第 1章 神 話と理論

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[1. エルの神話][2. ピタゴラス][3. 心理的影響]

1. エルの神話

西洋文化では、音楽の起源は、神話と結びついている。プラトンは、音楽をめぐる示唆的な神話を創造した。恐らく、ギリシア時代以前の文化に起源のあるもの にも言及しているだろう。

フェードロ(パイドロス)の中には、ある時、歌に熱中したあまり、寝食さえ忘れた人々がいた。歌の喜びにふけるあまり、死ぬことさえ気付かなかった。こ の人々の一族に蝉 の起源がある。蝉は、食べることも飲むこともせず、歌いながら短い期間生きて死ぬと信じられていた。また、蝉は、地上のミューズ神を誰が讃えるのかも示す 役割を持っていると信じられていた。特に、最も甘美な歌を知っている守護の2人のミューズ神、カリオペーとウラニア、生涯を哲学に捧げた人々を示すと信じ られていた。

音楽と哲学との類似性は、プラトンの思想では、充分正確に議論されている。

ソクラテスは、生涯の最後の日になって、晴れやかに教訓的なモノローグを続ける。それは、間断なくプラトンの対話を、雄弁に愛おしい深さで中断する。フェ ドーネ(パイドン)の終わりでは、ドクニンジンがその毒の効果を発揮するだろうその時に、結論を導き出している。ソクラテスは、繰り返し見る夢について 語る。その夢の 中で、音楽を作るよう誘われる。あまりの誘いを見て、彼は、哲学を「いと高き音楽」と考える。全生涯で、彼は、哲学に没頭したこと以外に、一体何をなした だろうか。

哲学と並んで、音楽は、プラトンにとっては、魂と共になし、宇宙の永遠の法則をも含んでいる多くのことを持っているように理解しているように思える。

事実、「国家(Repubblica)」の最後の部分で、一人の人間エルの冒険談が語られる。彼は、ある異常な経験に触れる。死して蘇るという経験に。死 と復活との間で、彼の魂は、あの世(彼岸)の旅に赴き、その記憶を留める。エルというギリシア語でない名は、プラトンの話が外国起源であることを明らかに している。

エルは、それ故、魂が、高き天上で善き報いに、あるいは地上の深淵で罪の贖いに向かう場所を見た。世界の果てに到着し、そこで、魂は、生まれ変わる身体を 選択しなければならない。そこで、彼は、パルケよって監視され、まさにそこは宇宙である超自然のメカニズムを見た。そこには、8つの天があり、輝く光の柱 の周りを回っている。天の縁を形造っている8つの輪それぞれには、神聖な生き物セイレンがいる。そして、「1つの調で1つの音」を発し、「8つすべての音 で、一つのハーモニーを作り上げている。」

ギリシアの合理的精神では、音楽の言語は、神秘的で説明のできない性格のものとして現れる。まさに、他の芸術の言語とは違って、意義ある価値ある言葉では 表現されなかった。音楽に関しては、ギリシア人たちは、続く西洋文明で定型化されたのと同じ問いを発した。音楽という芸術は、明らかに説明できないもので あるが、至高の実在性が与えられ、人間の精神と深く結びついているという自覚から発している。恐らく、このために、プラトンは、その神話と他の多くの対話 編の中に、宇宙の重力や魂の動きのような異なる現象と音楽とを結び付けたのだろう。

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ピタゴラス

音楽に関して言うと、プラトン以前にすでに完成した理論が作りあげられていた。紀元前6世紀にマグナ・グラエキアに生まれた謎の智者ピュタゴラスに触れて いる思想家たちの作品の中で。そうした理論は、ピュタゴラスの信奉者たちの著作(私たち(現代)に伝わっている断片)やアリストテレスによって定式化され た反論反駁の中に、その姿を見せている。

