目次
[MUSICA MUNDANA No.52] 2005年5月30日発行
 
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 「MUSICA MUNDANA No.52」をお届けします。

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           MUSICA MUNDANA NO.52
             May.30.2005
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             ◆ 目次 ◆

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 ◎ 音楽史
    ◆正教会の孤立◆
 ◎ 数学史
    ◆パッポス他◆
 ◎ Homepage Updated (May.25.2005)
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 ◎ 随想
 ◎ あとがき
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━━[音楽史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆正教会の孤立◆

 教会の分裂は、東ヨーロッパの音楽にとって致命的な結果をもたらしま
した。地中海と中近東諸国の長い興隆は過ぎ去りつつあったのです。キリ
スト教音楽の文化的重心は、イタリアでもなく、フランクの地にありまし
た。フランス王国とオットー帝国に。大胆な展開が起こっていたのはそこ
でした。記譜法において、新鮮な旋律の発明において、ポリフォニーにお
いて。

ビザンティウムは、楽器の伴奏のない古いモノフォニーを厳密に保ち続け
ました。音楽の記譜法は発展していたのですが。典礼は、1054年の教会分
裂以降もほとんど変わりませんでした。しかし、その頃に、今日「中世ビ
ザンティウム記譜法(Middle Byzantine notation)」として知られる、音程
の幅、リズム、そして強弱さえも示すことのできるより精巧なネウマの体
系が現れます。そして、1453年のコンスタンチノープルの陥落のおよそ半
世紀前、赤インクで印を付ける記譜法が採用されますが、これは、古い記
譜法の改良でした。一方、西洋が必要として、その結果発見したものは、
新しい記譜法です。

 ビザンティウムの人々の保守主義は、彼ら自身にとってだけでなく、正
教会に改宗した人々にとっても不幸となりました。正教会に改宗した者た
ちは、帝国崩壊後250年もの間、その結果に苦しみ続けることになりま
す。

中央ヨーロッパのスラブ人たち--チェコ(チェク)人、モラビア人そして
スロバキア人--は、正教会に一時改宗しますが、900年頃マジャール人の侵
入によってビザンティウムから切り離されます。その結果、結局、ローマ
・カトリックとローマのアルファベットを採用することになります。異教
徒のポーランド人は、すぐカトリシズムを採用し、アドリア海近くの南ス
ラブ民族--スロバニア人とクロアチア人--も同様にローマに屈します。

一方、ブルガリア人とロシア人は、ビザンティウムの宗教と文化を取り入
れました。ギリシア語のアルファベットをキリル文字として採り入れたこ
とも含めて。長いためらいの後、ブルガリアのボリス一世(Boris I)は、
865年、西方のキリスト教の形態ではなく東方のキリスト教を選ぶことにな
ります。そして、ブルガリア正教会の信仰と典礼(ギリシア正教会ではな
い。ギリシアの典礼とブルガリアの典礼は相並んで用いられることもあり
ましたが。)をキエフ・ロシアにもたらしたのはブルガリアの宣教団であ
りました。

989年、ウラジミール大帝は、同様にカトリシズムと正教会、イスラムとの
間でためらった後、臣下たちに一斉に正教会への改宗(mass conversion)を
強制します。典礼とともに音楽も入ってきました。--ちょうど西洋と同じ
ように--エクフォネシス・ネウマ(ekphonetic neumes)の記譜が不正確であ
ったため「方言(地域差)」が生まれます。この過程は、恐らく、言語の
違いによって促進されたことでしょう。また、ロシア人が古ブルガリア
(の典礼)を13世紀と14世紀に修正し始めたとき、更に一層促進され
たことでしょう。

ネウマによって非常に曖昧に伝えられた旋律線が「方言」を生み出してい
ったばかりでなく、ネウマの形そのものも形を変えていきます。しかし、
12世紀には、まだ、古ビザンティウム記譜法(Old Byzantine notation)、
コワスラン・ネウマ("Coislin" neumes)(パリの Bibl.nat.,Fonds Coislin
 220 の写本からそう呼ばれる。)と初期ロシアの「歌い方の記号(印)
(знамение распев(sign chant))」の間には、まだ、明ら
かな関係がありました。ビザンティウム記譜法の正に最後の革新--15世
紀前半の赤い印--は、16世紀後半に、ノヴゴロドの音楽家であり理論家
であったイヴァン・シャイドゥロフによって、正確な音高を示すために導
入された朱文字記号(cinnabar-letter- signs)に響きあっていました。

