1933年12月5日に、憲法修正第21条(第18条=禁酒法の廃止)が確定するまでのおよそ14年間におよぶ「禁酒法の時代」は、多くの人々にとって、実際には「飲酒の時代?」となった。
この矛盾する結果を生じさせた一つの原因は、第18条が成立した1910年代末の社会と、それが執行された20年代の社会は、非常に異なるものであったことに求められる。第18条が連邦議会が通過した1917年12月18日は、第一次世界大戦の最中で、アメリカがドイツに宣戦布告して8ヶ月余りが経過していた。戦争が醸し出す愛国的で禁欲的な雰囲気を最大限に利用して、禁酒運動家達が、飲酒という「快楽」を規制することに成功したとも言える。
アメリカが参戦した4月以降、食糧確保の目的で穀物からの蒸留酒製造が禁止されたり、ビールのアルコール度を2.75パーセント以下に定めた立法や行政命令が、臨戦態勢解除までの期限つきながら施行された。この年に、禁酒を求めた憲法修正案が、上下両院議員の三分の二以上の賛成と言う条件を満たして速やかに議会を通過して各州に送付されたこと、そしてわずか13ヶ月間に、四分の三以上の州議会がそれを承認したことの背景には、保守化した「世論」が存在したことを忘れてはならないだろう。
ところが、ネブラスカがこの修正案を認める36番目の州になり、第18条が確定した1919年1月16日には、ヨーロッパではすでに休戦状態に入っており、パリでは講和会議がまさに開催されようとしていた。つまり、国民に禁欲と自己犠牲を強いた時代が過ぎ去ろうと言うときに、第18条が成立したのである。果たせるかな、「平常への復帰」をスローガンに幕が開いた1920年代のアメリカ社会の潮流は、質素や倹約などの道徳を重んじる「禁欲的」なものに背を向け始めたのだった。
次回「ジャズの時代」へと続く。
アメリカ文化史の中で、1920年代は「ジャズ・エイジ」と呼ばれるようになった。1910年代に、300万人以上の黒人が南部から北部へ移動したが、その結果、ジャズは20年代に入りニューヨークやシカゴなどでも人気を集めた。人々はナイトクラブやダンスホールでの生演奏だけでなく、当時普及し始めたラジオを通してもジャズを聴き、そのリズムに合わせてダンスに興じた。「ジャズ・エイジ」という言葉から連想されるように、禁酒法の時代は、現実には経済的繁栄と戦争からの解放感あふれた享楽的な社会を生み出した。
当時のアメリカ人達は、自らが生きた時代を「新しい時代」と好んで呼ぶようになった。人口は一層都市に集中し、歴史上初めて都市人口が農村人口を上回ったのもこの時代だった。20年代を表すキーワードは「成長と豊かさ」である。中流階級に属する多くの家庭には、冷蔵庫や掃除機などの電気製品が普及し(日本の昭和30年代がそうですね)また大量生産されたフォードT型車は大衆化し(日本の30年代はパブリカ?)、20年代終わりには、約3000万台の自動車が走り回るようになった。1920年代の大統領選挙の結果を報せるニュースで始まったラジオ放送は、7年後にあらわれる発声映画(トーキー)とともに娯楽の中心となり、1929年までに全国1200万世帯がラジオを購入した。まさに、大量生産・大量消費のアメリカ社会の出現だった。このような「都市・消費文化」が、人々の日常生活や思考に、大きな影響をもたらすことは不可避だった。
特に、女性を取り巻く環境の変化には特筆すべきものがあった。参政権の付与が、女性の政治的、社会的行動をより積極的なものにしたことは否定できない。また都市での電気製品に囲まれた生活は、仕事に余暇に彼女たちの外出を可能にした。その結果、貞節と上品さを求めた「ヴィクトリア時代」の女性像は破壊された。締め付けを嫌ってコルセットを脱ぎ、露出部分が多く、裾が膝まであがったワンピースを身につけ、髪型はショート(ボブヘヤー)で、濃い口紅やアイシャドーで化粧した「現代娘」の出現である。
未婚女性のデートには付き添い者はもはやいなくなり、タブー視されていたセックスを、より大胆にそして開放的に捉えるようになり、婚前交渉は通常の男女交際の一部となった。彼女たちは、人前で喫煙することを不道徳とは考えず、またそれまでは女人禁制の男性社会の象徴だった酒場(この時代はもぐり酒場)へも立ち寄った。禁酒法時代以前、酒場に出入りする女性と言えば売春婦と決まっていたが、「ジャズ・エイジ」には一般の女性達も、秘密の場所で大ぴらに飲酒を楽しんだ。このように、禁酒法が施行されたのは、国民が厳格な道徳を否定し、自由と快楽を求める軽佻浮薄な時代であった。
このような皮肉な時代を代表するのは、数々の文学者である。20世紀の前半に活躍した著名な作家の中には、過度の飲酒に悩んだ者が多い。とにかく、名前を挙げれば枚挙にいとまがない。もちろん、アーネスト・ヘミングウェイもそのうちの一人だ。どうも当時のアメリカには、酒を飲めない者は一流の作家になれないと言う神話があったようだ。この神話は、禁酒法の時代を通して築き上げられたと考えられる。多くの酒好きな作家が禁酒法時代に芸術上の成熟期を迎えていることがそのことの証明でもある。
同時代の多くの文学者や学芸批評家は、禁酒法に対してはおしなべて批判的であり、飲酒することが義務とさえ感じる向きもあった(もちろん禁酒派の作家もいたことはいたが、それは数少ない例外だった)。それは、時代が進む方向を敏感に感じ取ろうとする人々にとって、禁酒法があまりにも時代錯誤の方策であり、そこには冷笑すべき矛盾しか見いだせなかったからである。とにかく、「高貴な実験」が生み出した皮肉な結果が、本当に失敗だったかどうかはまだまだ論じるべき点が多いかと思われるが、とにかく、アメリカが行った高貴な実験は、その後、世界の国々に多くの教訓をもたらしたことだけは確かなようである(禁酒法終わり)。
参考文献・岡本勝著「酒のない社会の実験・禁酒法」講談社現代新書。