目次
[MUSICA MUNDANA No.60] 2006年01月30日 発行
 
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 「MUSICA MUNDANA No.60」をお届けします。

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           MUSICA MUNDANA NO.60
             Jan.30.2006
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             ◆ 目次 ◆

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 ◎ 音楽史
    ◆典礼劇(その1)◆
 ◎ 数学史
    ◆インドと西洋との交流◆
 ◎ Homepage Updated (Jan.25.2006)
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 ◎ 随想
 ◎ あとがき
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━━[音楽史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆典礼劇(その1)◆

 モノフォニーの聖マルティアリス(サンマルシャル)写本の最も初期のも
の、Bibl.Nat.lat.1240,(900年頃)と、恐らくリモージュ(Limoges)で編纂
された写本の一つには、きわめて重要な復活祭のミサのトロープス「墓場
で誰を捜しているのか、おぉ、キリストの信者たちよ(Quem queritis in
sepulchro, O Christicole?)」を含んでいます。それは、空の墓場にいる
天使と三人のマリアとの対話です。

  あなたたちは、墓場で誰を捜しているのか、おぉ、キリストの信者た
 ちよ?
   十字架にかけられたナザレのイエスです。おぉ、天の人よ。
  彼はここにはいない。彼は自ら予言したとおり天に上げられた。行っ
 て、彼は天に上げられたと、こう言って伝えなさい。
   アレルヤ、主は今日天に上げられた。強き獅子、
    神の御子キリストは。神に感謝し「エイア(eia)」を歌いなさい。
  来て、主の横たわっていたところを見なさい。アレルヤ、アレルヤ。
   はやく行って、使徒たちに主は天に上げられたと伝えなさい。
          アレルヤ、アレルヤ。
   主は墓場から天に上げられた。私たちのために十字架にかけられた
  主は。
             アレルヤ。

その後、ミサ・イントロイト(Mass Introit)「彼は蘇られり、そして今な
お我は汝と共にいる(Resurrexi, et adhuc tecum sum.)」のためのキュー
「彼は蘇られり(Resurrexi...)」が続きます。疑いなく、トロープスその
ものは、アンティフォナーレのように歌われたでしょう。ロマーヌス
(Romanus)(500年頃)のキリスト降誕のコンタキオン(kontakion)と、シリア
教会の賛美歌の中では恐らくずっと初期のものであると思われる7世紀の
エルサレムの大司教、ソフロニウス(Sophronius)のキリスト降誕のトロパ
リオン(troparia)の中に、福音書に書かれた物語のそうした対話の翻案で
あるビザンティウムでの先例がありました。

しかし、「Quem queritis」は、すぐに大人気を博します。それには、かな
り十分な理由がありました。50年も経たないうちに、ミサ・イントロイ
トの前から朝課(Matins)の終わりに移されます。そして、そこでは、単に
歌われただけでなく、劇として上演されたのです。これは、フリュリ-シュ
ール-ロワール(Fleury-sur-Loire)とゲント(ヘント)(Ghent)で最初に上
演されたように思えます。そこからウィンチェスターに引き継がれました。

幸運なことに、有名な二つのトロープスの一つ、Oxford.Bodl.755(1000年
頃)には、ウィンチェスターのテキストと音楽だけでなく、ウィンチェスタ
ーの司教であるエセルヴォルト(Ethelwold)によって、970年頃発行された
「コンコルディア・レグラリス(Concordia Regularis)」の中の「舞台指示
(ト書き)」も含まれています。エセルヴォルトは、この劇の目的は、
「学識のない人々の信仰心を強化すること」であったと説明しています。

一人の修道士が白装束で棕櫚の葉を持って、第三日課(third lesson)の間
に入り「墓」のそばに座ることになっています。第三応唱聖歌(third
respond)の間に、別の三人がコープ(マント形の大外衣)を身にまとい香
炉を持って何かを探しに現れ、墓に入って「天使」に近づきます。対話は
そこから始まります。「天使」が「来てその場所を見よ(Venite et videte
locum)」と歌い、「女たち」に聖金曜日に十字架のくるまれた布を見せま
す。彼女らは、順番に香炉を置きながら、空の布を他の聖職者に見せるで
しょう。次に、彼女らは、「主は復活したもうた(Surrexit Dominus)」を
歌い、祭壇の上に布を横たえます。その上で、小修道院長が、「汝、神を
我らは誉め称えん(Te Deum Laudamus)」を歌い始め、「すべての鐘が一斉
に鳴り響く。」のです。

