[フランチェスコ・マウロリコ][イタリアの幾何学者][ピエトロ・アントニオ・カタルディ] [マテオ・リッチ][マイナーな著述家たち][イタリアの算術家たち] |
フランチェスコ・マウロリコ この時期、ギリシアの著述家に興味のあった数学者の中で、最も優れた者はフランチェスコ・マウロリコ(1)であった。彼は、シチリアのメッシナ生まれだが、ギリシアの家系であった。彼は聖職者で、ある時は大修道院長であって、何年間かメッシナで数学の教授をしていた。彼は、テオドシウスやメネラオスの著作、球面に関するアウトリュコス(Autolycos)の論文(2)、エウクレイデス(ユークリッド)のパエノメナ(Phaenomena)をラテン語に翻訳し、アポロニウス(3)とアルキメデス(4)の著作を出版している。また、彼は、数学や算術の様々な概説書(5)を書いたり、数学的帰納法(6)について書いてもいて、何らかの創造的な力のある人物であった。彼以上の優れた才能のあった同時代の何人かについて、彼らの業績を簡単に紹介しながら以下挙げておく。
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イタリアの幾何学者たち
ウルビノのフェデリゴ・コマンディーノ(Federigo Commandino of Urbino)(1509-1575)は、数学に関するギリシア古典の指導的翻訳家・編纂家の一人として知られている。エウクレイデス(ユークリッド)、アルキメデス、アポロニウス、アリスタルコス、ヘロン、プトレマイオスやパッポスの彼の版は、高い評価を得ている。
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ピエトロ・アントニオ・カタルディ
ピエトロ・アントニオ・カタルディ(Pietro Antonio Cataldi)(15)(1548-1626)は、ボローニャ生まれで、生涯の終わりをそこで過ごした。彼は、フィレンツェ(1563)、ペルージャ(1572)そしてボローニャ(1584)で数学と天文学の教授であった。彼は、いくつか数学の著作を書き、連分数の理論の第一歩は、最初にその考えを持った人ではないが、彼によるものである。彼の「実用算術第一部(Prima Parte della Pratica Aritmetica)」(Bologna, 1602)と「完全数論(Trattato dei numeri perfetti)」(Bologna, 1603)は、文字を並べ変えて作ったペリト・アンノチオ(Perito Annotio)の筆名で出版された。「実用算術(Pratica)」の第2部は、1606年に自分の本名で出版され、第3部、第4部(1617,1616)も同様であった。彼はまた、エウクレイデス(ユークリッド)の「幾何学原論」の最初の6書を校訂し(16)、代数について簡単な論文を書き(17)、根の理論(1613)や円積問題(the quadratura of the circle)(1612)その他様々なテーマに貢献した。
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マテオ・リッチ
カタルディの同時代人の中で、数学を遠隔の地まで普及させるのに最も多くのことをしたのは、マテオ・リッチである。彼は、驚くべきエネルギーの持ち主で、著作を通じて中国に大きな影響を及ぼした。(18) 彼は、1571年にイエズス会に入り、1577年、ローマを離れて中国に渡り、1578年に広東に着いている。(19) ここで、彼は、彼に先立つ人々の誰よりもその国に西洋の数学と天文学を知らしめるのに多くのことをした。中国の学者たちの助けを借りて、その中で最も優れた人は、二人の学識ある役人、徐光啓(Hsu Kuang-ching)(1562-1634)と李之藻(Li Chi-Ts'ao(1631年没))であるが、エウクレイデスの「幾何学原論」の初めの6書を中国語に翻訳した。(1603-1607)(20) 彼は、また算術も書き(21)、それを助手の李之藻(Li Chi Ts'ao)に献じたり、様々な天文学的著作を編集したりした。(22)
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マイナーな著述家たち
その世紀の後半、シルヴィオ・ベッリ(Silvio Belli)(1575年没)は、実用的な幾何学(23)と比の理論(24)について書いている。彼の幾何学は、とても人気があり、16世紀に6版が出されている。
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イタリアの算術家たち
先進的な国々すべてで、多くの算術が16世紀に出版されたが(27)、私たちの現在の目的のためには、もう2,3優れたイタリアの著述家に言及するだけで十分だろう。
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