The skitch book (200X)                                                                     トップページへ戻る

雪滑稽古風景
(ゆきすべり・こっけい・けいこ・こふう・ふうけい)

Skitch=Ski+Sketch 

【自然】

 自然から学ぶことは多い。

   雪なし地域のいわきの人が、雪上に立って、景色を見て、スキーをやることで、いろいろ学ぶことは格別の感がある。

雪なし地域のスキーヤーが、長くスキーをやっていれば、スキーの操作は簡単になる。

スキーイングの爽快感は別としても、雪なし地域のスキーヤーがスキー場でみた光景で、雪が解けても、理解ができないスキーヤーの行動を見ることが多く、スキー場のチェアリフトやゴンドラリフトのシート、スキー行からの帰り道の車中、そして帰宅してからの話題では、スキーを何倍にも楽しむことができる。

雪なし地域のスキーヤー栗胡桃太郎に、「佐渡の浜ちゃん≠ノ,会う機会をつくりました。」と友人が,異例のスキー行(栗子国際)をセッテング(接点愚)をした連絡があった。

 

マゾな佐渡の人の編(再掲)  

「日本海の佐渡人だからか、いわき人≠ヘ、スキーができないと思っているのか、『おれのスキーの腕前は、トニーザイラー級≠セ。』と豪語している人が、今度、いっしょに行って、スキーを教えてくれるそうです。」と話があった。
 幾度か、その類のスキー天狗と同行し、なんのことなく、帰り道には、言葉少なく、静かに分かれたスキーヤーは多い。
 しかし、佐渡の浜ちゃん≠ニは、三度ほどスキーを同行をした。
一度目、二度目、三度目とゲレンデで出会い、衝撃的な場面を目の当りにし、比類のないスキーヤーであることを知った。
 栗子国際スキー場の平均斜度三十三度の斜面をいっきに、裾まで転がるのだ。
 一般のスキーヤーは、速さはそれぞれだが点斜面の雪面を右に左にと曲線を描いて滑降する。
 蔵王の横倉のかべで、滑降に失敗し、途中から空を見て、雪面を背中で滑落するスキーヤーをみることがある、これは同情に値する。
 栗子国際スキー場の平均斜度三十三度斜面での佐渡の浜ちゃん≠ヘ、滑り出すとまもなく、転倒、スキーの板がはずれ、雪面と空中を交互に見るように、体を縦に横にと回転させて、転がり降り、斜面の裾で停まる。
 主のないスキーの板だけが、無人で斜面を滑降する。
 何度も何度も、めげずに、挑戦する。素晴らしいファイトである。
ある時、佐渡の浜ちゃん≠ェ、なかなか転がってこない、リフトに乗り、頂上に向かっていて、斜面を見おろすと、転倒した後の佐渡の浜ちゃん≠ェ、運良く、スタートの頂上付近で、うまい具合に停まったのか、はずれたスキーの板を装着している姿を見た。
 そこは、斜面の幅の中央部、他のスキーヤーが必ず通過するど真ん中である。何度も何度も、ビンディングにブーツを装着しようとするが納まらない。
 スキーの板が、雪面と平行になって、ブーツがビンディングには納まらない状況で、相当なガニマタでなければ、ブーツはビンディングに納まらない。
 アイスバーン傾向の雪面なので、上手くいかないのかなと思い、「大丈夫?」と声をかけると「大丈夫!」というプライド力の強い声が返ってくる。
斜面の幅の中央部で転倒したなら、他のスキーヤーの滑走の支障にならない、斜面の端に避難してからスキーを装着するのが一般のスキーヤーだ。
 スキーヤーが滑走して、通過するど真ん中、それもアイスバーンの状況の場で、はずれたスキーの板を装着する人は稀である。
 そのうち、アイスバーンの中から雪を手で集め始めた、そして、な、なんと、スキーの滑走面と雪面の間に、雪を詰め始め、スキーの板を地球の中心に対して直角になるようにした。
 それから、ビンディングにブーツを装着しようとするが、雪がつぶれたか、雪が逃げるので、スキーの板は、再び雪面と平行になり、脚の方向にそっぽを向いて、ブーツはビンディングに納まらない。
   雪を手で集め、スキーの滑走面と雪面の間に、雪を詰め、スキーの板を水平にする、
ビンディングにブーツを装着しようとする、雪がつぶれるか、雪が逃げ、スキーの板は、斜めになり、脚の方向と角度がつき、ブーツがビン  ディングにハマらない。
 何度も何度も繰り返す。
ハマらない。諦めない。
 こんなスキーヤーは、かつて出会ったことがない。
 佐渡の浜ちゃん≠ヘ、比類のない異人である。
 

この話は聞いたものでなく、実際に見た光景である。

 

