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根掘り葉掘り Story
 
 安寿と厨子王物語
安寿の行方

分類 物語 出典 考察
その 一

 安寿は泉の畔(ほとり)に立って、並木の松に隠れてはまた現れる後ろ影を小さくなるまで見送った。そして日はようやく午(ひる)に近づくのに、山に登ろうとしない。
 幸いにきょうはこの方角の山で木を樵(こ)る人がないと見えて、坂道に立って時を過ごす安寿を見咎めるものもなかった。
 後に同胞(はらから)を探しに出た山椒太夫一家の討手が、この坂の下の沼の端で、小さな藁覆(わらぐつ)を一足拾った。それは安寿の覆(くつ)であった。

小説
山椒太夫
森 鴎外 著
大正14年
(1915年
)
安寿の最後は入水自殺

文豪森鴎外であって、史料をもとにした作品であって、史実ではない。

その 二    映画(大映京都)
山椒太夫
溝口健二 監督
昭和29年
(1954年
)

安寿の最後は入水自殺

その 三   ある日安寿は、密かに厨子王丸を逃し、自らは池に身を沈めた。
 後に、安寿と厨子王姉弟を探しに出た、山椒太夫一家の追っ手が、この池の端で、揃えた草履を一足拾った。
 そのとき、沼の向う岸から一羽の鶴が舞い上がった。
アニメーション映画
安寿と厨子王丸
藪下泰司・芹川有吾 監督(東映動画)
昭和36年
(1961年
)
安寿の最後は入水自殺

当時アニメーションを見たという人の話。

その 四   丹後由良で、ある日安寿は、密かに厨子王丸を逃した。後に、安寿と厨子王姉弟を探しに出た、山椒太夫一家の追っ手が、安寿を捕らえ拷問にかけられ、舌を噛み切って自殺する。  説教節
瞽女唄
文弥節
歌舞伎
安寿の最後は自殺
その 五   ある日安寿は、密かに厨子王丸を逃し、ひとり山椒太夫の館へ戻った安寿は、火責め、水責めの果てやがて力が尽きてしまう。 ひとり芝居
「山椒太夫考」
福岡の住吉神社
安寿の最後は虐殺
その 六  丹後由良の山椒太夫屋形、姉の安寿は、厨子王を逃し た咎で、 厳しく折檻される。登梯にからみつけて、湯責め、水責め の拷問、それでも白状しないの で、三つ目錐で膝の皿をからりからりと揉まれて問われつづけ、やがて 死ぬ。   佐渡七太夫伝説
(寛永十六年) 1656年
拷問死 
その 七  丹後由良の山椒太夫屋形、姉の安寿は、厨子王を逃し た咎で、 厳しく折檻される。登梯にからみつけて、湯責め、水責め の拷問、それでも白状しないの で、三つ目錐で膝の皿をからりからりと揉まれて問われつづけ、やがて 死ぬ。   與七郎正本
(明暦二年)
1639年
拷問死 
その 八    佐渡の文弥人形 拷問死
その 九    漂白の語り手(説教) 拷問死
その 十    瞽女・口承伝説 拷問死
その 十一   口碑伝説 拷問死
その 十二   ある日安寿は、密かに厨子王丸を逃し、自らは 山椒太夫の屋敷を逃れ、京に上ろうとする途中、中山から下東に出る坂で、疲労と空腹に耐えられず、最後をを遂げた。
  今もこの坂を飢え坂といい、土地の人々の手によって、手厚く葬られたといわれ、安寿姫塚が建部山のふもと下東に残っています。(舞鶴市) 
日本海側観光
(舞鶴市)
安寿の最後は入水自殺
  分類

物語  

出典

考察   

   2003(調査中)

  解説《 説教節の『さんせう太夫』は、さまざまな芸能に受け継がれて、その時代、その土地土地の人々の思いが込められて変化した。

 

 

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