ローマの典礼:聖歌の業(わざ)

[オリジナルの旋律] [旋律型] [寄せ集められた旋律][言葉の彩り、表現と劇的効果][演奏]

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君の詩 〜あの頃のあの詩をもう一度〜 大丸のバレンタインデー
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 サンデー・タイムズ(Sunday Times)誌の記事の一つに、アーネスト・ニューマン(Ernest Newman)はこう書いている。「シベリウスは、他のどの作曲家たちとも同じように、無意識的に、自分の思想をたとえ隠された形式であれ、彼の書くすべてのものが回帰する十かそこらの定型の連続に収まっていく。」
 グレゴリオ聖歌の技芸家たちは、意識的に組織として、同じ仕方で多くのことをしている。彼らが導き出す尊い旋律の定型や、それらを利用するための決まった手続きの共通した蓄積があった。彼らはオリジナルなものや個人として直接自らを表現しようとはせず、共通の目的--ad majorem Dei gloriam(神の最大の栄光に)典礼を豊かなものにしようと仕事をした。しかし、彼らは個人であることから逃れ得なかった。私たちは、どんな人間の感触がその適用されたテキストや旋律の中に入っていったか、どんなインスピレーションが新しく作曲された旋律の中に入り込んでいるのかは、推測ができるだけであるが。
 彼らの作品は、3つに分類される。a) オリジナルなもの、すなわち自由な旋律。b) 多くの異なるテキストに付けられた旋律型。c) 伝統的な定型から寄せ集められて作られた旋律。

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オリジナルの旋律

 オリジナルの旋律は、すべての中で最も数が多い。それらはミサや聖務日課の基本的な聖歌であり、非常に尊い伝統遺産に自ら自身が何かを付け加えるというよりは、新しい祝祭日のために音楽が要求されたとき、後の作曲家たちが頼りにする宝庫を形成していった。もちろん、オリジナルの旋律は、特に初めと終わりのカデンツァにおいては、共通の定型の蓄積に基づいて作られた。これらは、大修道院長フェッレッティ(Ferretti)が言うように、その(音楽の)絵画の枠組みであった。彼は、自らの書「グレゴリオ聖歌の美学(Aestetica Gregoriana)」の中で、あるオリジナルの旋律、荘重なしばしば引用されたオッフェルトリウム(Offertory)、Jubilate Deo universa terra (エピファニー後の第二日曜日)の例を分析している。それは非常によく似た定型で始まり、第二の jubilate で崇高なクライマックスに達し、Deo universa terra で、それらの言葉と最初に関連するテーマを繰り返し発展する。nomini, omnes と Venite, audite, et のフレーズも注目すべきだろう。

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旋律型

 オリジナルの旋律は、この種の作曲において新しいテキストに適合させる型、あるいはモデルとして使われる。ジュヴェール(Gevaert)は、その数が1200を超えるアンティフォン(交唱)の旋律を47のタイプに減らし、ドン・モケロー(Dom Mocquereau)は、第一旋法の型であるアンティフォン Tu es pastor ovium の音調の研究において、一つの写本の中のこのアンティフォンに関して、75ものヴァリエーションがあることに注意を喚起している。同じプロセスが、ずっと小規模ではあるが、グラドゥアーレでも用いられ、読者は、その例として第4旋法の二つのオッフェルトリウム(Offertories)、Afferentur regi virgines(型)とExultabunt sancti(適用)、あるいは、第2旋法の二つのグラドゥアーレ Justus ut palma(型)と Angelis suis(適用)とを比較すればよいだろう。

  譜例 14

 当然、ミサの聖歌を適用するよりアンティフォンを適用する方により大きな自由が可能であった。大修道院長のフェッレッティ(Ferretti)は、図で、どのようにアンティフォンの型である Omnes de Saba が新しいテキストの必要性に応じて、ある音を加えたり省略したりして、21のアンティフォンに適用されたかを示している。私は、上(の譜例)に、旋律の型として、Tu es pastor ovium の旋律型が適用された二つの例を挙げている。

