、そうは言うもののシャワーも洗面所も綺麗になっていて大家さんのお世話が行き届いているようであった。近頃の彼は一体どんな所に住んでいるのだろと気遣っていたがこれで先ず先ずの安心であった。気候も昨年より暖かく凌ぎ易い為、用意してくれたベッドに横たわると私はあっという間に眠りに落ちた。ベッドに足を伸ばして横になれるなんて、こんなに幸せな事は無い、と私は思った。 次の朝から早速あちらこちらへと行動に移ったのだが疲れが溜まっている為足取りが重たい。(笑)今回は同行者が約一名居たので観光案内を兼ねて昨年同様名所を訪れた。しかしこうしてボストンの街をプラプラと歩くのもなかなか良いもので、相変わらずの開放感を味わっていた。こちらの人達(ボストニアン)は朝コーヒーカップを片手に地下鉄に乗ったりジョギングをしたり、外のカフェテラスの陽だまりに出て新聞を読んだりと、実に気ままに自分の時間を謳歌している。ここSymphony(駅の名前)はBerkleeからも近くボストン交響楽団のホールや美術館があり、実に優雅でアカデミックな素晴らしい街である。よく晴れた日に近くの無農薬スーパーでコーヒーとクッキーを買い、最寄の広々とした公園でベンチに腰掛けていると木の実を捜すリス達に遭遇する。その愛らしい姿を見ながらコーヒーを飲み急速に深まり行く秋の空気を味わっている。いいな、こんな所で生活が出来て、、、。それに周りが音楽ばかりをやっているので自分自身も音楽をする事が自然である。Sessionをしよう、と誘うとすぐに集まって来る。いつまでもいつまでも演奏をしているし、音楽の話に余念が無い。集っていたい、関わっていたい、、お互いが皆、そんな心境なのである。 Walkin'DownTheSt!!歩く、歩く、歩く。朝晩の寒暖の差が激しいので何枚も重ね着する。皆、手に上着を持っている。 Pianoを忘れてすっかり観光。 さて、この後のレコーディング模様(写真)はMyPhotoPageにUpしてあるので良かったら覗いてみてね。ではまた。 |
街はその話題一色といった感じであった。Redsoxは何年ぶりかのチャンピオンリーグ戦がかかっていて、またこの2ティームは因縁の対決ともあって天気予報士からニュースキャスターまでが全てRedsoxを応援するという入れ込みようだった。隣りのおじさんなんか「君はどっちを応援しているんだい?」と聞かれて「ま、松井がいるからヤ、ヤンキーズ」なんて言いたかったのだが「No!」と言わない日本人になりすましてしまった。「も、勿論Redsoxさぁ」ってな具合に。しかし、5回も打席が回ってきた松井も5回とも三振だったのにはちょっとガッカリした私だが翌日、隣りのおじさんに「あのピッチャーはすごかったね。」と言うと「Yes!Yes!!Yes!!!Genius!」、、、、彼の手元を見ると硬い拳がしっかりと2つ握られていた。やっぱりはっきりと物を言わない日本人でよかった。(^^; 「Let'sGoSox」の看板は至る所に見られ、まるで巨人阪神戦のような熱狂ぶりであった。これで負けたら一体どうなるのだろう、、、、。心配は的中し、Bostonでのゲームには勝ったがNYでの試合には負けてしまったのである。その前にデッドボール3連発から生きる死ぬの場内乱闘をやっちまったものだから、警察は出るわ、怪我人は出るわ、Yankeesのコーチは記者会見で泣くわ、「RedSoxの奴らは俺達を困らせる。」ってな事で泣くのである。顔には地面に倒された時の傷を被う絆創膏が痛々しく。これじゃYankeesだって黙っているわけにはいかない。NYまで応援に駆けつけたレポーターではあったが、NY市民の反応は滅茶々々悪くRedsoxファンをむりやり捜しているといった感じであった。私はこの朝の番組が好きでよく見ていたのだが、日本だと「ズームイン朝」のような番組でここに出て来るテディベアのようなレポーターのお兄さんが何ともほのぼのとしていて朝の番組にはぴったりであった。 そしてこのTVといえば日本では決して出来ないだろうなと思う番組が有った。それは裁判TV中継である。Americaでは裁判の決着が実に早くCourtDivorceなどは30分、長くたって、あ〜た、次週には判決が出ているのだ。