数学史

[バグダードのキリスト教学者及びユダヤの学者][後の著述家][アラビア語への翻訳者たち][アブ・カミル][バグダードの黄金時代の終焉]

バグダードのキリスト教学者及びユダヤの学者

 この時期、バグダードには様々なユダヤやキリスト教の著述家が来ていた。彼らの名は一般にアラビア語の形で残っている。これらの中に、占星術家サール・イブン・ビシュル(Sahl ibn Bishr)(1)がいた。彼は、コラサン(Khorasan)ではかなりの名声を得ていた。彼は代数についての著作を書いた。その一部はベネチアで(1493年)、一部はバーゼルで(1533年)出版された。また、アブル・タイイブ(Abul-Taiyib)(2)もいた。彼はユダヤの宗教を棄て、イスラムの信仰を受け入れた。彼は1セットの天文表を編集し三角法について著述したように思える。キリスト教徒の中にコスタ・イブン・ルカ・アル・バアルベキ(Qosta ibn Luga al-Ba'albeki)(912/3年頃没)(3)がいた。彼は医者で、テオドシウスの球面幾何学(Spherics)とアリスタルコス、アウトリュコス(4)、ヒュプシクレス、ヘロンそしてディオファントスの一部を翻訳し、教理問答の形で幾何学を書いた。また、ギリシア人のキリスト教徒、ナジフ・イブン・ユム(あるいはイェメン)(Nazif ibn Jumn(or Jemen))もいた。彼はアルークァス(聖職者)として知られ、ユークリッド(エウクレイデス)の第10書を翻訳した。同じキリスト教徒の一人、アル・ヨルジャニ(al-Jorjani)(5)は医者で、アルマゲストの要約を書いている。
 ミシュナト・ハーミドト(Mishnath ha-Middoth)(計量理論=Theory of Measures)というタイトルの著者不明のヘブライ語の著作が書かれたのは、この時期、この地域であった可能性があるが、場所と年代は全く分かっていない。それは主として幾何学の立体の計量につてであるが、その図形のいくつかはアル・フワーリズミーの計量に関する著作を思い起こさせる。(6)

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後の著述家

 バグダードの初めの三人のカリフの統治後も、天文学という学問は数学の控えの間であり続けた。こうして私たちは、この分野でアル・メルヴァツィ(al Mervazi)(7)のような著述家を見いだす。彼はもっぱら天文学と天文学の器具について著述した。アルブマサル(Albumasar)(886年)(8)は、占星術に関するアラブの著述家の中で最も有名であり、この学(占星術)によって天文学の研究へと導かれた。アフメド・イブン・アルタイイブ(Ahmed ibn al-Taiyib)(890年頃)(9)は、ペルシアの生まれで、アルキンディ(Alchindi)の弟子の一人であった。彼は、占星術と音楽についてだけでなく、代数と算術についても著述した。そして、アル・ディナヴァリ(al-Dinavari)(10)は、代数、天文学、そしてヒンドゥーの計算方法について著述した。また、有名な学者、ヨーロッパの呼び名で言うとアルバテニウス(Albategnius)(929年没)(11)もいた。彼は天文学の著作と表とで正当に評価された。この時期の他の多くの学者の中に、ヨーロッパでの名を使えば、ラセス(Rhases)(932年頃)(12)と言われる人物がいたようだ。彼は有名な医者で、幾何学と天文学について著述した。タビト・イブン・クォラ(Tabit ibn Qorra)(13)の孫も医者で、円錐曲線、日時計や初等幾何学について書いている。トルキスタンのファラブ(Farab)生まれのアル・ファッラビ((al-Farrabi)(14)は、ユークリッド(エウクレイデス)の注釈を書き、名声を博した哲学者であった。イブン・ユニス(ibn Yunis)(15)は、アル・バッタニ(al-Battani)と並んで、アラビア人の中で最も有名な天文学者であった。そして、アル・ハッラニ(al-Harrani)(16)は、ユークリッドの注釈を書いた。
 10世紀には、いくらか高い才能の著述家が何人か現れる。その中で最もよく知られているのは、アブル・ウェファ(Abul-Wefa)(940-998年)(17)である。彼は、三角法の改良、タンゼント(umbra versa)を導入、10分ごとのサインとタンゼントの表の計算でも有名である。また、セカントとコセカントの使用を彼に帰することも大いに可能であろう。また、彼は算術、代数、幾何学と天文学に関する著述家としても卓越していた。
 特に言及に値するこの時期の他の著述家の中に、バスラ(Basra)(18)のアル・ハイタム(al-Haitam)がいた。彼は代数、天文学、幾何学、日時計測定法、光学について著述した。アブ・ジャファル・アル・カジン(Abu Jafar al-Khazin)(961年と 971年の間に没)は、円錐曲線の助けを借りて三次方程式の解法を試み、また、ユークリッドと天文学について著述している。また、クシャル・イブン・レバン(Kushyar ibn Lebban)(19)は、算術、三角法、天文学について書いた。
 アル・ナイリツィ(Al-Nairizi)(922/3年頃)(20)は、10世紀のユークリッドに関する有名な著述家の一人であった。彼は天文学と幾何学に関心があって、プトレマイオスとユークリッド両者の注釈を書いているが、最もよく知られているのは、クレモナのゲラルドによってラテン語に訳された「幾何学原論」の注釈である。
 10世紀のユークリッドに関するそれほど重要でない注釈書の類として、アル・ハサン・イブン・オベイダラ(al-Hasan ibn 'Obeidallah)(21)をあげることができよう。彼は「幾何学原論」の難しい部分の注釈を書いている。

