Ragtime Piano
ラグタイム誕生に大きく寄与したピアニストにJelly Roll MortonScott JoplinJames P Johnsonなどがいる。モートン(1885-1941)は良い家柄のクリオールとして誕生。その家柄は半端ではなく祖父は銘酒の卸業者、州立上院議員に選出され、ルイジアナ憲法制定委員会にも仕えていたフランス人であった。彼の親戚はたったの一言も米語、英語を話す事が出来なかったと言われている。1865年以降リンカーン大統領によりアメリカ全土に奴隷制度廃止がなされたものの300年に渡る奴隷制の価値観はそう急に変化するものではなかった。そんな中モートンは子ども時代をヨーロッパの楽器と民族楽器に囲まれて育ち近所のスペイン人からギターのレッスンを受け、また非常に厳格なカソリックのセント・ジョセフ大学でピアノを学びクラシック教育もここで受けている。彼は後にアレンジも行うようになるが一音一音を譜面に書き、それを書かれた通り正確に弾く事も要求した。真のラグタイム作曲家を自認するジョプリン(1818-1917)もまたテキサス州テクサーカナ に生まれ幼い頃からドイツ人を通してクラッシクを知り独学でピアノを習得している。彼も曲を譜面に書き正確に弾く事を大前提とした。
しかし時代の変化の中、さまざまな人種間の問題を巻き起こす背景に有り、クリーオールがそれまでの白人同様の地位から黒人と同じ立場に追いやられると、これまで淑女のように扱われていたクラシックピアノを捨て土着の黒人達が奏でる音楽にモートン自身も心を惹かれるようになる。欺くしてクリオール文化を培うまでのヨーロッパ伝統を持つクリオールは時代の変化と共に、また一方で黒人の血が自らを誘い込むかの如くブルースが確固たる伝統になっている赤線地帯へ足を踏み入れたのである。それは決して自分に無理を課する行為でもなく身を落とすとかいったそんな悲観的な事でも無かった。そこで生まれたものはクラシックテクニックのあるラグタイム、泥臭いブルースの入り混じった音楽であった。後のJazzとの大きな違いはJazzが即興性を重んじたのに対しラグタイムスタイルは譜面に書かれたものを再現する事に終始した。こうしたクラシック的処理はクリオールがヨーロッパ教育を小さい頃から受けて来た事の証であった。或いはそういった方法論が自分達のステータス、またはかつて白人同様のクリオールとしての誇りであったかどうかは判らない。しかし この軽快なアップビートの2/4拍子は当時ヨーロッパではやったポルカにもよく類似し、また形式は厳密にはブルースのコード進行ではないが16小節だったり15、13小節のものを幾つも繋げているとった具合であった。
1890年代のニューオリンズは活気のある港町でミシシッピー河周辺では貿易が盛んなそしてエキゾティックなコスモポリタンの中心であった。アフリカのブードォー人達の行列、インディアン商人、いきな貴族達、そしてクリオール。中でもストーリーヴィル地区はその中心であった。そこには良家の人々が顔をそむけるような売春、酒、薬、ギャンブルがはびこっていた。−
モートンは今でもJazzPianistとしてクレジットされているがスコット・ジョプリンはラグタイム奏者として名高い。モートンの演奏は線が細く速いパッセージと洗練されたテクニックが特徴で、スコットの演奏は土臭いゆったりとした2/4を基調としている。
このラグタイム時代に他から隔絶されて発達した黒人達の音楽にバレルハウス、ストンプ、ストラッド、ブギ、ブギウギなどがある。これらはルイジアナ、イリノイ、テキサス州の片田舎で生まれた音楽で白人世界とは完全に分離し、荒れた雰囲気の中で無数の人生と言い伝えをブルースにして語ったものであった。その多くは粗末な木造で床も土のままの寄り合い酒場で、そこにあるピアノはビールや煙草の煙でぼろぼろになり音程の狂ったホンキートンクであった。ブルースピアニスト達の多くは楽器に関して正式な訓練を受けていない者が殆どで、ラグタイムスタイルの複雑さといった事には無知であった。彼らの大部分が独学、あるいは友人からの又聞きでコードも3つ位しか知らないそう言った連中ばかりであった。こうした中で生まれたのがバレルハウスピアノであり、ヴォーカルの伴奏と共に発達した。ワンコードのギターに近いものがあり即興性は無くヴォーカル・ラインの合間にその空虚なサウンドが強調される程度であった。あるヴォーカルが「Bフラットでやってくれ」と言われると「おれはG、C、F以外は知らねえんだ」仕方が無いからコードを良く知っている地元 の有名プレイヤーにウイスキーを一本持って教えてもらいに行った。と、こんな具合である。しかし、彼らはこの半分壊れかけた音程の狂ったピアノと荒れた酒場の中で才能を発揮し、「12音スケールのSpacing」を生み出した。ブルースギターのそれに近づけようとしたのである。
