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MUSICA MUNDANA NO.46
Nov.30.2004
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◆ 目次 ◆
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◎ 音楽史
メッスのアマラル
◎ 数学史
ローマの数学
◎ Homepage Updated (Nov.30.2004)
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◎ 随想
◎ あとがき
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━━[音楽史]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆メッスのアマラル◆
カロリング朝のローマ化推進者たちが、イギリスのビード同様に、グレ
ゴリオ大教皇の権威をどのように持ち出そうとしているかを見るのはそ
う難しいことではありません。
例えば、シャルルマーニュの友人であり忠告者であったアルクィンの弟
子のメッスのアマラル(Amalar)(c.780-c.850)は、「大教皇グレゴリウス」
はミサ典書(Missal)の auctor(その意味は、著者あるいは単なる発起人
であるかも知れない)であると信じていましたし、872年頃書かれた「聖
グレゴリウスの生涯 (Vita Sancti Grigorii)」の著者であるヨハネス・
ヒンモニデス(Johannes Hymmonides)は、グレゴリウスはアンティフォナ
ーレを編纂しただけでなく、スコラ・カントールムを一つ設立したとも
言っています。
グレゴリウスの名と権威は、このように持ち出されていますが、何の為
だったのでしょう。それは、音楽史最大の謎の一つです。
「アンティフォナーレの順序について(De ordine Antiphonarii)」の序
の中で述べられていますが、ある問題に最初に気づいたのは、恐らくア
マラル(Amalar)でしょう。クロデガン(Chrodegang)の時代以来、特別な
ローマの伝統の宝庫と見なされていたメッスの聖務日課書の中に、明ら
かな欠点があることに戸惑って、アマラルは 831-2年その元の資料の研
究にローマを訪れます。彼は、グレゴリウス4世に真のアンティフォナ
ーレを求めて、故国に持ち帰ろうとしたのかもしれません。
教皇はその恩恵を施すことができませんでしたが、アミアン(Amiens)近
くのコルビー(Corbie)の大修道院長に、数年前に与えた四巻の聖務日課
書を調べてみるように薦めます。アマラルがそうしてみると、順序や言
葉がメッスで用いているものとはしばしば異なっていること、新しいア
ンティフォナやレスポンソリウムがたくさんあって、これらは皆、ハド
リアヌス一世(772-95)の下で、あるいはハドリアヌス一世によって企て
られた改訂作業の結果であることを発見して驚くのです。
予想していたような、権威ある一つの版があるのではないことを知って、
アマラルは、メッスで使用するための新しいアンティフォナーレの編纂
に取りかかります。古いメッス版、コルビー版、そしてトゥール(Tours)
で若い頃アルクィンによって教えられたものを利用しながら。
━━[数学史]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆ローマの数学◆
その後の数世紀は、ローマの軍事力が増大し、その結果、知的理念が抑
圧された時代でした。美術、哲学、科学、政治学、倫理学、そして数学
は、すべて地に沈んでしまいます。ただ、文学だけは進歩を遂げます。
ベルギリウスはホメロスを模範とし、キケロはデモステネスの足跡を追
います。
BC6世紀から、すでにエトルリアの芸術は、その技法においても、ま
た、ギリシア神話の伝統に従ったことでも、全くギリシア的でした。芸
術だけなく、文学や科学においても同様に、ローマは、単にギリシアと
同じ線上を歩んだだけでした。
数学においては、ローマはなんら独創性を示さず、なんら高い理想も抱
きませんでした。ローマは、人間の創造力よりも、むしろ富の獲得の方
を好んだのです。その人間になんの価値もないときでさえ、お金がすべ
てでありました。
例えば、アレクサンドリアのヘロンのような天才が、ギリシア・ローマ
世界に生まれたときでも、彼の関心事は、ほとんどすべて、すでに発展
した科学の応用であって、その境界を拡げようとするものではありませ
んでした。
ローマ自体について言えば、どれほど多くの学者や文学者がイタリア以
外の地で生まれたか、それが注目に値します。スペインからは、二人の
セネカ、ルカヌス、マルティアリス、クィンティリアヌス、そして恐ら
く、ヒュギヌスが。フランスからは、フォヴォリヌスとドミティウス・
アフェル。パレスティナからは、ヨセフス。エジプトからは、フィロン。
そして、ギリシアからは、プルタルコスとエピクテトゥスが出ています。
ピタゴラスとアルキメデスがイタリアに住んでいたとして、名が挙げら