裁判官は黒人の女性が多く、裁判の途中でも裁判官自身が当事者達に教え諭す場面がよく見受けられ、それぞれの言い分を一人ずつ聞いている間にも「それは違うんだ。こいつが嘘を言っているんだ」なんていう場面が有ると裁判官がすかさず、「あ〜た、黙ってらっしゃい。私はこっちの人に聞いてるのよ。」てな具合に怒られてしまうのだ。そしてそれぞれが自分の言い分を話しているうちに周りのギャラリー(と言っていいかどうか)も圧倒的に悪いと思える人を非難し、とても賑やかなのである。そして支払いの金額ががすぐに決まる。実に早い。中にはVocalの仕事で契約不履行の裁判があったのだが、裁判官が「あなたそこで歌ってみなさいよ」と言われその場でVocalのお姉さんが唄いだしたのだ。これには笑った。しかしだからといって無責任でいい加減に行っているという訳でもなく、多少深刻な内容や人間性に問題の有る人に対してはカウンセリングシステムが充実していてそういった人達がしっかりと社会復帰出来るように取り計らっている。今は日本では学校教育に「道徳」の時間が無くなってしまってモラル観というのが希薄になってしまったが、こちらではまだ人々の根底にモラル観が働いているように感じたのは私だけだっただろうか。 TVの番組の話では沢山の面白い話があって書き切れないのだが、日本とまるっきり同じ番組が2つあった。その1つは「Quiz Millionaire」である。テーマソングも同じスタジオのレイアウトも同じ。効果音も同じ。ただ一つだけ違っていたのは、、、、司会者が女性だった。この番組の進行もみごとに早く、チャッチャッと展開し、サッサと電話をかけ、「じゃ、またね〜」ってな感じだ。日本の司会者のような長〜い「ため」は無いので正解を待っている間にCMなんて事になって苛々する事がない。(笑)なんか、全てが笑ってしまう。こうしてみるとこのぉ、回りくど〜い、解決を後回しに、言いたい事を先送りにするってぇのが、このぉ、もしかしたら、そのぉ、ひよっとして、あのぉ、にっぽんの文化なのかも知れない。なんて思うのは私だけかしら。(あぁ、やっと言えた。) あと、もう1つ。視聴者Video投稿番組があって、一番面白かったVideoに賞金が付くというもの。紹介のFilmにNipponのシーズー犬が出てきたのにはまたしても笑ってしまった。シーズー犬がモップの先に食いついて犬全体が掃除機になっているという映像だ。クイズ番組にしてもこの番組にしてもイギリスが最初でアメリカでも放送し日本も真似したのだそうだが、TV業界はAmericaもNipponも、笑う場所が違う以外に殆ど差が無かった。 食べ物に関しては「寿屋」という日本食専門スーパーマーケットが有り、たいていの日本食はここで間に合ってしまう。「ササニシキ」や「ひとめぼれ」というお米から豆腐や油揚げ味噌は勿論の事、刺身やあん肝まで有るのだ。日本から出かける時に漬物やお米等持参したのだがすぐに無くなってしまい、この寿スーパーで日本食を調達していた。Berkleeの近くにも日本人が経営するミニコンビニのようなお店が有りちょっとした日本食が売られている。しかし「きつねどんべい」が2$50とめちゃ高いのでなかなか買う気にはなれなかった。お豆腐も毎日有るという訳ではなく焼き豆腐だけという時もあったり、でも私はこれで麻婆豆腐を作って食べた。寿スーパーに行かれない時はこのお店で命を繋いでいたのである。(笑)Berkleeに通う学生も普段は何を食べているのか気になり、聞いてみると「普段は自分でお米を炊いてそれにフリカケを掛けてインスタントの味噌汁を作って食べてるんだよ。」という答えが返って来た。私は昼間だけやっているインド料理店のバイキングにその子達を招待し、共に昼食を食べた。息子の友人という事もあって少し心にぐっと来るものを感じてしまったのだがしかし、それぞれは共通の音楽というBaseで繋がり男、女、年齢などを超えた何かを感じる事が出来て私は21時間かけてこのBostonにやって来てよかったと本当にそう思った。彼らは生い立ちもまちまちで恵まれた環境の子もあれば片親が無いままに苦学してここまで来ている子もいる。