追録

このスキー行は、いわき市から早朝出発のために、横浜市から参加のスキィヤーは、客人として、佐渡の浜ちゃん≠フ小名浜賃貸宿舎に客人で宿泊の提供を受けた。

風呂の際に、石鹸が見当たらなくて,洗い場にプラスチックボトルがあった。

トニックシャンプー≠ェあったので,それで体を洗いだした。

それを使用するとスウスウとさわやかな感じがした。

小名浜の人は,石鹸の代用にトニックシャンプーで、スウスウとボディシャンプーするものかとおもいつつ使用したという。

しかし、やがて、スウスウからスースーとなって肌寒くなり、あわてて、洗い落として浴槽に入ったという。

浴槽に入っても、温まることがないので、目に入ったバスクリン≠入れたが、体がスースーして冷える感じがするので、バスクリン≠どんどん追加し、浴槽の湯は、濃い緑になっていた。

それでも体が温まららないので諦めて風呂を終え、即ちに布団に入ったが、体がスースーし、寒くて寒くて、朝まで寝られなかったという。

その後、佐渡の浜ちゃん≠ェ、入浴しようとして浴槽の色を見てびっくり。

横浜の客人に、大切な抹茶≠風呂に使われたと早合点し、「抹茶≠風呂へ入れたのか?」と言われ、客の横浜の人は、呆然としたそうである。

「どうりで! あたたまららかったのは、それでか!」と横浜の人はおもった。

抹茶≠ヘ、飲むもので、抹茶≠フ風呂には石川五右衛門でも入浴したという話は聞いていない。

「抹茶≠浴室におくなんて、考えてもいなかった!」と言った横浜の人。

抹茶≠フ缶が、空っぽになってしまったと思い違いの佐渡の浜ちゃん=B

「あの抹茶は高いんだぞ!、分かりそうなもんだ!」と、外国の歌(のばら等)を原語でも歌う佐渡の浜ちゃん≠ヘ怒った。

抹茶≠フラベルは、日本語で書いてあるだろうが、入浴剤がメイドインニューヨークか、トニックシャンプーがメイドインジャパンか、メイドインアメリカか、メイドインフランスかは知らない。

一宿一飯の恩義とはいうが、横浜の人、小名浜にいる佐渡の浜ちゃん≠ノはかなわない。

佐渡の浜ちゃん≠ヘ、「佐渡を独立させる」のが生涯の目標ということも聞いた。

初代大統領は、佐渡の浜ちゃん≠オかいない。太刀打ちできる候補を探すことは困難である。

 

佐渡の浜ちゃん≠ヘ、比類のない異人である。 

 

この話は、見たものでなく、ホテルでの夕食時にそばにいて、当事者から実際に聞いたものである。

 

酒風呂は体に良いというので、ビール風呂として試しに入浴したことがあるが、寒くなってしまった体験があるので、横浜人の寒さを観じたことは、いくらかを理解ができる。

ビール風呂は、体の汚れが良く落ちて洗剤無用のような気がしたが、トニックシャンプーを石鹸代りボディシャンプーには向かないようである。

しかし、いずれも冬季にトライすることは避けるべきである。

抹茶を風呂に使うなどは勿体ないので絶対におすすめは出来ません。

トニックシャンプーはヘアに、ビールは口から飲んで咽喉から胃へと平常な用途にすべきである。

 

巻尾

ところかわれば。

                                                                     挿話聞録  2003年10月22日

 

 

【びっくり】

 自然から学ぶことは多い。

   雪なし地域のいわきの人が、雪上に立って、景色を見て、スキーをやることで、いろいろ学ぶことは格別の感がある。

雪なし地域のスキーヤーが、長くスキーをやっていれば、スキーの操作は簡単になる。

スキーイングの爽快感は別としても、雪なし地域のスキーヤーがスキー場でみた光景で、雪が解けても、理解ができないスキーヤーの行動を見ることが多く、スキー場のチェアリフトやゴンドラリフトのシート、スキー行からの帰り道の車中、そして帰宅してからの話題では、スキーを何倍にも楽しむことができる。

雪なし地域のスキーヤー栗胡桃太郎は、スキーの基地を山形県栗子国際スキー場としている。

いくら、地上の星でも、雪上の星にはなれない。

スキーでは、びっくりすることも楽しみであるが、別なことでびっくり仰天したスキー行でもあった。

こんなスキーヤー見たことない。

 

 びっくり≠ニは、不意のできごとに驚くさまで、はっとして、こころがわずかに動くほどである。

びっくり仰天≠ニは、びっくりを超え、こころが浮揚するほどである。

「また、いっしょにすべりましょう」と、言われることは、スキーヤーとしては勲章ものだ。

スキーの技術と技能の習得するのは目的ではなく、手段である。

 

雪上の星 

雪上の一日で生まれた出会いの人。

雪なし地域のスキーヤーがスキーを通して出会った方々は貴重な存在、手に入れた宝は、鴎盟の友。

「いわきスキーフレンズ」と命名して良かったと思う二十年。

 スキーは心身のバランスを保つ比類のないスポーツ

                                                                             200X年 月 日    記

2004.3.15(再々載)