[センチメンタリズム][ロシアセンチメンタリズムの独自性][農奴にされた農民の作品]

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センチメンタリズム

 18世紀70年代後半に生じ、その世紀の終わりにかけてロシア文学に新しい文学の傾向--センチメンタリズムが発展する。
 センチメンタリズムは、古典主義同様、全ヨーロッパでの芸術及び文学の傾向であって、それぞれの国で独自の国家的特徴を持っていた。
 センチメンタリズムの作家たちは、描写の中心に、一般民衆の日々の生活、その一人一人の精神的(心的)体験、その感情と気分とを置いた。
 センチメンタリズムは、古典主義の厳格な規則を放棄した。自らの作品を創造するにあたり、センチメンタリズムの作家たちは、自らの感情と創作の想像力、自らの芸術的嗜好に基づき、彼によって描かれた人々や出来事と自らの関係を公然と認め強調し、自らが行動している人物になったり、重要な登場人物となったりすることさえある。(旅行記のジャンルでは)
 センチメンタリズムの主なジャンルは、家庭生活を題材とする長編小説、「感傷的な中編小説(чувствительная повесть)」、旅行記、挽歌、「涙の喜劇(слезная комедия)」(劇的な内容を喜劇に盛り込んだもの)である。
 センチメンタリストの作品は、普通、手紙、日記、告白文で書かれた。そうすることで、主人公たちの心的世界を、より広くより深く明らかにする可能性が与えられた。
 古典主義者たちの作品は、主として韻文、詩作品であった。センチメンタリストは、文学に広く芸術的散文を採り入れた。
 センチメンタリストたちの作品の活動の場は、普通、小さな地方の都市や村である。村の民衆の自然のままの性格が、センチメンタリストたちの作品の中では、目に見える場所を占めている。この特別の配慮は、思考や沈思黙考する場所として与えられた。廃墟、墓地、未開の荒涼とした人気のない土地などに。
 自然の描写は、センチメンタリストの作家たちの感受性に富んだ魂、心の体験と結びつけてなされている。

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ロシアセンチメンタリズムの独自性

 ロシアでは、文学傾向としてセンチメンタリズムが現れた時期、西ヨーロッパ諸国とは別の社会的政治的事情があった。経済的政治的権力は、これまで通り貴族地主の手の中にあった。それ故に、西方諸国のようなブルジョワジーではなく、貴族階級が新しい文学傾向の主な創始者となった。人々をひどく驚かせたプガチョフの乱は、地主と農奴農民との間の矛盾がいかに大きいかを示すことになり、貴族の作家たち--新しい文学傾向、センチメンタリズムの代表者--は、自らの作品の中で、これらの激しい対立を和らげようとし、自らの運命に十分満足した「感じやすい農民(чувствительные поселяне)」の心的経験を描いた。ロシアセンチメンタリストたちのそうした芸術的表現によって、読者の関心は、心的経験の範囲内での社会生活の世界から、道徳教育による問題の解決への向かうようになった。彼らは、すべての人々は社会的な状況にもかかわらず、最も崇高で美しい感情を生じさせることができるという考えを発達させた。しかし、一度そのようになれば、社会的に関係するすべての人々が同じ好みを享受するわけではないことに悲観したり激昂したりする必要はない。どんな社会的身分にあっても、人は自らの精神世界で幸福になることができる。こうして、彼らは様々に「農民でさえ愛することができる(и крестьянки любить умеют)」、自然の美を歓喜することができる、そして農民の中にも心の寛い人がいることを強調する。「いかなる状況にあっても、人はバラの花に喜びを見いだすことができる。(Во всяком состоянии человек может найти розы удовольствия)」--とロシアセンチメンタリストの旗手、Н.М.カラムジンは主張した。もし、農民たちに人生の喜びが理解できるのなら、それは国家や社会制度の変革を通してではなく、人々の道徳教育による社会全体の安寧福祉への道が横たわっている。
 例えば、カラムジンは自らの生活に満足し自らの貴族地主を誉め讃える農奴農民を描いている。こうして、「村の喜劇(Сельская комедия)」の終わりで農民たちは合唱で歌う。

  どうして俺たちが歌わないことがあろう、俺たちは幸福だ
  俺たちは父親たる地主貴族を誉め讃える
  俺たちの言葉は美しくない
  だが、心で感じている
     都会の奴らは俺たちより賢い
     彼らの技能は話すこと
     俺たちに何ができる?
     力ある恩人を愛すること
   (Как не петь нам. Мы счастливы.
    Славим барина-отца.
    Наши речи некрасивы.
    Но чувствительны сердца.
       Горожане нас умнее.
       Их искусство -- говорить.
       Что ж умнее мы? Сильнее
       Влагодетелей любить.)