この子達の親も私と同じに「何を食べているのか」心配をしているのだろと思うとインド料理店で食べているその子達が息子同様に愛おしく感じられて仕方がなかった。。勿論何処にでも例外はあるので全ての学生が愛しい訳ではなかったけれど。 さて、都会の象徴であるスターバックスもBostonには多くBerklee近辺だけでも5件あり、私はBostonに来て最初に上手くなったのがこのStarbucksCoffeeの注文の仕方であった。こちらでは食事の量がとても多く正規の昼食を食べると夕食が食べられなくなってしまうのでこうしたお店でマフィンと飲み物だけで済ませるというパターンが私の中では日常化していた。 Americaの企業は最近(と言ってもかなり前だが)特に環境活動を取り入れた地域貢献型の経営方針に変わって来ており何かしらのMissionなりCoreValueを持った会社が多いのである。このStarbucksもそういった企業理念を取り入れている会社の一つで定期的にCleanUp活動を慣行している。EarthDayという記念日が有るそうなのだがAmericaの一市民の呼びかけで始まった地球環境を考える市民運動の一つでこの日には街を清掃し社会貢献の一環を担っているというのである。しかしそうは言ってもBoston、いや、Americaの都会は何処へ行ってもゴミだらけで汚いと思うのは私だけ?東京などは実によく整備されていて電車も駅も綺麗で中々気持ちの良いものである。先進国たるAmericaではあるがこうした点は日本の方が遥かに進んでいるように感じる。これも単に国民性の問題なのだろうけど、企業理念や環境問題は進んでいるのだからもうちょっと衛生問題にも一工夫を、なんて思ってしまった。一方ひとつの事をシステム化して行く事には非常に長けた国でもある。金融システムや年金制度或いは投資面での証券化システムは遥かに進んでいて日本で一般に普及するにはまだまだ時間がかかるのかも知れない。ガーシェンモデルと言ったかどうかよく分からないがその人が提唱する中で先進国が10年かかって到達した事を後進国がやろうとする時に同じように10年という時間がかかる訳ではなくそれよりも早く5年とか3年で成し得るというものなのだそうだが日本はどうなのだろうか。少し遡ってみるが鎖国という制度が日本にはあった。これは日本独特の文化を育み価値の有る芸術や伝統をもたらした。反面、海の向こうは別世界で受け入れたくもないし変わりたくも無いといったような閉鎖的な流通関係や人間関係をも生み出して来たように感じる。実際、明治維新とマッカーサーが日本にやって来た以来あまり大まかな法律の変動が無いように思う。(ここ数年税制面やその他の細々とした改正が行われて来てはいるけれど)江戸時代からの古い体質を変革させたのはペリーの黒船を見た若者達であったし、、、、。日本のこれからを本当に危惧する人達ではなかったか。 海外に出るという事は色々の国の人達を見たり文化に触れたり自分の位置づけを認識する事でもある。色々なものが新鮮であったり、勉強になったりするのである。そういう意味では最近特に目立っていたのが韓国の学生だったかも知れない。ここBerkleeでも頑張っている生徒が多く彼らには徴兵制のノルマが有る為に今出来る事を一生懸命やろうと考えているのか今ひとつ問題意識を持って生きているように感じられた。さて、今回はなにやら超硬い話になってしまってこのまま続けると益々深みに嵌まって行きそうなのでまた今度という事に、、、、、、。次回は是非Americaの音楽の話をしたい(笑) Boys Be Ambitious!