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寄せ集められた旋律

 チェントーネ(Centone)というのは、パッチワークあるいはキルトの意味のイタリア語であり、アンティフォンやレスポンソリー、イントロイトにグラドゥアーレ、そして、この技法を用いるグレゴリオ聖歌のレパートリーのテキストと音楽に類似した意味で用いられる。典礼のテキストの寄せ集めの一つの例として、フェッレッティは、詩編1から取られたテキストの灰の水曜日(Ash Wednesday)のミサのコムニオン(聖体拝領)・アンティフォンを引用している。詩編のイタリック体で示された言葉で作られた素材の合成は、非常に巧みになされている。
オリジナルの詩編 コムーニオン(寄せ集めのテキスト)
 V1 Beatus vir qui non abiit
 V2 Sed in lege Domini
    Voluntas eius, et in lege eius
    meditabitur die ac nocte
 V3 Et erit tamquam lignum quod
    plantatum est secus decursus
    aquarum, quod fructum
    suum dabit in tempore suo
 Qui meditabitur in
 lege Domini die ac nocte,
 dabit fructum suum in
 tempore suo.
 これらの旋律がどのように組み立てられたかを示すために、フェッレッティは、音調(イントネーション)の5つの定型の表と12の中心的な定型とを与え、それらに32の詩のテキストに使用された定型のそれぞれのフレーズに数字を付けている。それから、同様に、彼はさらにそれらの37のものをタブラチュア化している。
 それは、寄せ集められた配列のモザイク状の旋律のこれら断片の若干のよく知られた例をあげることができるだけである。

  譜例 15

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言葉の彩り、表現と劇的効果

 グレゴリオ聖歌の作曲家たちは、典礼への敬意にあふれた人間感情を持った人々であった。もし、詩編が、いわば長い夜の聖務日課でその様々な感情に従って、Jubilateは歓喜に満ちて、De profundisが悲しく歌われたとしたなら、それは耐えられないことだろう。聖歌を歌う流れを乱すことことは、何も許されなかっただろう。言葉は十分その意味を伝え、全体の行動において、「個人的な」表現の入る余地はない。ミサと聖務日課が中心に据えられた祝祭日は、心に留め置かれ、感じられたことは内面で感じられた。にもかかわらず、聖詩朗詠以外の一団として歌う聖歌隊は、単調なレベルの音調では歌わなかっただろう。彼らは、ある曲で表現されたように、テキストと音楽での感情の昂まりと一体となって応えることは避けられないことであったろう。彼らは、Dies iraeに付け加えられた鋭い言葉--「Die Jesu Domine, dona eis requiem」--や Salve Reginaの終わりの言葉--「O clemens, O pia, O dulceis Virgo Maria」--や Ave Verum の「O dulcis, O Jesu fili Mariae」の優しさに応えただろう。
 言葉の彩りに関して、一つの聖歌の中で、ascenditや descenditのような単語は、絵のように設定されるかも知れないが、この意味や他の意味で無視されたというのは本当である。しかし、人はこれらの言葉を表象するような曲を無視することはできない。

  譜例 17

喜びや悲しみは、多くの聖歌で誤りなく明らかにされている。エピファニーのミサ Omnes de Saba のグラドゥアーレの中の「Surge et illuminare」に非常に急上昇するフレーズがある。

  譜例 18

 ペンテコステ後の第20番目の日曜日のミサ Super flumina Babylonis のオッフェルトリウムの嘆きのフレーズの中に、強く心に訴えるものがある。(譜例 19)
 また、いかにひどく悲しみに暮れたかは、聖土曜日の朝課の8番目のレスポンソリウム(Responsory)、O vos omnes で、キジバトの歌がいかに魅惑的であるかは、聖母マリア(B.V.M.)の出現(Apparition of the B.V.M.)の祝祭日のアレルヤの詩の中に例証されている。そうした例はいくつも見られるだろう。

  譜例 19

 劇的な効果については、灰の水曜日に最初に聞かれる詠誦(トラクトゥス)(Tract)の、低いピッチの後に来る Adjuva nos, Deus salutaris noster の突然の叫び、あるいは、聖金曜日の十字架のレスポンソリウム、Tenebrae factae sunt の大きな叫びより印象的なものがあるだろうか。

