シュリーダラ
この時期のヒンドゥーの著述家の中で第一のものと言えば、シュリーダラ(Sridhara)、一般には、シュリーダラーカーリヤ(Sridharacarya)、学識あるシュリーダラとして知られる人物であったように思える。彼は、恐らく、991年に生まれただろう。(1)彼の著作は、ガニタ・サラ(Ganita-Sara)(計算大要「Compendium of calculation)」)として知られているが、より一般的には、副題の「トリシャティカ(Trisatika)」、その 300の二行連句(対句)に言及した名で呼ばれている。(2)考察されたテーマは、数え方、計量、公式と問題であり、その順序は、およそ1世紀のバスカラ(Bhaskara)によって、リラーヴァティ(Lilavati)の中で従われたものに非常によく似ている。後者の著述家(バスカラ)は、シュリーダラ(Sridhara)のことを知っていた。彼自身がビジャ・ガニタ(Bija-Ganita)の中で証言しているように。
上述した一般的テーマの下に、一連の自然数、乗法、除法、零、平方、立方、平方根、分数、三数法(Rule of Three)、利息、合金、共同(partnership)、計量と影の計算(shadow reckoning)が含まれている。零に関する記述は、ヒンドゥーの中に見出される最も明確なものとして注目に値する。「もし、零がある数に加えられてもその合計はその数と同じである。零で引かれてもその数はもとのままである。零が掛けられるとその結果は零であり、ある数が零に掛けられるとその積は零になる。」零で割る問題は考えられていない。
分数によるわり算には、シュリーダラは、除数を逆さにして掛けるという規則、マハーヴィーラ(Mahavira)(850年頃)にすでに知られていた規則を与えている。また、マハーヴィーラ同様、彼はπとして√10を与えている。
1000年から 1500年までのヒンドゥーの数学史の中で、目立って優れているのは著述家が他に一人だけいる。それはバースカラ(Bhaskara)、一般にバースカラカーリヤ(学識あるバースカラ)(Bhaskaracarya)(3)として知られているデカン(Deccan)のビドゥール(Biddur)(4)生まれで、ウジャイン(Ujjain)で仕事をした人である。
古代の神殿の銘には、次のような言葉で彼に触れている。「その足跡が、賢明な卓越した学識のある、・・・詩人によって崇められ、・・・よき名声と宗教的価値の賦与された、バースカラカーリヤは、勝利に輝いている。」(5)
バースカラは、主として、天文学、算術、計量と代数について著述した。彼の最も有名な著作は、リラーヴァティ(Lilavati)、シュリーダラ(Sridhara)のトリシャティカ(Trisatika)に基づく算術と計量に関する論文である。(6)この著作は、文学の偉大な擁護者である皇帝アクバル(Akbar)の指示により、フィジ(Fyzi)(7)によって 1587年にペルシア語に翻訳された。フィジは、このことはいかなる権威ある書にも現れないが、リラヴァーティはバースカラの娘の名で、占星術師たちは彼女は決して結婚しないだろうと予言した。しかし、バースカラは、彼女の結婚のための幸運の時を占い、水の器の上に浮かぶ時の杯(hour cup)を残した。この杯には、底に小さな穴があいていて、水が少しずつ入ってきて時間が来ると沈むように作られていた。しかし、リラーバティは、自然な好奇心から、杯の中に水が上昇してくるのを見ようとのぞき込んだ。その時、彼女の衣服からたまたま真珠が落ち、その水の流入を止めてしまった。それで、杯が沈むことなく時間が過ぎ、こうしてリラーヴァティは、決して結婚しない定めとなった。彼女を慰めるために、バースカラは彼女の名誉のために一冊の書物を書いて、こう述べた。「私は、後の時代にまで残るあなたの名の書物を書こう。なぜなら、よき名は第二の人生であり、永遠の存在の土台であるから。」