 ロシアセンチメンタリズムの独自性というのは、このように貴族的保守的なものであった。

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農奴にされた農民の作品

 農奴農民自らの生活、貴族地主との真の関係を、農民自らが創造した文学で表現した。残念なことに、そうした作品は私たちには少ししか伝わっていないが。当時の農民は文盲であったし、農民の作家にとっては支配階級に属する印刷所で書物を印刷するなどということは不可能であったから。貴族や権力による彼らの作品の迫害がこの原因を説明するだろう。しかし、保存された作品は、生き生きと真に農奴にされた多くの農民の生活や気分を描写し、民衆の中に潜んでいた貴族地主への階級的な憎悪を表現豊かに物語っている。
 こうした農民の作品の中で最も著名なのが18世紀60年代の正に終わりに無名の農民の召使いによって生み出された「農奴の嘆き(Плач холопов)」である。

  あぁ!悲しみの我ら農奴、主人たちのために生きる!
  そして、彼らの残忍さにどう仕えてよいか分からない!--
    (О!Горе нам, холопам, за господами жить!
     И не знаем, как их свирепству служить!--)

 「嘆き(Плач)」は、こう始まる。農民の生活を描きながら、著者は彼らの完全な無法状態について語る。彼らは殴打され、むち打たれる。たとえ地主貴族が「召使いを殺しても(умертвит слугу)」、その場合でも、彼(貴族地主)は罪に問われない。「奴隷のそうした密告を信じることは禁じられていた(холопьему доносу и в том верить не велено)」が故に。農民の労働によって得られたすべてを貴族地主は自らのものとして奪い取る。「しかも、彼らを怒らせると、父の遺産さえも奪い去る(а когда прогневишь их, так отымут и отцовское наследство)」「移住させられたものすべてを通せ--惨めな生活はそんなものではない(Пройди всю подселенную -- нет такова житья мерзкого!)」--「嘆き」の著者は自らの結論をこう導く。
 あらゆる権力を地主貴族は握り、それには際限がない。

  ネヴァ川の水のように、彼らの権力は増大する
  どこにおまえが顔を見せようとも、至る所、主人たち!
    (Власть их увеличилась, как в Неве вода.
     Куда бы ты не сунься, везде господа!)

 法も裁きも主人たちは考慮せず、それがために至るところ不正が横行する。たとえ主人が「10000(ルーブル)盗んだとしても(украдет хоть тысяч десять)」、知事は主人を正しいと認め、「たとえ主人の1グロシュ銅貨(2コペイカ)を盗んだとしても、そのものはシラミのように死刑の命が下される(а если украдет господский один грош, указом повелят убуть, как вошь)」「貴族の特権に関する勅令を(Указом о вольности дворянству)」利用して、地主貴族たちは自らの領地に閉じこもり、何もぜず農奴たちを苦しめるだけ。

  残忍な眼差しで俺らを見つめ
  錆が鉄を犯すように我らを食う
  ツァーリに仕えることなど一人も欲せず
  ただ、我ら劣ったものを苦しめるだけ
    (Свирепо на нас глазами глядят,
     И так, как бы ржа железо, едят.
     Царю послужить ни один не хочет.
     Лишь только у нас последнее точит.)

 しかし、「嘆き」の中には、不幸な生活への不満だけでなく、社会の不公平に対する抗議が響いており、自由への夢、暴君貴族地主への民衆の報復の秘められた夢とが表現されている。

  あぁ、自由が我ら愛しい兄弟たちのものになったなら、
  我らは土地も草原もいらない
  我ら愛しい兄弟たちは軍務に赴き
  自らの友情を育み
  あらゆる不正をなくし
  邪悪な主人を根こそぎにするだろう
    (Ах, когда б нам, братцы, учинилась воля,
     Мы б себе не взяли ни земли, ни поля,
     Пошли б мы, братцы, в солдатскую службу,
     И сделали б между собою дружбу,
     Всякую неправду стали б выводить
     И злых господ корень переводить)

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