<1997.9.8 Springhop>
舞由は、そっと俯くとアイスコーヒーの氷を軽くつついた。今年の夏の最後のアイスコーヒーなのかもしれない。
舞由は、カラリと涼しい音を立てた氷を、少し悲しい思いで見つめた。
「変わらないね。その癖。」
舞由に向き合った席に座るムウが、小さく言った。
「え?」
「変わらないんだね。わざわざコップを倒して氷で遊ぶその癖。」
「フフッ。あなたこそ変わらないわ。皿からエサを掻き出して食べる癖。」
「ああ。こうやると妙に楽しいんだ。」ムウは1粒くわえると、カリカリと音を立てて食べ始めた。
舞由は小さく笑うと、狭いけれど思い出だらけの店内を見渡した。
傷だらけのフローリングの床、3番目の椅子の壊れたカウンター、真剣な表情でコーヒーを煎れるマスターの横顔、何もかもがあの頃のままだった。
あの写真も、ちゃんと壁に掛けてあった。舞由は席を立つと、写真を覗き込んだ。
写真には、5匹のモッケーのユニフォームを着た、すまし顔の男達が写っていた。その男達の横には、トレーニングウェア姿の笑顔の舞由がいた。
「私、こんな風に楽しそうに笑えたんだ。」舞由はポツリと言った。
「ああ。」ムウは髭についたトータリーの粉を払うと、肩越しに振り向いた。「そうさ、みんなが元気になれる最高の笑顔だった。」
「やめてよ。」舞由は思いもよらなかったムウの言葉に驚いて、あわてて写真に顔を向けた。「背番号29番。俊足のまろん。85番、ピンチに強いツムジ。源さんは64番だったんだ。源さん、腹減ったが口癖だったわね。」
「二枚目気取りの涼太は35番。35はサイコーって読むんだって喜んでたな。みんな引いてたけどさ。」
「ふふ。それに、体の模様がミスプリント。」
「いつも床屋から帰ってきたばかりみたいな毛並みだった。」
2匹はしばらく涼太のことを思い出して笑った。
時間が急速にあの頃に戻っていった。
2匹は心地よい沈黙を楽しんだ。
「ねぇ、キャプテン。」
「なんだよ突然。」
「今となっては、照れちゃう呼び方ね。」
「言われた方も照れるさ。もうキャプテンなんて呼ぶな。」
「ムウも一緒に写真見ない?」
「いいさ、オレ、変な顔で写ってるから。」
「みんな若いね。嘘みたい。」
「さあ、おいしいコーヒーが入ったぞ。」マスターのぱぱんぃが、特製のカップにコーヒーを注ぎながら声をかけた。「君たちの1回戦敗退20回を記念して作ったマグカップさ。」
「全くつまんない物を作ったよな。」ムウが苦笑した。
「あの最後の試合から3年たったのね。」舞由が言った。
「今日の偶然の再会に乾杯しよう。」ぱぱんぃはカウンターから出てきて、マグカップをムウと舞由に手渡した。
「コーヒーで乾杯かい?」
「いいじゃないか。オレ、飲めねぇもん。さぁ、我らがルーズソックスに乾杯だ。」
「ホワイトソックスだよ、チーム名は。」
「どちらでもいいさ。乾杯!!」
舞由は、マグカップの温もりを手の肉球に感じながら、やっぱり夏が終わったんだわ、と思った。
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