その著作は、東洋での習慣のように、神への挨拶で始まる。「歓びを礼拝者たちの心の中に染みこませ、あらゆる困難から彼を求める人々を解放し、その足が神々によって崇められる象の頭の存在への挨拶。」その書には、記数法、整数と分数との演算、三数法(the Rule of Three)、最も一般的な商業算術の規則、利息、級数、混合法、順列、度量衡と少々代数を含んでいる。零に関する規則も含まれていて、a + 0 = 0、0の累乗は 0、a * 0 = 0 とされている。a / 0 = 0 (彼の注釈者によって訂正された)は、彼にとっては、明らかに明確なものではなかった。というのは、彼が述べているのは「零(cipher)によって分割された明確な量は、0(nought)の約数である」であり、彼の例証が、10 / 0 = 10/0 と 3 / 0 = 3/0 であるという一方(8)、後者は「分母が0である分数は、無限の量と呼ばれる」という文を伴っているから。
バースカラは、またビジャ・ガニタ(Bija Ganita)(9)、代数に関する著作(10)も書いている。ここで、彼は、有向数(directed numbers)、負数がサンスクリット語で「負債」とか「損失」として表され(11)、-3をの場合のように、それぞれの数の上に点を打って示されていて、普通の規則が正しく述べられている。(一方)虚数は、次のように述べて捨てられている。「負の数量の平方根はない。なぜなら、それは平方にはならないから。」いくつか未知量が用いられているところでは、それらは色として述べられている。「「--と同じ量の」また「黒、青、黄、赤」などの色、そしてそれ以外にも他の多くのものが、未知の量の値を表す名として尊い教師たちによって選ばれている。」(12)無理数は、多くの代数に関する中世の著作でのように、広く扱われているが、あらゆる種類の無理数を扱うことの困難さは、記号がまだ十分発達していない時代では、特に大きかった。アーリヤバタやブラフマグプタでのように、「微粉器(pulveriser)」が広く扱われている。一次関数や二次関数には、より多くの注意が向けられていて、他のヒンドゥーの著述家の場合より明確に議論されている。幾何学図形に関する多くの問題の他に、普通の詩の型もあり、次のはその例証になるだろう。
プリトハ(Pritha)の息子は(13)、戦闘で怒って、カルナを殺そうと矢筒の矢をすべて放った。その矢の半分で、彼は敵の矢をかわした。その矢筒の矢の平方根の4倍で、彼は馬を殺した。6本の矢で、彼はサルヤ(Salya)(14)を殺害した。3本で、傘、軍旗、弓を破壊した。そして、1本で、敵の首を切り落とした。アルジュナが放った矢は何本であったか。 |
二次方程式を解くために用いられた規則は、シュリーダラ(Sridhara)のものとして与えられている。(15)方程式を書く方法は、いくつか明らかな利点がある。方程式 18xx = 16xx + 9x + 18 は、
と書かれ、2xx - 9x = 18 に変形されると、
と書かれている。(16)
バスカラによって書かれた、第3の重要な著作は、シッダーンタ・シロマニ(Siddhanta Siromani)(正確さの頭の宝石(Head jewel of accuracy))(17)であり、その中のゴラディア(Goladhia=球面の理論(Theory of the Sphere))では、天文学を扱い、様々な古代ギリシアの哲学者たちがしたように、地球が球形であることを主張している。
275ページに言及されている古代の銘は、バスカラの孫のチャンガドワ(Changadwa)は、シムガナ王(King Simghana)の第一の占星術師で、彼の時代に大学がバスカラの教義を詳細に説くために設立された。(18)
ピュタゴラスの三角形を作るときに、バスカラは、次の関係を述べて、ブラフマグプタに従っている。
√m, 1/2 * (m/n - n), 1/2 * (m/n + n),
そして、さらに二つの関係を付け加えている。
m, 2mn / nn-1, m(nn+1) / nn-1
と
m(nn-1) / nn+1, 2mn / nn+1, m
東スマトラ(中国語で San-fo-ts'i)では、13世紀の中国人旅行者によって、人々は有能な数学者であって、太陽と月の未来の蝕を計算できたと述べられている。(19)疑いなく、同じことが、当時、アジアの他の地域でも言うことができただろう。その記録は、私たちに伝わっていないが、そうした計算は、この特定の時代に先立つ数世紀の間、様々な国の占星術師たちの職業においては、一般的な知識の一部であっただろう。