序論
[文学史の対象][芸術的文学と学問的著作との違い][文学の意義][ロシア文学の思想の豊かさと芸術的価値][目次]
文学史の対象
私たちの研究の対象は、芸術文学である。学問的な芸術文学は、その内容に、人生、人生の中で人間にとって関心のあるすべてのものが含まれている。アレクセイ・マクシモーヴィチ・ゴーリキーは、こう書いている。「ありとあらゆる多様な努力と活動をする人たちは、すべて芸術文学の素材となりうる。しかし、人間は、自らを取り巻く世界の中に生き活動するので、芸術文学の作品の中には、自然も人間によって創られた物質文化も現れる。これらすべてのものが、人々の性格描写や彼らの人生の在り方に役立っている。」
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芸術文学と学問的著作との違い
芸術文学と学問的著作との違いを、ロシアの偉大な作家であり批評家である、Н.Г.チェルヌイシェフスキーは、次のように定義した。「学問的著作の主な目的は、何らかの学問の正確な知識を伝えることであるが、優美な文学作品の本質は、想像力を働かせて、読者に高潔な思想や感情を呼び起こすことである。もう一つの違いは、学問的著作では、現実に起こった出来事を叙述する、つまり、現実に存在したあるいは存在しているものを叙述するが、優美な文学作品は、様々な状況の中で、人々がどう感じどう振る舞うかを例を挙げて生き生きと描写する。そして、この例の大部分は、作家自らの想像力によって生み出される。この違いを次のような言葉で簡潔に表現することができる。「学問的著作は、まさに存在したあるいは存在することについて語り、優雅な文学作品は、世の中で常にあるいは普通どのようなことが起こるかを物語る。」芸術作品は、一幅の人生の絵画を与え、それを写生的な仕方で映し出す。作家はペンで、あたかも現実に蘇ったかのような姿を創造し、私たちはその主人公たちを生きているかのように見る。 芸術作品を読みながら、作家によって描かれている人生を体現し、共感や愛を呼び起こす。一人の主人公の側に立って、他の人々に対して嫌悪を抱き嘲笑する。
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文学の意味
芸術的に描かれた人の人生の絵画は、私たちの頭脳を豊かにし、感情を揺り動かし、私たちを行動へと、作品の中に表現された高潔な理性や感情に駆り立てられ、人生において具体的な方向へと向かわせる。 芸術文学において、様々な時代の様々な人々の人生が、あらゆる多様性の中で、私たちの前に明らかにされる。 このように、ロシアの芸術文学の作品の中では、様々なロシアの歴史時代の人々の生活の姿が明らかにされる。古代ロシアの生活の特徴は、例えば、プーシキンの「オリガのことどもの歌(Песни о вещем Олеге)」の中に表現されているし、16世紀の人々の生活習慣については、レールモントフの「商人カラシュニコフの歌(Песня про купца Калашников)」が物語っている。農奴制の暗い時代のことは、プーシキンの「ドゥブローフスキー(Дубровский)」やツルゲーネフの「ムーマ(Мума)」などに描かれている。過去において、祖国の独立のために戦った、私たちの祖国の勇敢な息子たちのヒロイズムについては、プーシキンの「ポルタヴァ(Полтава)」やゴーゴリの「タラス・ブーリバ(Тарас Бульба)」、トルストイの「戦争と平和」のような作品の中で語られている。 ソビエト政権の確立のための労働大衆の闘争は、フルマーノフの短編「チャパーエフ(Чапаев)」やオストロフスキーの長編「鋼鉄はいかに鍛えられたか(Как закалялась сталь)」その他のソビエト文学の作品の中に、明らかに描かれている。 А.М.ゴーリキーは、芸術文学が、どれほどの喜びを労働大衆に与えたかを、世界にいかに目を開かれたかを語っている。「何かお話の本は、あたかも、不思議な鳥たちのように・・・人生がいかに多様で豊かであるか、善や美を志向する人々がいかに大胆であるかを歌った。」 チェルヌイシェフスキーは、こう語っている。「詩人たちは、人々を人生における高潔な観念へと、高潔な感情表現へと導く。彼らの作品を読みながら、私たちは、低俗で悪いすべてのものを避け、善き美しいすべてのものの魅力を理解し、あらゆる高潔なものを愛するようになる。それらを読むと、私たち自身も、より善くより善良に、より高潔になる。」 このように、文学は、第一に、チェルヌイシェフスキーが呼んだように「人生の教科書」である。文学は、私たちの人生についての考えを豊かにする。 第二に、文学は、人々を育み、人に崇高で高潔な観念や感情を植え付け、困難に立ち向かい、民衆の自由と幸福への戦いへの志向を高める「人生の導き手」である。 同時に、芸術の一形態--言葉の芸術であり、文学は人間に美の感情を生じさせ、人に作家の創りだした人生そのものの美や芸術的言語の美、文学形式、人生の姿を見、理解することを教える。