話は前後するが私はこちらに来て初めて聴いたCDにすごいのがいた。一人はDianaKrall、('83卒)そしてもう一人は「ひろみ」という人だった。前者はもう超有名だから皆さんご存知だと思うが金髪の美人Singerである。歌だけじゃない、Pianoだってもう、うまい。ファンキーでハスキーでセクシーで、あなたのハートを独り占めって感じなのだ。そしてもう一人がHiromi。24歳のPianistであるが主席で今年卒業(まだ在学中だっていううわさだけど)と同時に日本でも活躍していると思うのだが、何せ早弾きの達人で前編始めから終わりまで300くらいのTempoで突っ走る、突っ走る、突っ走る。(ふぅ〜) Berkleeでは殆どの学生が在学中から自分のCDを持っていてそれが普通なのだが、このHiromiという人は早弾きのうえに前を向いて演奏したのと同じ様にくるっと後ろを向いて演奏するという曲芸までかね揃えている。とも藤田はカッティングの神様と言われ、Hiromiは早弾きの達人と言われ、一体にっぽん人は指先が器用だからなのだろうか。こちらへ来てため息を付く事ばかりだ。(笑)おまけにBerkleeの主要な事務所の名前が内田Buildingとなっている。そりゃあそうだよ、日本はいいお得意さんなんだもの。なんて言ったって同盟国だもの。なんか、私もここまで書いてどっと疲れてしまったので続きはまた次回ってことで。 まず、こちらに来て最初に聴きに行ったLiveはDianneReevesのConcert。HarvardのMemorialhallで行われたのだけれどこれが本当に良かった。丁度BlueNoteのTour中でサイドはPeterMartin,ReubenRogers,GregHutchinson。HallもStageを囲むように丸い作りになっていて自然な反響が楽しめるような(これってちょっと表現が適切じゃないのだけれど)木造作りである。で、Concertの内容は自然でさり気無く聴かせる音楽。つまりJazzなのだけれど当たり前に歌っている音楽が自国の音楽で自分の曲でJazzってこと。あまりTempoの速い曲は無く、こういったゆったりとしたリズムの取り方はどうしても体験しないと身につかないだろうなぁと思うそんなBeatと音楽。唯普通にTempoがゆっくりというのではないのよ。そうだなぁ、丁度、矢沢永吉のバックコーラスをやっているNiceBodyなお姉さんがリズムってて、腰から肩にかけてうねっているそんなCountの仕方。でもRockじゃないのよ。Jazzなのよ。BassもDrumも素晴らしかったのだが、PianoのPeterMartinという人がまたすごかった。と言うより良かった。この人はDianneReevesのTourにずっと一緒に参加している人らしいのだが、何がすごいったって言葉じゃ言い表せないの。(笑)Techniqueが有るとかそんなんじゃないの。techならHiromiの方が数段上だと思うのね。じゃTechないの?って勿論、ものすごく有るの。Techの質が違うの。音楽性も全然違うものだけれど、、。Techの使う所が違うのって言った方が近いかな。聴いていて「う〜ん」と納得した人だったのね。 (これぐらいしか表現出来ないわ) その他にもこの時期はなんだか色んなArtistsが目白押しで納得の音楽三昧であった。勿論全部聴いた訳じゃないけどね。行きたいLiveは本当に涙を飲んだって感じよ。 ★この時期行われていたLive TheHerbieHancockQuartet、CassandraWilson、TheDaveBrubeckQuartet、SonnyRollins、KeithJarrettTrio、TheMarkShilanskyEnsemble、TheMcCoyTynerQuartet、GaryBurton&MakotoOzone、JohnMclaughlin、TheShirimKlezmerOrchestra、TheGregHopkinsJazzOrchestra、TheJaneMonheitQuintet、TheAardvarkJazzOrchestra、TheNewLifeJazzOrchestraWithMonicaLynk and special guest:KevinMahogany、OrquestaAragon(this charanga band is an integral part of Cuba's musical history)JaneBunnett&TheSpiritsOfHavana、TheDaniloPerezTrio、GeorgieFame、TheShirleyHornTrio、PatMetheny、TheStanleyClarkeBand、RandyBreckerBand、CyrusChestnut、NicholasPaytonSonicTrance、Tiger'sBAKU、JacquiNaylor(Scullers