音が、震える肉体の動きで生み出されるのとちょうど同じように、天体の重力の働きも震えを生じ音を生み出す。その存在に人はあまりに慣れてしまっているの で、そこに人間には聞こえない「天球のハーモニー」が生ずる。ピュタゴラスによる音楽と宇宙との関係は、アリストテレスの「メタフィジカ(形而上学)」の 一節に述べられている。「…さらに、数によって表現される特質とハーモニーとが一致する関係を見ていたから。要するに、自然のあら ゆることは、数と似た形で現れ、数は、自然の中にあるものすべてに先立って現れたから。彼らは、数の要素は、存在するすべてのものの要素であり、全世界が 調和(ハーモニー)であり、数であると考えていたから。」

音楽が理解できるようになることとの関連は、より明確になっている。魂が天体のハーモニーを記憶している限り、人間の魂の中に反響を見出す。そして、それ は、アリストテレスのピュタゴラスを引用すると、「ハーモニーとは混合であり、相対するものの総合であり、相対するものから天体は作られた。」というのと 同じハーモニーである。

美学以上に音楽の生理学が問題なのである。そこでは、芸術の理解は、魂の特別な感受性を通してである。その問題への輝かしい解答がある。そうでなければ解 決できない。音楽が自然の中で発見し、模倣しなければならない模範がある。それはまた、音楽の超自然的起源への回帰でもある。合理主義と非合理主義とを和 解させ、自然の模倣としてのギリシア芸術理論を放棄する必要もなく、人間への音楽の感化影響を説明する命題に従うことで。

当然、この概念は、音楽の否定しがたい非合理的要素に広大な空間を残すことになる。しかし、別の面から見れば、そうした空間は、適切なよりよい説明で、今 日まで埋められてきたようには思えない。それ故に、音楽の美学においては、西洋思想は、ピュタゴラスの時代からあまり進歩していないと考えることもでき る。せいぜい、音楽の神の起源や超自然的力に言及しているギリシア神話を称賛することができる程度に過ぎない。オルフェウスは、歌で野獣をてなずけ、冥界 の神々を感動させることができ、エウリピデスは、彼を蘇らせた。音楽家アンフィオーネは、海賊に海に投げ込まれたが、ハーモニーに敏感なイルカの優しさに 救われた。アンフィオーネは、テーベの城壁を建設しようとキタラの音で石を動かそうとした。動物界も無機(物質)界も音楽に打たれ、それと交感する震動に 入った。ギリシアの想像力によるこの貴重な物語であるが、恐らく、物語的及び芸術的形式で、宗教的自然の、先立つ時代に遡る深い確信を表現する定めであっ たのだろう。恐らく、これらの神話の奥には、音楽が神聖なものからほとばし出る、自然を巻き込むほどの力があると感じ(信じ)られていた原始の概念が隠さ れているのだろう。

同様のことが、ピュタゴラスの概念全体の中に影を落している。そして、それは、普通の形でギ リシア文化の中に見出される。例えば、音楽の治癒力(治癒の機能)の信仰の中に。血の流れ出る傷を癒す歌の止血の機能から、座骨神経痛の四肢の痛みを和ら げるためにアウロスを奏でる無痛性(鎮痛性)の機能に至るまで。

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心理的影響

 ギリシアの合理主義が成熟に達したとき、音楽の力はピュタゴラス派の思想によって規定されているより正確なものとして現れる。人間の 魂と星の運動の調和との一致がもはや問題なのではなく、詳細な分類、その分類に従って、音楽の特定の終止部は、特定の心理学的影響力を持つ。