━━[数学史] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆インドと西洋との交流◆

 AD500年からAD1000年までの5世紀は、全般に、西洋からインドというよ
りむしろインドから西洋に数学が伝わるという現象が見られます。ヨーロ
ッパは、知的に冬眠状態にありました。一方、東洋のほとんどは、相変わ
らず迷信的であったとしても、好奇心に満ちあふれていました。このため、
この時期の著作は、先ず、東洋で現れたと考えるのが自然でしょう。しか
し、暗黒時代であっても、西洋は、後期のギリシア文化を、東洋に、中国
や恐らくインドの知的中心地に、その足跡を残しながら影響を及ぼし続け
ました。

 こうした交流は、交易(商業)に限りますと、計算技術に影響を及ぼし
ました。一方、巡礼の旅や軍の活動は、結果として、天文学と抽象数学と
の知識の交流をもたらしました。さらに、聖職者(僧侶)たちは、その余
暇を数学の研究に注ぎ、彼らはしばしば天文学者となり、専門の占星術師
として、宮廷で影響力を持ち、あるいは一般の官吏として必要な人々とみ
なされていました。軍隊が行くところ、数学の知識も付いてまわりました。
占星家たちは、こうして他国の占星家の意見を求めました。巡歴する商人、
巡礼、そして軍隊は、古代すべての時代と通じて、思想の交流の手段であ
りました。ちょうど今日、書物や雑誌がそれに対応するメディアであるよ
うに。

 この時代、私たちが持っている交流の多くの証拠の中で、主なものをい
くつか取り上げてみましょう。518年の仏教の巡礼者、恵生(Hui sing)がい
ます。7世紀のある時期には、サンスクリットの暦が中国語に翻訳されま
す。615年には、一人のアラブの使節が中国を訪れます。618年には、ヒン
ドゥーの天文学者が、新しい暦を考案するために、中国の天文局(Bureau
of Astronomy)に雇われました。629年には、玄奘(Huan-tsang)が、インド
に赴き、645年に帰国後、生涯をインドからもたらした657ものヒンドゥ
ーの著作の翻訳に生涯を捧げました。636年には、中国の記録によれば、
アロペン(A-lo-pen)と呼ばれるローマの聖職者が、中国の首都にきていま
す。

そして、7世紀の終わりには、仏教徒の巡礼者が広東からジャワとスマト
ラに航海します。8世紀には、アラブの使節が、数回、特に、713年、726
年、756年に、また、その後にも訪れています。719年には、一人の使節が、
ローマから中国の宮廷に送られました。713年と 825年との間、大排水量の
外国船が広東を訪れ、その当時、そこに重要な税関が存在していたことが
知られています。755年頃、地理学者、賈耽(Kia Tan)(730-805)は、広東か
らペルシアに至る航海路を書いています。

800 年頃、世界の数学の中心にバグダードが急速になりつつあった時、中
国人は、ア・ルン(A-lun)(ハルン・アル・ラシド(Harun al-Rashid))の
使節の訪問を受けました。唐王朝(618-907)の記録には、アラビア人(Ta-
shi)への言及が数多くあり、12世紀まで、中国人とこれらの人々との交
流が、しばしば語られています。マスディ(Masudi)(956年、カイロで没
す)は、有名なアラビアの地理学者、歴史学者であり、インド、セイロン
と中国を 915年に訪れ、彼の「黄金の牧草(Meadow of Gold)は、これらの
国々のことが述べられており、よく知られています。

こうした証拠から、中国は、中国の著しい活動期以前に、西洋の数学の状
況を知っていた可能性があるのかどうか、また、他方、西洋は、東洋の進
歩について、何か知ることができたのかという問題に簡単に解答を出すこ
とができるでしょう。その答えは、それぞれが、それぞれ互いのことを知
っていなければ、かなり奇妙な結果になっただろうということです。