  譜例 20

 時折、細密画のドラマ全体が、エピファニー後の第3日曜日のミサのコムーニオンのアンティフォンにおいてのように、カナの奇蹟を私たちに演じる。譜例 21 のフレーズは、二度繰り返され、ブドウ酒の良さを強調している。

  譜例 21

 デッカ(Decca)で、ソレムの修道士たちによって歌われた聖歌のレコードと共に発刊された小冊子のドン・ガヤール(Dom Gajard)の注は、何年もの間、日夜歌い続けてきた修道士にとって、その聖歌がどのような意味を持っているかを示している。旋法のそれぞれは、彼にとって特別なエトスを持っており、聖歌のそれぞれの曲は、精神的情感的効果を持っている。彼のコメントは、吟誦(叙事)的であると考えられるかもしれないが、聖歌隊の修道士への聖歌の効果を示しているように、そのコメントは上述の点を考慮に入れると無視されるべきではない。

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演奏

 修道士たちへの指示の中で、クレルヴォの聖ベルナール(St.Bernard of Clairvaux)(1090-1153年)は、聖歌を歌うときに心に留めておくべき理想を述べている。
 聖歌は厳粛に歌いなさい。世俗的に粗野に貧相に歌ってはならない。甘く、しかし軽薄にではなく、耳を喜ばせる一方で心を動かすように歌いなさい。悲しみを和らげ怒りの気持ちを静めるように。言葉の意味を否定するのではなく、むしろそれを高めるように。なぜなら、聖歌の美しさによって感覚の利欲からそらされ、また、歌われたことを私たちが考えるときに、単なる声の表現に私たちの注意を惹きつけたとしても、精神(魂)の恩寵にどんなわずかな損失もないから。
 当然、修道院ごとにこれらの理想への忠実さは異なっていた。ハミルトン・トンプソン教授は、「中世のスコラ・カントールム(Song-School in the Middle Ages)」に次のように書いている。  私たちは、14世紀、アウンドル(Oundle)近くのネネ(Nene)渓谷のコッターストック(Cotterstock)大学で、朝課、晩課その他の時課は、毎日、主祭壇でのその日のミサや聖母マリアのミサと共に聖歌隊で荘厳に歌われ、また、これは優れた聖詩朗詠や詩編のそれぞれの詩の中央に相応しいポーズを置いて、明瞭に意味が聞き取れるように歌われたことを知っている。  一方、その1世紀ほど前、サリスベリーの聖堂参事会長(Dean)と聖堂参事会は、次のように述べている。「無秩序な身振り、動き、跳躍は、聖歌助手(Vicars Choral)が保持しなければならない威厳と矛盾した軽率な心の表れである。」そして「あちこちへと動き、明らかな理由もなく出て行ったり戻ったりする聖歌隊の彼らの落ち着きのなさを」非難している。--それは、中世の教会の威厳の概念が、今日の私たちのと随分異なっていることを思わせる。
 シトー会修道院の修道士、ハイスターバッハのカエサリウス(Caesarius of Heisterbach)は、最もきちんとした教会で時折起こった不和と混乱を「修道士たちの弱点を絶えず攻撃しようとする・・・そして「Domine quid multiplicati sunt」のような詩編を、歌い手たちを混乱させることで中断させようとする悪魔の介入である。」とした。また、愚かな若い修道士が、聖歌隊のほとんど一番下(のパート)で音高を低くされた詩編にとまどいキーを5度上げ、副修道院長の、彼を止めようとする努力にもかかわらず、残りをうまく上に合わせて行ったとき、--何人かの仲間の修道士たちにこれを真似されて--彼の弟子たちは、その同じ悪魔のせいにした。
 今日、ベネディクト会修道会では、典礼で間違えた修道士は、誰であれ出て行き、修道院長が座席(ストール)をトンと叩いて離脱者が十分な悔い改めをしたという印を与えるまで、みんなの前で祭壇の一番下の階段(ステップ)に跪くことを要求する習慣を維持している。(もし、このシステムがいくつかのイタリアのオペラ・ハウスで採用されたなら、オペラ全体が跪いて歌われることになるかもしれない。)

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