ロシア人を2世紀にわたって服属させたモンゴル人によって、また、全南
東ヨーロッパを蹂躙したトルコ人によって文化的に孤立したロシア人は、
音楽的には、500年前フランク人によって達成された発展段階にまだと
どまっていました。歴史の奇妙なトリックによって、地中海の伝統の最後
の純粋な遺物は、モスクワとノブゴロドに残ることになったのです。

━━[数学史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆パッポス他◆

 ディオファントゥスの時代とそう遠くない時期に、新(ネオ)プラトン
主義者、ポルフュリオス(Porphyrius)が活躍していました。彼は、ピタゴ
ラスの生涯について、プトレマイオスの音楽についての著作を書いていま
す。彼は、アテネとローマに住んでいましたが、しばらくシチリアで過ご
したこともあるようです。主として、哲学的著作、キリスト教への反駁で
知られています。彼の墓、あるいは、彼の墓と伝承されているものを、今
日でもコンスタンティノープルで見いだすことができます。

 アナトリオスとポルフュリオスの弟子の一人が、算術についての著作を
含むいくつかの著作を書いたイアンブリコス(Iam'blichus)です。彼は、
ニコマコスについての注釈を書いています。また、私たちは、ニコマコス
やピタゴラス、その他のギリシアの著述家に関するかなりの情報を彼に負
っています。3つの整数、3n, 3n+1, 3n+2の合計に等しい数を取り、その
数のそれぞれの桁の数を足し算する。その結果のそれぞれの数の桁の数を
更に足し算するというように繰り返していくと、最終的にその合計は6に
なるという公理は、彼によるものです。

 390年頃、若いテオン(Theon the Younger)、学識あるヒュパティアの父
として知られるアレクサンドリアのテオンは、エウクレイデス(ユークリ
ッド)の「幾何学原論」とプトレマイオスの偉大な著作を編集・校訂し、
様々な学問的論文を書きました。そして、60進法の分数(60分数=
sexagesimal fraction)の助けを借りて、平方根を見つける方法を示しまし
た。彼の版のエウクレイデス(ユークリッド)の写本は、「幾何学原論」
の正確なテキストを決定する上で、現代の著述家たちの役にずっと立って
きました。

 アレクサンドリアのパッポス(Pappus)は、ギリシア後期の幾何学者で、
年代は確かではないのですが、恐らく3世紀に活躍したと思われます。そ
れほど厳密ではない著述家のスイダス(10世紀頃)は、テオドシウスの治
世下に彼を置いていますが、それより2世紀も前に生きていたと信じてい
るものもいます。彼の偉大な著作のうち、数学大全(Mathematical
Collection)は、本来8書からなっていましたが、後半の6書だけしか、私
たちには伝わっていません。

第3書は、比例、内接する立体、立方体の体積を二倍にする問題を扱って
います。第4書は、スパイラル、クアドラトリクス(quadratrix)などの
他の高次平面曲線を、第5書は、極大(maximum)と等周図形(isoperimetric
figures)を、第6書は、球を、第7書は、ギリシア人の解析法とその歴史
を、そして第8書は、機械学を扱っています。彼の名は、二つの有名な定
理に付けられています。一つは、軸の回りに平面図形を回転させることで
生ずる立体(回転体)についての、後にグルディン(Guldin)の定理とし
て知られているもの、もう一つは、ピタゴラスの定理を一般化したもので
す。

━━[随想] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 (さて、今回も「Maiharaの戯言 (http://maihara.seesaa.net/)」からの
転載。後半部は省略)

 ◆Our Lady of Fatima◆

今日5月13日は、ポルトガルの小さな村ファティマで三人の牧童に聖母
マリアが出現した日というので、カトリック教会暦では今日はそれを記念
する日となっている。

ファティマの奇跡とか、ファティマの予言とかいろいろと話題になること
も多いので、ちょっとそれについて書いてみよう。

英語では、Our Lady of Fatimaであるが、どこかに書いたような気もする
が、Our Ladyと言うのは、フランス語で Notre Dame、イタリア語で Ma
Donna、要するに「聖母マリア」のことである。