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ロシア文学の思想の豊かさと芸術的価値
文学作品の社会的及び芸術的価値は、作家が、自らの作品の中に、どれだけ深く正しく人生を投影しているか、彼らの理想的な志向がどれほど崇高であるか、作品の中に提出された問題が、人々にとってどれだけ重要であるかによって決まる。しかし、これだけではない。文学作品が、真に芸術的であるためには、作家の高い技量、人間やその行動、人間を取り巻く環境(物や自然など)を、それらすべてを私たちが生き生きと目の前にあるかのごとく感じられるように描く能力が必要とされる。 文学が、深い思想を宿し、芸術的に完全になるのに必要な条件は、民衆の作品とのつながりにある。芸術の発展における民衆の作品の役割について、М.И.カリーニンはこう語った。「最も才能ある詩人、最も天賦の才に恵まれた作曲家たちは、彼らが民衆の作品と触れたとき、民衆の起源へと向かうときだけ、自らの作品に天才が現れる。(М.И.カリーニン「社会主義文化の問題について(О вопросах социалистической культуры)」) 「イーゴリ軍記(Слово о полку Игореве)」の作者から始まって、優れたロシアの作家たちは、民衆の詩を自らの作品の基礎とし、それを芸術的に反映させ、民衆の生活状況や民衆の思想、感情や志向、よりよき運命を求めて戦う民衆、労働大衆の自らの敵、迫害者すべてに対する最終的な勝利への信念を正しく見定めていた。民衆の口承文学作品は、А.М.ゴーリキーの主張によれば、「文字で書かれた文学作品に、絶えず明確に、最も強力な影響を及ぼしてきた。」 民衆への奉仕--それが真の作家の義務である。民族性--それが最も価値ある文学の本質である。私たちが民衆的であると見なすことのできる作家は、自らの作品の中に、労働大衆にとって重要な意味を持つような問題を立てる。彼は、これらの問題を、労働大衆の関心の中で解決し、民衆の精神的発展を促し、内容を大衆の理解できる言葉で表現形式を満たす。 ロシア文学は、その自らの出現と共に、国家の社会政治的生活と緊密な関係の中で発達した。 18世紀末から、作家であり革命家である作品の中で、初めて--А.Н.ラジーシチェフの作品の中では、進歩的なロシア文学は新しい価値ある性質を獲得している。--革命的解放運動と緊密なつながりを持つ。労働大衆と祖国への愛に貫かれて、進歩的ロシア文学は、熱烈に、自由、正義、人への敬意といった理念を擁護し、あらゆる種類の人間の奴隷化や侮辱に対する闘争を先導した。 ロシアの古典文学は、祖国への忠誠、堅忍不抜、剛勇といった国民的性格の特徴を民衆に呼び起こす手段であったし、今でもそうである。 凶悪な敵が、1941年、モスクワを占領したとき、私たち国民の最も愛すべきものの一つが、レールモントフの愛国的な詩、「ボロジノ(Бородино)」であった。詩の戦争とは別の戦いであり、自らの社会主義の祖国を守っている国民は、1812年の民衆ではなかったが、レールモントフの詩は、ソビエトの人々の魂の中に、生き生きとした共感を呼び起こした。 「ボロジノ」の詩の抜粋が、画家の挿し絵入りで「タスの窓(окно ТАСС)」という新聞のページに引用掲載された。人々は、塹壕の通信(新聞)にその呼びかけを引用した。 私たちの文学の新しい高い段階は、ソビエト時代に始まった。偉大なる十月社会主義革命は、私たちの祖国の労働大衆に完全な自由をもたらし、彼らの創造力を呼び起こし、まさに、そのことが世界で最も思想的で進歩的な文学として、最も偉大な芸術文化の開花の条件を創りだした。
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