アートブレイキー(Art Blakey
1919/10/11ペンシルバニア州ピッツバーグの生まれ。30年代末にビッグバンドのドラマーとしてデビュー。NYを拠点に活動する。特に44年〜47年の初バップバンドで有名なエクスタイン楽団で知られるようになる。53年ホレス、シルバーと共に活動、翌年ジャズメッセンジャーズを結成。以後数々の若手ミュージシャンを世に送り出した。50年代から60年代にかけてはリーモーガン、ハンクモブレー、ジャッキーマクリーンウェインショーターフレディー・ハバード等を輩し 、ファンキージャズのリーダー格として人気、名声共にパワフルなジャズを多くの人々に齎した。彼の音楽はファンキーなジャズとショーターの作、編曲による新主流派ともいうべくモーダルなジャズとの二面性を持っており、ジュズメッセンジャーズは当時の最先端をゆくジャズを日本に紹介したと言われている。初来日は1961年1月東京産経ホールで行われたが、これは兎にも角にも待望の初モダンジャズの来日であり、いきなりの10回公演が全て満席になり「関係者の度肝を抜いた」と今では伝説にさえなっている。さてこの日本のジャズにも大きな衝撃を齎したジャズメッセンジャーズであるが音楽的に理論として説明を行なったのがショーターであった。その頃日本もマイルスらの演奏を聴いてジャズが従来のものと少し変って来ている事に気がついてはいたが理論的なものは何もなくモード手法がこのショーターによって伝えられたのである。日本ではショーターと交流のあった八木正生が当時の先駆者といえる。この来日によって日本のジャズも飛躍的な進歩を遂げる事となる。更にこのジャズメッセンジャーズの魅力の一つにメンバーが挙げられる。それぞれ皆活気があり上り坂の才人ぞろいばか りであった。ガレスピーの再来とかクリフォード・ブラウンの後継者と騒がれたリーモーガン。優等生でクールなウイントン・マルサリス。神秘的なショーター。そして面白い事にこのショーターとモーガンの夫人が共に日系人でありレパートリーにも日本の曲名がついている。そしてファンキーな曲を書くピアノのボビーティモンズ。彼はいつも孤独を好み潤んだ目をしていたという。当時のアートブレイキーは音楽面でこのティモンズとショーターに一目置いていたそうだ。


Jazzの中に「Magic」が有るとするならこの3つである。Ellington-Magic、Miles-Magic、そしてこのBlakey-Magicである。80年代に入ってもこのジャズ・メッセンジャーズのMagicは輝きを見せ、名門としての歴史を更に上書きして行ったのである。人気もさる事ながら評価として高い音楽性を維持し続けて来ている事にその理由がある訳だが、これまでの参加メンバーを見てもその事が頷ける。上記の他に、ブランフォード・マルサリス、チャールス・ファンブロー、テレンス・ブランチャード、ドナルド・ハリソン、ジョン・オニール、チャーネット・モフェット、ロニー・プラキシコ、マルグリュー・ミラー、ジャン・トゥーサン、ティム・ウイリアムス、ケニー・ギャレット、ウォレス・ルーニー、ドナルド・ブラウン、ピーター、ワシントン、コートニー・パイン、ベニー・グリーンなど新伝承派の温床として名門の名を欲しいままにしている。(これはちょっと書きすぎかも知れない。しかし、個人的に自分の大好きなマグリュー・ミラーが参加しているので許して欲しい。日本ではOzoneさん、真のJazz継承派として歴史に残る人がMiller、過去ではEvans、ECMではJarrett、 とか思ったりもしているので。他にも好きなアーティストはいますが、今日はここまで。)
兎に角、聴いていればよい。今までの理屈が吹っ飛ぶ。心の中のわだかまりが消える。「おおぉ!!Jazzやないけぇ?」と思ったりする。
参考アルバム
「Art Blakey/NY Scene」「Art Blakey/Live At Sweet Basil」「Live at Kimball's/Art Blakey and The Jazz Messengers」「Art Blakey/Hard Champion」「Meet you at the jazz corner of the world」「Free Forall A.B and J.M」