━━[随想] ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 ◆カンタベリー大聖堂(その2)◆

 宗教改革の時期には、カンタベリーには、一連の優れた大司教が現れた。
その一人がトーマス・クランマー(Thomas Cranmer)で、最初の2冊の祈祷
書を編集し、イギリスの教会及び世界中のアングリカン教会の礼拝の伝統
を確立した。

 枢機卿ポウル(Pole)は、メアリー1世統治時代、カトリック復古時代の
大司教であり、マシュー・パーカー(Matthew Parker)とジョン・ホイット
ギフト(John Whitgift)は、エリザベス1世時代の偉大な司教であった。

 清教徒革命で、大聖堂は、ピューリタンによって略奪され(1642)、大聖
堂参事会は解散させられた。イギリス教会が再び確立され、大聖堂に生命
が蘇ったのは、1660年の王政復古の時である。建物は修理され、日々の礼
拝が再開され、参事会が再び組織された。

 19世紀の半ばまで、ほとんど変化はなかったが、19世紀の半ばにな
ると、一連の精力的な大司教、また同様に活発な参事会長が現れ、大聖堂
の生活の変革を始めた。

 20世紀になると、大聖堂の大修復が行われ、巡礼の復活(現在、全世
界的な規模で)、典礼儀式の再構成や大聖堂の音楽の大復興がなされてい
る。大司教の中で優れた人に、ウィリアム・テンプル(William Temple)が
いる。また、国際的名声を博した参事会長にジョージ・ベル(George Bell)、
ディック・シェパード(Dick Sheppard)、ヒューレット・ジョンソン
(Hewlett Johnson)(レッド・ディーン(the Red Dean))がいる。

 1982年にヨハネ・パウロ2世がカンタベリーを訪問し、大司教ロバート
・ランシー(Robert Runcie)と、聖トーマス・ベケットが殉教した場所で祈
りを捧げた。

 大聖堂は、世界中の大聖堂や教会とつながりを保っている。歴史的にも
現代も、特別な関係が、ノルマンディのアベイエ・ノートルダム、ル・ベ
ック・フルアン(the Abbaye Notre Dame, Le Bec-Hellouin, in Normandy)
- 普通には、単にベック(Bec)とだけ言われる - にはある。

 ケアン(Caen)の聖スティーヴァン大修道院長ランフラン(Lanfranc)大司
教は、以前はベックのプライア(次長)であったが、1070年に大聖堂の修
道院計画をたて、最初の偉大なロマネスク教会を残した。彼の後継者大修
道院長ベックのアンセルムは、- カンタベリーで最も偉大な大司教とも言
えるが - 1093年に彼の後を継いだ。

 2人とも大聖堂のその名の刻まれた石の下に埋葬されている。聖マーチ
ン礼拝堂にはランフランが、彼の名に捧げられた(聖アンセルム)礼拝堂に
は聖アンセルムが。今日、温かい関係がベックのコミュニティとの間に存
在する。これはモナステレ・セント・フランソワ-ロメヌ(Monastere
Sainte Francoise-Romaine)の同じ渓谷に住んでいる尼僧たちの姉妹コミュ
ニティを含んでいる。ベックの大修道院長は、彼女たちも統轄している。
私たちの共通の精神的関心は、ちょうど11世紀の修道士たちがそうであ
ったように、教会の統一であり、巡礼(訪問)者が2つのコミュニティの
間をしばしば行き来することである。

━━[催し物情報]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

●「巨匠デ・キリコ展」
  日時:2/4(土)〜3/21(祝) 9時30分〜17時
  場所:県立近代美術館
  料金:一般600円、高校・大学生450円、小・中学生300円
  問い合わせ先:県立近代美術館 088-668-1088

 徳島県立博物館の催し物情報は、以下のサイトをご覧ください。
      http://www.museum.comet.go.jp/

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━━[Homepage Updated]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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 重くて仕方のない方は、[SIMPLE版]をご覧ください。

━━[あとがき]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 2006年も、はや1ヶ月過ぎました。特に何もないのですが、今年は、
これまでより、少し気持ち的にゆったりとした人生を歩んでみたいなと思
ったりしています。気持ちに余裕がないと、なかなかうまくいかないこと
も多かったりするもので。

 どんなふうになるかは、まだこれからで、分かりませんが。

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