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アラビア語への翻訳者たち

 この時期の注目すべき翻訳者たちの中に、アル・ハジジャイ(al-Hajjai)(22)がいた。彼はユークリッドの「幾何学原論」の6つの書のうち二つを翻訳し、プトレマイオスの「アルマゲスト」も翻訳した。アル・ジャウハリ(al-Jauhari)(23)は、バグダードとダマスクスで天文学的観測を行い、ユークリッドの「幾何学原論」の注釈を書いた。ホネイン・イブン・イシャク(Honein ibn Ishaq)(24)は、様々なギリシアの著作を翻訳し、恐らくプトレマイオスの「テトラビブロス(Tetrabiblos)」が含まれていただろう。また、天文学について著述したが、医者や哲学者としての方が有名であった。彼の息子、イシャク(Ishaq)(25)は、医者でユークリッドの「幾何学原論」と「ダータ(Data)」、「アルマゲスト」に球と円柱についてのアルキメデス、そして恐らくメネラオスの「球面幾何学(Spherics)」を翻訳したことだろう。それほど有名ではないが、言及に値するのは、アル・アルジャニ(al-Arjani)(26)であり、彼はユークリッドの第10書の注釈を書いた。アル・ヒムシ(al-Himsi)(27)は、アポロニウスの最初の四書を翻訳した。サイド・イブン・ヤクブ(Said ibn Yaqub)(28)は、医者でユークリッドとパッポスの一部を翻訳した。

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アブ・カミル

 850年と 930年の間、エジプトにアブ・カミル(Abu Kamil)(29)が生きていた。彼はいくつかの著作で知られていたが、特に五角形と十角形についての論文(30)と彼の算術及び代数で知られている。(31)彼の時代のどの著述家も、方程式の扱いにおいて、幾何学的問題の解法への応用において彼ほどの才能を示したものはいなかった。
 同じ頃、アブル・ファラドシュ・モハメド・イブン・イシャク(Abul-Faradsh Mohammed ibn Ishaq)が生きていた。彼は、イブン・ヤクブ・アル・ナディム(Ibn Abi Yaqub al-Nadim)として知られ、987年頃に書かれたキタブ・アル・フィフリスト(Kitab al-Fihrist)(一覧の書?)は、ギリシア人及びイスラム教徒の様々な優れた数学者たちの簡潔な伝記を集めたものである。(32)

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バグダードの黄金時代の終焉

 一般に、アラビア数学の黄金時代は、広く9世紀と10世紀に限定されるが、世界はギリシア数学の古典を保存し後世に伝えるのにアラビアの学者に大きく依存している。また、代数では、かなりの独創性を発揮し、三角法の著作では何らかの天才を示しているけれども、彼らの著作は主に後世に伝えるためのものであった。

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原注1

 Sahl ibn Bishr ibn Habib ibn Hani (or Haya), Abu Otman (c.850)

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原注2

 Sind ibn Ali Abul-Taiyib (c.850).

