ハード・バップ
所謂、ハードバップ時代の幕開けは1954年位だと言われているが、ビバップを土壌に花開いたこのハードバップは数々のミュージシャン達の前進的探求心から始まったと言えよう。マイルスの「ウォーキン」発表或いはコルトレーン、ガーランドのオリジナルもの、アート・ブレイキークリフォード・ブラウン、ホレス・シルバー等による新しいチーム作りはこれまでのとことんバップイディオムを突き詰めた果ての方策だったのである。これら数々の分裂はそれまでのセッションコンボからオリジナルものや組織化されたグループへと進みビバップのスタイルから一歩発展した新しい東海岸の黒人ジャズを生み出した。カーティス・フラー、J.J.ジョンソン、カイ・ウインディング、ジョージ・ウォーリントン・クインテット等もこの新しいムーブメントの潮流として活躍し たミュージシャン達である。またこれらビバップを養分として育ったこの音楽推進家達の殆どはパーカーやガレスピー、パウエルが活躍する40年を目の当たりにし、ビバップが一応落ち着きを見せシィンガーの一部が西海岸に移行し始めた時、その後の音楽を自分なりの世代とニュアンスで探求し再生産した人達でもあった。JJジョンソンが速いパッセージを駆使し古い楽器の近代化を促し、フラーは楽器本来の低音域を生かしハードバップ特有の洗練を心がけた。後にベニー・ゴルソン、アート・ファーマーとのジャズテット。メッセンジャーズの三管の成功は彼の齎す先鋭的ハード・バップの潮流による所が大きいと言えるかも知れない。
今からするとこの年代のクールも洗練もどれも温かく渋味のある音色で後世に残って行くこと自体、私個人は嬉しくもある。しかし当のミュージシャン達に年代背景の推移や「ドラマの主人公達」であった事を彼ら自らが自覚していたかどうかは疑問である。少なくともマイルスは自覚していたと感じる。(だからと言って神格化とは無縁である)だからこそ低迷していた時期もあった。演奏を全く中断した時期もあった。薬に走った時代もあった。(オリンピックで言えばドーピングにあたる。と書き出すと話が外れるのでこれはまたの機会にしたい)或いは他のミュージシャン達はどうであったろうか、、、、。考える事は沢山有る様にも思えるし、また逆に全く考える必要性も無いのかも知れない。兎に角ハードバップはこの50年代を皮切りに長きに渡り一つの流れとして君臨する。