最初のホップ園は、9世紀にババリア(バイエルン)のハラタウで、スラブ系のベェント人の捕虜を使って作られたと言います。スラブ人がローマ人と接触を始めたとき、ヨーロッパの東にいて、ドナウ川とライン川を隔ててケルト人と接していましたが、フン族に圧迫されて中央ヨーロッパに移動したのが、民族の大移動です。この波にローマは飲み込まれました。また、中央ヨーロッパに広く住んでいたケルト人もゲルマン人に撃破されて臣下となるか、狭められた地域に住むしか、行き場がなくなりました。ところが、この蛮族ゲルマンからローマ帝国を防備すべき軍隊はゲルマンやフン族の傭兵が主力というのですから、なんとも複雑な情勢でした。ゲルマンはローマ化されてワインの味を覚えても、ビールを捨てることは出来なかったようです。ゲルマンの一族のフランク族が、西ローマの旧版図にフランク王国を建てましたが、このカロリング朝のピピンやカールはビールの愛好家で、遠征の時にも、ビール醸造師を連れて歩いたということです。一説にはホップビールについても熱心で、しばしばホップで味を付けたビールを造らせたということです。ビールの歴史に戻る・スタートに戻る