プラトンは、「国家」の中で、音楽が人間の魂に及ぼす影響について語っている。また、それに先立つ時代に定められた客観的規定も受け入 れている。そこでは、音楽の体系は、一連の下位の体系、それが与える影響によって型に分類されたハルモニアイに分けられる。言い換えるなら、プラトンは、 一定の音(ハルモニア)の間の関係の範囲で構成された旋律は、自動的に一定の心理的影響力を反映するものであるあることを認めていた。彼の時代には、伝統 的ですでに時代遅れになっていたこの分類を忠実に守り、あるいくつかのハルモニアイは、その成文化された性質に基づいて、「悲しみに沈み、ひ弱で、饗宴 の、物憂げな」ハルモニアイと定義され、またそうした否定的なものと定義されたハルモニアイは、理想的な国家からは排除されなければならないと命じてい る。プラトンによると、2つのハルモニアイだけが認められる。彼は、技法的な定義だけでなく心理的な定義も与えている。「あなたは、戦争などあらゆる激し い行為において勇気を示す者の言葉やアクセントを、それらを相応しく真似るハルモニアイを保持しなくてはならない。そして、敗北したり、傷ついたり、死に 際して、あるいはその他の災難の犠牲となるとしても、常にその運命に毅然と立ち向かい忍耐するよう対応しなければならない。また、他方、暴力ではなく、自 発的に平和な行動を意図する人には、別の対応を、すなわち、神が問題なのであれば祈りで、人間が問題なのであれば、教えと訓戒とで、人に何かを説得し求め なければならない。」

それぞれ影響力を持つハルモニアイの分類は、「政治学」の中で、アリストテレスによっても受け入れられた。しかし、これは、プラトンに おいてのように、音楽の比較における判断に影響を及ぼさない。なぜなら、アリストテレスは、ハルモニアイの示すものと、その魂への影響力との間に明確な分 離をも、また行なっているから。アリストテレスの「政治学」では、音楽は、古い保守的なプラトンの理論が故意に要求しているような倫理学の領域には属して いない。今や、それは、芸術の領域、快楽の領域にさえ属している。他の分野への影響力を、古代に認められた影響力の性質に基づく徳の教えの他に、娯楽と慰 め、怠惰な高貴さが占めることを認めるのももっともなことである。その結果、アリストテレスによれば、音楽は、様々な局面から成り立っており、その1つが 特別な要求に適う。「すべてのハルモニアイを使用しなければならないが、同じモードですべてを用いるのではなく、教育のためには、最大の道徳的内容を持つ ハルモニアイを、他の人々によって要求された音楽を聞くためには、行動へと駆り立てたり、感動を呼び起こしたりするハルモニアイを用いなければならない。 そして、これら哀れみや恐れ、熱狂のような感情は、あるハルモニアイでは強く反響(共鳴)し、あるものではより多く、あるものではより少なくではあるが、 すべてにおいてその反響は現れる。しかし、私たちは、それらによって強く打たれた人々が、魂を揺り動かす聖なる歌を憎むとき、その時、反響したあるいは浄 化された人の状態の中にいる。同じことが、哀れみ、恐れの感情、全般にすべての感情にとっても必然的に有効であり、私たちが語った影響力は、誰でもその必 要があるだけ生み出すことができる。なぜなら、すべての者が、浄化と快い軽やかさとを体験することができるから。」

音楽の倫理的価値についてのプラトンの概念と比較すると、アリストテレスは、極めて近代的な態度をとっていて、芸術のための芸術の概念 を彼に発展させることになる相対主義の原理を創造させている。すなわち、絶対的価値としては、音楽そのものだけで認めようとする原理。そこでは、アリスト テレスは、倫理的力に対応するハルモニアの分類を排除し、「模倣のイメージ」を定義付ける想像力豊かな影響力だけを残した。要するに、音楽と倫理とのこの 分離の試みで、アリストテレスは、音楽は、音楽的言語の客観的性質と特徴の保管庫として、専門家たちだけによって行なわれるべきであることを切に望んだ。

アリストテレスの体系は、音楽の意味の問題を明らかに閉ざし、その芸術の音楽家たちだけに独占を認める。その立場から、音楽の理論家た ちは、過去においても、彼らの訓練を証拠付ける(正当化する)傾向を強調した。その芸術の実践で起こっていることには関心がなく、宇宙、数と音楽との間の 関係に関するピュタゴラス起源の思弁に身を委ねた。

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