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原注3

 Baalbek出身の Lukeの息子、Kosta. 初期のヨーロッパ人には Kusta ben Lucaとして知られている。

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原注4

 BC360年頃に生きていたギリシアの天文学者。他の者たちはすでに言及されている。

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原注5

 Isa ibn Yahya al-Masihi, Abu Sahl, al-Jorjani, 1009/10年頃没。Al-Misihiは、メシアを信ずる者、すなわちキリスト教徒の意味である。Suterのリストには最後のいずれの二人も住んでいた場所については述べられていない。

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原注6

 M.Steinschneider,"Festschrift Zunz (Berlin,1864); H.Shapiro,"Abhandlungen," with translation and commentary,III,3; F.Rosen,"The Algebra of Mohammed ben Musa," p.70 (London,1831).

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原注7

 Ahmed ibn Abdallah al-Mervazi, Merv生まれ。(恐らく 864年と 874年の間に没す)Habash al-Hasib(「計算者ハバシュ」)として知られていた。

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原注8

 彼は一般に中世ヨーロッパで知られていたので。彼の名は、Ja'far ibn Mohammed ibn 'Omar al-Balkhi (Khorasanの Balkh出身), Abu Ma'shar.

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原注9

 Ahmed ibn Da'ud, Abu Hanifa, al-Dinavari (895年没)彼はほとんど生まれ故郷のディナヴァル(Dinavar)に住んでいた。

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原注10

 Mohammed ibn Jabir ibn Sinan, Abu 'Abdallah, al-Battani, メソポタミアのバッタン(Battan)の生まれ。彼は、また、ユーフラテス川のほとりのラッカ(Raqqa)で観測をしたという事実から al-Raqqiとしても知られる。

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原注11

 Robert of Chester (c.1140) あるいは Robertus Retinennsisによって翻訳された。後で言及する。著作は 1537年に出版された。

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原注12

 Mohammed ibn Zakariya al-Razi, Abu Bekr.

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原注13

 Ibrahim ibn Sinan Tabit ibn Qorra, Abu Ishaq, すでに述べた Sinanの息子。908/9生まれ。946年没。

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原注14

 Mohammed ibn Mohammed ibn Tarkhan ibn Auzlag, Abu Nasr, al-Farrabi; ダマスクスで 950/1年没。

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原注15

 Ali ibn Abi Said Abderrahman ibn Ahmed ibn Yunis (or Yunos), Abul-Hasan, al-Sadafi; 1009年没。

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原注16

 Ibrahim ibn Hilal ibn Ibrahim ibn Zahrun, Abu Ishaq, al-Harrani. 923年生まれ。994年、バグダードで没す。

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原注17

 Mohammed ibn Mohammed ibn Yahya ibn Isma'il ibn al-Abbas, Abul-Wefa al-Buzjani.

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原注18

 Al-Hasan ibn al-Hasan ibn al-Haitam, Abu Ali, c.965-1039.

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原注19

 Kushyar ibn Lebban ibn Bashahri al-Jili, Abul-Hasan, c.971-c.1029.

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原注20

 Al-Fadl ibn Hatim al-Nairizi, Abul-Abbas.

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原注21

 Al-Hasan ibn Obeidallah ibn Soleiman ibn Vahb, Abu Mohammed, c.925.

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原注22

 Al-Hajjaj ibn Yusuf ibn Matar, c.786-c.835.

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原注23

 Al-Abbas ibn Said al-Jauhari.

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原注24

 Honein ibn Ishaq, al-Ibadi Abu Zeid; 809/10年生まれ。873年、バグダードで没す。

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原注25

 Ishaq ibn Honein ibn Ishaq al-Ibadi, Abu Yaqub, 910年没。

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原注26

 Ibn Rahiweih al-Arjani, あるいは Arrajani, Steinschneiderによれば、ニシャプール(Nishapur)で没した、Ishaq ibn Ibrahim ibn Makhlad al-Mervaziと同一人物。

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原注27

 Hilal ibn Abi Hilal al-Himsi, 883/4年没。Al-Himsiは、シリアの「エメッサ生まれの(from Emessa)」という意味である。

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原注28

 Said ibn Yaqub al-Domishqi, Abu Otman. 彼は 915年に生きていた。

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原注29

 Abu Kamil Shoja ibn Aslam ibn Mohammed ibn Shoja.

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原注30

 H.Suter,"Bibl. Math.",X(3),15,33.

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原注31

 L.C.Karpinski, "Amer.Math.",XI(3),100.

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原注32

 Suterの訳は、Abhandlungen (VI,1) in 1802.に現れている。

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