Chap.10 ネットの向こうに

<1992.4.12 Kasairinkai>

「コークとオレンジジュース」
チョビは、スタジアムの売店で飲み物を買った。
紙コップを両手に持ってスタンドに上がったチョビは、グラウンドに向かってVサインをしているあタロウの後ろ姿を見て、思わず足を止めた。
「誰にVサインしてるのかしら?」チョビは不思議に思って、グラウンドを見渡した。そして、あタロウに向かって笑顔を見せている舞由に気がついた。
「舞由。。。」チョビは、胸が苦しくなった。ハイスクール時代の忘れたくても忘れられないあの出来事が、また脳裏を横切った。

ハイスクールの最後の年、チョビはベースボール部の男に恋をした。
今も「グリ」と名前を口にすると切ない思いが胸にこみ上げてきた。
チョビは、いつもネット越しにボールを追うグリの練習風景を遠く見つめていた。
グリもチョビの姿に気づいていた。いつも、ネットの向こうにチョビの姿を探していた。チョビの姿が見つからない日は、練習に身が入らなかった。
チョビとグリは、互いに話しかけるタイミングがつかめないまま、いたずらに月日だけが過ぎていった。
舞由がグリに思いを告白するまで。。。。

舞由の告白を受けたグリは、ひどく戸惑った。ネット越しのチョビの姿が頭に浮かんだ。あの娘は別の男を見つめていたんだ。どうせ自分の片思いに違いない。そう自分に言い聞かせたグリは、舞由の気持ちを受け止めた。

グリと舞由は休みのたびに映画に出かけた。映画の後は、決まって公園のブランコに並んで座って映画の感想を語り合った。
「スターウォーズの2作目、ついに公開ね。」舞由がブランコを揺らしながら言った。
「そうなんだ。でも、初日が平日だなんてついてないな。」
グリは地面を蹴って大きくブランコを揺らした。「ちくしょう。早く観たいよ。」
舞由がブランコから飛び降りて、振り向きざまに言った。
「サボっちゃおうか。」
「え?」
「学校サボって、初日に行かない?」
グリも飛び降りた。「いいねぇ。」
「決まり。」

いつものようにベースボール部の練習を見にきたチョビは、グリのユニフォーム姿がないことに気がついた。
「今日はお休みなのかしら。」
チョビはしばらく待ってみたが、やがて諦めてネットから離れた。
なんだか落ち着かない気持ちのチョビは、以前から気になっていた新しくOPENしたタオルの店をのぞくことにして、街に出かけた。
街でチョビが見たものは、映画館から手をつないで出てくるグリと舞由の姿だった。
チョビは、放課後の日課となったベースボール部の練習を見ることをやめた。
舞由にも何も言わず、いつも通りのままだった。

グリは、ネットの向こうにチョビの姿が見えなくなったことで、自分の本当の気持ちに気がついた。
そして、舞由にさよならを言った。
グリは、今度チョビの姿を見つけたら、告白しようと思った。
しかし、チョビは二度とネットの向こうに姿を見せなかった。
そのまま、3匹は卒業した。

モカの太鼓の音に現実に引き戻されたチョビは、あタロウの横に座わり、あタロウにコークを渡した。
「ありがとう。さっき後半戦が始ったところだよ。」
チョビはオレンジジュースを一口飲むと、思い切って言った。
「あタロウさん。」
「え?」
「私、あタロウさんのこと。。。」
「しまった!」あタロウが叫んだ。
ホップステップスのレイが、ホワイトソックスの守備の逆サイドを巧みについてトライを決めた。 得点は、これで3対3になった。
「あ、ゴメン。」あタロウが言った。「さっき言いかけたこと、何なの?」
「。。。。何でもない。同点になっちゃたわね。」
レイの蹴ったフリーキックのボールは、2本のゴールポストの中央を見事に通過し、2点の追加得点となった。
モカの太鼓の音が止まった。

「逆転されちゃった。」あタロウは、ポツリと言った。
チョビは、あタロウの視線の先を追いかけた。
やはり、舞由の姿だった。
舞由は、ゆっくり顔をあタロウに向けた。
チョビは、とっさにあタロウの手を握った。


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