聖母マリアが、1917年ポルトガルの三人の羊飼いの子どもたち - ルチア、
ヤシンタ、フランシスコ - に現れたことから、この名(ファティマの聖母)
で礼拝されている。ファティマのメッセージには、心からの改心、罪の悔
い改め、特にロザリオの祈りを通しての聖母マリア信仰、の呼びかけが含
まれている。

この記念日はアメリカのカトリック教会暦には新しいものであり、5月1
3日に定められている。

ファティマの聖母

聖母マリアがファティマの子どもたちに現れたのは、第一次世界大戦中の
1917年の夏のことであった。レイリア(ポルトガル)教区のこの小さな村の
住民は、ほとんどが貧しく、その多くが、日中は畑を耕したり動物の世話
に出かける質素な農民であった。子どもたちは、伝統的に、羊飼いの仕事
が与えられていた。

マリアの出現に出会った三人の子どもたちは、純粋に敬虔な雰囲気の中で
育てられた。ルシア・ドス・サントス(10歳)と彼女より年下の従弟妹フ
ランシスコとヤシンタである。彼らは一緒に羊の世話をし、ルシアが中心
になって、野外でひざまづいてロザリオをよく祈ったものだった。

1917年5月13日の日曜日、正午頃、稲妻が子どもたちの注意を引き付け
た。そして、彼らは、コヴァ・ダ・イリアの木立の上に輝く姿が現れたの
を見た。「聖母」は彼らに罪人の改心と戦争の終結の祈りをするよう彼ら
に求め、毎月13日にその場所に来るように求めた。

6月の13日にも7月の13日にも聖母は現れた。8月13日には、子ど
もたちは現地の当局によってコヴァ・ダ・イリアに行くことを妨害された
が、彼らは19日にその姿を見た。9月13日には、聖母は、戦争終結の
ためにロザリオの祈りを唱えることを求めた。最後の10月13日には、
「聖母」は自らを「ロザリオの聖母マリア」と称し、再び、祈りと悔い改
めとを求めた。

その日には、自然の現象も起こった。太陽は空から落ち地球に衝突したよ
うに思われた。子どもたちは最初に聖母が現れた5月13日にそのことを
知らされていた。大群衆(およそ3万人の証言者)が子どもたちの周りに集
まり、その現象を見て驚嘆した。

子どもたちが、コヴァ・ダ・イリアで見た「幻影」が公式に認められたの
は、1930年10月13日である。レイリアの司教がその地での「ロザリオ
の聖母マリア礼拝」の公認を長く求め続けた後。子どもたちは - フランシ
スコ(出現を見たが、言葉は聞かなかった)1919年4月4日に、ヤシンタは
1920年2月20日に死亡した。ルシアは、ポルトガルのコインブラのカル
メラ会修道院で、長い病気の後2月13日に死亡した。

━━[催し物情報]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇歴史文化講座「中世阿波の熊野信仰」
世界遺産に登録された霊場熊野は、中世には全国各地からの参詣者を集め
た日本最大の霊場でした。中世の熊野信仰の実態について、とくに阿波に
おける様相を中心として紹介します。
 ○日  時  6月26日(日)13:30〜15:00
 ○場  所  海部郡海南町 海南文化館
 ○講  師  長谷川賢二(博物館学芸員)
 ○対  象  小学生から一般(小学生は保護者同伴)
 ○定  員  50名
 ※申し込みは必要ありません(直接会場へおこしください)。

 徳島県立博物館のその他の催し物情報は、以下のサイトをご覧ください。
      http://www.museum.comet.go.jp/

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  「知」とIT/ビジネスへのTIPS
  金融と経済/「人生」のボスに、 自分がなる為のAtoZ
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 落書き帖第168号
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 各国語で聖書を読む
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   http://www2m.biglobe.ne.jp/~m-souda/index.html (English)
   http://homepage1.nifty.com/m-souda/ (Japanese)
   http://www004.upp.so-net.ne.jp/mysouda/ (Japanese)
 AIHARA Hiroaki's Page (English)
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━━[あとがき]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

カトリック暦では5月は「聖母マリアの月」なんだそう。その理由はよく
わからないが、日本では初夏の一年で一番気候のよい時期であるので、な
んとなくそうなのかなあと思ったりする。

このところよい天気が続いているのはいいが、雨が少ないのが、なんとな
く気になる。いったん雨が降り始めると、今度は降り続くのではないかと、
それが心配。適度に雨も降って欲しいと思う今日この頃。

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