れるかも知れませんが、彼らは、本質的にはギリシア人であり、アルキ
メデスの死後、厳密な学問科学は、消滅してしまったといえるでしょう。
キケロは、ラテン人のこの心の態度を嘆いていました。ギリシア人の間
では、幾何学が高い評価を受け名誉が与えられているが、ローマ人の間
では、それが欠けていることを対照させながら。
━━[随想]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今日で11月も終わりですが、11月は穏やかな天気が続いたような気
がします。小春日和の日も多かったのでは。それで、今日は小春日和に
ついて少し。
小春日和というのは「初冬のいかにも小春らしい穏やかで暖かい日和。」
とのことです。まあ、そんなものかなと思うのですが、じゃあ「小春」
って何?、と問われると少しとまどってしまうかも知れません。
で、調べてみると、「初冬の、穏やかで暖かい春に似た日和が続くころ。
また、陰暦一〇月の異称。」と出ています。立冬もとうに過ぎましたし、
陰暦(旧暦)では、今日は10月19日。今頃の暖かい日が続く毎日は、
まさに小春であるわけです。
英語で小春日和のことを Indian semmerというのはご存じの事だと思い
ますが、St. Luke's summerとか St. Martin's summerというのがある
のはご存じでしょうか。「リーダーズ英和辞典」では、それぞれ「(英国
の)聖ルカびより(10月18日前後の好天気)」「(英国)の小春日和(晩秋
特に11月の St. Martin's Dayのころの好天気)」と書いてあります。
ネット辞書で調べてみますと,
"St. Luke's summer" means "In English folklore, a period of fine,
calm weather, similar to Indian summer, occurring in October."
"St. Martin's summer" is "In English folklore, a period of fine,
calm weather, similar to an Indian summer, occurring in November."
となっています。
St. Luke's summerは10月の暖かい日和。St. Martin's summerは11
月の暖かい日和ということですね。そう考えると、イギリスで「小春日
和」に相当するのは「リーダーズ英和辞典」に書かれているように「St.
Martin's summer」になるわけでしょうか。
ただ、イギリスと日本では11月の気温が異なっているかも知れません
ので、暖かさから言うと St. Luke's summerの可能性もあるような気が
私なんかはしてしまうわけではありますが。
因みに「Indian semmer」というのはアメリカ・カナダで用いられるそう
です。考えてみれば、それはそうでしょうね。Indianですから。
それから、今日、「御講凪」という言葉を知りました。「ホトトギス新
歳時記」によりますと、報恩講の行われる(東本願寺11月21日から
28日、西本願寺1月9日から16日)頃の穏やかな日和を御講凪とい
うのだそうです。
お東さんの報恩講の頃の「御講凪」は、小春日和のこともあるわけです
ね。
━━[催し物情報]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇歴史体験「正月飾りをつくろう」
正月飾りとして、注連飾り、門松、年棚などいろいろな種類のものが
つくられます。これらについて、民俗学ではカミの降りてくる依り代と
解釈され、シンボリックなものと考えられています。
この講座では、藁をつかって玄関や神棚、井戸、便所などにかけられ
る注連飾りをいっしょにつくってみましょう。ただし、県内でも地域や
家によって形が違うこともあります。今回は、徳島市八万町でつくられ
る注連飾りをモデルにします。
○日 時 12月19日(日)13:30〜15:30
○場 所 博物館実習室 ○講 師 磯本宏紀(博物館学芸員)
○対 象 小学校高学年から一般 ○定 員 30名
○申込方法 別記の方法で,12月9日(木)までにお申し込みくだ
さい。
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━━[あとがき]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
11月は穏やかな日が続いたような気がしますが、皆さんのところは如
何でしたか。
音楽史では、特に私が興味を持っている「グレゴリオ聖歌」と「古ロー
マ聖歌」の核心部分に入ってきました。分かりにくい内容かも知れませ
んが、基本的には、「グレゴリオ聖歌」の重要な写本が残っているのは
ローマではなく現在の北東フランスであるのに、どうしてローマ式典礼
の「グレゴリオ聖歌」と呼ばれているのかという疑問でしょう。
まあ、複雑な事情があるようです。
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