presents another exciting new artist)TheRoyHaynesTrio、LizzWright(exciting new vocalist)、etc...... ★その他のPerformance A rare Boston appearance by the trailblazing free-jazz pianist CecilTaylor,who'll bring his Sound Vision Orchestra with him. A preformance of Thelonious Monk's music by Anthony Brown's highly acclaimed Asian American Orchestra, whose"Monk's Moods" album recently received a rare five-star review from DownBeat magazine. The Boston debut of Latin-jazz pianist Omar Sosa's octet. The 26th annual John Coltran Memorial Concert, featring guest saxophonist--and jazz legend-- Pharoah Sanders. A huge finale at CityHallPlaza with sets from some of Boston's finest musicians,including saxophonist Charles Kohlhase's quintet CK5, piano phenom Hiromi, cornetist Taylor Ho Bynum's SpiderMonkey Strings, steel pan player Ron Red's group SunStreel, and the electronica-fusion band Mystiq. Berkleeの近所。 さて今の季節は(2004/02)どんなかなと想いつつ函館と同じ緯度だから矢張り雪が降っているのだろう。先日一時帰国した次男だったが日本に居る間はいつも出かけていてSessionだRecordingだと東奔西走していた。私がBostonに滞在している間毎日のように学校の練習室を予約してくれていた彼だが日本に帰ると何処に居るのか分からず捕まえるのに大変なほど、帰国すると昔からの友人達との触れ合いなども含めて大忙しである。Bostonに戻った途端に風邪をひいたらしく暫く寝込んでしまったらしい。他より多く単位を取っている為にBostonに戻ると更に忙しい為ピリピリとまるで剃刀のようだ。単位ばかりに気を取られて疲れが溜まって病気にでもならなければよい、とそればかりを考える。病気になったと言われてもすぐには飛んで行けない距離である。(尤も男の子は口が堅いので何か有っても母親にはすぐには言わない。)だから更に心配するのであるが心配しても仕方が無いので自分の事の方が優先して心配出来なかったという事にし私の方は時を紛らわす。それでも彼は最高レベルが4のところ3.7という成績を挙げ成績優秀者のリストに名前が載っているそうだ。何やら難しい「MusicBusiness」という分厚い本をを英語で解読し山のようなレポートを書き提出する。傍にいれば少しはお手伝い出来たのにって思うのは私だけのようだ。ささやかな私に出来る事は彼の身体を想ってお百度を踏む事位だ。(超古い。日本の母はこうする)でもこれも結構大変かも知れない。私の住んでいる所も今は雪だから。でも雪という同じ想いを持つ事が出来るというだけでも私的には気が楽なのかも。って事で今回は音楽的なJazz的な事柄は何も無かったけれどずっと続けていても無限ループのように結論が出ないのでこの辺で失礼します。