やがてトーマス・エジソンが1877年に最初の蓄音機を完成させると娯楽ビジネスが活気を帯び1900年にはレコード会社が出来上がった。この時人気のあったフォームにストンプ、ストラッドがある。これらは民族音楽と踊りを合わせ持ったものでストラッド・ステップの「CakeWalk」が一世を風靡した。(シーケンサーソフトのCakeWalkはここから来ていると思われる。またはアメリカでダンスのコンテストが催され、賞品としてケーキを渡す事があったが、その為か今でもCakeWalkがたやすい仕事の意味にも使われている。)そしてバレルハウス用のダンスは一般的にストラッドと呼ばれ、ストンプは速いダンスに適したテンポで4/4、2/4が基調である。やがてそれらにシンコペイティッドされた「シンコペイティッド・ファオ」が生まれ、ブギへと発展して行く。そして地方の黒人達も都会へ移住を始め古いバレルハウスにとって代わったのが借家パーティーで行われる音楽であった。これも生活の知恵で、高い家賃に反応して起こった習慣で、自分のアパートでパーティーを開き入場料を取るといったものだった。ここで呼ばれた演奏をハウスパーティーまたはハウス・ピアノと 呼び、シンコペーション多用のこのブギウギ(またはブーギー・ウーギー)は人々を大いに盛り上がらせたようだ。特にシカゴのハウス・パーティー・ピアニストだったクラーレンス“パイン・トップ”スミスのPineTop's Boogie Woogie(1928/12)は、後にカウント・ベイシー、アルバート・アモンズ、クラーレンス・ロフトン等によって何百回となく多用録音された。また、ルイ・アームストロングらをバックにブルースを唄ったバレルハウス・ウエルチ(1926年)などがいる。
ブギーウギーはインストルメンタル・ソロ・スタイルなので田舎の伝統的ブルースに見られるヴォーカルをフューチャーしていないのが特徴である。そして、これらルーツは南部の片田舎であるがこのブギー・ウギーが発達した地域は主にシカゴ、カンサス・シティー、デトロイト、クリブランドといった中西部の中心都市であった。やがて都市にも電気化が進むとこれまでのアコースティックだけで演奏されていたピノアやヴォーカルは(技術上の問題から増幅出来ず)アンサンブル・プレイに自らを適用させるようになる。
(資料ErickKriss Barrelhouse&BoogiePiano)
参考音源 アルバム
「Jelly Roll Blues」 1905年作曲Recordingは1924年と思われる。
「Dyin' Rider Blues」
「Mercy Blues」「Dying Pickpocket Blues」「State Street Jive」「I Don't Know」「Peetie Wheatstraw Stomp」「Indiana Avenue Stomp」「Fat Fanny Stomp」「Big Fat Mama」「Honky Tonk Train」「I Need A Little Spirit」「Sail On Blues」「Whistlin' Alex Moore's Blues」「The Cows」「Sugarland Blues」「Atlanta Bounce」「It's You Baby」「I Can Tell By The Way You Smell」「Short Haired Blues」「Stella Blues」
これらは1920年以降の初期の録音のオムニバスCDであるがCDの音源はアナログをマスターとして採用したものである。
「Kansas City」KC AFTER DARK Band 1997/7 Rec.
St.Louis Blues ,Cherokee, Indiana,Harvard Blues, Prince Of Wails, Froggy Bottom, Piano Boogie,King Porter Stomp(Jelly Roll Morton), Tickle Toe,Back Home Again In Indiana,
Don Byron(Cla), Olu Dara,Nicholas Payton, James Zollar (Tp) James Carter, Joshua Redman, Craig Handy,Don Byron(Ts) Kevin Mahogany(Vo) Curtis Fowlkes,Clark Gayton(Tb) David " Fathead"Newman, Jesse Davis(As) Mark Whitfield, Russell Malone(G) Geri Allen, Cyrus Chestnut(P) Christian Mcbride, Ron Carter, Tyrone Clark(B) Victor Lewis(Drs)