またね。(^○^) boston NY NYNY chicago NYchicago boston Ryles Bar 夜になるとルームメイト達が帰って来てキッチンは賑やかになる。私はこちらに来る時ラッケージの半分を日本食で埋めて来たので、それ等のお披露目と言った感じで味噌汁を作ったり散らし寿司を作ったりしていた。金髪のお友達は日本食が好物らしく、毎回喜んで食べていた。昨年会った次男の友人S君はガリガリに痩せていたのに今年会ってみると、なんとガッチリとしただけではなくしっかりと太ってもいた。次男も同様に、なんだか食生活が良く無いと思うものの、やっぱり太っていた。それもそのはずだ。こちらの食べ物は量も多いし、全体的に甘い。しかし6日間だけ滞在して日本に帰ってしまうという連れの要望でこちらの食べ物も食せねばという事になり、内輪でロブスターを食べに行く事になった。出てきた大きな(伊勢えびのような)エビには溶かしバターと甘いサラダが付いている。周りの人たちの食べ方を暫し観察していると、その溶かしバターを浸けて食していたので私達もやってみる事にした。暫くしてその連れは「やっぱりポン酢でしょう」と一言。(笑) さて、同行者が先に帰った後、早速レッスン室を借りてピアノの練習に入った。次男は私のHomepageを見て「あのね、殆ど観光になっててBerkleeの事ちょっとも書いてないじゃないの?」「あら、そうだったかしら?」と私。「もう一度しっかりと案内して挙げるからちゃんとリポートするんだよ?」そう言うとまたまた学校内を案内してくれた。内部は迷路みたいになっていて(何処の音楽学校もこうなのかなと思いながら)一度や二度じゃ覚えられない。バスルームへ行ったら戻って来れな〜い。(冗談)それくらいに登ったり降りたり曲がったり、紆余曲折しいる。 誰もが知っているBerkleeEntrance まるでBusinessOfficeのような音楽室 「君達は変わった家族関係だよね」と私と次男を見てふざける仲間を横目に、夜遅くまで音色の打ち合わせや音楽観、互いの批評や人生観など、こもごもと話し合う。彼は驚く程にこの1年で益々英会話が上達し、内面も私が考える以上に大人の男性になっていて、Bostonでの日々は喜びと悲しみの連続であった。私自身英語を話す事が面倒くさく「英語で、英語で」という次男の叱咤に仕方なく話すといった具合であった。やがて私自身、風邪でダウンし寝込んでいると彼は一晩中、氷を持って来てくれたり薬を持って来てくれたりと、献身的な看病に嬉しい想いをした。なんでこんなに優しくなれたのだろう、と昨年の彼を思いながら一人で涙を流していた(私は超泣き虫なのである)。矢張りそれなりの苦労をして来たのだろう。彼は彼なりに病気もしたり苦しい時を経て来たのだろう。だから人の気持ちの分る人間になったのだ。それを嬉しく思った。今、彼は学校内で音楽以外にスタッフとしてアルバイトをしている。学内全てのStudioの清掃という仕事だが彼は元気に頑張っている(Taxは35%)それにAmericaの学校はいいな、と思った。今でも卒業生達がしょっちゅう出入りしていてSessionをしたり演奏会を開いたり学校を訪れればかならず何処かでCoolな演奏が聴こえて来る。ここではJazzはベーシックな事柄で皆が皆それを学ぶ。それはAmericaの音楽だがら当然の事である。(受け入れ間口も広いが最近レベルの低下が目立つ為、頻繁にQuizが行われているという)。しかし一旦外に目を向けてみるとJazzはかならずしも一般的では無く、より広範囲な音楽が主流となっている。Business主体の音楽が流行となるのは何処の世界も同じだが、日本程JazzがBusinessとして成り立っている国も少ないかも知れない。日本はJazzをやるには大変良い土壌なのだろう。兎に角、AcousticとDisitalの狭間をどう切り抜けて行くのかがこれからの課題のようだけれど、限りなくMachineに近づく事が技術の向上なのか、Computerの中で限りなくAnalog的構成を目指す作品が芸術らしいのか、これからの次世代の感覚にそれらの選択と制作を委ねる事にしよう。 |